もくろむ
ミクロとマクロ
Posted in たかめる, もくろむ on 9月 27th, 2011 by NGO – Be the first to comment好評につき回を重ねている吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。
今年度も実施する。第8回だ。日時は2012年1月29日(日曜日)13:00開演予定。
長久手中学校・長久手南中学校・長久手高校・栄徳高校・愛知県立大学吹奏楽サークル・響(栄徳高校OB・OG中心の一般バンド)が出演。
実はその日時、既に長久手町は長久手市になっているらしい。
だったらこの演奏会、市制記念などとカンムリつけなくても良いのか、と要らんことを言ってしまった。
「そうでした!気が付きませんでした。」と、選曲もそれに合わせることになった。
で、ショスタコの祝典序曲に決まる。
先回から試みた合奏練習前にそれぞれの団体へ個別レッスンすることが皆さん気に入ったらしく「今年もお願いできませんか」と。230人の大合奏で合わせるには少々難易度が高いし、「判りました。やりましょう。」な展開になった。
決まってからずっと考えていた。
ただ単に何年も継続することも大切だけれど、せっかく個別レッスンをする機会もあるんだから、きちんとそれぞれの回毎のテーマを持とう。先回禿げ山やったときは密かに「アゴーギク」をテーマにしていたから、今度のテーマは何にしようか、と。
リズム合わせて、音程合わせて、な練習は(出来るかどうかは別にして)誰でもやるし、自分のテーマとしても新鮮味もない。(重要でないという意味ではない。念のため。)
選曲されたショスタコの祝典を材料にして何をテーマすると良いか。
うーんと悩んで決めた。ミクロとマクロ
さて、このテーマで何やるか想像してみてください?
でも実際に練習始まるまでは内緒。
気になる方々、練習見学大歓迎!
個別レッスンの日程はまだ決まっていないが、合奏レッスンは2012年1月21日10:30~16:00、1月28日13:30~16:00、と当日午前中にGP。見学希望者はご一報下を。
日常化
Posted in いろいろ, しらせる, もくろむ on 9月 25th, 2011 by NGO – Be the first to comment大変興味のある記事を見付けた。
小屋(文化会館)などの自主企画(いや、映画館やスポーツ観戦も同様か…)の役割とは、一般愛好者に対して非日常の提示だと思っている。人々はわざわざ日常にはない物を求めて来場し一時の感動や興奮を味わい、そして日常に戻っていく。だからこそ、そこで求められるのは質の高い非日常の提示なのだと思う。
その質の高い非日常で感動した人が、いずれ「自分もそうなりたい」と夢を見て芸術家を目指すようになるかもしれない。
とはいっても、あこがれた非日常を自身の日常に取り込もうとするためには気の遠くなるような作業が待っている。鍛え訓練しなければその非日常は手に入らないからね。
独りではなかなか難しいから資料を漁ったり誰かに習ったりして、現状の日常の中でこつこつと長い時間かけて憧れた非日常を身につけていく。
非日常の体験によって触発されるべき非日常の日常化だ。
しかし、小屋の企画(質の高い非日常の提示)だけではそのため(非日常の日常化)の発想や仕組みまで手が回らない、もしくは上手く機能しない、という現実から逃れられないままのように思う。非日常は一瞬だからどうしても単発の打ち上げ花火に終始し、ある程度の長い時間経過を伴った変化を期待する企画は難しいのかも。
教育型企画のアウトリーチとかワークショップなどの企画も為されてはいるが、それすらも非日常の提示で止まってしまう場合がほとんどではないだろうか。
この三重文化会館の試み、非日常と日常を取り持つという意味で大変期待が持てると思うのだ。
企画の主催者である小屋が積極的に非日常と日常を取り持つ。
そのことによって、観客は目指すべき憧れとしての非日常を知り、演じ手は生業(なりわい)として質の高い日常化を可能にし、小屋はその過程を知る事により、三者が時間の経過を伴って繋がっていく手がかりになる期待がある。ここから何かが動き出すと良いなぁ。
しかし、やはり多くの制約があるようで、それらを打ち破っていくために事業主である文化振興事業団担当者の並々ならぬ努力と献身的な働きによって成り立っている、ということが少し気になる。
「この担当者ありき」の企画に留まっていると、模倣したくても(継続したくても)なり手がおらず頓挫する、ということになりかねないから。
この時期になると
Posted in もくろむ on 6月 11th, 2011 by NGO – Be the first to commentコンクールに向けて指導する機会が増える。
高校の場合が多いのだけれど、それぞれ少しでも良い演奏に向かって努力されている。
どの団体のどのメンバーも、楽器で音を出す事については、よく勉強しているし練習もしている。最近は溢れるほどの情報があるし技術的な鍛錬はやればやるほど身につくはずだから、経験年数等による程度の差こそあれ、的外れでない奏法はマスターできている場合は多い。楽器も整備されてきているし性能の良い楽器を使っているともっと楽に演奏できたりする。
にもかかわらず、全体では「うー、これはどうしたものか…」となってしまう場合がある。もちろんそれぞれ様々な事情があって同列には語れないだろうが、考えるべき事は大きく二つあると思う。
一つは「音楽の成立」という文脈の付加。平たくいえば「センス」かな。
「音」を「音楽」にする力。特に吹奏楽は「サウンド」重視だから音が良ければ全て良し、みたいな事になっていて「いくらなんでもそれはおかしいでしょう」という音楽が出来上がってしまうことは案外多い。
それをいわれてしまったら身も蓋もない、と思われるかも知れない。しかし「センス」は決して持って生まれたものだけではないと思っている。磨くものだと。
ただし磨くのに効果的な時期はあるかも。できれば早い(若い)ほうがいいのでは…。遅くても可能だが苦労は増すかも知れない、ということだ。
もう一つは「アンサンブル力」という技術方法論。
どうやって音を寄り合わせていくか。摺り合わせていくか。
個々の楽器奏法が上達していけば自然にアンサンブル力が伴っていくはず、と誤解しているのではないかと感じることは多い。技術があれば楽になることは確かだが、アンサンブル力向上の根本的解決にはならないと思う。
「オーケストラは合意することを前提に集まった集合体」というアヴレウ氏の言葉にはアンサンブルを向上するための全てが詰まっていると思う。関わる全てのメンバーが納得・合意するためにどのような前提が必要で、皆が何をしてそこを目指すか。その視点はとても大切だが、現状ではすっぽりと見落とされているとさえ感じる。
例えば、「私の棒のテクニックがないからみんなの音楽がうまく運ばないのです」とのたまう指導者(指揮者)がいらっしゃるが、それは上記2つ両方の問題が絡んでいるのに気が付いていない。仮にいくら棒のテクニックがあったって、その前に大元の音楽磨かないとテクニックの意味が無いんじゃないかな。
それら前提が乏しいところでいくら楽器の技術を磨いてもなかなか効果は出てこないようなのだ。
吹奏楽がいつまでたっても世の中の「音楽」として認知されない原因はそこにあるような気がしている。
ということで、早い段階でこれらの力を養っておきたい。
何も音楽という狭い世界だけとは限らない。センスを磨くのは文学だってファッションだって食べ物だって同じだし、合意形成の方法習得は日常生活のあらゆるところで可能だ。
この2つの力を楽器奏法技術以前に身につける事ができていたら、テクニックという第3の力と三つ巴相まって飛躍的に吹奏楽が豊かになるはずだと思う。
だからこそ、いま私は小学校(その世代の子供達)にこだわっている。何でもどんどん吸収していく自由な感性を持ち頭や心の柔らかい時期、そして人として社会化を成し遂げていく時期。
N-systemaの出発点に小学校を持ってきたのはその理由からだ。
ますます
Posted in いろいろ, もくろむ on 6月 8th, 2011 by NGO – Be the first to comment苦しくなり、そこここから見たくないハガキが届くようになる。それを見る度に気が遠くなる。
本来やりたいことをすべき時に最大限動けるのようにするため、定職を探すことも一時しのぎの稼ぎに出ることもせずにいたらそうなるのは必須。
片方ではN-systema実現のために盛り上がっている。
夜な夜な集まり音楽の夢を語り教育の理想を論ずる。
そんな中から少しずつ攻め口は見えてきた。
まずは小学生を集めて金管バンド講座をやる方向。
しかし、楽器整備をする予算など無いし、一つの小屋(音楽ホール)に最初から沢山人を集められないだろう。
小学校の金管バンドとタッグを組めないかという発想が生まれるが、もちろんそこは一筋縄ではいくまい。警戒されて排除されて終わるだろう。
そうならないよう、とにかくとっかかりを作る為に我々が図々しく地元の小学校へ乗り込んでしまおう、という企画をした。いわゆる出前指導だ。
教育委員会に話をつけ、校長会を通し、現場のヒアリングをし、なんとか実現にこぎ着けそうになってきた。たぶん現場は指導で困っているのだ。来てくれるのだったら拒まない、という雰囲気。
地元自治体の小学校は全6校。そのうち部活動で金管バンドがあるのは5校。その5校とも出前指導の受け入れ体制を作ってくださった。
ようやく次年度から動き出しそうな気配。予算理由から1校あたり年間6回ではあるが、「有る」と「無い」では全く違う。
企画してから目処が立つまで数ヶ月。行政の動きにしては最速なのかも知れない。
企画側の協力体制は素晴らしかった。
問題はそれだけでは生活が成り立たないこと。
最重要かつ緊急な問題だ。