3月
09
熊野詣で その参

その日のお昼ごはん
めはりずしの箱
 
 
 

私が一番最初に和歌山に来たのはもう20年ぐらい前になるか。
奈良県と三重県と和歌山県の三県の境にある瀞峡(どろきょう)というところにある瀞(どろ)ホテルに泊まったことがある。なかなか風情のある木造の建物だった。
ここここなどを参考に…。(でも今は休業中のようです。)
 
 
 
 

その時に食べたのがこれ。
めはりずしのなかみ
 めはりずし。今回もそうしてみた。わざわざ店の看板を探し、地図を確認する。走ってみたが迷った。それではナビ様のお出まし。なんてことはない、すぐ見つかった。
 お店でも食べること出来るけれど、テイクアウトをお願いする。待つこと15分くらい。
 高菜の漬け物でくるんだおにぎりと言えばよいか。大きすぎて目を見張るくらい大きな口を開けないと食べられないからめはりずし。これはそこまで大きくはない。
 うーん。20年前と味が変わっていたような気がする。醤油が強い。
 他のものでは鰹節がまぶしてあったり、でいろいろバリエーションがあることをこの20年で知ってしまったからかな。

 我が家でも自家製を作ろう、バリエーションを増やそうと、高菜の漬け物をスーパーで買うことにして、実際には道の駅で購入した。九州の高菜漬け使ってもおもしろいかも知れない。

3月
09
熊野詣で その弐

 熊野大社は和歌山県にある。
 そこに行くには、愛知県からだと伊勢自動車道などと後半は国道42号を使って三重県をとにかく南下する。
 三重県には木曽三川を渡らなければならない。木曽川、長良川、揖斐川。どれもでっかい。だからこの三つの川を渡るとまず愛知県と文化が違う。

それはその壱で書いた「なんとか1年」生きていけるようになった仕事で痛いほど知った。職場は桑名だったのだが文化や風習が違うというのはこういう事なんだ、と実感した。

 さらに和歌山県と三重県の境に熊野川という大きな川があり、これも文化を分けているようだ。

 何が違うかというと、車の走り方が違う。三重県はどちらかというと「石橋を叩いて渡らない」感じ。だから、私は少しイライラする。のんびりしていると言えばそうなのだが。
 それが熊野川を渡って新宮市にはいると一転する。山道を走っているとすぐ後ろからせっつかれる。おやおや、と思って、脇に寄り先に行かせると、初心者マークを付けたオネーチャンがぐんぐん離れていく。「へぇ〜、三重県とえらいちがいだ、」と感心しているとまたすぐ後ろに着かれてパッシングされる。すぐさま脇によって先に行かせると、頭に手ぬぐい巻いたジーチャンがくわえタバコで軽トラかっ飛ばしてる。
 #言うまでもないが私は決してのろのろ走っているわけではない。

 大きな川は凄い。人の流れをコントロールし、人の意識を変え文化を変えるんだ。

 さて、熊野大社(と速玉大社)では手を合わせながら色々な決意と報告をした。

お願いをするのではなく、自分自身の気持ちを込めて報告することについては、何かの番組で誰かが何かを言った(何のことかさっぱり判りませんね…)のを聞いて「なるほど〜」と思ったから。それ以来そうしている。

 自分のことだけでなく。もちろんTSWのことも。みんなのことも。演奏会のことも。今回は決意表明が多いかったな。

 抜けるような快晴で、雲一つ無く春のような陽気だった。私はバンドをやれている幸せを再確認した。そして一つだけお願いした。「それがずっと続きますように!」

3月
09
熊野詣で その壱

 この時期に熊野詣でをするようになって何年になるだろうか。

 初めは、前任校(T邦)を辞めた後、毎日の生活に詰まり「この先どうしようか」というせっぱ詰まった状態の時だった。気晴らしに、話題になっていた熊野古道を歩いてみたくて、それだったら出来るだけ本宮(熊野大社)に近いところを、そして最後には熊野大社を詣でよう、と考えて中辺路あたりをゆっくり歩いたのだった。

 とても苦しいときだった。古道を歩きながら色々なことが頭を巡っていた。厭世観を強く持っていて、それこそ山にこもりたいと思っていた。しかしそれも実現できない不甲斐なさや、だったら自分の社会的責任を果たせよ、という内なる声につぶれそうになっていた。なにより明日の生活をどうするかが最大の難問だったのだ。

 その帰り道、紀宝町の道の駅で車中泊をしている時に、とある仕事依頼の電話があった。単発ではない少なくとも1年継続する常勤の仕事。「とりあえず、これで命がつなげる!」と、次の日に指定された面接にそこから直行したのだった。

 その時以来、毎年来ている。ある年は熊野大社だけ、ある年は速玉大社、熊野大社、那智大社の三山をと、様々に巡ってきた。
 今年は本宮だけ、と思っていたのだけれど、たまたま新宮で道を間違えて速玉大社の真ん前に出たのでそちらも参ってきた。
 石段を登り行き着いたところにある熊野大社。
熊野大社1
お社はそんなに大きいわけではない。しかし何故か私はそこに立つと凛とする。
 
 
 
 

 毎年干支の幕があり今年はこんな感じだった。「をぉ!」今の私の気持ちと全く同じ。
熊野大社2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
熊野大社3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
そしてこれ。
豊川稲荷のダキニシンテン様と仲がおよろしいのかどうかが少しだけ不安だけれど。ヤタガラス様。
やたがらす

 なぜ今年も行ったかというと…。

 最近のある朝、駐車場から学校へ歩いているとき、電柱にとまっている一羽のカラスが私に向かって鳴いた。そして「熊野へ行け」と言っている気がした。
 超常現象を信じる私ではないが、急に突飛なことを思いつく瞬間があり、じぶんで面白がって実行してみたくなるときがある。
で、行ってきた。

信じた?

3月
07
来週

から練習再開。
まだ期末試験が一日、月曜日が残ってはいるけれど、その午後から始まる。

この試験休み中に少しずつだが定期演奏会に向けて、またその後の体制について準備をしてきた。傷ついたところを癒してきた。
これで一気に動き出すことができるだろうか。

NGOの全開で練習開始して良いか?みんなついて来てくれよ。着いて来てくれよ。憑いて来てくれよ。
頼むぞ。おねがいだ。タノミマス。

TSWの諸君。言うまでもないと思うが、私はあなた達と毎日真剣勝負をしている。強すぎて困るくらい全力であなた達に向かっている。120%純粋だ。みんなにとってはありがた迷惑な話だけどな。
でも、それは私のあなた達に対する思いの強さの現れ、そのことは常に忘れないで欲しいゾ。

世の中純粋なだけでは済まない世界がたくさんあるのに、TSWの中では本当に純粋でいられる。私はその幸せを絶対忘れない。ありがとう。

3月
06
挨拶

TSW諸君に挨拶の話をすることが良くある。

ついこの間もそのことで一悶着あったね。
実はその背景がある。どうしても私はこだわってしまうのだ。

今私が住んでいる場所は微妙な、絶妙なところで、名古屋という大都会の東の端っこ。ド田舎ではないが都心でもない。
そこに越してきた頃、散歩してると誰でも親しく挨拶してきた。もちろん今もそうだが、その時は田舎だから、みんな人が良いのかな、くらいに思っていた。しかし、宅地開発でどんどん新しい人たちが流入している場所なのだから、昔からのド田舎では無いことに気が付いた。新しいお家の人たちもとっても気持ちよく挨拶する。もちろん子供達もそうだ。

その前は名古屋市内地下鉄の駅徒歩約2分のところにいた。ま、都会だ。それでも近所の人や行き交う人と挨拶してた。殺伐とした大都会だからこそか、知らない人同士でも、何となく会釈し、声を出していた。それが当たり前だった。

この地に勤務するようになって先ず初めに思ったことは、挨拶がないこと。
街を行き交う人同士挨拶がないと思った。(気を付ければ少しはあるよ、ちゃんとね。)
同僚でさえ、ない。お互いが言わないのではない。こちらから声をかけてもスルーされる。目を合わすことさえしない。その現場に居合わせたスタッフが憤慨していたこともある。

2年経った今でもそうだ。外で、だったらまだ判らないでもない。
しかし職場の中(建物の中!)でもそうだ。
おれ、何か悪いことやったかな?失敗したかな?そうじゃなかったら相当嫌われてるのかなぁ?と自分を責めてみる。
関わることを拒否されているように感じてしまう。
よく、都会だからそういった人と人のふれあいがない、と言われるけれど、実は逆なんだと気が付いた。
都会は、だからこそ挨拶することに敏感なんだと。
そうか、ここは田舎なんだ。精神的田舎なんです、きっと。

最近はめんどくさくなって、郷に入れば郷に従えで「ま、いいや」になっているけれど、やっぱり何かおかしいと思う。

だから、TSWの諸君がさわやかな挨拶が出来ないと気になるんだ。
閉鎖された空間や風習の中で、「それでよい」と何の疑問も持たないと、もっと広い世の中に出たときにとても恥ずかしい思いをする。

あなたたちはそうなって欲しくない。
挨拶する、挨拶したい気持ちをきちんと持って欲しい。

3月
05
慣れない言葉

「俺を信じて着いて来い!」

自分の足で大地を踏みしめて歩く大切さ。
自分で道を切り開く大切さ。
自ら段取りを付ける重要性。
頼るものは自分自身。

それぞれ意志を持ったパーツ。またその集合体の凄さ。
はからずして同じ方向のベクトルを持つ集団。
価値観の猿真似は許せない。
金魚のうんこは嫌いだ。

俺はそんなにたいした奴じゃない。
背負いきれなくてこけたらゴメンな。

なのに言ってしまった。決死の覚悟はある。全てを背負う宣言。
ダメだったら心中だぁ。(って思うのは自分だけ?)
そもそも嬉しいと思ってくれただろうか?(…思ってくれなければ困る…)

そう言ったことに対して、話したり議論したりするのだろうか?
皆の話題になって深めたり、盛り上がったりするのだろうか?
孤独な独り相撲で終わるのかな?

でも、出来ればそれに甘んじて欲しくないな、やっぱり。
早いうちに自分の足で歩き初めて欲しい。自分の頭で考えて欲しい。
なぜなら君たちとはずっと対等でいたいのだ。

3月
04
Resonance

レゾナンス…。
共鳴。共振。共鳴・共振すること。

何と何が?
もちろん、私とTSW。

でも、多くと同時に共鳴・共振することは最大公約数的ではないはずだ。
それぞれ特定多数の個と同調し、さらに全体としての共鳴・共振が出来るのなら理想だ。

ただResonanceの一方ではInterference(干渉)が必ずついて回る。
打ち消しあって ゼロ になる場合だってあり得る。
注意することで回避は可能なのだろうか。それともある程度は見込んだ覚悟がいるのだろうか。

昔、フェイザーシフトエフェクトのかかったffのトランペットユニゾンが心地よかったことがある。
しゅわ〜〜〜ん、っていうんだよ。音波の位相のずれでなるんだけどね。
人数たくさんいると大丈夫なんだよ、きっと。

…バンドだから、結局はトータルで考えるしかないんだろうと思う。

3月
02
後援会

後援会の集まりがあった。

最近、私がTSW部員をイジメる(?)から、お怒りやお叱りをいただくことを当然覚悟していた。
(本当にそう覚悟していたんです)
しかし、実際は違った。とても暖かく理解のあるお言葉をたくさん頂戴した。
「このバックヤードがあるからTSW部員が育つんだ!」と強く思った。私の力なんか全く取るに足りない。絶大なる力。素晴らしい。

その後の懇親会もとても楽しく充実していた。こんな自分でも何かお役に立てているのかも知れない、と少し自惚れてみる。
もちろんすぐに現実に引き戻されて、ダメダメで困ったちゃんな自分なのだけれど。

3月
01
久しぶりに

まだ日のあるうちに我が家で過ごしている。
犬の散歩に行き、梅が咲き出していることに気が付く。
オドリコソウやホトケノザが日溜まりで咲き出している。
ケリが耕した田んぼをつがいで歩いている。
風は冷たいが、日は暖かい。
そう言えば今朝の睡蓮鉢は凍っていなかったっけ。
春はすぐそこ。
あっという間だ。

また一年、同じように巡る。
私もまた変わらず一日往復140kmを繰り返す事になりそう。
円を描く道はなかなか螺旋階段になってくれない。

でも、自然界では、しばらくすると冬を耐えていたあらゆる命が一斉に動き出す。凄いな。

2月
29
神?

洋物の音楽映画を見ていると、必ず出てくる「神」の存在。
最近いくつか連続して映画の中でそのことを目の当たりにして。
人を超越した絶対的な「神」の存在が人自身の行動の規範や制約となり、音楽も神からの啓示を受けて創造される。(と信じている。)
 「神」というもの(偶像があろうとなかろうと)が、自身の向かうべき目標や信じる対象となり、神の名においてすべての苦労は試練として昇華されてしまうのだ。「神のご意志」「神の思し召し」が人の意識を支配し、人はその手のひらの上で俗世を生きる。

さて、私には私を支配する神が存在するのだろうか、と自問してみた。
今まで自分は無宗教だと思っていた。なぜなら、最終的に自分の行動を決するのは自分以外にいない、と信じているからだ。

実家には仏壇がある。我が家にも亡き者を弔うスペースはあり、花を飾り食べ物を供え手を合わせる。しかしそのことが日常の自分の行動規範になっているかと考えると、漠然と大きなくくりで何かあるような気もするが、具体的なことはあまり思いつかない。
また、日本には古来より八百万の神がいる。大きな樹木や岩や滝や世の中のすべての物に精霊がつき、人はこぞってご来光を拝む。
自然崇拝。決して私は嫌いではない。むしろすばらしい景色に遭遇すると神々しさを感じ、ああ、自分は日本人だなぁ、とうれしく思う瞬間がある。
しかしこれでも、日常の行動規範としては弱いのではないか。自然を大切にする気持ちとか、畏怖を感じる場所とか、それによって身を引き締めよう、などと思うことはあるだろうが、直接的に日常の具体的行動に直結することはさほど多くないと思うのだ。

とらえ方を変えて「自分自身の思考や行動を支配する何か」と、別の思いを巡らせてみた。

で、気がついた。私にとっての神は音楽だ、と。
いやいや、そんなにかっこよくないし簡単明瞭ではない。
ただ、「私にとっての神は音楽だ」と考えるといろいろなことが説明できるんじゃないかと気がついた。
私は、すばらしい理想の「音楽」の実現と人の生き方をオーバーラップさせて説明することが多い。我を忘れて時間を忘れて話し込んでしまうほど(聞かされる者にとっては迷惑な話だろう)、皆に一番知ってほしいのはそれだと思っている。

私にとって音楽とは、無条件で信じ、目指す事なのだ。
信じ、目指し、理想の音楽を実現するために、自分がどうあるべきか、どう考えるべきかの根拠をそこに求めている。すなわち自分の行動の規範が生まれる。

そうだ! 信じることにより規範が生まれるのだ。
そうか、私がTSW部員達に理解してもらいたいのはここなのだ。
やっと自分で整理できてきた気がする。

しかし、まだ音楽経験の浅いTSW部員達に、いきなり「音楽の奇跡を信じよう!」と言ったところで何のリアリティもないだろう。
世の中の大半の吹奏楽部員が絶対的に信じることは、「目指せ普門館!!目指せ全国大会!!」なのだろうと思う。
わかりやすく信じやすく目指しやすい。皆が同じ向きになるためにこんなに効果的なことは無い。私もよくわかっているつもりだ。
しかし、私はそれを「本質ではないと」言い放ち、決して潔しとしない。なんと愚かなことだと思う。「信ずべき物」の選択肢を減らしているのだ。
だから、TSW部員は悩み苦しみ混乱する。

心から信じてほしいものになかなか到達できない苦しさ。
みんなそこまで行きたいのに。

大切な物は目に見えない。
大切な事は聞こえない。
大切なものに触れられない。 …。

このジレンマ。

信じるものがない状態でめいっぱいやれ!って言うのは酷だよな。
すべての行為がただその瞬間をやり過ごすための作業にしかならない。あるいはその作業すらあきらめ、首をすくめてひたすら嵐が過ぎるのを待つ、そんな印象を強く持つ。

少しずつ、ぼんやりと、見えてきているようでもあるがまだまだ半信半疑だし、すぐ見失ってしまいそう。

信じるべきことを、どうやって理解したら良い?
信じることを確固たるものにするには何をしたら良い?
それぞれの神をどうやって見つけたら良い?

神?