4月
15
巨神兵

の存在意義。
「オーマ」(エフタル語で「無垢」)。
巨神兵の正体は、伝承で言われる様な兵器ではなく。

だからこそ、プロトンビームで吹き飛ばされてしまうかな。

4月
14
凄い

ページを見つけてしまった。
SYU’S WORKSHOP
「リンクはフリーです。」だったのでそのままリンク張ってしまいました。

全然音楽と関係ないよ。
携帯では見るの無理です。(たぶん…)
(私は)遊び心をくすぐられます。
このこだわり精神は見習うべきだな。

「巨神兵」を調べていてこのページがヒットし、何で「巨神兵」を検索していたか忘れちゃったくらい、衝撃だったのです。

様々なテクニックだけでなく、こだわり精神の刺激を受けたいと思います。

4月
12
血液検査

といっても私のではない。せろりの。

先日、狂犬病の予防接種に行った。
ヤツは、動物病院が好きではないから、家を出るときから「今日は普通の散歩ではないな!」と既に警戒していて、全ての曲がり角で必ず病院とは反対方向へ行こうとする。
気をそらしながらそれでも病院に近づいていくと、ある場所からは観念したように自分から病院に入っていく。
そして大好きな先生に「お願いですからひどいことはしないでくださいね?」と言わんばかりに握手攻撃を繰り出してくる。
「では入ってください」の声で診察室に自分で入り、すぐさま診察台に飛び乗りよい子でお座りをする。
しかし、情けない顔をしてガタガタ震え出すのである。
いつもの事ながら、気持の流れが手に取るように判りとても興味深い。
しかもここに来るととても賢く見えるのが面白い。

さて。
「だいぶ歳取ってきたから、一度内臓の様子見るために血液検査しましょう」になった。
人間の血液検査だと後日再度病院に行かなければならないのだけれど、爪切りや耳の掃除してもらっている間に結果が出てきた。早い。ものの数分だ。
それぞれの数値はほとんど正常値。コレステロールだけ少し高め。
「今のところ異常はありませんよ。内臓は大丈夫です。」
良かったね。

「フィラリアも陰性です。」
「ただ、若干前足の関節の動きが悪くなっているようです。負担を減らすために少し体重を減らすと良いですね。」ですって。
元々は心臓が少し心配だったけれど、なんとか特に今まで問題なく過ごすことが出来ている。
この先もそうだと良いのだけれど歳には勝てないからね。
大切にしてあげたい。

最近は寝っ転がってうつらうつらしている事が多くなった。
私が呼ぶと「なあに?」と疑うことを知らない目でじっと見つめてくる。
無条件で信じることを教えてくれたのはせろりなんだよ。

4月
10
もう一度

書いてみる。

2009/03/29付け記事をそのまま抜き出して転載

ある意味頭脳戦。
ある意味消耗戦。
みんなが想像するほど私はタフではないし不屈の精神力があるわけでもない。
しかし私のスキルと体が持ちこたえる限り、それが出来る状況がある限り、挑戦は続く。

なにより最高の音楽(音楽の存在とその実現の手法)を皆に伝えたいから。
そして「伝えることが出来た」という自分自身への証明をしたいから。

4月
10
ファミレス

打ち合わせのため、久しぶりに、いつも行くところではない、私が住んでいる地元のファミレスに行った。
吹奏楽の事、音楽の事、教育の事、私の師匠の事、等で話に花が咲き、いつものようにフリードリンクをおかわりしようと店員を呼んだ。

こちらに来たのは高校生かそれより少し上の男性。物腰、制服の着方、話し方、対応の仕方、運び方、どれをとっても「もうちょっと何とかしようよ!」な人。
しかし私はあまり違和感なく「そういえば最近こういうのよく見るよなぁ。」などと思っていた。いつも行く仕事場近くのファミレスなどでは、年齢性別に関わらずよく見る光景なのだ。
「ちゃんと仕事しろよ!」思わず声をかけてしまいそうだが、「でも、このあたりじゃ珍しいんじゃないか?蔓延ってきたのかなぁ」などと考えていた。

そしたら、すかさず同席の人がぼそっと一言声を出した。
「かわいそうに。きっと明日からクビだね。」
「え?」
「いくら何でもこれじゃダメでしょ?世の中はこれは許さないと思うよ。」
そんな言葉を出すような厳しい人だとは思っていなかったので少しびっくりしつつ、自分の感覚が鈍っているような気がしてぎょっとした。

4月
10
スクールバンド

の指導方針について最近二つの話を聞いた。

その一。

現在ある程度の人数が揃って、地域での演奏活動や演奏以外でも盛んに頑張っている中学校バンドがある。きわだって達者な演奏が出来る訳ではないが、それでも音楽を好きになって経験を豊かにして欲しいという願いを充分感じられるバンドである。スクールバンドとしての役割は十分に果たしていると思う。
しかし、訳あって指導者が代替わりしていく必要があるらしいのだが、その代替わりの条件を少しお聞きした。
・人数を半減させること。
・コンクールまでの時期ですべての出番をキャンセルさせること。
・一つの部屋でひたすら揃って基礎練習をさせること。
等々。

 絶句した。たぶん音楽(管楽器)を専門に勉強してきた人だと思うのだけれど。
それぞれ、
・(下手は要らない!という)人材の切り捨て!
・(余計なことやって悪影響受けたくない!という)喜びの切り捨て!
・(すべて指示通りやれよ!という)個性の切り捨て!
だと思うぞ?
大会の成績はもしかしたら上がるかもしれないけれど、確実に音楽は嫌いになるんじゃないか?
じゃ、誰のための大会の成績なんだろう?
 

その二。

ある中学校バンドはコンクールに出てこない。
ま、色んな考え方があるから、コンクールにこだわるのを嫌う、事もあろうかなとは思う。
しかし、出ない理由を聞いて驚愕した。
・そのメンバーだと決して良い演奏が出来ない(良い成績にならない)から、自分(指導者)のプライドが傷つく。
ことらしい。では、良い演奏が出来るようになるために日ごろ鍛錬するかというと、
・資質がないから教えても無駄。
と思っていらっしゃるらしい。

こちらも音楽を専門に勉強した方と聞いた。
音楽教育って何だろう?
スクールバンドって何だろう?

もちろん、伝え聞いた話なので話半分としたい。
だとしても、あまりにもショックだよ。
音楽やりたいな、と思ってそこに集まってきた生徒達があまりにも不憫だ。しかし、それしか知らない生徒達は音楽とはそういう物だと思うようになり、そしていつの間にか世代が変わり、気がつかないうちに同じ事を繰り返すのだろう。
それが「風土」というものになっていくのだな。

これでは決して文化は育たない。不毛だ。
どれだけ水をまいてもまいても、乾いた大地に即座に吸い込まれて蒸発してしまう。
文化の温暖化は思ったより酷いようだ。
しかもこのあたりはきっとオゾンホールだぞ。

4月
07
貧しさ

私は「音楽」を生業としている。
だから、と言うわけでもないが、まずは自分が「豊か」であるべきだと思っている。
しかも、豊かさとは物質的な意味合いではなく、「気持の有りよう」だと。

また、「豊かさ」の対義として「惨め」や「哀れ」にはなりたくないとも思っている。
何が「惨め」で何が「哀れ」なのかは説明が難しいが、「心の貧しさ」から来る、「優しさ・愛おしさ」「思いやり」「敬う気持」「賢さ」などの欠如した状態、と言えば一番近いか。
だから心の貧しさほど醜いものはないと。

さらに、人の尊厳は決して忘れたくない。
私自身がそれを失った「貧しいもの」と同類にはなりたくない。

「貧しいもの」は「弱いもの」と読み替えて差し支えないかと…。

少なくともその心構えを忘れてはならない。

なぜなら、私は「音楽」を生業としているが、それ以前に「人」でありたいから。

4月
06
掃除

4月になっていろいろ新しくなるのに、なかなか掃除が出来ない。
先日、やっと職員室の新しい机を綺麗に拭いた。糊が付いていて汚かったんだ。

準備室も何やらごたごたと溜まってきた。
そりゃ、仕分けして不必要な物はどんどん処分していかなければ溜まる一方だよな。
もちろん必要な物もたくさんあるけれど、それですら整理しなければまずいよ。
今週一週間で何とかしよう。来週になったら授業が始まってしまう。

そういえば、パソコンも「デスクトップ上に使用しないアイコンが有ります。処分しますか?」みたいなダイアログが出るようになった。
 

親友に教えてもらった掃除の掟。
「迷ったら捨てろ!」
これもエコに反するかなぁ?

もう一つ。密かに格言だと思っている言葉。
「掃除とはゴミの移動である。」
掃除してもゴミそのものの存在は消えない、不都合ではないところに移動するだけ、ということだ。
もっとも、存在は消えないが、性質を変質させることはあり得る。リサイクル。もしくは焼却処分。
誰が?どうやって?が工夫のしどころではある。まだまだ巧くいかない事が多いようでもある。
いずれにしても質量保存の法則は大原則。

…何をごちゃごちゃ言ってるんだか。
…掃除嫌いの屁理屈は必要ないぞ。
…掃除をします。
…近々。
…きっと…。
…。
…さっぱりしたいもの。

4月
03
進化

4月のど初っ端から大波乱。
でもそれは私の話で、皆は何も悪くない。にもかかわらず皆の真剣な眼差しがありがたい。感謝。
 

さて。
話題にもしたけれど、定期演奏会以降、このところの何回かのイベントで進化を確認できて嬉しい。
少しずつではあるけれど確実に進んでいる実感。
思い返してみれば、一人一人の顔つきが変わっていることに改めて気が付く。
言葉の端々にその変化が現れていることにも気が付く。
細かい動きの中にごまかしや上っ面でない本物が見え隠れするようになった。

優しく思いやりに溢れ、きちんと自分と向き合うことが出来るようになり、挫けずにやり続ける事が出来るようになったあなた達。
まだまだもろくて、何かあれば壊れてしまいそうだけれど。
まだまだちゃんとした答えがでないことが多いけれど。
でもね、それで良いんだ。
壊れそうになることを不安に思わなくても大丈夫。
答えが出ないことに焦らなくても大丈夫。
もちろん、これからだって紆余曲折があり一筋縄ではいくまい。
だからこそ、もう少しだけ「この方向で良いんだ」という自信に満ちあふれて欲しい。
そうすればさらに進化が加速されていくはず。

「信じて待つ」事でここまで来た。奇跡でも何でもない。今まで押し込められていた、本来あなた達が持っている力だ。まだ無尽蔵に持っている。
解き放とう!
「出来る」ことを信じよう!
 
 
花いちもんめ。皆の心遣いが嬉しかった。心よりありがとう。

3月
31
名前

小学校のころ自分の名前は大嫌いだった。何より「音」が嫌だったし漢字が書きにくい、と思っていた。

それがいつだったか、まんざらでもない、と思うようになった。
自分の名前を辞書で引いてみたのだ。目についた国語辞典や漢和辞典を片っ端から。

辞書には悪いこと書いてないんだな。むしろ書いてあることが大きすぎてびっくりした。
初めの一文字は「大水」転じて「王意」なんてのも有った気がする。(気になって今回探してみたが残念ながら見あたらなかった。幻だったのだろうか。)
二文字めは、それのもと、という意味だろう。
で、色々あるんだけれど、どれにも書いてあることは「大事業の礎」の意。
広辞苑ではずばり書いてある。(読み方は変えるが、漢字はそのままで出てくる。)

大事業そのものでないことが気に入っている。その礎なのだ。
ダムに開いた蟻の穴1つ。大水の元。
たくさんの人が知ることはないし表には出てこない。しかし、それがなければ世の中動かない。

名前が体を表すのか、体が名前に寄っていくのか。
最近益々、名前の通りそうありたいという気持が強くなっているようだ。

明日から始まる。
気を引き締める。
アグレッシブに。