2007年11月末修学旅行中の2年日誌に書き込んだものを若干補筆して公開します。
バスの中。まもなくホテル到着だそうです。
到着しました。昨日も書いたけど私には時間が全然足りないな。水族館なんか1日中居ても良い。説明全部読んで一つ一つじっくり見たいから。
新幹部決まりました。もっと早い段階からスタッフや3年生と相談していたのですが、ぼやぼやしてて遅くなりました。すいません。
今のTSWのみんなはそれぞれ個性があってクラブの中の大切な位置にいます。役がある、ないに関係なくみんなかけがえのない一人一人です。だからそれぞれの立場や役割をきちんとこなして協力しあって欲しいです。
・前に出て全体を引っ張る人
・やり方や方向を考える人
・それぞれの練習や行動の計画を立てる人
・人と人の間に入ってつながりをスムーズかつ強力にする人
・フォローする人(後輩や弱い立場の人などを…)
・顧問やスタッフの意志を正確に把握できる人
いろいろな立場でしかしみんなが一つの方向に向いている事。
そしてみんながいっしょうけんめいTSWの事を想い、たくさん練習し、少しでも進歩すること。
人間どうしだから何かやろうとすると必ず気持ちがぶつかります。一人一人名前があり顔が違うのと同じように考えていることが違っているのは当たり前です。
だから、正当な主張なのか? 個人のわがままなのか? 悩みながらでも言葉にして伝えなければ、体を動かして行動しなければ次のステップに進みません。衝突や失敗を怖がってはダメです。でも優しさがなければもっとダメです。
ぶつかって、ぶつかって、ケンカして、言い合いして、またぶつかって…。人の意見聞いて、納得したり、反発したり、そんなことしていくと長い時間をかけて少しずつ人のとんがった角がとれて、まるく優しい人になります。人の痛みがわかる立派な心の持ち主になります。
いつも言っているように「アンサンブル」は上に書いた人と人とのぶつかりあいの縮図です。そこには人でなければ出来ない高度な社会があります。
それが出来たとき(その世界を実現できるような演奏をしたとき)そこにいるすべての人々(演奏者やお客など)が至福の時を感じるのです。
それは本当に純粋な(プラトニックな)「愛」なのだと思います。すばらしい演奏が出来たとき、指揮者も演奏者も(作曲者も)観客も裏方も、すべての人が渾然一体となった時のあの至福の一瞬。恍惚の極み。(高校生つかまえて何言ってんだ、ってことですかな…。)
それぞれがすべての人に向かって発するあふれんばかりの「愛」
だからオキナワのガイドさん達に涙したのですよ、私は。
「平和であって欲しい」という心の底からの気持ちがひしひしと痛いほど伝わる。
それはやはり「愛」だと思うのです。すべての人間に対する「愛」。
そうそう…、ちゃんと伝えましたよ「オキナワのガイドさんはすばらしい」「とても大切なことを誠実にやっている。感動してウルウルしちゃいました。」ってね。「ありがとうございます。でも、とっても難しいです。どこまで解ってもらえるのか、私の説明で良いのか、不安ばかりです。でもそう言っていただいてとてもうれしいです。これからももっと勉強します。」って返ってきました。たまたますばらしいガイドさんに当たったのかも知れないけれど、こういった出会いも幸せの一つなんだよね。
そこには「決まった形」なんかない。「こうでなければならない」というものはない。それぞれが、それぞれの考えをもとに、それぞれいっしょうけんめいやること。他の人と同じであることが大切なんじゃない。違ったこと考えでも別の行動でも向かうべき頂点が同じならそれで良いのじゃないか。それを認め合って目指すべきところを目指せば良いんじゃないか。
そんな部活動にしたい。そう思います。心から。
今までに皆に言ったことあるけれど。
私はかつて、吹奏楽界を捨て、バンドを捨て、バンドのメンバーだった高校生を捨てました。当時は吹奏楽の世界にいるのが辛く、また自分が教員をやっていることは間違いだと真剣に悩んでいました。だからそうするしかないと思っていましたし、実際に辞めた時はとてもすっきりした気持ちになったのを覚えています。
しかし時間がたつにつれ「とんでもない事をしたんじゃないのか?」と思うようになりました。自分はとても恥ずかしい人間なんじゃないのか?と感じ始めました。自分の役割ってなんだろう? それってちゃんとやれてるんだろうか? と。
逆に、悩みながらでも前任校のバンドでやっていたことはそれなりの意味があったんだ、こんな自分でも少しは役に立っていたんだと気づかせてくれた人たちがいました。立派になったかつての教え子達でした。
そんな状況の中で少しずつバンドの仕事を引き受けるようになり、いつの間にか再度バンドをやりたくなっているのに気がつきました。そんな折たまたま豊川高校の吹奏楽をやることになったのです。
取り返しのつかないの事をしたはずの私に、また吹奏楽をやり直すチャンスを頂いたのです。純粋で可能性溢れる高校生メンバー達と一緒に吹奏楽が出来るのです。
同じ過ちは繰り返さない。私と一緒に吹奏楽をやってくれるメンバーは私のかけがえのないパートナーです。吹奏楽は一人では出来ません。私とみんなの関係は、実際には高校生とその学校の教師かも知れないけれどそんな事は遙かに超えて音楽する仲間なのです。
同じレベルで音楽したいし楽しみたい。その為にキビシイ事を言うし要求もする。辛い練習も強いる。
でもね、それは一緒にやりたいからなんだな。できあがった音楽は私だけの物ではない。そこに関わったすべての人々のものなんだな。
だから私にとって豊川高校吹奏楽部のメンバーは一緒に音楽して幸せを共有する大切な仲間。私に奇跡のチャンスを与えてくれたかけがえのない宝物。
こういう事、あまり普段言えないから今みたいな特別なときに書いてこうと思ってがんばって書いてみました。
夕食後時間があるのでもう少し書いてしまうぞ。
こんなに時間があるのだから絶対いつもより楽なのですよ、きっと。普段は全然こんな余裕無いぜ。
こういう時間が欲しいな。それで、バンドのメンバーみんなと色んな事を話したいな。私が持っている事を少しでも多くみんなに伝えたいな。豊川高校の日常は私にとって忙しすぎる、と思う…。 ゼイタクかなぁ…。。
難問にぶつかると「そんな事できるわけない」と思うのが通常。やりたい事がいくつもあると「一つに集中しろ!」といわれるのが普通。「でなければ中途半端になるぞ」ってね。
デモ、私は欲張りだから全部やり遂げてやるーと思う。大変だし工夫しなければダメだけど人の何倍もやる事でてくるけど。
デモ、私は欲張りだからすべてやりたい、と思う。
みんなも、部活動や進路や遊びや恋愛や、そのほかすべての事に対して思いきりやったら良いと思う。貪欲になってほしいと思う。そしてすべてが自分自身への勉強だと思う。
昔、高校生の時にやっていなかった事、やれなかった事は今ものすごく悔しい。やっとけばよかったって思う。ウソじゃないヨ。もちろん今でもやれば出来ることたくさんあるけれど、絶対出来ないこともあるんだ。
今の毎日は苦しいと感じる事多いかも知れないけれど、当たり前にそういった事が出来る環境は今しかないんだ。チャンスは逃すな!!アンテナを常に張りどんどん自分に取り込むんだよ!!必要か不必要かは後で考えれば良いのです。若いうちに何でもやってみる!!