作者別: NGO
真贋 吉本隆明 (講談社文庫)
読んだ。
やはりとても興奮した。
しっかり繋がっているのだ(影響を強く受けているのだ)ということが判った。
比較的平易な言葉が並んでいるのだけれど、そこからちらちらと見えてくるのは恐ろしく深く広い。
きちんと理解するためには何度も何度も読み返さないとダメだな、とも思った。(もちろん、これだけを読んでいてもダメで背景にあるもっと多くを知らなければ、ということも強く思ったが。)
その直後、本屋でぶらぶらしていたら「本は7回読む」みたいなタイトルが目に付いた。中身は全く読んでいないから意味がないといえばそうなのだけれど、自分の中で《同じ本を何度も読むべきだ》というセンテンスが反芻された。
急に思い立って 猿の惑星 1968年 を見た。続いて 続 猿の惑星 1970年 も見た。
以前に見た記憶が微かにあるにしても、内容はほとんど覚えていなかった。
しかし、そこに出てくるいくつかのキーワードが、全然別のところで最近気になっていた物と全く同じだった。
「ん? あ、これってこの前のあれと同じだ!」のように。
これら以外でも、何故だか思いもよらないところ同士で単語(言葉)の一致が度重なっている。単なる偶然だとは思うけれど。
アメリカのTVドラマシリーズで TOUCH というのがある。一見何の意味もなさそうな数字の羅列が実は大きく世界を動かす重要な数列になっていて、それを解き明かせる子供達を巡るストーリー展開なのだが、何だかそれを彷彿とさせるほど。
もっとアンテナの感度を敏感にしておきたいと強く思う。そこから起想される(今はまだ脈絡もない)さまざまな事柄が今の自分にはとても大切に思われるから、こぼさずに拾いたい。
最近ポツポツとでも本を読むようにしている。
元々本を読むことは嫌いではない。いやむしろ大好きだ。
それなのに、あまり読まない事が続いた。読んでいないばかりではなく、それに気が付いていないふりをし続けていた。
気になっていることをそのままにしないで、少しでも何か考えなければ、と思い、まずはとにかく読む、と相成ったわけ。
たくさん読んだわけでもないのだが、でも、なぜだか、読んだ本のそれぞれから必ず行き着いてしまう人が一人いることに気が付いた。
そして、その人のことを知らないまま読む本を広げていくことはマズイのではないか、と思い至ったのだが、敷居が高いイメージがあって、どこから手を付けたものか、と、しばらく放置されたまま、しかし乱読は続いていた。
そんな折、先日たまたま行った図書館の開架で対談集を見つけ、これなら始めの一冊として良さそうだ、と借りてきた。しかも運良く図書館は蔵書整理の都合でしばらく閉館になり4週間借りられる。時間がかかったり何度も読む必要があったりなのではないかと億劫になっている身にとって好都合だ。(この手の本はなかなかbookoffで見つからないので…。)
というわけで
「すべてを引き受けるという」という思想 吉本隆明(光文社)
を読んだ。
今まで出来るだけ(無意識に)そぉっとしておいた頭の中一部分をぐるぐるかき回されている感じ。
「甘いんだよ!」「もっと良く考えろよ!」「おまえはそれだからダメなんだよ!」等々。
とはいっても全くイヤな感じではない。思考だけでなく様々な感覚や感触を否応なく刺激され、むしろ叱咤激励されている感じと言っても良いと思う。そして、机の上には既に次の本が置いてある。(きっと無知の手当たり次第、なんだろうけれど読まなければ先に進まないし。)
(良くも悪くも)密閉された中で時間をかけほんの少しずつ発酵してきたものが、ここに来て外気にふれ、変化の速度が劇的に加速している感触があり、その変化を(全く根拠はないのだが)受け入れたい気持があるのは紛れもない。
昨年の暮れ、FBの連続投稿にあったのだが、バラバラなので拾ってまとめかけていたものが実は既に存在していた。
〜
昨年12月29日の忘年会のこと。若い人のよくある勘違いに出会った。
まずは“仕事をする”ことを、社会保険をもらうことと同じだと思っている。
もう一つ、「あなたの知らないこと、できないことを僕はしている」(だからあなたになんだかんだと言われたくないというもの)。
三番目に「生きるとは何ですか」と抽象的な問いに関心を持っていること。
最後の四番目に「あなたになんか私の辛さがわかってたまるか」、と先の抽象的な問いの対極の個人論にこだわっていること。
こんな26才(だったかな)の若者に出会った。まずは一番目の問いから。
仕事とは何か?
〜
…続き
フェイスブックにアカウントがなければ見る事できない?
過激なタイトルだなぁ…。(ま、そんなことはいつものことで、全くどうでも良い。)
で、この文章の最後に、私がずっと疑問に思っていたことの示唆があった。
芦田先生の[小難しい]論理展開の中から丁寧に排除されている(と私には思われる)「育てる」という事について、始めて何か情緒を感じたのだ。(この文脈のなかで何をもって「人材育成」なのか見誤ってはいけないぞ、と警戒中なのではあるが…。)
「人は若いうちに長い時間をかけて(すぐには使えない)知識をたくさんストックせよ!」という主張と、各所で現れる芦田氏の「人間味溢れる様々なエピソード」との間がどうしても埋まらなかった。しかしだからこそ、きっとそこに秘密があるのだろうと思っていたことが、「あ、やっぱり何かあるゾ」と見えたような気がする。
まだはっきりとは判らないが、
”(まだまだ続く)”
とあるので、早くこの先を読みたい!
追記
ここに(増補改訂版ver5.1)がアップされていた。