歌うことって?

昨年、ある高校バンド指導のために書いたモノ。
うまく行かないことに対して「こうしなさい!」ではなくて、音楽のヒントとして漠然と伝えたかったのだが。

音程は合わせることができる。音色もそこそこ良い。もちろん縦も良く揃ってる。
でも、予定調和の域を出れらなくて、突発的な変化に対応できず、だから良い意味でのスリリングさや緊張感に欠けてしまう場合がある。そんな時に以下のこと思いだしてほしい。
音楽の楽しさはその先にあるのだから。
(もちろんそこに行き着くまでがとっても大変で、行き着くだけでも素晴らしいことは良くわかっているよ。)
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2010/07/30
歌うことって?

楽譜にひと言「espress.」って書かれてる。
「感情的に」ってどういう事だろう。歌うってどうやるんだろう。

はじめに
日々の練習でメトロノームやチューナーを使って正確なリズムや音程を身につける。
これって歌うこと?
それとも、感情的な音楽表現にはあまり必要ないこと? だってテンポは揺らすしビブラートで音程はずらすし…

正確な演奏と感情的な表現。一見、矛盾しているように思えるね。

二つの大切なこと
実は、機械のような「正確なリズムや音程」と「歌うこと」は対極にある。
どちらも大切。天秤の両方のお皿。バランスが取れていないと破綻する。
ただ、役割が違う。
正確なリズムや音程は単なるテクニックだが、演奏には必要不可欠だ。
出てきた結果としての正確な音が大切なのではなく、正確にリズムや音程をコントロールできることが重要。
自分の意志どおり正確に発音できる事、というテクニックなのだ。それを習得するための練習は文字通りトレーニングだ。
そこには「+25セントの音程で吹きたい」とか「Tempo60で7連符を」といった具体的な目標とその正解を知っていることが肝要。
そう、トレーニングには正解があるのだ。
ただ、それが出来たからと言って素晴らしい音楽表現が出来上がるかというと、残念ながらそうたやすくはない。

テクニックと表現とは?
さて、テクニックだけでは表現になり辛い。それだけでは単なる軽業だ。軽業も見事であれば拍手喝采だけどね。それはただ「すごーい!」で終わってしまう事が多い。
表現とは、そのテクニックを余すことなく効果的に使うことだ。
野球のピッチャーで例えてみる。
あるピッチャーは時速150kmのボールを誤差5cm以内のコントロールで100%投げることの出来るテクニックがあったとする。(この習得はとてつもない苦労があるだろうな。ほとんど不可能だろう。)
しかし、それだけではそのとてつもない苦労をよそにいずれ打たれてしまだろう。コントロールが良いから余計に。慣れてしまえば球筋読まれるからね。
ではどうするかというと、「配球」という事を考える。次はどこにどれくらいの速さで、どんな変化球で、と。いつも速い球ばかりではなく。
それが表現だ。バッターの裏をかく思考と駆け引きで如何に打たれないようにするか、腕の見せ所だ。
逆に、その配球が天才的でも、思ったようにボールを投げるテクニックが無ければ、天才的な表現は全く活かされない、という事は理解できるよね。
一方、150kmのボールは無理で120kmが精一杯のピッチャーでも上手に配球すれば打たれない工夫は出来るかも知れない。

歌う事
「歌う」とは何でもかんでも感情的に好き勝手すれば良いのではない。
「歌うこと」にはある一定のセオリーが存在する。その詳細な説明はここでは割愛するが、セオリーを知る一番の方法は素晴らしい演奏を数多く聴くことだ。
たった一つの同じフレーズでも歌い方は千差万別。それを自分の引き出しに如何にたくさんしまっておけるかが鍵だ。

大切なこと 一つめ
音は連続して動いている。
私は良く「音の運び」という言い方をする。
水は必ず低い方へ流れる。堰き止められれば溜まり、落差が大きければ滝になる。そして水の動きは全て連続している。
自然の摂理に従い流れる水のように、音楽も流れるのです。
その流れが、特に起伏激しく変化を伴い劇的に運ぶことを「歌う」というのだと。
ポイントは「自然に連続すること」
ジェットコースターは、どんなに激しくても必ず最初から最後まで動きが連続している。 途中で切れていたら、それは死を意味しますね!

大切なこと 二つめ
動きは直線ではない。
自然界に完全な直線はあまりないですね。せいぜい垂線と水面くらいかな。ん?水面は地球の表面に平行だから直線ではないか。水平線は丸いよ。
富士山の裾野も、煙突の煙も、オーロラも、大津波ですら。
直線的な動きはエスプレッシヴォとしての「歌うこと」にはあまり似合わない。自然でなくなるから。

大切なこと 三つめ
必ず誤差がある。
メトロノームと寸分違わぬカウントから、若干ずれる事もある。いや、ずれて良い。
その誤差の中に、人の営みがある。
それは、場合によってはエスプレッシヴォと言ったり、別ではノリと言ったり。
そのズレを意識的に人がコントロールする。何となくではなく。
「意識的に」が表現の源。 「歌う」ことは波間の昆布の先の方。 「どうしたい」という気持を「テクニック」で具現化する。それが表現。

大切なこと 四つめ(実はここが一番のポイント)
考え過ぎない
考えるのではなく、感じる。五感感覚全てを使って。
人の感覚は、思ったより感度は良く、その記憶は必ず自分のどこかに残っているはず。
自分の感覚を自分自身が信じないで誰が信じてくれる?
向上のポイントは、演奏している最中はなかなか自分を客観的に見れないので、録音して何度もモニターすること。
そして、その演奏を出来るだけ客観視して、思った通りに出来ているならばOK。
少しでも気になるなら徹底的に直す。
理論武装なんかは後からすればよい。

大切なこと 付け足し
過剰なほどの自信
誰もおそるおそるの音楽は聴きたくない。
自分が感じた感覚と、それを具現化する自分のテクニックを信じる。
そのために積んできた練習を信じる。
もし、自信が持てないのなら、それは単なる練習不足。
あがり症や緊張しいだったら、なおのこと120%の自信が持てるまで練習を積み上げる。

自信がない→緊張する→上手く行かない→練習したくなくなる→出来ない→自信がない→…
負のスパイラルを断ち切るにはどこで止めるのが一番手っ取り早いか?
手始めにウソでも良いから自信を持つことだろう。
そうしたら、
何かのはずみで上手くいくかも知れない→欲が出る→練習したい→自信が持てる→…

蛇足
テクニックの向上
「やりたいこと」(表現)と「出来ること」(テクニック)のバランスが取れていないと不幸だということに気が付いたかな。
皆さんが、朝から晩まで一日中楽器と格闘している他所の人たちと違うのは、テクニックを磨く時間が圧倒的に少ない事。
表現したいことはある程度自発的に持っているみたいだから、そちらはさほど遜色はないと。
だから、その圧倒的に少ない時間を効率よくするには、練習時間内で音を出している時間をもっと増やすことだ。
頭付き合わせて悩んでいる暇は無いと思うのです。

無駄な練習を長時間やっても意味はないけれど、効率的で効果のある練習を途方もなく長時間高密度でやっているバンドだってたくさんあるんだよ。

結局
「歌う」って事は、今までの経験と引き出しの中の情報量の多さ
「センス」の有る無し良し悪しなんて全く関係なし。

無かったら取り込めばいい。悪かったら磨けばいい。

あれれ、身も蓋もない話になっちゃったか?
ま、魔法は無いよ、って事で。
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