1月
16
準備室

なんだかにぎわう。
TSWの活動中は当たり前なんだけれど、そうでない時も人が来る。
「落ち着く」という人もいる。「居場所」になっているのかな。

人にとって自分の居場所は必要だ。いくつもある必要はないかもしれないけれど。
ほっとする空間と時間。特にここでは活動をギリギリまで攻めていくから、そういったスペースはなおさら要るだろうとは思っている。

で準備室。ある意味その意図を持たせているつもり。賑わうのだからその役割を果たせているのかなぁ。
とはいっても本当はそれで良いのかどうか判らない。
特殊なことかもしれないし、緊急避難的なことかもしれない。

ただ、一番大切なのは人と人の繋がりだよな。
心地よい空間や時間はそれを実現させるための条件と考えておくのが良いのかも。

1月
15
1月の半ば

になってしまった。早い。
ついこの間まで正月だった。

七草(セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を覚えようとしているうちに、いつの間にか七草粥食べずに終わってしまった。
先日、我が家のすぐ前の田んぼで左義長があったらしく(きっと書き初めを燃やし鏡餅を食べたのだろう)気がついたら、黒く焼けた跡が丸く残っているだけだった。そういえば朝早くからポンポン竹の焼けるような音がしてた日が有ったような。
なんだかなぁ。大切なことを見逃してしまったようでもったいない。
 

そうこうしている間にもいろいろなことがあった。
始業式で今までの掟を破り、TSWも発願文を唱えた。思いのほか反響は大きかったようだ。後から色々声をかけていただいた。
調子に乗って定時制でも。
悪くないね。これからも続けよう。
本番も1つ。
ライオンズクラブのチャリティコンサート。
どうしても直前まで苦しいのは何故だ。最後のチューニングの時間でさえ「よし!!」ってな気分になれない。「なんで??」「昨日やったじゃん!」「さっき出来たじゃん!!」「信じられない!!」ってなことばっかり。
だけど、本番はそれなりに。冷や冷やさせずに最初からやってよ。

「必ず出来る!」という大前提を持ちつつ、油断することなく、諦めることなく、目一杯。
私は毎週末のようにあちこちのバンドでゲネやら本番やら。
TSWは2月1日に長久手文化の家デビュー。
私の地元。恥ずかしいこと出来ないゾ。知り合い沢山呼んでおくかな。(本当は2月1日は特別な日。岐阜の渓流(長良川)解禁日だ。随分行ってないなぁ…。郡上に行きたくなってきたぁ。)

その間をぬって定期演奏会の練習会。卒業式関連の練習。
本当に息つく暇無い。
高いテンションのまま気持ちが維持できるように願いたい。

1月
15
リスク

今までも何度か既出の「生涯学習通信風の便り(第94号)から引用。

  これまでも保育所は、多くの育児書が指摘する通り、「基本的生活習慣」の育成に着目して来た筈です。また、「コミュニケーションの能力」にも注目して来た筈です。しかし、佐藤教諭が報告したとおり、『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもが育っているのです。『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもにどうしたらマナーや片づけやルールを教えることができるでしょうか?「集中と持続」、「我慢と努力」のできない子どもにものを教えることは基本的に不可能なのです。

言い切ってるな。その通りだとは思うけれど…、しかし。
ここでは「不可能なのです」で済ますことはできない。
これから「集中と持続」「我慢と努力」を体得させる、っていう話ではなく、それ無しで育っちゃった人たちをどうするかっていう話。諦めお手上げして「基本的に不可能」で良いのだったらどんなに楽か。

『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する人に対して、「集中と持続」「我慢と努力」のできない人に対して、手を尽くして何かをやり遂げさせなければならない。

ここに居続けていれば、居たいと思っていれば、少しずつでも「集中と持続」「我慢と努力」を手に入れ解決の糸口を見つけることは出来る。みんな少なからずそうやって進化し育っているのだもの。

ここに居続ける、ということですら我慢や努力が要るのだから、とっとと逃げ出したい人に対していったいどんな手があるというのだ?
 

やっぱり、だましだまし何とかやんわり3年間居させて無事卒業まで持って行くことで精一杯なのかな?
だましだまし居続けることが出来る程度の活動内容でとどめておくことが賢明なのかな?
少しでも伸び率多く育てようと躍起になると本末転倒になるのかな?弱いバネに強すぎる力を加えると伸びちゃうからな。一度伸びたら決して元には戻らないし。

深いところまで入り込まず、とりあえずストレス少なくして、何となくハッピーで…、だったらこちらもあまり傷つかない。仕事も気楽だし。なにより大きな問題も発生しない。仮に発生しても「不可能です」でばっさり切って捨てれば良いわけだし。

でも、それじゃまずいでしょ。負のスパイラルが加速するだけだよ。
そう思ってしまったらしょうがない。リスク背負うしか無いんだよね。そう思ってしまった人が。

 …あなた、背負えますか?

1月
09

仲間の尊い命。
突然。
交通事故。

救急車で搬送中、心停止、なんとか蘇生し、しかし数時間後お亡くなりになったと聞いた。

軟式野球部で部活動をやった帰り道だそうだ。
無念だよ。どうしようもなく無念だ。

「生きる」ということ。
「生きている」という進行形。
「死んでしまった」という完了形。

言葉が出ない。
ご冥福を祈るのみ。

 −合掌。

1月
05
始動

明日から練習再開。

長期休業の後、最大イベント定期演奏会突入まで休む間もない。
しかもそれまでに多くの本番を抱え、曲数も半端ではない。

TSW皆の衆、準備は良いか?

1月
04
BIRDER

になりたい、と常々思っているが。
なかなかなれない。

数年前の夏、キャンプ中に安価な双眼鏡(と言っても大型スーパーの光学用品売り場で売っている中では一番高かったが)を手に入れ、本屋に行っては良さそうな鳥類ハンディ図鑑を買い、専門月刊誌を読み、ネットをさまよう。
しかし、実際に見に行けない。
やっと行けても目の前にいる鳥が何なのか調べているうちに飛んでいってしまう。
少しずつ名前を覚え、大きさや姿形を覚えているつもりではあるが、実際は「あれなんだろう?」で先に進まない。そんなことの繰り返しである。
鳴き声を聞き、姿をパット見ただけで「あれは何々で、この辺りでは珍しいねぇ。」「もう渡ってきたのかぁ。今年は早いねぇ」などと言ってみたいものだ。

ということで、今日は琵琶湖へ行った。熊野詣でを諦め、せっかく時間があるのだから水鳥を見ようと相成ったわけである。
彦根から湖岸道路に出て、水辺を見ながら車を動かす。
途中、歩道に三脚立てて、たぶん500mmとか700mmとかの長いレンズ付けた人たちがいた。しかもレンズの方向は湖ではなく迫ってくる山だった。大鷹でも狙っているのだろうか。
うぅ、やってみたい。

湖北まで上がって車を止め、じっくりと双眼鏡で湖上を覗いてみた。沢山の種類の鳥たちが無数にいる。
しかし、図鑑を見ても良く解らない。種が解らず、雄雌の区別が解らず、図鑑と双眼鏡を行ったり来たりしていたら、だんだん気持ちが悪くなってきた。

こんなんじゃ、BIRDERになんかなれないぞ、と少し情けないが。
双眼鏡に慣れるためにはたくさん覗かなきゃ。少しでも鳥の名前と特徴覚えなきゃ。
そして、いつかは鳥の写真を撮れるようになりたい。

ぐるっと反時計回りで琵琶湖を回り大津まで出た。
途中、せろりと雪の中で遊んだりしながら気持ちの良いドライブ。
本日はとても気分の良い一日だった。

1月
03
さて

正月三が日はまったりと過ぎた。ほとんど文字通り寝正月。

元旦と3日は、京白味噌の雑煮。大根、人参、里芋、豆腐と餅。花鰹をかけて食す。
2日はお澄ましの雑煮。焼蒲鉾、椎茸、水菜。餅は別で焼き餅にして。焼き海苔を載せて食す。
餅は暮れについたもの。昨年も書いたけど普通のとたがね餅と。
今年のお節料理は簡素に。(例年の半分以下、いや三分の一かも。)
だし巻き卵焼き。伊達巻き。身欠きニシン(日にちをかけて丁寧にもどす)。数の子(ただ塩抜きするだけじゃなく。色は悪いが…)。椎茸の煮物野菜の煮物。田作。ほか。このあたりが自家製。
しかし、美味いんだな、これが。

練習は6日から開始。それまでもう少し鋭気を養う。
明日はどこかに出かけようかな。本当は熊野に詣でたいが…。
事ある毎に行っているので、今回行けなくても是非近いうちに行きたいと思っている。

熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。
神仏習合により、本宮の家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来で、牟須美神(むずびのかみ)が千手観音、速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来とされた。熊野の3神は熊野三所権現と呼ばれ、主祭神以外も含めて熊野十二所権現ともいう。
出典: ウィキペディア(Wikipedia)

年明け早々本番がてんこ盛り。様々な合同練習も。
今年は順調に始まりたい。健康にも注意を払って。

1月
01
謹賀新年

謹んで新春のお祝いを申し上げます。
旧年中は公私にわたって大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

2009年1月1日 NGO

12月
31
大晦日

に考えた事。

この一年、本当に様々なことがあった。

多くの犠牲を払いつつ一生懸命やった。
しかし。
私のスキルで出来ることは全てした、と思うが、全然歯が立たないことが多かった。
範疇を越えていることばかりだった。
なかなか伝えることが出来なかった。
打つ手が無くどうすることも出来ないことが多かった。
数え切れない失敗をした。
それでも前に進まなければならなかった。
それでも体制は維持しなければならなかった。
眠気と戦う帰り道、SAで途方に暮れる毎日だった。
苦しかった。逃げたかった。

でも、私は今も生きている。
焦燥と後悔と懺悔の山に埋もれながらも。

しかし純粋な沢山の心から無尽蔵なエネルギーを頂き続けている。
ありがたいことです。
だから「生きながらえている」とは言わない。
希望と期待と未来を背負って私は今も生きている。

もうすぐ新しい年になる。

12月
30
親切

何度も話をしたので重複するけれど。
「親切な行い」と「親切な心」の違い。

「親切な行い」を教え、実際にさせることは出来る。そして、それが出来たかどうか検証することが出来る。電車に乗ってしんどそうな人がいたら席を譲ることを教えることはできるし、そして実際にその状況で行動できたかどうか、を評価することも出来る。具体的な行為行動だから。これはもちろん教育の守備範疇であるらしい。

しかし、その行為がどのような動機によって行われたか、は検証が難しい。
上記の状況でも、たまたま偶然に席を立っただけかも知れないし、「何で私が貧乏くじ引かねばならんのだ!」と怒りながらもしぶしぶだったかもしれない。
行為と心は必ずしもシンクロしないものだ。
だから席を譲る親切行為が純粋な「親切心」から行動したかどうか真実は大変わかりづらい。
そもそも「親切心」って何?
この定義すらきちんと説明できないかも知れない。
だから教育によって「親切」な心を持った人にすることは極めて難しいということのようだ。
定義や検証が極めて難しいから。出来ないからやらない、に聞こえるけれど…ね。

もしかしたら宗教とか哲学とかの範疇なのか?とは思う。

このことは、最近マスコミを騒がせた学校の問題で、ワイドショーコメンテーターの「学校って所はきちんと勉強教えていりゃ良いんだよ!」との発言に要約されるのかな。
 

私(私たち)は音楽をやっている。音楽とは音の高さや長さや強さや音色や、他様々な要素の順列組み合わせ以外の何者でもない。当然、理屈は定義できるし、理解したかどうか検証することが出来るが、音楽を理屈で説明しようと思うととても高度な理論が必要で大概辟易する。
にもかかわらず、誰でもそこに人の複雑な心情や言葉では表せない感情などを見いだそうとする。演奏するときも聴くときも。「音」を通して目に見えない心に思いを馳せるのだ。
ドレミがわからなくても、4分の3拍子がわからなくても「今の歌は心にしみるなぁ、故郷が懐かしいなぁ」と…。

その心情はどこから来る?
感情のとらえ方をどうやって知る?
誰が教える?
感性とかセンスとか、つかみ所のない物の言い様で片づけて、本人が勝手に身につけるのを待つしかないものなのか?そんな呑気なことで良いのか?

私の口癖「センスは磨く物だ」。それでは、誰が磨く?誰が磨き方教える?
 

「親切な行い」について1つ1つ例を取って説明し教え示唆する。励まし、やらせて、出来るようにしていく。それは教えることによって出来る。しかし単なる行為の修行である。
さらに大切なのはその修行を重ねて「親切な心」を育むことではないのか。(その事を宗教では悟りというのか。)
教育というからには「教える」事と「育てる」事と両方必要であると思う。
今の世、教えることは学校がやるとして、誰が育てるんだろう?
家庭? 地域? 社会? 学校? 
 

音(音だって随分漠然としている!)を通して、目に見えない心を探ろうとする。
そして、閾下にある意識を顕在化させ認識させ次に繋ぐ。
それが教育の範疇であるかどうか知らない。今のご時勢、学校では難しい気がする。
しかし私は音楽(吹奏楽)を通して何とかしてそんなことをやろうとしているのだと思う。それが出来る状況をTSWでつくりたいのだと思う。
なぜなら私と関わった全てのTSWな人に「親切な行為が出来る」だけではなく「親切な心の持ち主になって欲しい」、すなわち「育って欲しい」と思っているのだもの。