10月
03
ぽーぽー

滋賀県にある道の駅で「ポーポー」なる果物を見つけた。2個入りで¥150だった。

一見アケビのようにみえるが全く別物らしい。
皮はとても薄い。香りは甘く強い。
果肉はマンゴーをもう少し薄くしたような色。
感触はねっとりとカスタードクリームのよう。アボガドをもっと柔らかくしたような。いや、バナナをもう少し堅くしたような。

美味しい!これ、良いよ。

種を合計15個採取した。落葉する頃に種蒔きして越冬させ夏初めに発芽するようだ。
(ただし実生は親の性質を受け継がず品質は落ちるらしい。)

さっそくいつものように種蒔きしてみようと詳しく調べてみる。種は乾燥を嫌うようで、しめらせたキッチンペーパーでくるみジップロックで密封。冷蔵庫でお眠り頂き春になったら用土に蒔く。

夏頃発芽、となってくれるかどうか。

9月
28
読書の秋

長年、私に付きまとっているモノを払拭できるかも、と期待を持つことができそうな本を見つけ、先日amazonでポチった。
『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』

しばらくamazonでは納品予定が随分先になっていて、版元で在庫切れしている、という情報もあったが、すぐ届いた。しかも初版だった。

今は(時間をかけてじっくり読みたい!と、すぐにでも読みたい!が交錯する中で、セーブしながら)少しずつしか読めていないけれど、ごく近いうちにきっちり読む。たぶん何度もくり返すことになるだろう。

読了後にもう一度ここに登場させて、私の想いの詳細を書こうと思う。

9月
27
「いいね!」

最近よく覗きに行くブログ。タイトルは、へぇっ!?って思うけど、中身は決してそんなんだけじゃなく(ま、それっぽいこともあるんだけど…)、なかなか真面目に世の中見てる雰囲気が良い。

今日も見に行った。

そこで、おや、と思う発見があった。

私がいいなぁと思う記事には、意外に「いいね!」(Fマークボタンの数字)が多くない。
今日(9月27日)の記事も「なかなか良い所見てるじゃん」と思うんだけど。まだこれから増えるのかな。
数日前の村上春樹についての記事なんかも心情がとても良く見えてきて面白いんだけど、やっぱり意外に多くない。
それに対し、こんな内容だと新しい記事でもぐっと増えるんだね。
いやいや、さすがにこれは多いわ。

なんだかそんなことが新鮮でした。

追記
日にちが経って少し様相が変わることもあった。
9月27日の記事は急激に増えてる。3桁。(ツィッターの影響らしい…。)
しかし村上春樹についての記事はそうでもない。増えない。
へぇー…。

9月
26
モバイル環境

携帯電話はずっとDocomo。10年以上になる。現在の端末はFOMA機D905i、ガラケー。

どうしても使いたいiアプリの為にipadではなく、iphoneでもなく、iPod touch(第4世代8G)を新規導入した。理由はiアプリが走る一番安価な端末だったから。

宅内LANに無線ルータ導入し、iPod touchも外に繋がるようにした。
せっかくなので外では、Wi2という公共無線LANサービス(私の場合プロバイダのオプションで¥315)で、アクセスポイントがあれば無制限で高速接続出来るようにした。なんと名鉄基幹バス内でも使用できる!
さらにローソンセブンイレブンファミマなどのコンビニ無料WiFiも片っ端からアカウント作った。

本来の目的であったiアプリも順調に稼働し、ポケットGoogle機、ポケットメール機などとして活躍しだした。
基本的には電話の出来ないiphone(GPSは無い…)。しかもiPhoneよりも薄く軽い。

しかしiOSでは「こんな事も出来ないの?」ということがある。
例えばPCとのファイル共有がとても不便だ。PCで見えるファイルはカメラで撮った写真や動画のファイル(があるフォルダ)だけ。メモ帳で書いたテキストファイルやボイスメモで録ったサウンドファイルはメール添付しなければ外に出せない。
アプリによってはitune経由でやり取りできるものもあるが、それでもいちいちituneが立ち上がってメンドクサイ。
クラウド使えって事なのかも知れないけれど、なぜかいまいちクラウドが信用出来ないからイヤだ。
「脱獄」すればよいのだろうが、それもさらにいちいちメンドクサイ。
とにかく不自由なんだな。

だから、ようやく出てきたDocomo-iphone5は全く興味がない。
これでも「漢字Talk」の時代からMac使ってたMacFanなのだが…

そうこうしている内に、7インチPadを導入しようという気になった。やはりポケットGoogle機は便利なのだ。iPod touchをすぐに奪われる。
考えた末にASUS MeMO HD7の追加導入となった。
OSデザインとかの美しさはAppleにはかなわないね。でも、Andoroid機はファイル共有はごく普通にお互い読み書きできる。ファイルマネージャーでファイル構造がちゃんと見えるのも嬉しいし。
 
 
ここからが本題!
いくつかの端末が揃ったので、(電話を含め)モバイル通信環境を考え直し整える事にした。

ポイントは、
・どこでもインターネットに繋がること。
・通信費を極力少なくすること。
・電話番号や携帯アドレスは変えたくないから携帯電話はやっぱり継続必要。

結果は以下の通り。

携帯電話は今まで(DocomoFomaガラケー)のまま。スマホにはしない!
契約は、
タイプSS バリュー
 924円 (1000円の通信料等を含む)
パケ・ホーダイ ダブル/シンプル
 390円〜4410円 ただしメール以外は通信しない!で390円で押さえることにする。

インターネット接続は全てiPod touchおよびASUS MeMO HD7のみにする。
 そのためにプロバイダ(ASAHIネット)オプションでWi2を契約 380円 同時接続数最大5台
 (及び各種コンビニ系無料WiFiも…)
 ※これらの接続は「常に」は繋がらないがある程度の速さは期待できる。

「常に」接続するためにASAHIネット LTEを新規契約。これはDocomo製WiFiルータにASAHIネットのSIMを刺してデータ通信するサービス。128kプランで790円ほど。LTEのデータ量1Gコース1950円もある。(が、LTEで1Gなんて即オーバーしすぐに128kの帯域制限を余儀なくされるだろうと予測。)

テキストベースだったら接続速度はさほど問題なし。さすがに大きなデータは時間かかるが、一昔(二昔?)前のISDNなスピードだと思えばそんなもんだろな。

毎月の通信費は上記の合計で2500円ほど。(実際にはiモード300円と、ケータイ補償お届けサービス利用料300円((いずれ解約予定))も付加され約3100円)
パケーホーダイダブルの上限まで行くと6000円を超えるので約半額!

これで、電話とデータ量無制限な常時接続通信環境ができた。しかもインターネット接続の部分は2人で共用出来る。
7インチpadが接続し続けているのはやはり良い。Docomoのケータイ圏内なら繋がる。
速さが欲しければWi2ポイント(スタバやマクドナルドほか役所、駅など案外多い。車のディーラーは案外繋がる。)やコンビニ見つければよいし。

おまけ。初期費用として、ヤフオクで落札のWiFiルータL-04Dは郵送費込みで8000円弱。ASAHIネット LTE用のSIM代金3150円。

しばらくはこれで行こうかと思う。

もひとつおまけ。
ASAHIネットから「使っていないドコモのスマホを、お子さま向けに再利用しませんか!」というDMが来てた。
ASAHIネット LTE 128k SIMを刺して家で眠っているスマホを生き返らそう、ということらしい。電話は050plusやスカイプ使え、だとさ。なるほどね。

9月
09
言葉のイメージ

「原子力発電所」と書くと現代生活にとって必須な感じ。電気無ければ不便だし。
たとえ現在稼働数が0に近くても絶対なくなっては困る、と感じさせるイメージ。せいぜい必要悪というか。
 

例えば新聞記事や報道番組の「原発」をすべて「核」に置き換えてみる。
「福島の原発事故」
「福島の核事故」

「新しい原発開発」
「新しい核開発」

「活断層上の原発」
「活断層上の核」

うーん、だいぶイメージが変わる気がするなぁ。

「宇宙ロケット」と「大陸間弾道ミサイル」も似たようなものか。
(これって、どこか近くの国がよく使うぞ。)
 

つい最近まで、どこかの港に原子力潜水艦が内緒で寄港したり、空母に核ミサイル搭載してるんじゃないかと疑惑が上がるだけで大騒ぎする国だったのにね。放射能汚染水垂れ流していても「(東京から)遠いので大丈夫」と言っちゃうようになったらしい。軍事利用と平和利用では放射能危険度の尺度が違うとでもいうのだろうか。

非核三原則下では「核」の研究理由が薄まっちゃうから原発はどうしても必要だろうし、核技術保有していない国は(平和利用しかしないと言っている)日本から平和利用お墨付き(しかし兵器転用可能な)核技術を輸入したいのだろうし。

だから、そういった事々を日本のみならず世界が認めちゃった感じ、だな。

あ、それを「麻痺」というのか。
イメージを膨らませた後、いつの間にか事実の積み重ね。

9月
08
魚釣りの

番組ばかり見てる。BGTVとしてずっと。
BS釣りビジョン(…我が家はケーブルTV経由…)。釣る事、釣りに関する事、だけを24時間放送し続けている局。

釣りガールがきゃあきゃあ言いながらイカを釣る。
ちゃらい兄ちゃんがゴタク並べてバスを釣る。
おっさんが奇声を発しながら磯でグレを釣る。
金持ち道楽オーラを振りまきながら南太平洋でジャイアントトレバリーを釣る。

ごくたまにネイチャードキュメンタリーとして秀逸な番組もあるが、失礼ながら、どれも番組の仕上がりとして今一歩だと思っていた。構成だったりMCだったり画としての美しさだったりが、どうしても素人臭く感じてしまうのだ。

しかし最近、「そんなことはない、もしかしたら凄い事なんじゃないのか?」と気が付いた。

ほとんどの場合、1本1時間の番組中で必ず魚を釣る。スポンサーメーカーの道具や紹介された船宿を使っているのに全く釣果が無かったら営業的に大変なことだから、なんとしてでも釣り上げて(人が羨むような)魚の画を撮る執念というか。番組は一本まるまるCMみたいなものだから「釣れる」ことは絶対なんだろうか。

魚はいつも調子よく釣れる訳ではない。むしろ釣れないことの方が多いことを知っている。それなのに出演者達はそれなりの釣果を必ず出す。(出すまで収録し続ける、のかも…。)自然相手でどうにもならないことがたくさんあるだろうに。

必ず「釣る」ということまでもっていくには釣り具メーカーや釣り人達の知恵と技の結集が必要でやらせの入り込む余地は一切無さそう。釣れるか、釣れないか、の差は誰が見ても明確で誤魔化しようがないからね。

だから、番組仕上がり的に今一歩だと思っても見続けて飽きないのだろう。もちろん釣りが好きだから、何度も見て一つ一つの技を知っていくことが楽しい、という前提があるが、それでもその技一つ一つが最新の研究結果だろうから、しかも実績付きで情報としての信憑性はすこぶる高いと思う。

一方、目覚まし代わりにonする寝室の地上波TVで報道バラエティが流れ出す。うとうとしてると耳に入ってくるのだが、これがなんとも緊張感がない。とってつけたような企画と、どうって事の無いまとめとコメント。

この差はなんだ!

8月
28
先日の集まりで

「吹奏楽好きじゃないと思ってました。」
「吹奏楽を嫌々やってる感、ありありでした。」
と、複数の人から別々に言われた。
もう20年近く以前の事なんだけど、みんなそんな風に思っていたなんて不覚にも今まで知らなかったなぁ。

吹奏楽という編成の持つダイナミックな表現力や繊細さ、どんな(音楽的)場面にでも対応できる柔軟さは、他に類を見ないと思っている。しかも演奏することへの敷居は低くアマチュア参加の扉は常に広く開かれている。
吹奏楽の可能性はあらゆる方向へ無限だと思う。その思いは今でも増大し続けている。

にもかかわらず、吹奏楽を狭い世界に閉じこめて重箱の隅を突きあっている世界がどうしても苦手なだけなんだ。
しかもとても排他的な事が多いから外から関わろうとする人は少なく、2重にその世界は守られている。
でもね、改めて言うけど吹奏楽そのものはやっぱり大好きなんだよ。
 

特に吹奏楽を一生懸命やっている若い人達を応援したい。
応援したいが、決して「やらされている状態」にはしたくない。ここが私の肝なんだな。

丁寧に説明してその通りにやれさえすればよい世界では結果が出るのは早いだろうが、説明が無くなればいずれ自分ではどうしたらよいか判らなくなる時が来る。自分で考える力を鍛えることが難しいからだと思う。
応援するということは代わりに「してあげること」ではなく自力で考え出来るように「支援」することで、さらに「支援」とは暖かく手をさしのべることだけではないと考えている。

「そんなこと自分で考えろ!」と冷たく言い捨てられた人達は多いと思う。
出来ていないことを「出来ていない!」と不機嫌に言い続けたし。
だから、私が吹奏楽を「好きじゃない…」「嫌々やってる感…」と感じてしまったのもしょうがないのかな。

特に若い世代ではその後どんどん自分の世界を築いて行くのだから、へこたれる事無く歩いていける力を付けて欲しいという思いからの「自分で考えろ!」だったんだけどね…。
 

でも、そんなことは今となってはどうでも良い。
なぜなら、その後の皆と話しをしていて「ちゃんと自分の足で歩いてきてる。凄いなぁ!」と思うからだ。限られた時間の中でそれぞれ充分にお話しできたとは必ずしも言えないけれど、きちんと自分自身を中心に据えて日々過ごしていることがとても良く伝わってくる。もちろん上手くいっていることだけじゃないだろう。画に描いたようなサクセスストーリーだけが生きることではあるまい。苦しいことも悩むことも自分自身の中で消化しようとしてる。それが私には「生きている」「生きようとしている」事を感じて心から嬉しい。

私のなかには「音楽とは生きることだ。生きる喜びだ。死を目前にして判った。」という師匠の言葉がいつもある。

WIND MESSAGE 2013 SUMMER

8月
17
ほ-ッ

このところ毎晩聞こえてくる。
ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、…、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、…、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ、ほ-ッ…、
(決して、ほー、ほー、ではなく、ほっ、ほっ、ほっ、でもなく。)
音程はなんとなくEかFくらい。テンポは52程度。

何年か前に聞こえていたのとは少し違う気がする。
正体を調べてみたら「アオバズク」らしい。
これもなんとなくなんだけれど、日によって聞こえてくる方向が違うっぽい。

生き延びることのできる環境がまだ残されている、ってことなのだろうか。

8月
13
入手完了

家捜ししてもどうしても見つからない本をようやく入手完了した。
何軒めの古本屋(例の大手チェーン店ね…)だったろうか。作者別ではなく出版社別の棚にあった。
他の探していた本もたくさん見つけたし、なにより思いがけず素晴らしい本も見つけたので大収穫であった。

その本の中にとても印象に残っていた一文があった。
高校生の頃(大学生だったかも…)読んだままだったのだけれど、先日なぜか突然それを思い出した。
どうしても見つけたかったのは、今さらながら正確に読み取りたい、読み取る必要がある、と思ったから。

以下、その一文の抜萃。

============

一見、非ジャズ時のみっともなさを、ジャズ時でカバーできると思いたくなるが、これはだめだ。逆を考えてみればいい。ジャズ時の失敗をどうやってほかのところで取り戻せるだろう。

ピアニストを笑え!
山下洋輔 著
新潮文庫 版
============
これは、「飯食っているときも風呂に入っているときもジャズだ」とのジャズ大御所の言葉に触れて「メシブロ・ジャズ」論を展開し、自身が「今のところ、この両方を統一することはおれには出来ない。」と言い切って終わるくだりだ。

もう一回読み返しても、昔読んだ印象の通りだった。読み返せて良かった。

この先、本の断捨離 はしないと思う。

8月
11
問題意識

先日このブログを知った。
紹介されていたのは、その内の8月7日の投稿
前後を読んでいると、その記事のアクセス数が爆発的に多かったらしい事が判る。そりゃそうだ、私だって見に行ったんだもの。

単に情報が欲しいだけだった場合でなければ、その話題になった記事以外の、少なくともその前後いくつかは読んで書いた人が何を感じ何を考えているか知らなければと思う。あればプロフィールも見るし他に参考になりそうな事も探す事にしている。
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ブログって、ちゃんとした会場でやるライブじゃなくて、路上ライブみたいだと思った。
路上だと、だれも知らないすっごい無名の人が勝手になんかやってたりする。
それで、ぜんぜん人が立ち止まらないで前通ってくだけが多いけど、たまに立ち止まってくれる人もいる。
だけど、最後までちゃんと見てるんじゃなくて、ちょっと興味もった間だけ立ち止まって、それで飽きたらすぐ立ち去ってく。
そういう感じにブログって見られる、って思った。
8月9日の投稿より引用
============
その通りだ。私もずっとそう思ってる。FBにしても(やってないから解らないけどたぶん)Twitterも、その瞬間話題が流れすぐに埋もれていく。「あのとき誰が何て言ってたっけ?」なんて探すのは難しい。(何か方法はあるのかな?)
正しく理解できたかどうか不明なのにもかかわらず、確かにそう感じたという「印象」だけが積み重なっていく。

話題になっていた記事中いくつかのエピソードは、たぶんリアルな話しだったんだろうな、と思う。仮に創作だとしても実際、あり得る話し、だと思う。その上で、ブログ主の思いは理解できる。まったくその通りだと思う。

問題はその先。
「いいね」するのは簡単。で、どうやってそれを自分の物にするか。自分はどうするか。

追記
これは、FBで流れたこの記事に「いいね」したら自分のtopに流れなくなってしまった(なぜだろう?)ので、その覚え書き。