12月
09
カリンが欲しくなったので

飯田まで行った。
飯田まで行かなくても何処でも手に入りそうな気もするけれど、「そこまで行く」ということが一つのイベントだから。
テスト期間中で練習は休み。土日が休日っていうのはすごいことなんだな、と改めて思う。

(普通はそれが毎週続くんだよ。 …俺は?って思うこともあるけれど、みんなと音楽できることはそれ以上に大切だ。)
先週も修学旅行代休やらテスト週間で金土日と休みだった。2週間続けてきちんと週末に休業できたんだ。TSWに来てからはじめてだ

先週は南紀のミカンが欲しくて尾鷲まで行った。本当は熊野まで足を伸ばすつもり(行けるのだったら新宮まで行きたかった!)だったけど、帰ることを考えて尾鷲までにした。
尾鷲のみやげ物やの店先で山済みしてあるミカンを見つけ、小さい玉を10Kg買った。小さい玉のほうが味が凝縮しているはず。「皮がゴツゴツしているものは甘いよ」と教えてもらう。
美味い!! 味が濃い。 
なぜもっと買わなかったのだろう。1週間経ってもう既になくなりかけている。

で、今週はカリンだ。カリンはそのまま食べるのではなく、蜂蜜につけたり果実酒にしたりする。

飯田の街中は、いたるところがりんごの街路樹で赤い実がなっている。
これ、採って食べたら罪だろうか。落ちている実を拾って食べたら罪だろうか。
イチョウの木の下で銀杏拾っている人はあちこちで見かけるが、それで捕まった話は聞かないよな。

りんごもジャム用にたくさん買い、洋梨も買い、飯田からR151 経由で途中野菜などを入手しながら愛知県に出てそのまま豊川まで南下。カリンを漬ける蜂蜜も手に入れ東名高速で我が家に向かう。

  飯田近辺の伊那谷には「てんぷら饅頭」という代物が存在する。それはまたのお話。

12月
09
なんとう餅

〜〜沖縄修旅でGET! 食材シリーズ4〜〜

 岐阜の東濃に「からすみ」という和菓子がある。珍味ボラの卵巣ではない。米粉の煉り菓子だ。たまにスーパーで「生せんべい」という黒と白の市松模様シート状の薄っぺらなものを売っている。名古屋のういろもその系統。
 それらは実は私の大好物の一つ。黒糖だったら尚良い。
 …私の病気の最大の原因ですな…

 さて、那覇の公設市場に行く平和通りでの途中、左側に「やまや」という餅屋があった。特に観光客相手にしているようでもなく道にカウンターを出してはいるものの静かなたたずまいである。そのカウンターの上に何かしら葉にくるまれたものがある。
むーちー
検討するまでもなくこれは好物のはずである。
「むーちー」というらしい。葉っぱは月桃(げっとう・サンニン)という植物のものらしい。むーちーの説明はこのあたりをどうぞ。

欲しくて随分悩んだ。
「どれくらい日持ちする?」
「常温で3日ぐらい。」
「3日後の飛行機で帰るのだけれど…」
「微妙ですねぇ。保証は出来ないな」
 …うーーん。残念とあきらめかかったところで別のものに目がいく。
なんとう餅
「なんとうもち」
こちらは見るからに黒糖仕様で、しかも真空パックされている。
「こっちは?」
「これだったら日持ちするよ」

というわけで即お買い上げ。
まだ食していない。月桃の葉も入っているようなのでその風味に興味が持たれる。

報告は後日。乞うご期待!

12月
09
しまハバネロペースト

〜〜沖縄修旅でGET! 食材シリーズ3〜〜

 「ゆず胡椒」が有名になってきた。

 我が家ではかなり前から「ナベ」の友である。自家製を作っていた時期もある。ただし青唐辛子の旬とゆずの旬が若干ずれているために作るタイミングが難しい。
 今では唐辛子の塩漬けを作って冷凍したり、ゆずを搾り果汁だけ冷凍したりで、それぞれを保存しておいて後から必要なだけブレンドするようにしている。
 最近では「かぼす胡椒」とか「すだち胡椒」とかバリエーションも増え、また同じような辛み調味料で新潟の「かんずり」というものもある。
珍しく手に入り辛かったこういったものも、最近では普通にスーパーで売っているのを見かけるようになってきた。食がゆたかになることは良いことだと思っている。

 冬になって鍋の季節になるとこの手の調味料はとても重宝するので、別にどうって事はないけれど目についたので購入した。
ハバネロ
 一応特産品らしいぞ。ハバネロと泡盛となんやらが原材料。
 次回「ナベ」の時に披露されるであろう。

12月
08
日常の活動から

 私がTSWと関わるようになって2年目。よく考えるとまだ2年未満なんだな。
 とはいっても振り返ってゆっくり考えると、本当に急激な変化をしてきた、と感心するばかり。

 人数が集まらない、なかなかメンバーが定着しない、まだまだ技術力が足りない、など悩みはつきないもののそれでも奇跡的な変貌を遂げている事は確か。メンバーはその変貌に対し大いに自信を持って良いと思う。

 みんなの人としての成長が本当に素晴らしい。まだまだ発展途上ではあるけれど、当初予想した段階をいつの間にか遙かに超えている。それは学年毎に書いている日誌を見てもよく判る。

(日誌より)
〜前略
その人は4年後かーって言いながらなんか真剣に考えてたけど何も言わんかった。あたしはなんだか行きあたりで生きている気がしてきた。あたしは意味のある生き方がしたいと思った。その意味をみつけられる生き方がしたい。
後略〜

自分と向き合うことは実に怖いし難しい。でも、自分で自分を確かめたい気持ちの表れだよね、きっと。自分って何?何のために生きるの?って。

(日誌より)
〜前略
出逢ってくれた人みんながいていまのアタシがいると思います。そして信頼できる人に出逢えたことは、偶然とかたまたまとか運命?かわからないけれど必然で決められたことだって思いたいです。もっと早く出逢いたかったなんて言いたいけれど言えません。出逢えただけで嬉しいからです。
後略〜

自分とそれ以外の人。またその関係。そしてその上で自分が存在するという感覚。一人ではないという確信。

決して、TSWの活動だけが影響しているのでないだろう。それ以外の様々な経験によってこのステージまで来ることが出来たのだと思う。でも、ほんの少しでもTSWと関わったことが生きているならばそんなに嬉しいことはない、と心から思う。

12月
08
ジャンクフーズ

〜〜沖縄修旅でGET! 食材シリーズ2〜〜

 どこのコンビニに入ってもだいたい存在する。つまみ売り場にあることが多かったかな。

わけの判らない健康に悪そうな2級品おやつは嫌いではない。
ジャンクフーズ
    ミミガーチップス
    砂肝ジャーキー
    鳥皮ジャーキー
    などなど

 これはこれはそそられるネーミングではないか。小さな袋で手軽な値段なのでいくつか買ってみた。

 決して愛犬セロリのおやつではありません。人間が食べます。

12月
07
ゴーヤ入り黒糖パン

〜〜沖縄修旅でGET! 食材シリーズ〜〜

どこかでも書いたけれど、黒糖好きです。
 

これとは全然関係ないけれど、信州にいろいろな蜂蜜売っているところがあって、そこには「蕎麦蜂蜜」がある。友人は「まずいから」という理由で私へのお土産にするのであるが、なぜか私は美味いと感じる。黒糖の味と似ている気がするから。

 

さて、沖縄ではサトウキビ原料の黒糖(黒砂糖)は当たり前に何処でも並んでいる。しかも今では全国どこのスパーでも手に入る。だから黒糖ものは通常では手に入りそうもない珍しい品を探すことになる。

で、行き当たったのがこれ。
ゴーヤ入り黒糖パン
直径5センチくらいなんだけれど黒糖でカチカチ。歯が立つのかな、と思うくらいカチカチ。
しかもゴーヤー入りときた。どこにどうやって入っているのだろう。気になって仕方がないので購入。

想像は出来るのだけれど、果たして想像通りだろうか?

12月
05
修学旅行SP 3

2007年11月末修学旅行中の2年日誌に書き込んだものを若干補筆して公開します。

 移動中のバスの中。案外揺れるんだな。書きにくい
 時間が過ぎて飛行機の中

 
 吹奏楽の可能性について
 私は大きく3つあると考えています。

1)芸術性
2)大衆性
3)教育性

1)は音楽として純粋に極め本物を目指す事。よく吹奏楽はオーケストラの二番煎じという人がいる。確かにオーケストラの曲を無理矢理吹奏楽でやる場合が多いからそう言われてもしょうがないと思うこともある。
 しかし、吹奏楽には吹奏楽独自の可能性があるんだ。決して妥協の産物ではなく純度の高い音楽表現形態として機能できる。吹奏楽は「ガッコウのぶらすばんど」だけではない。みんながあまり知らないからと言ってやらないのはマチガッテイル。

 かつて私のバンドのために新曲を書き下ろす事が何度もあった。私自身のへぼい曲もあるけれど、すばらしい作曲家達が吹奏楽の可能性を十分に引き出したすばらしい曲を創ってくれた。
 いずれ近いうちにそういった曲をTSWで再演するつもりだ。さらにTSWの為に新しい曲を作って頂く事もあるだろう。その時にTSWは作曲家のどんな要求にも応えられるハイレベルなバンドになっていなければならない。なんと言っても世界初演になるのだからね。

2)は1)の「狭く深く」に対して「広く浅く」だ。
 もっともっとたくさんの人に音楽の楽しみを知って欲しい。吹奏楽っておもしろいね、って思ってほしい。こんな世界もあるんだ、と興味を持って欲しい。
 かっこよく言うとエンターティメント性だな。だからTSWはマーチングをやる。理屈抜きでおもしろく楽しいもの。ショーだね。イルカの曲芸やサーカスと同じかも知れない。でも、よりたくさんの人々に楽しんでもらう事はとても大切なことだ。
 1)だけでは一人よがりになる可能性がある。そうならないためにこのことはとても重要だ。ファンを増やす事にもつながる。

 どちらかというと1)を期待する人たちと2)を期待する人たちは少し違うから両方ともファンにしたいのだよ。
(前に書いたけど私は欲張りだからね)

そして3)
 これはまさに今君たちが実践している事。吹奏楽をやる事によって人間としてよりレベルを上げる事。でもこれは「高校3年間」とか「学校のブカツ」とか限られた時期だけのことを言っているのではない。一生続くんだよ。
 つねに心に音楽がある生き方。幸せをもっと増やす生き方。それを吹奏楽を通して実践して欲しい。

 この3つの可能性、それぞれ無限です。
 コンクールで金賞とったり全国大会に出る事も大切です。(本当に行きたい!!って思う)
 しかし、それらを超える吹奏楽の可能性を広げたい。君たちといっしょにそれをやりたい。目指したい。
 
 もしかしたら今の君たちはまだまだ自信がないんだろうな。
 でもね、普段の生活の中で、今まで見えなかった事や物が見え始めてきているんじゃないかな?
ちょっとした時、ふと気がつかない?
「あ、それじゃダメじゃん」とか「いまこうしたほうが良いと思うのに…」とか。
その一つ一つに自信を持とう。方向は絶対間違っていない。たまに判断ミスするときがあったとしてもそれが大切。次直せばよい。
 この旅行中でもいろいろ感じた事考えたあるんじゃない?それをゆっくり思い出してこれからの行動に活かしてください。
 

 まだ30分くらいある。
 飛行機の中で半分以上の人が寝てる。
 無理もないよな、と思うけれど。

 何度も書くけれど私にとってこの4日間は1日に目の朝が早くて大変だった以外、普段に比べれば数段楽ちんでした。
 毎日血糖値計っているけれど普段より数字は良くて快適ですし。
 …担任じゃないからだね。

 
 で、何が言いたいかというと、レベルの話。
 昔合奏の中で「相対」の話をしたのを覚えてる?

 仮にこの旅行中のしんどさレベルは皆同じだったとしても、普段と比べると人によって高く思えたり低く感じたりする。
 しんどさレベルと同じように考えて

 ・本気レベル
 ・能率度レベル
 ・理解レベル
 ・
 ・

  いろいろな言葉を当てはめてみてください。
 そして、その時その時のレベルがどんな感じなのか、自分はどの位置にいるのか、良く考えてみましょう。

 どうですか?
 まだまだやれそうですか?
 もう限界ですか?

 イキナリ無茶はしてもダメだけどレベルを上げていかなければずっと低空飛行のままだよね。すこしずつレベルを上げよう。

 いつも言うけれど「吹奏楽部は学校のリーダーにならなければいけない」。個人としてももちろんだけれど、団体・集団としてのリーダーになって学校を引っ張っていく使命を持っているのが吹奏楽部。なんと言っても学校の看板背負って街に出て音を出すんだからな。学校の顔だ。

 ある人とお互いの前任校の話をしていてやっぱり強くそう感じた。
 その前任校は吹奏楽の世界では超一流の学校なんだけれど、その部員達はやっぱり学校のリーダーだったという話だ。クラスでも活躍するし卒業してもそう。ずっと続くんだね。

 今の君たちはもうすでにはじめの一歩を踏み出して進み始めている。後戻りは出来ない。
 この飛行機が飛び始める時のように。滑走は終わって少し空宙に浮き始めている。あとはどんどん高度を上げていくだけ。あのぐいぐい昇っていく感じ解るよね? シートベルトして席を立てず少し不自由だけど高く上昇して安定するためには必要な事。ここでエンジンの力が出せなかったら飛行機は落ちてしまう。

 気を抜かず、力を出し続けよう!
 私もやるよ。君たちがいるかぎり。

12月
05
修学旅行SP 2

2007年11月末修学旅行中の2年日誌に書き込んだものを若干補筆して公開します。

 バスの中。まもなくホテル到着だそうです。
 到着しました。昨日も書いたけど私には時間が全然足りないな。水族館なんか1日中居ても良い。説明全部読んで一つ一つじっくり見たいから。

 新幹部決まりました。もっと早い段階からスタッフや3年生と相談していたのですが、ぼやぼやしてて遅くなりました。すいません。
 今のTSWのみんなはそれぞれ個性があってクラブの中の大切な位置にいます。役がある、ないに関係なくみんなかけがえのない一人一人です。だからそれぞれの立場や役割をきちんとこなして協力しあって欲しいです。

・前に出て全体を引っ張る人
・やり方や方向を考える人
・それぞれの練習や行動の計画を立てる人
・人と人の間に入ってつながりをスムーズかつ強力にする人
・フォローする人(後輩や弱い立場の人などを…)
・顧問やスタッフの意志を正確に把握できる人

  いろいろな立場でしかしみんなが一つの方向に向いている事。
  そしてみんながいっしょうけんめいTSWの事を想い、たくさん練習し、少しでも進歩すること。

 人間どうしだから何かやろうとすると必ず気持ちがぶつかります。一人一人名前があり顔が違うのと同じように考えていることが違っているのは当たり前です。
 だから、正当な主張なのか? 個人のわがままなのか? 悩みながらでも言葉にして伝えなければ、体を動かして行動しなければ次のステップに進みません。衝突や失敗を怖がってはダメです。でも優しさがなければもっとダメです。

 ぶつかって、ぶつかって、ケンカして、言い合いして、またぶつかって…。人の意見聞いて、納得したり、反発したり、そんなことしていくと長い時間をかけて少しずつ人のとんがった角がとれて、まるく優しい人になります。人の痛みがわかる立派な心の持ち主になります。

 いつも言っているように「アンサンブル」は上に書いた人と人とのぶつかりあいの縮図です。そこには人でなければ出来ない高度な社会があります。
 それが出来たとき(その世界を実現できるような演奏をしたとき)そこにいるすべての人々(演奏者やお客など)が至福の時を感じるのです。

 それは本当に純粋な(プラトニックな)「愛」なのだと思います。すばらしい演奏が出来たとき、指揮者も演奏者も(作曲者も)観客も裏方も、すべての人が渾然一体となった時のあの至福の一瞬。恍惚の極み。(高校生つかまえて何言ってんだ、ってことですかな…。)
 それぞれがすべての人に向かって発するあふれんばかりの「愛」
 

 だからオキナワのガイドさん達に涙したのですよ、私は。
「平和であって欲しい」という心の底からの気持ちがひしひしと痛いほど伝わる。
それはやはり「愛」だと思うのです。すべての人間に対する「愛」。

 そうそう…、ちゃんと伝えましたよ「オキナワのガイドさんはすばらしい」「とても大切なことを誠実にやっている。感動してウルウルしちゃいました。」ってね。「ありがとうございます。でも、とっても難しいです。どこまで解ってもらえるのか、私の説明で良いのか、不安ばかりです。でもそう言っていただいてとてもうれしいです。これからももっと勉強します。」って返ってきました。たまたますばらしいガイドさんに当たったのかも知れないけれど、こういった出会いも幸せの一つなんだよね。

 
 そこには「決まった形」なんかない。「こうでなければならない」というものはない。それぞれが、それぞれの考えをもとに、それぞれいっしょうけんめいやること。他の人と同じであることが大切なんじゃない。違ったこと考えでも別の行動でも向かうべき頂点が同じならそれで良いのじゃないか。それを認め合って目指すべきところを目指せば良いんじゃないか。
そんな部活動にしたい。そう思います。心から。
 

今までに皆に言ったことあるけれど。

 私はかつて、吹奏楽界を捨て、バンドを捨て、バンドのメンバーだった高校生を捨てました。当時は吹奏楽の世界にいるのが辛く、また自分が教員をやっていることは間違いだと真剣に悩んでいました。だからそうするしかないと思っていましたし、実際に辞めた時はとてもすっきりした気持ちになったのを覚えています。
 しかし時間がたつにつれ「とんでもない事をしたんじゃないのか?」と思うようになりました。自分はとても恥ずかしい人間なんじゃないのか?と感じ始めました。自分の役割ってなんだろう? それってちゃんとやれてるんだろうか? と。
 逆に、悩みながらでも前任校のバンドでやっていたことはそれなりの意味があったんだ、こんな自分でも少しは役に立っていたんだと気づかせてくれた人たちがいました。立派になったかつての教え子達でした。
 そんな状況の中で少しずつバンドの仕事を引き受けるようになり、いつの間にか再度バンドをやりたくなっているのに気がつきました。そんな折たまたま豊川高校の吹奏楽をやることになったのです。
 取り返しのつかないの事をしたはずの私に、また吹奏楽をやり直すチャンスを頂いたのです。純粋で可能性溢れる高校生メンバー達と一緒に吹奏楽が出来るのです。

 同じ過ちは繰り返さない。私と一緒に吹奏楽をやってくれるメンバーは私のかけがえのないパートナーです。吹奏楽は一人では出来ません。私とみんなの関係は、実際には高校生とその学校の教師かも知れないけれどそんな事は遙かに超えて音楽する仲間なのです。
 同じレベルで音楽したいし楽しみたい。その為にキビシイ事を言うし要求もする。辛い練習も強いる。

 でもね、それは一緒にやりたいからなんだな。できあがった音楽は私だけの物ではない。そこに関わったすべての人々のものなんだな。
 だから私にとって豊川高校吹奏楽部のメンバーは一緒に音楽して幸せを共有する大切な仲間。私に奇跡のチャンスを与えてくれたかけがえのない宝物。
 

 こういう事、あまり普段言えないから今みたいな特別なときに書いてこうと思ってがんばって書いてみました。

 夕食後時間があるのでもう少し書いてしまうぞ。
 こんなに時間があるのだから絶対いつもより楽なのですよ、きっと。普段は全然こんな余裕無いぜ。
 こういう時間が欲しいな。それで、バンドのメンバーみんなと色んな事を話したいな。私が持っている事を少しでも多くみんなに伝えたいな。豊川高校の日常は私にとって忙しすぎる、と思う…。 ゼイタクかなぁ…。。

 
 難問にぶつかると「そんな事できるわけない」と思うのが通常。やりたい事がいくつもあると「一つに集中しろ!」といわれるのが普通。「でなければ中途半端になるぞ」ってね。
 デモ、私は欲張りだから全部やり遂げてやるーと思う。大変だし工夫しなければダメだけど人の何倍もやる事でてくるけど。
 デモ、私は欲張りだからすべてやりたい、と思う。

 みんなも、部活動や進路や遊びや恋愛や、そのほかすべての事に対して思いきりやったら良いと思う。貪欲になってほしいと思う。そしてすべてが自分自身への勉強だと思う。

 昔、高校生の時にやっていなかった事、やれなかった事は今ものすごく悔しい。やっとけばよかったって思う。ウソじゃないヨ。もちろん今でもやれば出来ることたくさんあるけれど、絶対出来ないこともあるんだ。

 今の毎日は苦しいと感じる事多いかも知れないけれど、当たり前にそういった事が出来る環境は今しかないんだ。チャンスは逃すな!!アンテナを常に張りどんどん自分に取り込むんだよ!!必要か不必要かは後で考えれば良いのです。若いうちに何でもやってみる!!

12月
05
修学旅行SP 1

2007年11月末修学旅行中の2年日誌に書き込んだものを若干補筆して公開します。

 夏休みより色々あってやっと一段落しました。いや、した、と思おうとしています。
 なぜなら、これからも必ず色々な大変な事はあるだろうし、しかも今までよりもっと大変な事かも知れないしね。
 しかし、それらすべてひっくるめて吹奏楽部の活動だと思っています。吹奏楽部っていうところは大変なんです。
 そしてここに残っている人たちはそれをやろうとしています。ある意味覚悟を決めています。それだけでもすばらしい事なんだよ。

 残念ながらこの数ヶ月の間に行動を共にする事が出来なくなった人たちもいます。理由は様々だし考えさせられることもあるけれど、しかしここを去ったことは決して非難される事ではないのです。人それぞれですからね。
 出来れば最後まで一緒にやりたかったけど…。ま、しょうがないね。
 

 さて、修学旅行中です。実は私はいつもよりずいぶん気楽です。いつもはそれだけハードなんだろうか。
 本当は訪れたところをゆっくり見たいしもっとそこに居たい。こういう旅行だからしょうがないけれどやっぱプライベートでゆっくり来たいよ。ガマも平和祈念館もひめゆりももっとちゃんと見たかった。その場で考えたかった。
 それでも見た事、聞いた事大切にしたいです。して欲しいです。遠足行った人、体験学習の人、オーストラリアの人、みんな同じ。一つ一つ体験した事を大切にしてください。

 
 またまたさてさて。
 本番ラッシュ終わりました。
 どうしても時間の使い方知って欲しくて随分無理しました。
 贅沢にたっぷり使う時間、反対に出来るだけ少しの時間でやる事。メリハリをつける事を覚えて欲しいと思っています。

 なんとなくダラダラ過ぎてしまう時間は本当にもったいない。だけど、ダラダラに体や心を休める場合も時には必要だ。そのバランスが実に難しい。
 緊張と緩和。ストレスと開放。このことは音楽で一番大切な事だと思っています。そして人の日常生活の中でも大切なんだろうと思います。ゆるみっぱなしではダメ。でも、つっぱりすぎると身も心も壊れちゃう。

 今、みんなはたくさんの事を急激に学習しています。進化しています。
 

 高校の生物の授業で進化を習ったときの事。
 生き物がだんだん進化して人間になったことを証明するためにこんな説明を受けた。
 脊椎動物は魚類→両生類→爬虫類(→鳥類)→哺乳類と進化してきた。
 魚類には「エラ」がある。両生類のカエルはオタマジャクシの時はエラがあるけれど次第にエラが無くなり肺が出来て成熟する。人間も魚から進化してきた道をたどって、胎児の時に一度「エラ」は出来るそうだ。しかし次第にそれは無くなり肺になる。人として生まれてくるまでにおなかの中で進化の道筋をたどる。
 卵の時はどの動物も細胞が一個だけ。生まれてくるまでにどこまで育ったかでどんな生き物になるか進化の度合いが決まる。

 
 さらにこの高校3年間の間にどれだけ進化するかが重要です。すべての生き物はたった一個の細胞から始まっている。皆同じ。進化させるための情報(DNA)も持っている。ポイントはその情報を十分に活かすこと。活かそうとすること。

 期待しているのです。必ず出来る。必ずやれる。貴方達なのだから。
 すばらしい世界がもうすぐそこに待っている。是非是非あきらめないで前に進み続けて欲しい。
 そこに行った人だけにしかわからない事がたくさんある。感じて欲しいし、知って欲しい。手に入れて欲しい。人として一番大切なことだから。
 

 この旅行で私はオキナワの「バスガイド」さんや「タクシーの運転手」さんに感動しています。なぜなら、あの人たち一人一人がとても立派な平和へのメッセンジャーだから。オキナワに来るすべての人に真剣に戦争の愚かさ、平和の大切さを呼びかけているから。決して通り一遍の説明ではない。話し方はとても穏やかだけれど激しい心の底からの叫びだと感じました。(バスの中で涙が出そうになった…)

 日頃何も書かないからたくさん書きたくなって続けています。

 ホテルのロビーです。上の事書いていたらガイドさん達がホテルに到着しました。今日はここに泊まりなんですね。明日ガイドさんに私の気持ちを伝えようと思う。伝えなければ知ってもらえないからね。

 
 私は音楽バカ、吹奏楽バカだから。
 生きるという事は音楽だと思っている。吹奏楽だと思っている。
 と同時に 宇宙だと思っている。

 そんな生き方がしたい。
 みんなと一緒に。

12月
04
世代交代

だいぶ時期がずれ込んでしまった。もっと早く済ませたかったのだが私の怠慢で作業が遅れた。申し訳ない。

TSWは吹奏楽としてはまだまだ総人数が少ないバンドだ。だからスタッフを決めていくと何かしら役が回ってくることになる。一人にかかる負担は大きいだろうと思う。
でも、音楽は人数ではない。一人一人のクオリティを上げ少人数だからこそ可能な繊細な音楽を目指したい。
役のついた人、つかなかった人、皆それぞれに期待する。