エルシステマとは何か調べていって感じたことを書いている。
原文はここ
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2010/10/18 22:25
エルシステマについて
始めて知ったのはこの時。
自分のアンテナ感度が悪いんだよな。もっと前から知っていたら別の展開が出来たかも知れないのに。
でも、それは言ってもしょうがない。
出逢うべき物は出逢うべき時にこそ出逢うのだ、と、それがこの時だったのだ、と無理矢理納得させる。
その後いろいろエルシステマについて調べた。毎日本を読み、ネットを漁り、DVDを観た。
知れば知るほど、ずっと以前から考えていた事がエルシステマにあった、ということがわかって来る。
嬉しさと悲しさが入り乱れて複雑だ。
嬉しさは、今まで考えていたことが決して間違ってはいなかったと検証ができたように思えること。そして今までのことがすべてそこに向けて収束していくのではないか、という期待。
が、しかし。
ネットをさまようと、シモンボリバルユースオーケストラとドゥダメルの演奏について「のだめみたいでおもしろーい」と沢山の人が喜び賞賛の声を上げているのを良く見る。
でも、なぜウェストサイドのマンボや、ヒナステラのエスタンシアであんな演奏が出来るのか(あんな行儀の悪い演奏をしたいのか…、ロスフィルの音楽監督になったドゥダメルがそれを許すか…)その奥深い背景まで見通そうとしている人は少ないように思う。
また、無償で楽器を貸与しレッスン代も要らない音楽教育システムに感嘆の声を上げているサイトも沢山ある。
しかし、日本にはそんな無償楽器貸与システムはもっともっと以前から脈々と有るのだ。
ガッコウのスイソウガクブは、たいてい(特にはじめ)はガッコウの楽器を使う。楽器買わなきゃできない、ってことはあまり無い。経費も全くかからないわけではないがある程度はガッコウが面倒見てくれてる(はず)だ。
日本の不要楽器を大量にピースボートでベネズエラへ送っている(らしい)のに。
それでも楽器が足りないから「ペーパーオーケストラ」なるものを工夫して補っているのに。
なんとなく派手に見えるところだけをつまみ食いして「へぇーおもしろそうじゃん」と言い、なんやら羨ましいようなことを知ると、短絡的に「あっちは良いなぁ」と言う。
まだまだ情報が少ないからだろうとは思うけれど、テレビスタジオからのワイドショー的に上っ面の個人感想をもっともらしく流しても、あまりリアリティが無い。
先述した悲しさはそこにあり、さらには、ベネズエラでできることが日本ではできない(少なくとも今まではできていなかった)ことがもっと悲しい。
見るべき視点はそこだと思う。
あるサイト(実際ベネズエラに赴き視察してきた学生さんのページ:この行動力は脱帽です…)で見付けたエルシステマ成功への条件三つ。
・目的がはっきりしていること
・仕組みがしっかり確立していること
・その活動にある程度多くの時間を割いていること(たとえば一日4・5時間で週に複数回。子供にとってそれが日々のmain activityになることが大事)
この三つが子どもの心を変えるために必要であると。
日本の場合、「音楽」という文脈の中で上記3つの条件は揃っているだろうか。
揃えることのできるシステム構築は可能なのだろうか。
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