4月
02
年度の初め

こんな言葉に出会う。

朝日新聞 折々のことば 2016年4月2日

語ること、書くことは、ある経験を翻訳することであるが、その経験はしかし、それが紡ぎだす言葉のなかではじめて原典となる。

モーリス・メルロ=ポンティ

 言葉にならない経験を言葉で表現しようとするとき、人はそれを翻訳の作業になぞらえる。だが、外国語の原典もあくまで自言語を通して探るほかないように、言葉以前の経験も言葉として整えられてはじめて形をなす。経験に浸っているだけではいつまでもその経験の意味は明らかにならない。哲学者の講義要録集「言語と自然」から。(鷲田清一)

2016年4月、新年度当初に肝に銘ず。

3月
15
放棄?

ここで書いた巣。
先日、卵が一つ下に落ちて割れてた。いわんこっちゃないなぁ。
その日、久しぶりに鳴き声(さえずりという感じでない…)を何度か聞いた。

そして、きじばとはつがいで居なくなった。

3月
09
ようやく

手に入れた。
言語にとって美とは何か 吉本隆明 角川ソフィア文庫。?と?と。結局大手通販に頼った。

例の古本屋チェーンでは、方針が変わったのか、この手の本が店頭からどんどんなくなっているように感じてる。あっても値段も上がり気味。そういえば、端末ピコピコさん達も減ったような。高値で売れるもっと別のルートを見つけ店頭には出なくなったのかな、と密かに思っているのだが、どうだろうか。

なかなか読み進めていかないが、本の冒頭「文庫版まがえき」の4行目で
文学の作品や、そのほかの言葉で表現された文章や音声による語りは、一口にいえば指示表出と自己表出で織り出された織物だ、と言っていい。
と出てきて、のっけから自分の中の、ある種の感覚が「うぉ〜」と呻いた。
 

最近になって、自分に何かを取り込むやり方が少しだけわかったような気がしている。
どうやら「理解」という感覚ではなく、もっと奥底での変化(というか変容というか…)を感じることのほうが上手くいくようなのだ。
それは反復によっていつの間にか「身についている」事もあるし、一瞬にしてそれこそ「!」と閃くような時もある。
そこにはまだ明確な言葉が無い。言葉はもっと後から付いてくる。(ついてこれない場合もあるけれど…)
いままで、その感覚はあまりも感覚的すぎるので出来るだけ見ないふり感じないふりをしていたのだが、それを改め微細な感覚の変化をそのまま信じることにしたら、案外うまくいくようなのである。

で、「うぉ〜」は一瞬にして閃いた「!」そのもの。
直後、文字を追うことをやめると今まで持っていたものとチカチカと反応しはじめる。自分でも把握できない何かが起きているのだが、それを特に理解言語化しようとせずにじっと待つ。
そんなふうにしていると、いずれ何らかの考えが浮かんでくる。
それで良いのだ、と思うことにしたのだ。

子供の頃、本を読んでその物語の世界の中にどっぷりつかっているときと、ただ文字を追っかけているときがあることに気がつくことがあった。子供ながら、それは決定的に違うのだ、と思った記憶がある。

まだ言葉は浮かんでこない。自分の内部で何かしら変化が起きていることは確かなのだが。
読み終えるのには少々時間がかかりそうだ。

2月
24
きじばと

庭の金木犀にきじばとが巣をかけた。
普通に手を伸ばして届くところ。なにもそんなところでなくても良いのに。

今日からどうやら抱卵開始。
私と50cmくらいで目を合わせても親鳥はびくともせず。
卵を守ってじっとこちらを見つめてる。

このつがいたち毎年来る。(全く同じかどうかは判らないけれど、調べてみると、きじばとは10年以上の寿命があるようだから、同じなのかな、と思う。)

椿だったり柿だったり今年のように金木犀だったり、巣もかける。
今まで庭に様々な種を落としてくれた。
夏に食すアスパラは、きっとこいつらの落とし種だと思う。
南天の木も随分増えたし。

ドバトではないからね。巣立つまで自然に任せておくつもり。
でも、少々雑な巣だが大丈夫だろうか。風が強く抜けるところなのだ。

卵や雛は落ちないで欲しいなぁ。

1月
29
12回

先週の日曜日は、第12回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTEでした。
参加した学校、団体の皆さん、ありがとうございました。
暖かく力強い、すばらしい合同演奏になったと思います。

毎回感じますが、皆さんから絶大なお力をいただきます。力とはもちろん音楽の力です。
そして、12年の年月をかけて育てられたものの大きさを想います。

来年はホール補修工事のため残念ながら開催できないそうですが、音楽で繋がった人達がさらに繋がり続けることを願っています。

12っていうのは、干支だと一回りだな。
練習後の立ち話で、私と同じ干支だけど一回り・二回り・三回り違う人達が同じステージに載っていることが判明した。さすがに四回りはいなかったけど、客席にはいただろうね。
五回り違うと還暦だよ。この企画もそれくらい続くと良いなぁ。

1月
09
液晶画面が

ついに壊れた。

愛用していたガラケーD905s、ブラック。使用期間7年は超えていたと思う。
おや、おかしいな、と思ったときは、スライドするときの接触不良だと思った。
しかし数時間経ったら、開いた時ずっとダメになった。さらに、しばらくすると閉じているときも怪しくなってきた。

こりゃ、やばいぞ。
電話もメールも出来るのだが、いくら機能が生きていても、画面確認できなかったら何も出来ないのと同じ。

対策を調べて、とりあえず、「ドコモケータイdatalink」なる物をダウンロード。既にdocomoの公式サイトには無いので探しまくった。
何とか無事に見つけ、905の中身を吸い出しにかかる。
おっと、その前にEdyの中身をWEBに移さなきゃ。

そんな事してる間に、どんどん液晶のダメージはひどくなっていく。
開いたときに液晶が見えなくなるスライドケータイはどうしようもない。開かなければボタン押せないのに、開いたら何も見えない。
「押しては閉じて確認」を繰り返し、何とかデータバックアップを完了。
PCで確認する限り、必要なデータは全てバックアップできたと胸をなで下ろす。

次の日の朝、閉じた状態でも画面は見えなくなっていた。

docomo保証サービスで端末の代換えを探すが、もちろんこの古い機種で同じものはなかった。
オペレーターと長時間相談して結局通常サイズSIMの機種を選ぶ。何かあったときに手持ちの機種(さらに古いD902is:これは新品同様で保管中)で動く必要があると判断したから。
で、折りたたみ式のどうって事のないガラケーが届く。次の日の午前中に届くのだからそれはすごい事だよなぁ。

今度は壊れた905を返送するためにデータを初期化したいのだが、既に画面はほとんど何も見えない。
PCで空(全く空だとダメだったので数個のダミーを入れた…)のデータを作って本体に流しこむ。
認証番号とかは何とかメクラウチで完了しようやく返送。

次は、新しい端末の設定。
バックアップデータを流し込むとすんなり受け入れてくれた。
が、当然出来ると思っていた事が出来なかったりで、ずいぶん苦労してようやく使える状態に。
それでも気に入らない事態が次々と出てくる。
あー、めんどくさいったらありゃしない。

とは言っても、これで、スマホに移行する必要はまた遠ざかった。それはそれでめでたしめでたし。

1月
01
謹賀新年

いたって普通に日にちが変わり、2016年になりました。

年を追う毎に1年の廻りが速くなってきます。
あっという間に過ぎ去ってしまう時間の中で、この先どれだけのことが出来るでしょうか。
やれることをやれるだけやる。に尽きるのかな。

皆様、今年もよろしくお願いいたします。

12月
13
揺れ

このところ揺れ続けている。
「このところ」といっても数年、いや十数年ずっと継続中だから特に珍しいことではないのだが。

めいっぱい前に進みたいと望みモリモリ動く時と、そろそろ潮時だし現実を見ようよ、と思う時との振れ幅は極端に大きくて、自分でも手に余ることが多い。(ここ最近は進む方向で安定していたはずなのだけれど。)
周期は全く一定ではなく、バイオリズム云々のような事ではないらしい。それは何故だろうとずっと思っていた。

ついに今日、思い当たる原因を見つけた。
見つけて大いに納得した。
そうだ、それに違いない。

それ自体は「状態」なだけで、問題はそこから次々と様々見えてくる障害の数々なのだけれど。

自分の弱さ、というか、覚悟の足りなさというか…。いや対処の工夫の無さ、が一番ダメなんだろうな。

とても単純なことでした。
ヒントはここに有り。最後の引用のくだり。薄々知ってたんだと思う。)

さて。
原因が判ったのだから、次はどう打開していこうか。
少なくとも「知らない」よりは確実に「強い」と思うから、進む方向はある。必ず。

12月
13
師走

11月の世間はなんだかオレンジ一色だった。

街に繰り出すこともなく、またTVをほとんど観ない私は世間と感じる範囲がきっと狭いだろうから、実際はそうでもないのかも知れないが…。

例年、そのオレンジ色の時期を過ぎ12月に入ったとたん、世の中は赤い服と白いふわふわが乱舞し電飾が明滅し賑やかにBGMが流れていたような記憶があるのだが、今年は少々趣が異なっているように思う。

12月になっても、例の赤白はあまり幅をきかせず、既に次の月を意識した「縄」とか「竹」とか「松」とかを目にすることが多いのだ。
例年だと赤白が終わり冬休みに入ったとたん劇的に入れ替わっていた、「も〜いく〜つねると〜」の状況が既に12月初頭にある。

もしかして(先日の天声人語にあったような…)他の宗教を信仰する人への配慮のような理由なのかなぁ?
日本では、そんなことお構いなしに「商戦」として展開されていると思いこんでいたのだが、「雰囲気」を少しずつ変えていくような力がはたらくような事情に変わってきたのかなぁ?

12月
03
地図

タブレットを車載で使いやすくするために、アプリ探しとインストール・削除を繰り返している。

地図絡みでなかなかおもしろいものを二つ見つけた。

まず。
地図ロイド。 Google play→
国土地理院の地図 をAndroidで閲覧するアプリ。
山屋さんが使うのに良さそう。山奥では電波が届かないかもだけれど、地図データはあらかじめみ読み込んでおけばキャッシュできるみたい。GPS受信ができさえすれば自位置は判るだろうし。無料。

も一つ。こちらは海。
海釣図。 Google play→
最小1m単位の等深線が確認できる海図をもとに、釣りのための情報を表示できるアプリ。魚礁、根、定置網位置、区画漁業エリアとか。
区画されたエリアの地図データをあらかじめダウンロードする必要があるが、愛知、三重、和歌山までの太平洋側(湾内含む)と福井・敦賀周辺は入れてみた。
特にオフショアでは有用だろうが、陸っぱりとしてでも湾港や波止付近の海底が意外に複雑なのが案外判る。南伊勢あたりは魚礁が多いんだなぁ…!
アプリ内購入有り。

便利ですなぁ。