作者別: NGO
熊野からの帰路、例の高速道路どこまで行っても¥1000の日だった。
紀勢自動車道の大台から高速に乗り「そういえば…」と思いだした次第。
「ということは大渋滞だな…」と予想的中。
亀山から四日市まで所要時間一時間半程度。
新名神つくってもつなぎ区間でこんなに渋滞したら意味無いなぁ、と思いつつ。
しかも車に乗り慣れない人たちが多いようで、周りは大変だ。
名古屋西料金所で「割引き¥1000」の表示を見て、「あれ、でもな…」と少々不安。
そのまま名古屋西JCで引き続き東名阪を乗り継ぎ東名高速に入る人はあとすべて¥0になるのか?
名古屋高速は減額しないらしいから、こちら経由はしょうがないだろう。随分割高な感じがするんだけどな、名古屋高速は。
いいや、違った。
そのまま名古屋西JCで東名阪に乗り継いだら「割引き」と表示されるものの新たに¥250徴収された。
ここは前払い¥500区間だから、¥250は50%offの通勤割引きだったと思われる。
普段は東名、東名阪(名古屋西JC以東)、東名阪(名古屋西JC以西)は全てNEXCO中日本だから、きちんと通しで通勤割引きや深夜割引きが適用されるのに。
私は本郷で高速を降りた(東名高速名古屋ICには入らなかった)ので次の料金はどうなっているのか不明だけれど、このままでは「高速道路どこまで行っても¥1000」は嘘だということになってしまうぞ。一度高速降りて次もまた¥1000が生きていたとしても、¥2000(倍額だ!)払うことになるのだし。
鉄道切符の周遊券や一日乗車券のような感覚でいたのだけれどどうも違うのかな。
しかも四日市JCから伊勢湾岸道路経由、そして豊田JCから名古屋に向けて北上したら、こちらは確実に¥1000になると思われる。この差はどうするのよ?
あとで「現在システムを変更中だ」という話をきいたけれど、だったら後日払い戻しがあるの?
二酸化炭素削減せよ、といいつつ、ガソリン使え、外出して消費せよ、といい、でも、システムはとってつけたような脆弱さで、何だかなぁ…。
乗せられて、浮かれて、経済効果有った、といわれても、いまいちしっくりこないような…。
が明けたら4月。4年目突入だ。
まだまだ棘の道だろうか。
泥濘に足を取られ、浮き石で足を滑らすだろうか。
自分が目指すべきと信じている先と、目指して欲しいと期待されている先の間にギャップは無いだろうか。
私が信じ、これからも信じたいと思っている事は誤解無く伝わっていくだろうか。
従来の風土の中にそれまでと異なった物を持ち込むことについて何らかの意味を見いだせるだろうか。
ある意味頭脳戦。
ある意味消耗戦。
みんなが想像するほど私はタフではないし不屈の精神力があるわけでもない。
しかし私のスキルと体が持ちこたえる限り、それが出来る状況がある限り、挑戦は続く。
なにより最高の音楽(音楽の存在とその実現の手法)を皆に伝えたいから。
そして「伝えることが出来た」という自分自身への証明をしたいから。
熊野行きでゲットしてきた5種類。
左から、ジャバラ、春光柑、デコポン、三宝柑、晩白柚(ばんぺいゆ:清見と水晶文旦の雑種だそうだ)。
ジャバラは、和歌山県の北山村原産で、同地のみで産する柑橘類の一種(地元の柑橘類の自然交雑によって生まれたらしい)。とにかく酸っぱい。食べるもの、というよりレモンやカボスのような使い方なのかな。
何年も前に北山村でこのジュースを飲んで以来頭の片隅にあった。
新しいのも発見。
こちらはさらに酸っぱい。でもシャキッッッッ!!とする。詳しくはこの辺りで。ここは直販サイト。
デコポンはこの辺りのスーパーでもお馴染みになってきたかな。
三宝柑は以前ここで紹介した。
春光柑は初お目見え。レモン色なので酸っぱいと思いきや意外にそうでもなく甘みは強い。グレープフルーツに似たさわやかな味だった。
文旦はなかなか手に入らないので見つけたら買う。高かったけどね。売っているところにはこんな説明が。
我が家はまた柑橘系のにおいでいっぱいです。
アンサンブルする上で、誰かがたった1つミスをしたとする。
ミスをした当人は「一生懸命やったし…」「これくらまぁいいいや…」なんて思ったりする事は良くある。
しかし、そのミスが取り返しのつかない場合だってあるのだ。本人が気が付かないだけで。
もちろん「その重要性を知らなかった」という場合もあるだろう。「そんなに大変なことだとは思わなかった…」と。
しかし知ってたとしても知らなかったとしても取り返しのつかないミスであることには変わりない。
よく私が「信じられん!!」と嘆くミスがそれだ。
結果、音楽が台無しになる。
たった1つのミスが原因で。
だから、常に細心の注意を払って音を出すことを覚えなければならない。
闇雲にやりさえすればいい、なレベルはそろそろ卒業しよう。
不注意で、ミスを出すことは止めよう。
ミスを100%無くせ、と言っているのではない。
取り返しのつかないミスが何か理解し、絶対避けるべきミスは絶対に避けよう。
それが4年目の課題だ。早い頭の回転と正確な状況把握が必要。出来るか?
うちの隣家は週に何日か小学生を集めて塾のような事をやっている。
個人宅でそろばん塾やっているかんじかな。
当然その日は子供たちが大勢やってくる。自転車で。保護者の車で。
時間で入れ替わるようだからひっきりなしだ。
私の普段は日中学校勤務だからあまり状況を知らないが、今は春休みなので早く帰ると出くわす事がある。
とにかくひどい。子供も親も近所の人とすれ違って挨拶なんてするはずない。自転車の止め方は無法地帯。道路側に自転車倒れても知らん顔。車通れなくて渋滞してるのに「俺じゃないよ」「私でもないよ」と。
近所迷惑甚だしいのである。見かねて注意しても子供たちは聞く耳持たないらしい。
子供も子供なら親も親。
親の車は所構わず路駐。我が家の周りの道は狭い。そこ止まったら近隣の生活者は通れなくなるじゃないか。百歩譲って、運転席に乗っているんだから邪魔だと思ったら移動しろよ、と思うけれどこれでも知らん顔。逆に私が自分のうちに車入れようとすると「おまえ邪魔なんだよ!」みたいな顔してるように見える。
その塾の主も子供たちに(親にも…主と親は同世代だと思うのだ)どんな指導しているのやら。
この傾向はどうやったら歯止めがかけられるんだろう?
今の子供たちは教育公害の第3世代らしい。
第4回定期演奏会まで到達したTSW2期生の6人。3年間よく頑張りました。
心の中まで土足で踏み入られ、理性をぐるぐるぐるぐる攪拌され、あれをせよこれはするなと翻弄され、忙しさに目が回り、自分が何が何だか分からなくなったこともあるでしょう。さぞ苦しかっただろうと思います。
演奏会終了して数日経ちました。まだまだこの3年間を冷静に振り返るには時間が足りないと思いますが、でも今、せっかちにこの3年間の意味を見いだそうとする必要はないです。そんなに簡単に見える物でもないでしょうし。次第に見えてくる物もあれば、何年も後に突然ひらめくこともあるでしょう。
それは必ずやってきます。
やり遂げた者への何よりのご褒美です。逃げずに立ち向かい最後に勝ち取った自信と誇りです。
紆余曲折色々あったにせよ、最後まで到達したのですから。
途中どんなことがあったにせよ最後まで生き残った6人だけの特権です。
「高校生活最後の定期演奏会の舞台に乗った」ことは厳然たる事実なのです。そうでない人と決定的に違うのです。
それはこの先、生きている限りじわじわとその意味をずっとかみしめることになると思います。
(たった)3年間でその準備をして、一生の宝となるのです。凄いことです。
3年前、私がここに来るのと同時に高校に入学し、入学した途端、当初の予想とは違う吹奏楽生活の展開が始まり随分とまどったんじゃないかと思います。それでもTSWの土台をつくるという地道な作業をひたすらやり、TSWに居続け、一生懸命私の話に耳を傾け、私の希望に添おうとし、私の一言に一喜一憂してくれました。そして私に力を与え続けてくれました。随分助けてもらいました。TSWが次のステップを踏めるのはあなた達のおかけです。心より感謝します。
さらに進化させたTSWにするために残された者が引き継ぎます。身を引き締めて引き継ぎます。
だから安心してそれぞれ自分の道を前に進んでください。未来はあなた達の前にあります。
3年間、本当にありがとう。
を声を空高く聞いた。
軒下を出入りするツバメを見た。
キジが鳴いた。
鳩が卵を抱いている。
丹頂草が咲いた。
柳の垂れた枝に柔らかい緑の小さな新芽が無数についている。
木蓮が咲く。
ミモザが咲く。
ユキヤナギが咲く。
桜はつぼみが膨らみ、気の早いいくつかは既に花開いている。
香嵐渓ではカタクリの群生が満開らしい。
土筆の卵とじを食べた。
菜の花を食べた。
〜今日見聞きしやったこと。
春だ。
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第4回定期演奏会は昨日無事終演した。
とても良い演奏会だった。
その時その空間にいた人々が皆それぞれ暖かい気持になり優しく幸せになった。
誰かの指示通りやったから出来たのではない。それぞれが皆、自らやるべき事をやったのだ。
その事の意味の大きさを各自が実感するにはもう少し時間が要るかも知れないけれど。
本番という特別な時間と空間の中で、舞台に乗った人も、乗っていない人も、何かの弾みでたまたまそこに居合わせてしまった人も、(そこに居たいのにそれが叶わなかった人も、)全ての人がそれぞれ特別な感情を持ち、「音楽」を通して揺るぎない一体感を持つ。その凄まじい恍惚の中である人は涙し、ある人は微笑み、ある人は感動で打ち震え、ある人はやり遂げた達成感を感じながら極度の緊張が心地よい安堵に変わっていく。
今までの全てのストレスが解放され希望と喜びに変貌する瞬間だ。
音楽の持つ力。計り知れない偉大さ。
決して一人では出来ない。たくさんの人の力が合わさることが必要だ。
その瞬間瞬間に生まれては消えていってしまい決して手に取ることは出来ない「音楽」というもの、さらにはそこから目に見えない「幸せ」が生まれ続けていることを一人一人が微塵も疑わず信じることによって、全ての人々が1つになる。
信じること。諦めないこと。
そして、次の一年はさらに。
TSW-NGOは進化し続ける。
我々TEAM NGOは当然揺るぎない。
毎年必ず春は来る。
喜びに満ちて春は来る。
今年は第4回定期演奏会開催と同時に来たようだ。
我々も大いに喜びに満ちあふれよう!
なんだか関連していろいろ思い出して来ちゃったから、記憶のメモとして書いておこう。
生徒会の選挙があった。会長に立候補したのはよく知っている友達だった。決して悪い奴じゃないし心意気もあった。彼は学校を変えたいという純粋な思いも有ったようだし、近しい周りもそれは認めていたようだ。しかし、生徒全体から見たら、説得させられて渋々出てきた(言葉は悪いけれど)教員の犬に見えたのだろう。信任率がとんでもなく低い(具体的な数字は忘れたけれど2,3割だったような…)選挙結果で、成立せず再選挙になった。当然本人は相当へこんだだろうな、と思う。一方、一般生徒たちはなんだか自分の主張が通ったような感覚でその結果に満足していた。
しばらくして、やっぱりなんだかまずいぞ、という雰囲気が出てきた頃、急に招集がかかった。教員からではない。一つ上の学年の先輩からだ。
「日曜日の何時、集合せよ。もし学校を良くしたいという熱意の有る物がいたらかまわないから連れてこい。」私も友達に誘われた。
20人ぐらいいただろうか。先輩達も一人ではなく複数の人間がいた。我が吹奏楽の先輩もそこにいて「おまえも来たのか!」と嬉しそうな顔だった。集まったのは同じ学年の部活やクラスのリーダー達、そうそうたる顔ぶれだ。アパートの一室に案内された。(あの部屋は何だったんだろう?人が住んでいる気配はなかった。)
まず、「あの生徒会選挙は何だ!おまえらには学校を良くしようとする気持ちはないのか!みんなで結束して何とかしないととんでもないことになるぞ!」と先輩からお説教を食らった。その後具体的にいくつかのプランや指示があったような気がする。
背後で教員の指示があったのかどうか不明だ。しかしそんなことはどうでも良く、「学校を良くする」という大命題に対して、(先輩ではあるけれど)生徒が生徒に、個人ではなく組織として働きかけ、実際に個々の気持ちが動き、その先の行動となって行くことに少なからず感銘したんだ。
再選挙では、いろいろな仕込みが功を奏し別の勇士が圧倒的な信任率で無事選任された。その後校則はみんなの努力の甲斐あって一つずつ改正されていく。
部活の事、学校生活のこと、いろいろ物言いたくてずいぶん暴れたからなぁ、私は最後まで扱いにくい生徒だっただろうと思う。
ブラックリストの筆頭だったんじゃないか。
なのに、大学(一応それなりの学校だから進学実績には充分貢献できる…)受かった瞬間、英雄扱いになった。なんだそれ!?ってアホらしくなった。
私のガッコー嫌い、センセー嫌いはここが原点だろう。さらに、それを今自分がやっているかもしれない恐怖は常につきまとっている。
ま、独り言です。