4月
26
言葉数

折々の言葉

何か話す時に、できるだけ正確に伝わるようにと思えば思うほどうまく説明できず無駄な言葉を重ね我ながら嫌になってしまう事が良くある。
言葉を重ねれば重ねるほど誤解の上乗せになるようにすら感じることもある。
だから、私は、自分の思ったとおり、イメージ通り、のことを他人に言葉で伝える力が本当に足りないのだ、と思っている。語彙も少ない。組み立ても下手だ。

簡潔な言葉で端的に物を言い表す事が出来る人を見ると心から底から羨ましい。

最近は、そもそも(できるだけ正確に話さなければ、というような)話し方が間違っているのかも知れないともっていた矢先、この言葉に出会った。

そうか、私は言葉が多すぎるのだ。正確に伝えようとすることで思いを押しつけようとしてしまう。
そのことによって人の想像力に任せる部分を狭め、さらに伝わらなくしてしまうのか。
妙に納得している。

だからこそ言葉を磨かなければ、と思う。
必ずしも難しい言葉ではなく。

これを書いていて何かパチパチと頭の中で化学変化が起きはじめているように感じる。どうやら言葉だけではなさそうだ。

12月
02
拾ってきた言葉 20181201

ネットの中から拾ってきた言葉。

それができないという人は、
それをやっている人を妨害してはならない。

– 中国のことわざ –

そりゃその通りだと思う。
だけど、人の妨害をするような(できない)人は、自身が「できない」ということをわかっていないんじゃないかなぁ。
それともわかっていてそれでも羨望ややっかみが妨害させるのかなぁ。

5月
06
民主的な社会に暮らす方法を

朝日新聞 折々の言葉 1101 (2018年5月6日)
から覚え書き

民主的な社会に暮らす方法を学びたいのならば、オーケストラで演奏するのがよいだろう

ダニエル・バレンボイム

鷲田さんのことば
 楽団の各パート(受け持ち)は、あてがわれた単一の機能を担う部品(パーツ)とは違って、他の演奏者の思いを量りつつ、追従したり、けしかけたり、互いに応じあう中で曲を作ってゆく。そう、他の人のために場所を残しながら、同時に自分の場所を主張すると、ピアニスト・指揮者は言う。A・グゼリミアン編『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(中野真紀子訳)から。(鷲田清一)

4月
16
5年前

と同じ感覚。
まずは、何かしたいのに何もできないもどかしさ、悔しさ、を痛感する。
そして、次に(直接関係がない事でも)今自分ができることを一生懸命やるしかない、という覚悟。

西宮市長のFB投稿

なお、出発した部隊のさらに後方の支援をおこなうこと、新たな支援の照会・要請に応えられる体制をとること以外には、日々これまでどおりの仕事を一所懸命することこそが、西宮市役所にできることだと思っておりますので、あらゆる活動に関して自粛等は致しません。

とあった。そうだよな、「日々これまでどおりの仕事を一所懸命すること」が唯一私にできることなんだ。

〜〜〜〜
一方で、先回の経験は生かされているのだろうか…。

TVはNHKの災害報道が付けっぱなしなっている。(釣りビジョンしか見ない私には大変珍しいこと!?)
報道ヘリはやっぱりうるさく飛んでいるらしい。
もっとも自分もTVでその映像を見て事の重大さを知ったりするのだから、全く必要ないとは言わない。でもリアルタイムな生中継が必要なほどでもないだろう。
それって現在はドローンでできるのではないの?人名救助とか物資運搬とかじゃなくて単なる空撮でよいのだから。何よりヘリより決定的に静かだ。しかも無人、自動操縦で。危険なところへも飛んで行ける。
番組見てると(釣りビジョンですら)とても効果的な空撮映像撮れてるよ。人間が行けるところまで手で持って行けるし。

も一つ。
災害放送のなかで川内原発の話題はほとんど無い。本当に稼働中止の必要がないのなら他の話題と同じように繰り返し流せばよいのに。少なくとも私は放送の中で一度も目にしていないので、放送できない理由がどこかにあって「きっと圧力掛かってるんじゃないの?」って思う。
とにかく、地震が収まってからまた考えればよいことなので「今は止めておく」べきじゃないのかしら。
こんなページ川内原発を止めてください。も。

3月
09
ようやく

手に入れた。
言語にとって美とは何か 吉本隆明 角川ソフィア文庫。?と?と。結局大手通販に頼った。

例の古本屋チェーンでは、方針が変わったのか、この手の本が店頭からどんどんなくなっているように感じてる。あっても値段も上がり気味。そういえば、端末ピコピコさん達も減ったような。高値で売れるもっと別のルートを見つけ店頭には出なくなったのかな、と密かに思っているのだが、どうだろうか。

なかなか読み進めていかないが、本の冒頭「文庫版まがえき」の4行目で
文学の作品や、そのほかの言葉で表現された文章や音声による語りは、一口にいえば指示表出と自己表出で織り出された織物だ、と言っていい。
と出てきて、のっけから自分の中の、ある種の感覚が「うぉ〜」と呻いた。
 

最近になって、自分に何かを取り込むやり方が少しだけわかったような気がしている。
どうやら「理解」という感覚ではなく、もっと奥底での変化(というか変容というか…)を感じることのほうが上手くいくようなのだ。
それは反復によっていつの間にか「身についている」事もあるし、一瞬にしてそれこそ「!」と閃くような時もある。
そこにはまだ明確な言葉が無い。言葉はもっと後から付いてくる。(ついてこれない場合もあるけれど…)
いままで、その感覚はあまりも感覚的すぎるので出来るだけ見ないふり感じないふりをしていたのだが、それを改め微細な感覚の変化をそのまま信じることにしたら、案外うまくいくようなのである。

で、「うぉ〜」は一瞬にして閃いた「!」そのもの。
直後、文字を追うことをやめると今まで持っていたものとチカチカと反応しはじめる。自分でも把握できない何かが起きているのだが、それを特に理解言語化しようとせずにじっと待つ。
そんなふうにしていると、いずれ何らかの考えが浮かんでくる。
それで良いのだ、と思うことにしたのだ。

子供の頃、本を読んでその物語の世界の中にどっぷりつかっているときと、ただ文字を追っかけているときがあることに気がつくことがあった。子供ながら、それは決定的に違うのだ、と思った記憶がある。

まだ言葉は浮かんでこない。自分の内部で何かしら変化が起きていることは確かなのだが。
読み終えるのには少々時間がかかりそうだ。

1月
29
12回

先週の日曜日は、第12回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTEでした。
参加した学校、団体の皆さん、ありがとうございました。
暖かく力強い、すばらしい合同演奏になったと思います。

毎回感じますが、皆さんから絶大なお力をいただきます。力とはもちろん音楽の力です。
そして、12年の年月をかけて育てられたものの大きさを想います。

来年はホール補修工事のため残念ながら開催できないそうですが、音楽で繋がった人達がさらに繋がり続けることを願っています。

12っていうのは、干支だと一回りだな。
練習後の立ち話で、私と同じ干支だけど一回り・二回り・三回り違う人達が同じステージに載っていることが判明した。さすがに四回りはいなかったけど、客席にはいただろうね。
五回り違うと還暦だよ。この企画もそれくらい続くと良いなぁ。

12月
13
揺れ

このところ揺れ続けている。
「このところ」といっても数年、いや十数年ずっと継続中だから特に珍しいことではないのだが。

めいっぱい前に進みたいと望みモリモリ動く時と、そろそろ潮時だし現実を見ようよ、と思う時との振れ幅は極端に大きくて、自分でも手に余ることが多い。(ここ最近は進む方向で安定していたはずなのだけれど。)
周期は全く一定ではなく、バイオリズム云々のような事ではないらしい。それは何故だろうとずっと思っていた。

ついに今日、思い当たる原因を見つけた。
見つけて大いに納得した。
そうだ、それに違いない。

それ自体は「状態」なだけで、問題はそこから次々と様々見えてくる障害の数々なのだけれど。

自分の弱さ、というか、覚悟の足りなさというか…。いや対処の工夫の無さ、が一番ダメなんだろうな。

とても単純なことでした。
ヒントはここに有り。最後の引用のくだり。薄々知ってたんだと思う。)

さて。
原因が判ったのだから、次はどう打開していこうか。
少なくとも「知らない」よりは確実に「強い」と思うから、進む方向はある。必ず。

11月
19
余韻

先日の日曜日の昼過ぎ、本番があった。あぁ、楽しかった。
その時はただそれだけを感じ嬉しかった。

実はその晩、なかなか眠れなかった。
ようやく寝付いて、浅い眠りの中で夢を見た。
今自分が考えていて、やろうとしていて、生きているうちに出来たらいいなぁ、と思っていることが実現している夢だった。
ハッと目が覚め、この夢は絶対忘れてはいけない、と強く思った。

それから、じわじわと、その本番の真の意味が理解できてきたような気がする。

私はかつて、創部昭和4年という希有な伝統を持つ、東邦高等学校吹奏楽部というところの顧問で毎日指導をしていた。
前任からそこを引き継ぐときに様々混乱があり、何も知らずに着任したとき私は全く孤立し、以来私以前との断絶は続き、しかしそのなかで伝統に見合う活躍をしなければならないプレッシャーと戦い続け13年ほどでそこを辞めた。

辞めてからやはり変わらない状態でさらに年月が経ったが、邦吹会という私以前の東邦高校吹奏楽部OBの方々が中心になっているBANDで本番を振ったのが先日の日曜日の昼過ぎ。この日この本番をもって続いていた世代間の断絶がとうとう終了した。

本番最中は、冒頭に書いたように、単に「ようやく繋がることができた」ことが嬉しくて楽しかった。ようやく私を認めていただけたのではないか、と感じて幸せだった。時間はかかったけれどようやくここまで来る事が出来たのだ。

邦吹会20151115

ただ現在私が東邦高校吹奏楽部の現場にいないことはなんだか申し訳ない…。

が、その後じわじわと滲みあがってきた事がある。
私が2曲、そして先代が1曲、この二人でたった3曲15分ほど、その時だけの寄せ集めバンドで街角演奏することが、私個人の感情などとは比べものにならないくらい、とてつもなく大きな意義を持っていたことに気がついたのだ。
今それが大きな余韻となって私の中を駆けめぐっている。

創部以来85年を越える(きっと日本国内でそれだけの伝統を持つスクールバンドはほんの僅かだろうと思う…)伝統が、言葉のみで語られる歴史としてではなく、実際の人と人が繋がって受け継いでいく生きた伝承として蘇りつつある。その時々に関わる個々がいてこその伝統だが、受け継がれ出来上がった流れは人の意図を遙かに超え大きなうねりとなる。そのうねりの中に世代を越えた人の繋がりが厳然とあること。それこそが今まさに生きている文化なのではないか、とさえ思う。

まだまだ「始まり」に過ぎないが、とても大切な「始まり」だ。
その小さな「始まり」も勝手に始まったのではない。それを望み働きかけた方々がいらっしゃってこそ。心より感謝いたします。

記念写真

そして何よりも良かったのは「間に合った」こと、だと思う。本当に良かった。
「望むこと」の大切さ。

その晩に見た夢は「望み続けろ」ということなのだ。きっと。

8月
16
野外生活

数十年前から頻繁にキャンプをしに出かけている。
当初から、出来るだけ最小限の装備で、楽しく充実したキャンプ生活をしたいと思っていた。
そこを拠点に釣りしたり、星見たり、虫取ったり、史跡巡ったりと様々なアクティビティをするための、ベースとしてのキャンプだから。

しかし、はじめてオートキャンプ場に行った時はカルチャーショックだったなぁ。
皆さんものすごく重装備なのだ。オートキャンプ場だから車横付けなのは便利で良いのだけれど、何でもかんでも車から出てくる。
立派なツーバーナーコンロ。バーベキューグリルとそれ用の机といす。調理台。シンク。焚き火台。薪も持参だ。燻製機。ダッヂオーブン。コット(簡易ベッド)。ハンモック。大量の燃料(炭やガスやガソリン)。大きなクーラーボックス。…。テントもでかい!タープもでかい!
そのうちラジオもテレビもゲーム機も出てきて、しまいには発電機も出てきて。
食事も朝昼晩と毎食、てんこ盛りの高級食材と格闘している感じ。

それでいて、夜は虫が嫌でスクリーンタープの中に閉じこもる。
キャンプ生活をしに来ているのに、自宅にいるのとなんら変わりない環境を望んでいるのかしら。
(不思議に意味がなくても焚き火はしたがるようで…。)
「皆さん、”キャンプすること”が目的なんだね。」と知った。

それもアウトドアキャンプの有り方だとは思うケド。
そこにねらいを付けた高級キャンプ用品もたくさん開発され皆が憧れた。

私も一時期はそれらを欲しいと思ったし手に入れた物もそこそこあるが、今はなんだか全くそそられない。

最近は一時期よりはそういったキャンパーは少なくなったのかな。
愛好家を増やそうといろいろ工夫しイベントなどもやっているみたいだけれど…。スポーツ用品店の高級キャンプ用品コーナーはだいぶ縮小されているように感じる。
キャンプすることのみが目的だと、次第にめんどくさくなって飽きてきてしまうから、既にブームは去ったのかも知れないなと思う。
今は、もっとお手軽に、近場のBBQで良いじゃん、というノリかも。
 

わたしは、といえば、現在は回数こそ少なくなったがやはり出かける。わざわざ不自由な生活をしに行くのも不思議だと思うけれど、それでもそんな旅はやめられない。

テント張らずに車中泊で済ませてしまうくらいだから、さらに装備は少なくなった。サバイバルするつもりは毛頭ないけれど、キャンプとは最低限の衣食住確保で充分だと思うから。
そしてそこから、釣りをしたり、鳥を見に行ったりする。秘境に身を委ねたいし、写真もいろいろ撮りたい。もちろん現地の旬な旨い物を入手するのも大切。今はやりの有名なご当地B級グルメではなく、地元の鄙びたスーパーマーケットに何食わぬ顔して普通に並んでいる中に地元の逸材が隠れている。それを探し当てるのも楽しい。
 

さて。
何日間か旅に出ます。
この暑さから少しの間だけでも逃れ、自然の中で心の洗濯をしたい。