Archive for 6月, 2011

ますます

Posted in いろいろ, もくろむ on 6月 8th, 2011 by NGO – Be the first to comment

苦しくなり、そこここから見たくないハガキが届くようになる。それを見る度に気が遠くなる。
本来やりたいことをすべき時に最大限動けるのようにするため、定職を探すことも一時しのぎの稼ぎに出ることもせずにいたらそうなるのは必須。

片方ではN-systema実現のために盛り上がっている。
夜な夜な集まり音楽の夢を語り教育の理想を論ずる。

そんな中から少しずつ攻め口は見えてきた。
まずは小学生を集めて金管バンド講座をやる方向。
しかし、楽器整備をする予算など無いし、一つの小屋(音楽ホール)に最初から沢山人を集められないだろう。
小学校の金管バンドとタッグを組めないかという発想が生まれるが、もちろんそこは一筋縄ではいくまい。警戒されて排除されて終わるだろう。
そうならないよう、とにかくとっかかりを作る為に我々が図々しく地元の小学校へ乗り込んでしまおう、という企画をした。いわゆる出前指導だ。
教育委員会に話をつけ、校長会を通し、現場のヒアリングをし、なんとか実現にこぎ着けそうになってきた。たぶん現場は指導で困っているのだ。来てくれるのだったら拒まない、という雰囲気。

地元自治体の小学校は全6校。そのうち部活動で金管バンドがあるのは5校。その5校とも出前指導の受け入れ体制を作ってくださった。
ようやく次年度から動き出しそうな気配。予算理由から1校あたり年間6回ではあるが、「有る」と「無い」では全く違う。

企画してから目処が立つまで数ヶ月。行政の動きにしては最速なのかも知れない。
企画側の協力体制は素晴らしかった。

問題はそれだけでは生活が成り立たないこと。
最重要かつ緊急な問題だ。

おおいに悩む

Posted in いろいろ on 6月 7th, 2011 by NGO – Be the first to comment

N-systemaを実現させるべく本気で動くかどうか。
いくら理想を掲げても、毎日の生活が成り立たなければどうしようもないから。

実はこの世界を生業にすることをきっぱり止めるつもりでいた。
この頃生活は苦しく、毎日ハローワークWEBで仕事の検索をしていた。もちろん音楽に関係ある仕事はほとんど無いから違う生業を探し続けていた。
本当は「夏にはなんとかせねば」と思っていたのにダラダラと秋過ぎてしまい多いに焦っていたのだ。

そこにエルシステマの存在がのしかかってくる。
始めて知ったときの打ち震える感動。心の底からやりたいと思った。やるべきだと思った。私の生まれ持った役割はこれではないかとさえ思った。
しかし、出来るか?
いや、それ以前。
少しでも可能性があるのか?
実現の可能性をどうやって探るかすらわからない。

講演会に期待した。しかし残念ながら日本でのシステム実現具体策があるのではなく、単なるエルシステマ出身アーティストの素晴らしさを強調する付加価値としての位置づけなんだと思った。
主体的にエルシステマの日本ローカライズをしよう、なんてこれっぽっちも考えていないように思われた。
そうか、「おまえがやれ」ということなのだ、と認識した。誰かが私にそう命じているのだと。

しかし、まず私自身が生きていかねばならんのです。
…でもここにはずっと描いてきた理想がある。オレがやらなきゃ誰がやる。

悩みは最大に。日に日に苦しくなる。
そして今度こそ諦めようと思った。一体何度目か。
そんな折、ほんの数名だけど、エルシステマの感動を共有する人たちと「目指しましょう!」と盛り上がった。「盛り上がるのは簡単だけどな…」と思いつつも、フラフラと諦めの決意はどこへやら。

居場所

Posted in いろいろ on 6月 6th, 2011 by NGO – Be the first to comment

というキーワードから想い描いたもの。 
日付は2010/11/12。初出はよく知った特定の人だけが読み書きする掲示板に書き込んだもの。(今回少し手を加えた。)

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例えば エデュケーションモール というのを考えた。

 子供達が大人に遠慮することなく思いっきり騒ぎ走り回れる広場を囲んで、テナントが並ぶ。その中には、例えばE**こども英語教室や公文やYAMA**音楽教室やKAWA*体操教室がはいってる。バレエ教室やヒップホップダンスも。学習塾も。ファーストフード店やお洒落な喫茶店があっても良い。
 もちろんその中核は真ん中にあるホールで、学校教育部活動から地域の社会教育に移された吹奏楽がエルシステマばりの音楽教育システムで各教室で楽器のレッスンや合奏のレッスンをしてる。
 そこにはお年寄りのデイケアハウスがあっても良い。もちろん幼稚園と保育園を統括したこども園も、小学生の学童保育もあり、大人のための文化教室があっても良い。読み聞かせの部屋があり、折り紙の部屋があり、「じゅげむ…」と競い覚える部屋があって良い。絵手紙や手芸教室だって良いのだ。そうしてそのモールは世代を超えた人たちが集う、さまざまな音や活気に満ちた場所になる。
 そこここの小さなスペースに数人の子供が入り込みレッスンが終わった後の談笑に花が咲いている。おばあちゃんに編み物教えてもらって彼氏へのプレゼントを編む女子高生。小さいこどもを預かる保育所では、吹奏楽の活動の終わったお姉さんに絵本を読んでもらいながら、ケアハウスのおじいちゃんにだっこされて、仕事帰りに迎えに来てくれるシングルマザーのお母さんを待つ。
 このモールは各テナントの内部で行われるそれぞれのアクティビティと、それぞれのテナントを結びながらそれら全てを包括するような大きなスペースを併せ持ったところ。一つ一つは完結しつつ全体も有機的に結びついている。

 そして月に一度、そこで小さな発表会をする。
 YAMA**の教室でのオーディションを抜けた少女が吹奏楽をバックにコンチェルトを演奏する。
 いつも街中で警察のお世話になっている少年がかっこよくテナーサックスを吹いて喝采を浴び、いつしかジャズプレイヤーを目指すようになる。
 家で引きこもっている少女は、家ではなくそこに入り浸るようになり、次第にその賑やかさと豊かさに感化されて社会化していく。

それは、その状態を維持する人たちの強い理念と粘り強い指導が必要だろうが、必要以上に出しゃばらず、そこにいる人たちのバランスで成り立つ。テナント同士もそう。シェアの奪い合いをするのではなく共存する道を探る。もしかしたら子育て支援室とかあると便利かも知れない。

ちいさなユートピアかな。ミクロコスモス。ビオトープかも知れない。
人と人がふれあって繋ぎあっていける時間と空間。
そんな場所があったらいいなぁ。

本当はそんな施設なんかなくても良いはず。普通の日常に溢れていなければならない光景だと思う。様々な、たくさんの、要素が入り乱れそれぞれが関係しつつお互いのバランスで成り立つ時間や空間。

それって、里山と同じかもなって思う。
人の手も入るけど自然は残り、そこで暮らす人が自然を踏みにじることなく利用しながら共存する。互いに補完し合いながら。
でも、今はそれを作為的にでも作り出さないと存在できなくなっている。関わり合いながら絶妙なバランスを自然に取ることが出来なくなっている。人も物も。

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なぜ

Posted in いろいろ on 6月 6th, 2011 by NGO – Be the first to comment

エルシステマに魅せられたのか。随分遠い南米のベネズエラという国の音楽システムになんか頼らなくても、日本には既に優れたシステムや教育実践やもちろんその成果も充分あるのに、なぜそこに理想があると感じたか。

とにかく考えを誰かに伝えるために作らなきゃ、とこの記事の背景にある講演会に合わせて(機会があれば参加者に読んでいただこうか、と)まとめてみた一文を転載する。

説明になるかどうかわからないけれど。

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エル・システマを考える   10/11/05 NGO

[エル・システマを知る]
 20余年、学校吹奏楽の世界に居た。その間ずっと悩み考え、私なりに思い描いていた理想の音楽教育環境があったのだがそれらは絵空事として諦めて久しい。ところがつい最近エル・システマの存在を知った。そこには長年にわたって私が思い描いていた理念や環境や活動が既に整っていて、しかも全世界を感動の渦に巻き込んでいる。自分の努力が足りなかった事を痛感し、今さらながら再度本質を極めた音楽教育環境を構築する可能性を探りたいと考える。

[エル・システマとは]
 エル・システマとはベネズエラの音楽教育システム。「奏でよ、闘え!」がスローガン。「ベネズエラ自前のオーケストラを作る」という音楽活動として始まる。次第に社会的弱者(貧困者・障害者・犯罪者など)の社会復帰支援や立ち直り支援などを含め、貧困や犯罪などにあえぐ様々な子供達の生活を向上させながら、世界に誇りうる芸術や芸術家たちを育てるために発達してきた。国を挙げての巨大教育システムとしてさらに拡大成長している。

1 豊かな文化国家の建設
 純ベネズエラ産で世界に誇るクラッシック音楽を創出すること
 ・始まりは1970年代、ベネズエラ人によるオーケストラ運動から。
2 従来の基礎教育では出来なかった総合学習の実践
 子供達の才能を最大限伸ばし育てること
 ・人材を輸入するのではなくベネズエラで優秀な若者を育てる必要がある。
 ・児童レベルからの音楽教育システムの構築
3 ストリートチルドレン化を防ぎ犯罪防止に役立てる
 貧困や犯罪から子供を救い負の連鎖を断ち切ること
 ・音楽が社会を救う可能性への挑戦
 ・国や地方行政から公的資金を出させるためベネズエラ政府やベネズエラ市民が必要と考える社会問題に対して、政策活動として対応。
 ・助成を得る方便(?)がむしろ主体化していく。
 
 ラテンアメリカ23カ国、北米ではロサンゼルス・ボストン・ニューヨーク・クリーブランドなど、EUではドイツ、スコットランド、イタリア、スペインなど、世界各地で「エル・システマ」を参考にしたプログラムが始動している。
 
[日本への導入]
 日本へシステム導入する場合のポイントを上記3項目と対応させてみる。
1 夢のもてる将来を
 高い目標を掲げ先駆すること
 ・単なる音楽教育活動とは捉えない。どの分野に進んでも人間として優れた能力を発揮できるような人材を育てる。
 ・子供達の希望と夢。
 ・理念の徹底。
2 教育の再構築
 全ての子供達を「ヒト」から「人間」になるまで教え育てること
 ・「できるようになる」ではなくて「できるようにする」(特に幼少年期)。
 ・後々の可能性のための種蒔きは本人には出来ない。「やったことのないことはできない」「教わったことのないことは分からない」「練習しなければ上手にはならない」。
 ・手間を惜しまず信じて待つ。励まし勇気づけ教え育てる。
3 子供達の居場所を確保し、能力開発を阻害するものから子供達を守ること
 日本にはベネズエラのような身の危険に迫るような状態はまだまだ少ない。一番切迫しているのは学校・社会・家庭の教育力不足に起因する諸問題。当面直接の身の危険は無いが、生涯に渡り大きな危機や困難を招く問題である。
 ・子供達の社会能力欠如の要因は多岐にわたろうが、一番は「子ども中心主義」や「子どもの主体性論」、即ち「子どもの目線」を大切にするあまり「社会の視点」を重要視しなくなったことだという。補完するには、子供の社会性育成を阻害するものから守る為に日常的な居場所を確保し多くの他と関わりながら社会的ルールを教えていく仕組みの確立が必要。
 ・豊富な経験機会の場
 ・用事が無くてもそこに居たい、と思わせる時間・空間、安心感や連帯感の創出
 ・既存の機関(音楽団体・教育機関・福祉機関等)との連携。横のネットワーク

それらは、アブレウ氏の言葉
「オーケストラが持つ不可欠にしてただ唯一の特徴は、「合意すること」を前提に集まった共同体だということです。団員が学ぶのは協調の中で生きる方法です。」
に大いなるヒントがある。

[子供の心を変えること]

エル・システマのような教育プロジェクトの成功条件
 ・目的がはっきりしていること
 ・仕組みがしっかり確立していること
 ・その活動にある程度多くの時間を割いていること
  (例えば一日4~5時間で週に複数回。子どもにとってそれが日々のmain activityになることが大事)
が、子どもの心を変えるためには必要
    エルシステマ創設者の側近であるEduardo Mendez氏の言葉

 教育学者・三浦清一郎氏は教育によって「優しい心の持ち主」にさせるのは不可能であるという。なぜなら「優しい心」をどうやって評価するのか方法が無いというのだ。「優しい行為」は教え指導しその結果を評価することも可能だが、「優しい行為」の奥底で何を考えていたか真実を知ることも評価することもできない。これが現代教育の限界で、その先は哲学や宗教に委ねるしかないのだと。(確かにそうかも知れない。しかし委ね先には哲学や宗教と同列に芸術・音楽も含めるべきではないのか。)
 一方、ベネズエラでは上記のような日本の教育の限界を軽々と超え、子供の心を変えるためのエル・システマのオーケストラ活動実践が凄まじい成果を上げているようだ。心の奥底で人と人が関わらなければ成り立たない音楽実践を目指したからこそ可能になったのだろう。それはアブレウ氏の「(音楽によって)言葉では表せない何かを示される。理屈では説明できない何かを示されるのです。それは感覚的に受け止めるしかありません。子供たちは音楽に心を貫かれその鼓動とオーケストラでの役割を担い変わり始めます。」という言葉に端的に表れている。
 今、日本の将来を見据えて一番重要なことは「子供の心を変えること」。それが今までの教育の範疇で出来ないのであれば、従来とはまったく別の方策を持ってしてでも実践する必要がある。「心を変えていくこと」こそが抜本的な諸問題の解決に繋がるものと確信するが、道は障害だらけで無きに等しく果てしなく遠い。まさに「奏でよ、闘え!」である。
 佐藤正治氏の言葉「日本で発生している青少年の犯罪に対して、犯罪者は常に存在するという前提で防犯策が論じられているが、犯罪者を作らないための根本的な政策に大きなヒントを与えてくれるのがアブレウ博士の実践であるような気がする。」はその大きな裏付けである。
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はじまり(10)

Posted in いろいろ, しらせる, もくろむ on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

エルシステマを知った時、私が考え実現したかった理想が既にそこにあるという事実について、とんでもない奇蹟だと心から思った。
だからこそ日本の吹奏楽という私のフィールドでなんとしても再現させたいと強く思った。

これからは絶対これしかない!
と。

一方で、日本の吹奏楽界の現状では、これを理解してくれることは極めて難しいとも感じる。さらに自分自身の状況とも合わせて目の前にぶら下げられた理想と、為す術のない無力感。
この頃(2010年11月頃)から、突き進むか諦めるか毎日毎日葛藤することになり、それはずっと続くわけだ。

はじまり(9)

Posted in いろいろ, しらせる on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

すぐに考え直し、誰かに託すのではなく自分がすべきことなんだという認識に変化。
原文はここ

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2010/11/9
先日の

講演会、このページで知ってご参加いただいた方がいらっしゃるのかどうかわかりません。
もしいらっしゃったら、もう少し深い、進んだ部分をお聞きになりたかったのかも知れないな、と思います。
日本へのローカライズ、という部分です。

私の感触ですが、まだなにも始まっていないのかな、です。
レクチャー以降にもお話しする機会があったのですが、やはりあまりその部分は見えませんでした。

提案があるというより、むしろ「これを参考にして何かやってみたら?」な感想です。

で、その日の夜 始まる、のではなく、始めろ、ということなのだな。 と書きました。
今の気持はさらに 諦めろ が加わり、三つ巴の堂々巡りが始まっています。

もう少し切り込んで考えなければなりません。

何が出来るか。
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はじまり(8)

Posted in いろいろ, しらせる on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

こんな事も書いている。講演を聞いて、しかし私の望む方向に進む気配が全く感じられなかったショックからだろう。
原文はここ

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2010/11/
新しい事

を知ったり、伝えたりすることと、
新しいことを始めたり、実際に汗をかいたりすることは、
別物なんだな、きっと。

もちろん、どちらも大切だよ。

始まる、のではなく、始めろ、ということなのだな。

しかし、どうやって?
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はじまり(7)

Posted in いろいろ, しらせる on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

さらにアヴレウ氏の言葉。
原文はここ

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2010/11/2
言葉その三

私は、バンド指導で「アンサンブル」という言葉を象徴に様々説明する。
それは、意識して「寄り合う」ことだと強調してきた。
チューナーやメトロノームという測定器が示す機械的な数字に、あるいは指揮者を絶対的な存在として、盲目的に合わせるのではなく、お互いを理解した上、自身の意志で歩み寄り、その結果折り合いが付くのだ、と。
言葉では説明したこと無いけれどそれは「撚り合う」でも良いな、と思っていた。

音楽の本性で根本的なのはグループの形成を可能にする点です
つまりオーケストラや合唱…そのなかで子供たちは
集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます
これが音楽の特性なのです

アブレウ氏の言葉

またしても、そのものではないか。

とにかくタテヨコ揃えること、が始めにありきなのではなく、そこでの人の在り方、振る舞い方を身につけると、その結果、音楽が揃い一つになっていく。
即ち、「素晴らしい本物の音楽」を目指すことによって「集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます」なのだ。

だからこそ、その先には「人としての生きる喜び」という大きな目標があるのだと思う。
喜びに満ち溢れた演奏に繋がるのだと思う。
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はじまり(6)

Posted in いろいろ, しらせる on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

もう一つアヴレウ氏の言葉。
原文はここ

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2010/11/1
言葉その二

少し長いが先回も紹介した
 NHK BS-2
 クラッシックドキュメンタリー
 オーケストラは人をつくる
 ~ベネズエラのユース・オーケストラ~
から引用する。

リズムは音楽的な現象ではなく精神的な現象です
魂の鼓動なのです
その鼓動を 音楽が昇華し調和の中に表します
ほのかに…
目には見えない形で…
言葉を使うことなく人々に広がっていく
芸術は 意志と魂と精神を一つに融合させます
その結果 意味と価値が生じるのです
オーケストラに参加している子供たちは
これが生じる過程の中で心底から変わっていきます
啓示を受けたように感じるのです
神は 言葉では表せない何かを示される
理屈では説明できない何かを示されるのです
それは感覚的に受け止めるしかありません
子供たちは音楽に心を貫かれその鼓動とオーケストラでの役割を担い変わり始めます
魂の鼓動は音楽 彫刻 文学 映画の姿を借りて私たちを結びつけます
人々は芸術を通し自分の本質を見るでしょう
芸術の世界でのみ私たちは自らの存在の根幹を知ることができます
善良で 偽りなく 美を備えた私たち本来の姿を

映像の中でアブレウ氏と少年の言葉がオーバーラップする。
言葉そのものも素晴らしいが、その言葉を小さな少年がそらんじていてさらに素晴らしい。
 

目に見えない物を信じること
説明しきれないことを感じること
見失ってしまった大切なものがここにはある、と思う。
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はじまり(5)

Posted in いろいろ, しらせる on 6月 5th, 2011 by NGO – Be the first to comment

私にとって決定的だった言葉。
原文はここ

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2010/10/30
言葉

長いバンド指導経験の中で、私がずっと考え思い伝え続けていたことがらをとても見事に表した言葉を見つけた。

オーケストラとは何か
それは共同体です
オーケストラが持つ不可欠にして ただ唯一の特徴は
「合意すること」を前提に集まった共同体だということです
団員が学ぶのは
協調の中で生きる方法です

アブレウ氏の言葉

他にも宝物のような言葉が次から次へと見つかる。

少しずつここに書き留める。
是非伝えていきたいと思う。
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