カテゴリー: 部
部活動のこと
嘘で固められた日常を指摘したら壊れちゃった人。
自身の言動が不一致なのに全く気が付かない人。
保身に走るために見境無くなる人。
偏執癖、あるいは既に病になっちゃった人。
信じることを知らない人。
知らない世界は怖くてそこに飛び込めない人。
謝り方を知らない人。
視野が狭いだけでなく広げようとしない人。
面倒なことには絶対触りたくない人。
他人は利用するものだと思っている人。
限られた情報だけですべてを判断してしまう人。
自分を守るために他人を攻撃し続ける人。
全くその器ではないのにその立場を死守する人。
無責任な噂が大好きな人。
他人の痛みなど気にもかけない人。
解決することと誤魔化すことが同じだと思っている人。
すぐねたんだりうらやんだりする人。
都合が悪くなると簡単に前言を翻す人。
知らなければそれで良いと思っている人。
どんな時も悪いのは他人な人。
人のものを欲しがる人。
決して自分の非を認めない人。
何も深く考えない人。
責任をとることの意味が解らない人。
正面から真実を見ることが出来ない人。
他人の目ばかり気にする人。
色んな人。
本当に色んな人がいる。
色んな人を見た。
実のところ、心の奥底深くで「これではダメだ」と知っているのだと思う。
戻ってこれると良いのだけれど、しかし、大概、戻ることを諦めてると思う。
こんな程度のことなのに大混乱。
誰も邪魔しようと思っているのではないだろうに。
苦しい思いして、痛い思いして。
先に進んでいったらもっと大変なことあるだろうから、その時はにっちもさっちもいかなくなって息絶えるだろうね。
確実に。
何故?
一晩おいて少し見えてきた。
中央制御システムが無いんだな。
中央制御が機能しないなら分散制御という方法もあるが、それにはネットワークが機能していないし、何より個のクオリティが不十分。
そう、ボス不在なんだ。
だからそれぞれがなんとかしようと頑張るけれど、お互いの共通認識が少ない、それぞれが自分以外の動きを読めない、円滑なコミュニケーションが取れない、などの理由で個の動きですら機能しない。
これ、そのうち嫌気がさしてやらなくなるパターンだね。
(どこかの構図と全く同じか?いや違うか?あそこはもっと凄い。負の二重構造だ。)
私は中央集中制御より分散制御のほうが好き。
絶大な指揮者の言うとおりにやっていれば破綻無く演奏できる(個は楽)、ではなく、少々傷があってもそれぞれの個性が活きる(その分個の責任が増す)ほうが面白い。巨大な発電所ですべてを賄うのではなく、各個が風力なり太陽光なりでささやかに賄う方が良い(それぞれそこそこの投資がいるが)ような気がしてる。何よりエコっぽいし。
しかし、個の力が不十分なときは、中央制御に頼るしかないしその方が効率的だ。
(個の能力をアップさせ将来分散制御に移行できるような方向性は持ちたい。TSWはその発展途上だった…。)
ボスがいないから、じゃぁ、だれかボスやって!といっても誰もなかなか名乗りでない。そこで責任転嫁ごっこが始まるんだな。このままだと最終的な結末は見えている。すべての責任を誰か一人に押しつけて、あとの人は逃げる。
可哀想に。その役を10代の若い娘がやろうとしてる。
また、それを黙って見てるのか?
は、ほぼ完了したと思う。
立場上しておくことは全てこなした。
様々な穴が空かないための手当、手配。
必要な情報の提示。
こちらの意図。
それらを全て受け取ってもらえたかどうかは不明だが。
感情的な部分でも概ね整理済み。
もちろん一粒一粒への想いは数限りなくあるけれど、それはそれ。別のことで考えていけば、と。
そろそろ2本線(必ずしも片方が太い必要はないだろう…)を引く時期かと。だらだらとCodaを引き延ばしても冗長で退屈だ。我々のやっていることは、有線放送のように延々と勝手に音楽が流れ続けるのとは違う。
そして、改めて次が始まるのならそれも良し。そうでなければそれもあり。
馴れ合いだけはご勘弁を。
年末ジャンボも発売開始したし。
熊野詣でに行こう。三山フルコースで。
ダブルバーが引かれた。
思うことはたくさん。
言葉にならないのも含めて。
勉強したことたくさん。
やり残したこともたくさん。
でも課題がたくさんあるって事は幸せなことだよな。
TSWのみんな。ありがとう。
支援してくださったたくさんの方々、ありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。私はとても幸せでした。
一度手放したはずの皆でアンサンブルする幸せ。
そこにどっぷり浸かり音楽に身を任せる幸せ。
より良い状態でそこまでもっていくための様々な工夫とそれを仕掛ける仲間がいる幸せ。
その事々を認めていただき評価していただける幸せ。
常に全力疾走してました。(そう見えないかも知れないけど…)
少し走りすぎたのかもね。体にだいぶガタがきたし。
特にこの一年著しく体調は変化していると思う。しかし「それは老化と言うんだ」と口の悪い友人。その通りだが、おかしいな。永遠の23歳だけど。
事後整理若干。
今後の善後策。
生きなければならない。生きたい。より素晴らしく。
みんなも、私も。
定刻より遅れてるけれどそろそろベルが鳴る。次の幕だ。(台本はまだ無い。)
ミクロとマクロ
凝視と周辺視
点ではなく流れ、しかし正確な点は必要
等々。
最近の合奏で色々難しい言葉を並べた。(いや、「いつも」だろうな…)
申し訳ないが、みんなが解ってくれたかどうかは二の次だ。
解りやすい言葉を選んで説明し指示することは、教授技術の基本だとは思う。
しかし、心の片隅でいつもそれを疑問に思っている。
なぜなら、まだ言葉を知らない子供は、その言葉が解りやすいかどうかですら解らないのだから、子供自身が「わかりにくいから」と取捨選択することはないように思うから。(ある程度成長し余計な知恵が付くとそれをしだすだろうが。)
提示する側が「これは難しいだろう」という勝手な推測で言葉を限定するだけだ。
ということで、難しい言葉だから理解できないだろう、は失礼な気がしている。難しくてもいつかは理解できるはずだ、今言わないでどうする、というスタンスだ。
「可愛いペットに対して赤ちゃん言葉(○○ちゃぁ〜ん、ごはんでちゅよ〜、など)は失礼である、なぜならペットだからといって幼い子供ではないのだから。立派な成犬だろ?」という意見は秀逸であると思う。
もっとも、それを理解しようとする姿勢は常に求められる。
以前「不親切」について書いたことがある。
解りやすい事だけが大切なのではない。考える機会を奪ってはならない。
〜なかなか理解されない意見だろう… ま、いいや。〜
さて。
明日は県大会。
至上の喜びは得られるだろうか。
やった人だけが得られるご褒美。みんな戴けると良いね。
積み上げてきた成果が問われる。
そしてその成果がまた今後の成果につながる。
1週間先。1月先。1年先。5年先。10年先。もっと先。
今までずっと、明日の本番をやり過ごすためだけの小手先のモノを伝えたつもりはない。
一生持ち歩いて欲しい。
そんなスパンで種を蒔いてきたつもりだ。少しは芽が出たかな?
桃栗3年柿8年柚子の馬鹿たれ13年。
実がなるのはずっと先だ。
その時に思い出してくれればいい。
その時に意味をわかってくれたら幸せだ。
「明日を生きる意味が判らない」から「生きてるってあたたかいことなんだ」に変わっていく。
生きる力ってのはそういうことだと思う。
育てるってのはそういうことだと思う。
ガッコウとはそういうところであって欲しい。
TSW万歳!
南知多で夏の合宿。
4泊5日の少し長丁場だが、7月いっぱいで今日が最終日。
この合宿は様々な目標ともくろみを持って臨んだ。
まだ半日練習を残しているので評価するのは早計かも知れないが、目標は随分達せられるのではないかと思う。
進化した部分がたくさんある。
(色んなアクシデントもあった。もちろん継続的な課題や、新たに発見された課題も山のようにある。)
多くの人々がここに立ち寄ってくださった。
練習やレッスンを見ていただいた。コメントもいただき多大な力を授けてくださった。
心より感謝。
特殊な事情で合宿開催が危ぶまれたが、良い成果が上がりそうで嬉しい。
みんなの成長が眩しい。
バンドとともに生活することは私にとってとても幸せなこと。かけがえのないあなた達と音楽が出来ることの幸せは何物にも代え難いのだ。
素晴らしい音楽が私たちのもとに有り続けることを祈る。
素晴らしい心はどんな困難にも打ち勝つことを信じる。
ありがとう。
輝かしい未来に向かって素晴らしい音楽を創ろう。
開け放した窓を通して、時として、しとしと降る雨音とともに鶯の鳴き声が聞こえてくる。
しかし、アブラゼミも聞こえる。梅雨が明けたかどうだか知らないけれど、とにかく夏なのだ。
合宿開始だ。
昨日の演奏録音を聞いた。
うーん。
正直、これじゃ全然ダメだ、と思う。
こなされていない事は山のようにある。
やるべき課題は数限りなく。
ダメ出しは際限なさそうだ。
自分のミスを認識していく作業は辛い。誰だって嫌だ。
楽しくおもしろおかしく愉快が良いに決まっている。褒めてもらい、喜びに満ちた練習をしたいに決まっている。
ゴミは誰でも触りたくないものだが、ゴミが減らなければ掃除をした事にはならない。
同様に、ダメは見たくないし知りたくないが、ダメが減らなければ、練習した意味がない。
自分のミスを認識していく作業があって始めてそれを乗り越える嬉しさ、楽しさを感じるのだ。
昨日、会場のロビーに座っていて、少し離れたところに落ちているゴミに気がついた。鼻をかんだ後のティッシュのように見えた。すぐに拾える状況ではなかったのでそのままになっていたのだが、ある一団の生徒が通り過ぎようとしたとき、その中の1人がそのまますっとしゃがみ、そのゴミを拾い、周りをちらっと見渡し(たぶんゴミ箱を探したが、無かったからだろう…)、すぐに自分のブレザーのポケットしまった。しかも、その動作はみんなと楽しく話しながら何のよどみもなく一連の動きだった。
言うまでもなく、彼女たちの学校は招待で素晴らしい演奏をした。
ゴミ拾いを嫌がっては決して綺麗にならない。
ゴミを見逃さない。見て見ぬふりしない。
幸いな事に、再度ダメ出しをするチャンスを戴いた。
さらに鮮烈にダメ出しをしようと思う。
今、このタイミングでダメ出しが出来ることは、この上なく幸せな事なのだ。
いつの間にか雨も上がり、最初の練習が始まって楽器の音も聞こえてくる。
生き方…
理想…
苦しみ…
愉しみ…
社会…
思想…
宇宙…
存在…
はぁ…。
難しいな。
私の師匠が、公の場所で語った最後の(と思われる)言葉。
「この16分音符はなぁ…、生きるって事なんだ。
…
生きてるってなんて素晴らしいって事なんだ。
…
音楽ってのには、良く解らんけれど何かあるって昔から思っていた。
良く解らんかったけれど、やっと今、癌で死にかけてようやく解った。
…
音楽ってのはなぁ…、生きるって事なんだ…。
…
…
それが解ればなぁ、あとはどうってことはない。
…
…。」
四分の四拍子。
ドー(付点二分音符)ドシドレ(16分音符)/ミー(付点二分音符)
この4拍目「ドシドレ」の説明だ。
私の説明では全然伝わらないけれど。
今でもこれを思い出すと、とめどなく涙が溢れる。
オーケストラのレッスン。
息をするのも苦しいのだろうが、声にならない声を絞り出して、最後に伝えたかったのは
「音楽とは生きる喜び」
音符1つ1つが命なのだ。その命がつながり、大いなる音楽になる。そして至上の喜びを得る。
音楽とそれに関わる人間をオーバーラップさせ、全てのモノは生きる喜びに昇華されていくはずだ。
明日、みんなの魂は躍動するだろうか。
その瞬間、そこにいる人だけに許された極上の喜び。その「生きる喜び」を感じたい。是非。
もうすぐ。
この通り辛い練習だっただろうと思う。いや、本当に。(まだ明日もう一日練習があるから過去形ではないな。)
どうしても、何が何でも、ある一定の高さまで登りたいと思っていた。
でなければ大切なことが解らないから。
一線を越えなければ見えない物があるのだから。
1年生にしてみれば、3年間かけてやるべき事を半年でやろうとしたんだから大変な思いをしたに決まっている。無理に無理を重ねたのだろうがそれでもここまで来た。大丈夫、後からじわじわと色々効いてくるはずだ。
それで、ようやくギリギリまで来たように思う。これで間に合ったのかどうか解らない。ギリギリだからまだ実感のない人も多いだろう。でも残念ながらそろそろ時間切れだ。
人と人の繋がり。
決して一人ぽっちではない居場所。
アンサンブルという最高の一体感。
明後日の午後。
TSWの誇りを感じるさせることの出来る演奏になるだろうか。
間違えるな、それは終着ではない。至福行きの出発だ。
なんとしても自分の足で間に合ってくれ。
諦めるな!腐るな!投げるな!
ステージに乗る全員がその出発に間に合いたいのだ。