日昇前

Posted in もくろむ on 2月 14th, 2015 by NGO – Be the first to comment

随分時間が経過しました。

さて、そろそろです。

仕組み

Posted in いろいろ, たかめる, もくろむ on 1月 31st, 2013 by NGO – Be the first to comment

このところいくつかの情報をいただいたり状況の変化を感じたりしながら、ぼちぼち先を急ぎたいと思うようになってきた。
小学校現場から大人の一般愛好家まで、共感していただける土壌が育ってきたのかなぁ、と。であるならそれに応える仕組みが早急に要るなぁ、と。

小学校金管バンド指導プロジェクト、今私は絡んでいないけれど、どうなのかな?

いや、焦りは禁物。(…とはいっても機を逃したくない。)
やはり、もっと確固たる材料を集めてから具体的な仕組みを作り始めないと上手くいかないだろう。
一進一退なままだな。一人じゃ無理だし。でも、もう少し。

今日の朝刊にて

Posted in いろいろ, しらせる on 10月 8th, 2012 by NGO – Be the first to comment

久しぶりにこちらに投稿。
asahi-news20121008
1面に載った記事。
周知されるのは大切なんだろうと思う。
頂点だけのクローズアップだと少し視点がずれてしまうような気もするけれど。(エルシステマはエリート養成機関ではないと思うので。)

これでどこまで話題が広がるだろうか。
関心を持つ人が増えると良いな。

次の手

Posted in もくろむ on 4月 8th, 2012 by NGO – Be the first to comment

新年度になり、新たなる展開の予感がある。
昨年度末、心強い示唆をいただいたりしたから、そのご厚意にも応えたいし。
そのためにいくつかの要素(対象のこと、指導チームのこと、環境整備のこと、などなど)を整理する。

また、別の方向でも少しずつ物事は進んでいる。それは高校生の指導なのだが昨年後半より広がりを見せてきているのだ。

様々な多くの活動がリンクするようになると良いなぁ。

協力者

Posted in しらせる, もくろむ on 10月 24th, 2011 by NGO – 2 Comments

様々なアイデアを形にしていくためにはチームが必要だと思っている。
そのチームで進むべき方向や方策を考え、さらに具体的な行動を策定し、試行し、確立していきたいからだ。

そのためにまず核を作らなければならない。

そろそろ「この指止まれ」を発声しなければならないのだが、マッタク反応がなかったらどうしよう、と弱気になる。コアになりたいと思う人いるのかな?

人の気持ちを動かせる「判りやすい説明」の準備が整うまでまだまだ努力と時間が必要だ。
急ごう。

ミクロとマクロ

Posted in たかめる, もくろむ on 9月 27th, 2011 by NGO – Be the first to comment

好評につき回を重ねている吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE
今年度も実施する。第8回だ。日時は2012年1月29日(日曜日)13:00開演予定。
長久手中学校・長久手南中学校・長久手高校・栄徳高校・愛知県立大学吹奏楽サークル・響(栄徳高校OB・OG中心の一般バンド)が出演。

実はその日時、既に長久手町は長久手市になっているらしい。
だったらこの演奏会、市制記念などとカンムリつけなくても良いのか、と要らんことを言ってしまった。
「そうでした!気が付きませんでした。」と、選曲もそれに合わせることになった。
で、ショスタコの祝典序曲に決まる。

先回から試みた合奏練習前にそれぞれの団体へ個別レッスンすることが皆さん気に入ったらしく「今年もお願いできませんか」と。230人の大合奏で合わせるには少々難易度が高いし、「判りました。やりましょう。」な展開になった。

決まってからずっと考えていた。
ただ単に何年も継続することも大切だけれど、せっかく個別レッスンをする機会もあるんだから、きちんとそれぞれの回毎のテーマを持とう。先回禿げ山やったときは密かに「アゴーギク」をテーマにしていたから、今度のテーマは何にしようか、と。
リズム合わせて、音程合わせて、な練習は(出来るかどうかは別にして)誰でもやるし、自分のテーマとしても新鮮味もない。(重要でないという意味ではない。念のため。)

選曲されたショスタコの祝典を材料にして何をテーマすると良いか。
うーんと悩んで決めた。ミクロとマクロ
さて、このテーマで何やるか想像してみてください?
でも実際に練習始まるまでは内緒。
気になる方々、練習見学大歓迎!

個別レッスンの日程はまだ決まっていないが、合奏レッスンは2012年1月21日10:30~16:00、1月28日13:30~16:00、と当日午前中にGP。見学希望者はご一報下を。

日常化

Posted in いろいろ, しらせる, もくろむ on 9月 25th, 2011 by NGO – Be the first to comment

大変興味のある記事を見付けた。

20110924朝日新聞-三重県文化会館

小屋(文化会館)などの自主企画(いや、映画館やスポーツ観戦も同様か…)の役割とは、一般愛好者に対して非日常の提示だと思っている。人々はわざわざ日常にはない物を求めて来場し一時の感動や興奮を味わい、そして日常に戻っていく。だからこそ、そこで求められるのは質の高い非日常の提示なのだと思う。

その質の高い非日常で感動した人が、いずれ「自分もそうなりたい」と夢を見て芸術家を目指すようになるかもしれない。
とはいっても、あこがれた非日常を自身の日常に取り込もうとするためには気の遠くなるような作業が待っている。鍛え訓練しなければその非日常は手に入らないからね。
独りではなかなか難しいから資料を漁ったり誰かに習ったりして、現状の日常の中でこつこつと長い時間かけて憧れた非日常を身につけていく。
非日常の体験によって触発されるべき非日常の日常化だ。

しかし、小屋の企画(質の高い非日常の提示)だけではそのため(非日常の日常化)の発想や仕組みまで手が回らない、もしくは上手く機能しない、という現実から逃れられないままのように思う。非日常は一瞬だからどうしても単発の打ち上げ花火に終始し、ある程度の長い時間経過を伴った変化を期待する企画は難しいのかも。
教育型企画のアウトリーチとかワークショップなどの企画も為されてはいるが、それすらも非日常の提示で止まってしまう場合がほとんどではないだろうか。

この三重文化会館の試み、非日常と日常を取り持つという意味で大変期待が持てると思うのだ。
企画の主催者である小屋が積極的に非日常と日常を取り持つ。
そのことによって、観客は目指すべき憧れとしての非日常を知り、演じ手は生業(なりわい)として質の高い日常化を可能にし、小屋はその過程を知る事により、三者が時間の経過を伴って繋がっていく手がかりになる期待がある。ここから何かが動き出すと良いなぁ。

しかし、やはり多くの制約があるようで、それらを打ち破っていくために事業主である文化振興事業団担当者の並々ならぬ努力と献身的な働きによって成り立っている、ということが少し気になる。
「この担当者ありき」の企画に留まっていると、模倣したくても(継続したくても)なり手がおらず頓挫する、ということになりかねないから。

1年

Posted in いろいろ on 9月 24th, 2011 by NGO – Be the first to comment

エルシステマの存在を知ってから1年が過ぎた。
その間、感動し、調べ、羨望し、想像し、考え、目論み、決意し、試行し、はたらきかけ、挫折し、再起し、の繰り返し。

もちろん、当初より一筋縄ではいくまいと思っていたから、前進が遅々としていることで失意しているわけではない。
むしろ、小さな子供達の限りない可能性を目の当たりにして、決意は益々強くなっている。
前進を加速させるためには工夫がいるのだが、なかなかその展望が見えてこない。どうしたものやら。

NHK BSプレミアム 9月23日(金)
シリーズ 釣って、食べて、生きた! 作家 開高健の世界
「第2回 最後の冒険~カナダ・バンクーバーアイランド~」
を見た。彼自身の言葉や行動の端々から感じる諸々は、今私が直面している事々に見事にオーバーラップし突き抜けていった。凄い。

いやいや、どうしたものやら、なんて呑気に言ってる場合ではない。
既に1年は苦しく過ぎ去ってしまったのだ。この先もずっとずっとその苦しさに耐え続けるほど余裕はないし、なによりそこまで人間が出来ていない。
にもかかわらず、この重要性がさらに重くのしかかってくる恐怖にも近い感情は如何ともし難い。

めげることなくさらに前進させるために必要な物で最優先なのは夢を大いに語り合える仲間だろうと思う。
見付けなくては。
この指とーまれ!

次の手

Posted in いろいろ on 8月 31st, 2011 by NGO – Be the first to comment

を考えあぐねている。

物事を動かすためにはエネルギーが必要なのだが、このままでは不足気味だと考えはじめた。
もちろん、動かしていく先やその道筋はある程度見えているし、現場もそれを望んでいると思うが、なかなか物事が動いていかないのだ。

人的、財政的、組織的、等々様々なエネルギーが充分でない。
仮に財政や組織が脆弱だったとしても熱意ある(個人的であっても)人的パワーが有れば少しずつ動きそうなものだし、人がいなくても懐が豊かであれば外注なりなんなりで足りないものを賄うことは可能かも知れない。

でも、結局ものの始まりは「人」の熱意なんだろうな。勇み足だろうと時期尚早だろうと動き始めは多少の無理が不可欠じゃないのかな。
「石橋を叩いて壊す」事にはしたくないと思う。

様々な可能性を考なければ。
まずは自分自身が動くこと、なのだが。

言葉

Posted in たかめる on 7月 8th, 2011 by NGO – Be the first to comment

小学生の子供達は、様々なことをどんどん吸収してみるみるうちに成長していく。
一方で、こちらの言いたいことが充分伝わらないとうまく行かないことも多い。

語彙の少ない子供達に、その範囲内の言葉を使って如何に複雑な音楽の成り立ちとか感性とか伝えるか、が目下私の課題だ。伝わったらできるのだから、できないときの原因は伝えられないこちら側の問題だと思っておく。

逆の考え方もある。
少ない語彙の中で伝えるのではなく、言葉そのものを覚えさせる、という方向だ。語彙を増やすということ。
意味は判らなくて良い。ただ、言葉として事柄として正確であることは重要。
いずれ年数が経ったときに解るときが来るはずだから。

今日の練習でのこと。
「I wont you — I need you — 」って曲をやった。大好きらしい。
「意味知ってる?」って聞いたら即座に「知らん!!」だって。チャンと歌えてるのに。
きっと、意味が判るか解らないかは、まったく問題ではないということなのだ。
で、 「次の I love you — の意味は?」って聞いたら、ちょっと横向いて「まぁね。」だって。これは知ってるんだ。思わず笑っちゃった。

意味が判ろうが解るまいが語彙にあろうが無かろうが、そんなこととは関係なくきちんと正確な言葉や事柄を伝えなければならない。
しかも、できるだけ解りやすく。(解らなくても良いから、という前提と矛盾するけれど、簡潔で解りやすい説明は理解を早める、という意味で重要だ。)

「解らないだろうからしなくていいや」ではなく、「解らなくても良いからきちんと今覚えておきなさい」というスタンスの徹底が重要だ、と強く感じてる。
そこで覚える様々なことが、その後の学習の礎になるのだから。

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