5月
23
久しぶりの

釣行。

結局、飛騨の川に行った。益田川水系。
移動中、夜中なのに路上駐車が異常に多いところがあった。そこここに灯りも付いていて人もいる。
ある一軒の家を通り過ぎるとき気が付いた。そこには「おとりあります」と書かれた新しい幟がひらめいている。「この川、明日鮎の解禁だ!!」
私はもっと奥。鮎師とはバッティングしないと思う。

目的地近くの道の駅に着いたとき星は満天にきらめく。

釣りを始めたころは道の駅なんてまだ存在していなくて、仮眠するところやトイレなどを探して確保しておくことは重要なポイントだった。釣り場のトイレも随分整備されてきているが、それでも道の駅で格段に便利になった。
現在全国各地に1000駅近く出来ているらしいが、よくお世話になる。近場10県くらいの施設は最近出来た所以外だったらほとんど網羅しているんじゃないのかな。

果たして釣り方を覚えているだろうか、などど若干の心配をしつつ、車中にて仮眠。

4時半に、もう明るくなった外に出る。良い天気。
早速川を見るが、記憶と全く違う渓相にびっくり。何度も豪雨や台風があったからなぁ。
いざ出陣。
源流部のような何もないところではない。里川の本流である。川から上がれば立派な道路や民家がたくさんある。
しかし川にはいると何故だか人工の物音はほとんど聞こえなくなるんだな。
水の音と風の音。そしてウグイスやセキレイなどの鳥の鳴き声。たまにコジュケイやホトトギスが混じる。蝶が飛びトンボも飛ぶ。

気分がよい。この気分の良さは釣れる釣れないにあまり関係ない。自然の中で「釣る」ことだけに集中し、他のことを一切考えていない心地よさ。ふとその緊張を解いたときに聞こえてくる優しくしかし力強い大自然の音。
空は青く、風はほとんど無風。

数時間戯れて川から上がるとき、漁協の監視員さんと会った。
「どこから来たの?」
「名古屋」(ちょっと違うけどそう言わないとわかってもらえない場合もあるから…)
「どう?」
「小振りのが三つほど。みんなアマゴ。」
「ここはたくさんいるはずだよ」
「本流の毛針が調子良いみたい。」
などなど。気さくに色んな情報を教えてくれる。

休憩がてら場所替えしようかと車を走らせるが、結局元の場所に戻る。
タックルをルアーに変えて川に入るが実はもうあまり釣る気はない。山を眺めて、鳥の鳴き声に耳を澄まし、空を仰ぎ、とりとめもなく色んな事を考える。
10年ぶりに履いたウェーダーは水が浸みるらしく左足が冷たい。
気温も上がり体は蒸してきた。暑い。
気が付くと腕と肩と腰が猛烈に辛い。
そろそろ潮時か。

本当に久しぶりに釣りをした。気分は爽快だ。
しかし想定外の事もある。
この10年という年月の間に体は確実に変化していたのだ。
石を乗り越えるのに苦労した。仕掛けが見えない。竿の一振り一振りで体がきしむ。手の指一本一本が筋肉痛だ。
日の光をすっと浴びていたことも相まって、「心地よい」を少し通りこした疲労感が体を包む。

健康でいられること、をもっと大切にしようと思った。

5月
21
車検

だった。来年だと思っていたのに勘違い。
このタイミングではちと辛いのだが、致し方ない。車がなければもっと大変だ。

いつもの修理屋が言うには、25万Km走っている割には不具合はほとんど無いようだ。
そういえば、知らないうちに自動車重量税は値下がりしていた。
政権交代の効果らしいが、いつまで続くのか不明とのこと。暫定税率やら高速道路料金やらで騒がれているけれど、この件についての報道は一切記憶がないなぁ。

良い機会だから、全ての荷物を降ろして車内を掃除し、もう一度必要なものだけを仕分けて積み直す。
野営用品や車旅用品はもちろん、精査しコンパクトに必要最小限で。
犬用品は要らないんだよな、と寂しく思いながら、しかし一方で釣り用品は久しぶりに積まれた。

早速気晴らしに出かけよう、と準備し始める。

が、仕掛けの作り方を忘れてるゾ。
やり始めたら少しずつ思い出してきた。
最大の敵は「作り方」ではなく「目」だ。見えない!
渓流の仕掛けは細くて繊細だから余計大変。

どうやら今日は真夏日だったようだから、明日も暑いだろう。
少し気温の低いところへ行って、自然に遊ばれてこようと思う。

どこの渓に行こうか…。久しぶりの夜駆け朝撃ちだ。

5月
20
たなご

は生きているカラスガイやドブガイなどの二枚貝に卵を産みつける。
卵は貝の中で孵り、仔魚は母貝内で成長し貝から外に出るまでには1ヶ月ほどかかるらしい。
ドジョウはエラ呼吸だけではなく、空気を飲み込んで腸呼吸することや、皮膚呼吸もできるらしい。

いずれもすぐ干上がったり酸欠になったりする過酷な状況でも生きていける仕組みなのだろう。

オーストラリアでは山火事に遭遇しないと発芽しないバンクシアという植物があるらしい。
コアラが食べるので有名なユーカリも火事にあうことによって発芽しやすくなるようだ。
 

単に「過酷な状況でもなんとか生き延びられる」のでなく、他の種では無理なことを耐える事によって、その特定な種だけが生き残る積極的な手法なのかもしれないな。

もっとも、その渦中に居る時は辛い以外の何者でもないだろうが。
しかし「この先で状況が好転したら…」と希望をつなぐことはできる。(そのワザがあれば、だが…)

5月
17
いつの間にか

立夏を過ぎた。
今日は夏日だ。青い空の良い天気。
14日の夜は寒くて暖房を入れたのに。

年月が巡るのは速い。

せろりの花見
これは4月6日、せろり最後のさんぽ。
近くの公園に車で行った。

実はここでAZちゃ家族にバッタリ会った。久しぶりにお会いできたのに私は上の空だった。ゴメンね。せろりが心配だったんだ。

駐車場から少しだけ歩いてこの写真を撮り、そしたらすぐ車に戻ろうとした。大好きな公園なのに。
この日以来、(庭には何回か出たけど)病院に行く以外家の外に出ていない。

階段の上り下りが出来なくなり、好きなモノが食べられなくなり、歩くのがおぼつかなくなり、ついには自分で立てなくなり、出来るはずだったことが一つずつ出来なくなっていくことがせろり自身ショックだったに違いない。そんな時「あれ、変だな、何で出来ないかな?」という顔をしていた。
そして出来ないことを悟ると次から決してやろうとしなかった。彼女はとてもプライドが高かったから。

そう、最後の最後まで誇り高かった。
 

これから、せろりが教えてくれたことを目一杯活かしていく。
私の心を豊かにしてくれた恩返しをしていく。

命あることの喜びを噛みしめて。

5月
15
たかが犬

されど、せろり。

ゴールデンレトリバー、雌。
本名 Aida(アイーダというらしい。血統書にはそう書いてある。)

ボールが大好き。
フリスビーも上手い。リトリープ(持って帰ること)も激早。だけど口からの離し方に美学があるらしく、気に入った離し方でないと機嫌が悪い。競技会も出たことがある。人の投げるのが下手だと、「取ってやらんもんね」と、落ちたディスクと投げ手を見比べる。
人の話はほとんど理解しているようにみえる。
どんなに夜遅く帰ってきても必ず玄関で出迎えてくれる。嬉しくて地団駄踏む。
不用意に「さんぽ」というキーワードを声に出してしまうととんでもない目に遭う。行くんじゃなかったの?とうるさい。
一方、「ゴメンね、お留守番してて」というと、それまで振り回していた尻尾をだらんと下げ、ふてくされたようにどたっと寝そべって一点を見つめ目を合わさない。
時間には厳しく、ご飯の時間をきっちり守る。忘れていると催促に来る。お願い攻撃だ。
呼ぶとどこにいてもすぐ飛んできてじっと目を見つめ「なあに?」と応える。
泳ぐのが大好き。始めて矢作川の上流で川遊びしたとき、歩いているつもりなのにいつの間にか泳いでいることに気が付いたときの顔。「!!!!!!」「あれ?おもしろいぜ!!」忘れられない。
全ての旅行は同行。もちろんキャンプも。
運転席と助手席の間が指定席。立ったり座ったり寝そべったり。流れゆく景色をずっと見ている。
車旅の夜は「私の仕事です」と寝ずの番をする。だから随分疲れる。
砂浜では腐った釣り餌のアミエビを、山では鹿と思われる糞を背中に大量に擦り付け得意そうにうっとりとする。
脱ぎ捨てた靴下も大好き。だから介助犬のように帰宅した私の足から上手に脱がしてくれる。しかし洗濯したては要らないんだな。
トイレの失敗は生後40日ぐらいで家にきた当時からほとんどない。
音響シャイで雷や花火は全くダメ。近所の子供の花火でも「お願いですから助けてください」と言う顔をする。そして自分のハウスに逃げ込む。だから町の伝統的な警固祭りで火縄銃が出ると逃げ回ってガタガタ震えてる。
しかし、手足を触られるは大嫌い。爪切りなんてもってのほか。
耳掃除も嫌い。やろうとすると唸り歯をむく攻撃性もある。
気が強く、甘えっ子。
悪戯を咎められると、知らんぷりをしてそそくさと自分のことを始める。
我慢強く、様々考えてる。
ベランダに座り込み外をじっと眺め、鼻をふんふん鳴らし、考え込む。哲学する犬だ。
 

しかし、もうこの世にはいない。
2010年5月14日午前10時、天に召された。肝臓癌だった。
私と妻の介抱の中、息が止まりやがて動かなくなった。

知らなかったこと、気が付かなかったこと、忘れていたこと、たくさん教えてくれた。
疑うことを全くしなかった。
もちろん裏切ることなんか皆無。
絶対的な信頼感。

私の激動の10年を共に生きてくれた。
支えだった。
楽しかった。
ありがとう。

5月
12
稚魚

しばらく前からメダカの採卵をしていたが、どうもそれはうまくいかない。
採卵は順調に出来るのだが、その後どうしても卵に水カビが発生する。
何度かやっても同じなので方法を変えようと考え中だった。手で触れるのがダメかな、とか、水の管理かな、とか。

それとは別に60水槽のウィローモスがジャングルになってきたので取り出して刈り込みさっぱりした。
大量に出たカットくずを捨てるのをためらい、とりあえず玄関先のコウホネの鉢に放り込んでおいた。

そしたら今日、その鉢の中にメダカの稚魚が20匹くらい泳いでいる。
ウィローモスが密集してたから、幸いモロコに食べられずに生き残っていた卵があってそれが孵った模様。
そのまま水槽の中だったら孵化した途端に食べられちゃってただろう。
こっちに移って正解だったんだな。
しかし、昨日は雨だったからもしかしたら水が溢れて一緒に流れちゃったヤツもいたかも。

これで、睡蓮鉢に入れるメダカたちは確保できそうだ。

次の計画は水槽コケ取り用のエビ確保。
更に次は、底砂掃除用のカマツカ確保。

5月
11
言霊

最近のせろりを見ていて考えた。
日本には言霊の文化があり、どうも私自身もその影響は有るらしい。

言霊:言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。by Wikipedia

せろりは本当に良く頑張っている。

5月
10
ほぼ

仕事部屋の大掃除が完了しつつある。
残すは細かい道具類の整理整頓と、出たゴミや不要物の処分のみ。
部屋は広く明るくなり随分気持ちよい。

そんな折、ふと新聞の書籍広告欄で、

モノを捨てればうまくいく
断捨離[だんしゃり]のすすめ

なるものが目についた。
住まいのデトックスで心もからだもデトックス! だそうだ。
案外当たっているかも。

もともと、断捨離とはヨガの言葉らしい。「ものと自分との関係性を問い直す」
検索してみたら、案外世の中に広がっているみたい。
 

「携帯用植物図鑑の決定版! 野の花さんぽ図鑑」に心を惹かれ、たまたまその横に載っていたんだけどね。

5月
09
今日の新聞より

 秘密基地のように、学校に「小さな空間」をつくる取り組みが進んでいる。狭いスペースに少人数で入り込むと、自分たちの「居場所」ができた感じがして気分が安らぐ。

なにしろ、居場所はなかなか作れないんだよな。

「学校は長い時間を過ごす場所なのに、これまでは生活の場としての視点が落ちていた。」

うん。

5月
08
続・モバイルPC

その後。

バッテリーを外し、電源を抜き、そのまま放置。何らかおかしな事を覚えているかも知れないから解放してみる。  結果→変化無し。

別のUSBキーボード繋いで試してみたが何の問題も無し。

単純にC:をリカバリしてみた。 結果→変化無し。
当たり前だが、PCは全くの初期状態になって、いままでの使いやすい環境にするのに手間がかかるなぁ。

そうこうしているうちにヤフオクで狙っていたキーボードは落札されていた。とほほ。

再度、バッテリー外し電源抜き、キーボードも外して一晩放置。 結果→変化無し。

その間にも色々検索してみたもののめぼしい情報は見つからない。
スクリーンキーボードで凌いでいるけれど極めて不便だ。

うーん。こりゃ、やっぱりキーボード自体のハードトラブルのようだ。
本気でヤフオクゲットだな。
この際英語キーボードにしようか。少しでもキーが大きい方が良い、と交換を紹介しているサイトはたくさんある。

もう少し様子見。