5月
07
モバイルPC

のキーボードが調子悪くなった。
昨晩終了するまで全く何ともなかったのに。

「g」「h」と「l」が全く受け付けない。

飲み物など何か液体をこぼした記憶はない。
昨晩、窓を開けたまま就寝し、夜中から雨が降り出したがその湿気が原因かなぁ?

いろいろ検索して、接点不良の可能性を疑い、キーボードを外してみた。
思いの外簡単に外れた。ケーブルを抜き、管楽器のキーの掃除でよく使うZIPPOオイルで接点を拭いてみた。しかし、変化無し。
単にキーが圧力をきちんと感じられないだけかも、とも思ったが随分強く押しても何の変化もないから違うようだ。

キーボード不良の原因は様々有るらしく、1つ1つ追求していくしかないのかな。

ヤフオクでキーボードを探してみた。単体パーツで売られてはいる。最悪キーボード入れ替えるしかないのかも。

でも、しばらくヤフオクから離れていたからやり方忘れちゃった。なにより入札可能なIDがどれだったのか思い出さなきゃ。パスも忘れてる。

あるいは、ソフト的にドライバの問題かも知れない。

ここでも大掃除の効力は生きていて、このモバイルPCのリカバリDVDが出てきたから、まずは今晩全バックアップアップを取った後にリカバリをかけてみることにする。

なにか一つトラブルが起きると途端に面倒な作業が増える。
しょうがないな。それらをこつこつと解決していかなければ次に進まないし。

5月
06
さしあたって

ささやかな食料確保をすることにした。

ナスとキュウリとシシトウの苗を二株ずつ。
午後は太陽が当たらず南からの風当たりも強いので、あまり条件は良くないのだが、畝を作っておいたところに本日苗を植えた。

何の知識もないまま、その都度ネットでググりながら、はたして収穫までたどり着くか?

5月
05
大掃除の

効能の一つ。

今まで、たくさんの機械やら書類やら楽譜やらに埋もれていた仕事部屋。
紙が多いから日焼けを嫌っていつもカーテンを引きっぱなし。
だから、壁2面にある窓はほとんど開けたことがなかった。閉め切りだったのだ。
特に東南に向いた間口の大きな掃き出し窓は我が家で一番開放感のある所なのに。

今まではそうだったが、大掃除で過去の遺物をどんどん撤去し、この数日開け放してある。
ものがなくなり、床が見えるようになり、洗濯してホコリを落としたカーテンは何憚ることなく思う存分風に揺れている。
レース越しに外を見やれば、ほんの少しの庭と、その先に田んぼが続く。
開放感この上なし。

この辺りの田植えは遅く、今やっと畦の草刈りをし田を耕している。しばらくして水が入ると一斉に蛙が鳴き出すんだろうな。そういえば昨日庭でアマガエル見たし。蛇の抜け殻も見た。例年のより小さかったからジュニアかな?

それで、そのほんの少しの庭にもたくさんの鳥が来ていることに気が付いた。
特に珍しいモノではないが、スズメやムクドリが庭の雑草をついばんでいる。
ヒヨドリがあのやかましい鳴き声ではなく、なにやら一生懸命歌っている。
田んぼにはカルガモがいる。フェンスにはハトのつがいが仲良くとまっている。
その上空でツバメが飛びかっている。
ケリのけたたましい警戒音が聞こえる。
キジやヒバリもたまに鳴き声だけ聞こえてくる。
 

さらに掃除を進め溜まりに溜まった遺物を整理し贅肉をそぎ落とす。
身軽になろう。(お腹周りについてしまったモノも減らそう。)
そうして今までに見落としてしまっていた大切な物や事を再度取り戻そう。

風は南風。さわやかな五月の風が吹く。

5月
04
新聞より

政治家・加藤紘一氏の記事。
2006年の終戦記念日に自宅を放火され全焼してしまったことからその記事は始まる。

〜前略
 自分たちと違う発言をする人を許容せず、相手が折れないと実力行使に出る、もともとあったこうした底流に、ナショナリズムが盛り上がりやすい時代背景も重なっていました。
〜中略〜
強くて分かりやすいものにひかれ、言葉が激しいほどいいという雰囲気に満ち満ちています。
 例えば、政権交代すれば幸せの青い鳥が現れる、と多くの人が思った。それが逆になっても、みなが押し黙っている。誰かがなんか言うと、深く考えずにワーッと同じ方向に動いていく。あるときは郵政改革、あるときはヨン様、そしてあるときは政権交代。
 いくら異論を唱えても響かない。それは言論不自由社会です。
〜中略〜
 「あれはなんだったのかね」という、失敗の分析をしない社会がこの国をいい加減にしていると思う。
 流れで自分の考えを決めていくと、それに反するようなことは話さないようにしようとなる。そんな社会だと、イデオロギーで扇動する人たちにたやすく利用されてしまいますよ。
 後略〜

このご時世、徒党を組み排他的になる要素は増加しているのだろうか。
ファッショに走るようになったら嫌だなぁ…。

5月
03
夏日

になった今日、

・外に積んであった剪定屑を片付けた。(椿もそろそろ何とかしなければ…)
・久しぶりに仕事部屋のカーテンを洗濯した。
・窓ガラスも掃除した。ずっと閉めきりだったので網戸が外れずに苦労した。

さらに、仕事部屋の大掃除も進んできた。

・紙ゴミが大量に出る。資源ゴミだな。エコハウスはGW中やってたっけ?
・大きさの揃った箱に詰めようと思いホームセンターに行くが高価なため購入はためらい、隣のスーパーで同じ商品の段ボール箱を大量に入手してきた。
・細かい文具もどんどん処分。
・過去の遺物をどんどん箱詰めし、随分すっきりと。
・隅々から出てくる埃の塊を掃除機で吸い雑巾で拭くがキリが無いな。

暑い。良い天気だ。
出たゴミをまとめて町指定のゴミ袋に詰めていく。

・CDも市販品はほとんどデータ化できてきた。プライベートCDは一つ一つ曲名などを入力しなければいけないので時間がかかるから、これからのんびりと。
・見つからない電源アダプターの代替品を見つけた。DATのデータ化もこれから。
・屋根裏で眠っているカセットテープも掘り起こそう。
・不要になったオーディオをどう処分しようか。

少しずつ、本当に少しずつだが環境整備を進めている。
今年のGWは交通渋滞で苦しめられることはない。

5月
02
クローバー

玄関を出たすぐの所にひとかたまりの群生がある。

雑草なので丁寧な扱いは受けられず、通り道なので当然踏まれる。ものを置かれたりもする。
他の草と徒党を組んで蔓延ってくれば当然草むしりの対象になる。

(そろそろ草むしりをしなければ)と思いつつ、しかし、雨だったり、寒かったり、でそのままになっているので、今は元気に生え揃ってきている。

何故かその群生には昔から四つ葉が多い。
ウィキペディアによると、四つ葉の発現率は1/10,000の確立だそうだが、それよりもずっとずっと高い。
少し丹念に見るだけで4つ5つと。
踏みにじられ、引き抜かれ、しかししぶとく生きてくる。その生命力なのかな。
だからなのか何なのか、立派な、完品と呼べる四つ葉が多い。

そんなにたくさん見つかると幸運も薄くなるのかしら、と思いつつ、一方では、日頃踏まれて虐げられているから、少しでも幸運の発現率を上げようとしているのかな、と思ったり。

少し考えて、採らずにそのままにしてある。

4月
29
GW

世の中は連休が始まった模様。
(私は…?)

なのに今年は雨が多く寒い日が多い。まだ暖房機器をしまう事が出来ない。
(日照り続きもあろうに…。)

もう5月だというのに。
(…早いものだ。)

4月
28
明確な

読み手を失ってWIND MESSAGEの体を為さなくなってきているような気もするなぁ、最近は。
ま、いいか。このまま私自身のための覚え書きで進めていくことにしよう。
ポツポツ見に来ていただける方々、私のつまらない独り言に付き合わせてしまって申し訳ありません。

ということで。
大掃除の最中なのだけれど、思いがけないものが出てくる。(欲しいモノが出てこないのは前に書いたとおり)

今度は何かというと、手紙が出てきた。生徒からではなく生徒の父親からのものだ。
読み返して当時を鮮明に思い出した。涙流しながら何度も読み返したものだった。
当時、とっても苦しかったんだ。だからその手紙をもらったときは本当に嬉しくて支えになったんだ…。

昔を振り返って思い出に浸るわけではないのだけれど、なんだか再確認できたような気がして10年以上経った今も嬉しい。
 

文字通りWIND MESSAGEを生徒に配布し、その反応の手紙だった。時代は中身を読めば判るかなぁ?日付もあるから。
配布したMESSAGEはこれ。
そして、今回見つかった「それに反応して届いた手紙」を全文載せてしまおうと思う。時間がだいぶ経過しているから大丈夫だよね?

 「CRASH」 先生の「WIND MESSAGE 9」を拝読させていただき、改めて第35回定期演奏会での演奏をVTRで聴きました。
 今日はいつになく早く帰宅しましたので、風呂上がりのビールを飲もうとしますと、娘が「これ!」と言って、私にそのMESSAGEを見せました。タイトルを見た瞬間私は、過日の第4回マーチング・フェスティバルで購入を申し込んだVTRのことを思い出して娘に聞きますと「もう届いている」と言うので、「これは後で読む」と返して、VTRを見ることにしました。当日会場で聴いていた時に、去年とは違ってT邦が一番いいと思っていましたので、もう一回楽しもうと思い、いくつかの演奏団体を飛ばして、T邦のところに行きました。その中でCRASHのPC−DANCEとメドレーのうちチキチキバンバンを楽しませていただきました。先生のPC−DANCEは、緊張感があり、未来を予感させ、心地よく、更に好きになりました。出来ればドリルではなく、腰を落ち着けて存分にぶつけた演奏を聴かせていただければ・・、なんて思いました。チキチキバンバンは速いテンポで流暢に流れ、その中にあってスタッカートの美しさが際だっており、ブラボーと叫びたくなるようなエンディングでした。
 テープを巻き戻した後、MESSAGEを読みますと、先生の苦渋を経た告白が述べられており、娘の親として安堵すると同時に、音楽を指導される先生の苦悩や、音楽の創作に熱意をお持ちのNGO様の葛藤を申し訳なくも思いました。音楽の自由。これは曲を作る人、音楽を奏でる人には何物にも代え難い大切なものであり、楽しいものではないかと想像します。そうだとすれば、「指示」というような定型的なものは対極に位置されて、自由とは融和しにくいものとなるでしょう?先生は、「クラブの大転換」を実現するために「方法の転換」をすると述べておられますが、心中穏やかではなくCRASHしたようにお思いではないだろうかと拝察しております。なぜなら、娘の話す断片的な事柄から先生は常に質の高い音楽をつくろうとされていると感じていましたし、MESSAGEでも「音楽をする心」を強調しておられるからです。私は、そんな音楽指向を持っておられるNGO先生に娘が指導していただけて良かったと思っています。しかし、娘は先生を時には「誤解」したり、反発したり、場合によっては不審がったりもしていました。でも、今回のMESSAGEで先生の「決意表明」を読んで、不審が解けたようです。不審が無くなれば、娘なりの受け止め方や反応をしていくのではないかと思います。先生は「反発だったらまだ救われます」と謙虚に述べておられますが、部活で何を経験していくかは、生徒の、いや娘の感受性やそれまでの生活体験、親の関わりの問題であると思います。
 このMESSAGEは、娘にとっても大きな意味を感じているようですし、父親である私にとってもTWEがより近いものになったような気がしております。また読後の感想とCRASHを改めて聴いて、先生の音楽観や心をストレートに娘たち生徒にぶつけていただければと思います。
 極めて独断と推測により、かつ、僭越で失礼なことを書きまして、申し訳ありません。また、生徒に発せられたMESSAGEを勝手に読んで、勝手に筆をとったことをお許し下さい。
 「音楽する心」や楽しさを娘たちに実感させていただければ幸いです。よろしくご指導の程お願い申し上げます。

平成8年6月19日
NGO先生
 [ご本人署名]

その後もなかなかうまく行かなくて苦しいことが続いた。
でも、心の支えになっていたんだな。
必ず解っていただける、という支え。

4月
26
新聞より

「ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっているのだということを発見した」 − カレル・チャペル(小松太郎訳)『園芸家12ヶ月』

妙に納得。

木を切り倒し、地ならしし、耕し、肥料を撒き、…。
そんなことを繰り返し、ようやく良い土が出来て花が咲き実を結ぶのは、ずっとずっと先。

目立つのは花だけど、花だけ期待してもね…。

4月
26
選択肢

昨日、久しぶりに街に出た。しかも車ではなく公共交通機関で。

リニモの駅まで歩き、藤が丘で地下鉄に乗る。しかし始発にもかかわらず座れない。
腰が痛いなぁ、と思いつつドアの近くに立ち、目の前の路線図を眺めていたら自分が全く浦島太郎であることに気が付いた。

知らない路線がたくさんあるのだ。金山へ行くのにその方法が複数有ることに気が付く。早速本山で降り、名城線に乗り換える。
地下鉄だから風景は何も見えず新鮮味はないが。しかし、とにかく座りたかったのでありがたい。多少時間はかかるのかも知れないけれど工夫の余地があるということは助かる。
 

本日の目的は名古屋マーチングフェスティバル。
なじみの方々にお会いしてお話伺いながら、また気が付いた。
様々な合同バンドがある。名古屋ハイスクールバンド、地区別に分けたバンド、中学校選抜、1校単独も、おなじみ同士のグループバンドも。当然マーチングバンドとしての出演もあり得る。場合によっては掛け持ちもあり得る。
どれも、それぞれの特色が出ていて面白い。
だいたいは学校毎で参加のしかたを決めるのだろう。
もちろん出演する団体は名古屋全体のごく一部。「出演しない」という選択肢だってあるのだ。それでも出演者の延べ人数は7〜800人にはなる。充分イベントとして成り立つ。

多様であることの豊かさを改めて感じた。

一方で、自分たちの出番が終わったら、そそくさと引き上げていく人達も少なくなく、せっかくの多様性が損なわれてしまっているようでもあるな、と感じたことも事実。

しかし、それらを含めても選択肢が多いということは素晴らしい。
そしてそれが当たり前で動いていることの豊かさ。

他ではなかなかそんなこと出来ないよ、と、一度外に出たから思うのだろうか。