7月
07
いつも

偉そうなこと言ってるけれど、私も救いようのないダメなバンド指導者だったことがある。
(あれ?いつもか…?)

ある中学校でのこと。
バンドの顧問にはなったけれど、全く練習を見ないと決めたことがあった。
理由はあるのだけれど生徒にとっては関係ない話。
それがコンクールに出たい、と言ってきた。
悩んだあげく付き合うことにした。しかし日頃から全く指導していないから楽譜の読み方すらおぼつかない。
簡単な楽譜でも音は当たらないしリズムは楽譜無視。当然それぞれの楽器奏法なんかはめちゃくちゃ。

それじゃ合奏なんか出来るわけ無いよ、と思いつつ、しかし、やり出すと止まらない自分がいた。

「違う!もう一回」「違う!もう一回」「違う!もう一回」「お、できたじゃん、念のためもう一回」
「あれっ、さっきは出来たのに…」「違う!もう一回」
延々その繰り返し。
「こんな要求無茶だよ、まともに楽器の吹き方知らないんだよ、勘弁してやろうよ」という心の中の声と、もう一方では「出来ていないのに出来たような顔するのは嘘だ。失礼だ。だから褒めるためには必ず出来るまでやる必要がある。」と。
練習の雰囲気はとても悪く、出来ない生徒はずっと涙ぐんでいる。他の生徒はずっと待ちぼうけだし。

それでも、「しょうがない、これが俺のやり方だ」と無理矢理割り切って続けた。
本番はなかなか大変な演奏だったに違いない。あまりも辛いから思い出したくない。

しばらくたって私がそこを辞めるとき部員みんなから手紙をもらった。読んで心からびっくりした。
「決して諦めないで練習を付き合ってくださってありがとう」
「本当に音楽が好きなんですね」
「厳しい練習だったけど楽しかった」
「私たちに本気でぶつかってくれて感謝してます」
ちゃんと練習を見なかったことを非難する言葉は一切無い。

涙が止まらなかった。

その時私は、ただ自分のプライドだけで練習を続けていたはずだ。
出来ないのは日頃私がきちんと教えていないからだ。しかし、私がやるからには妥協はしたくないし、少なくとも出来るまで付き合ってやろう。それが日頃の罪滅ぼしだ。
と思ってはいるものの、実際の音を聴くと我慢ならない。
厳しく「違う!もう一回」
彼女たちにしてみれば出来ない現実を突きつけられる苦しい苦しい練習だったに違いないのだ。
しかも楽器が上手に吹けない原因は彼女たちにあるのではなく、きちんと教えていない指導者側にあるのに。

にもかかわらず、生徒達はこんな感想を持ってくれた。
嬉しいのか悲しいのか悔しいのか愛おしいのか自分でも全然理解できない感情が込み上げた。
中学生のことだ。決して社交辞令なんかではない。手紙を渡してくれるとき満面の笑顔だったし。

反省すべき点ばかりの中で唯一自信を持って言えることは、理由が何であれ「妥協したくなかった」事以外無い。その一点だけで彼女たちは私を認めてくれたのだ。救いようのないダメなバンド指導者だったにもかかわらず。
胸をギューッと締め付けられる。苦しくてたまらない。

今思い返せば、その時が自分の中で何か変化が起き出した瞬間なのだと思う。
どんな場合でも私は全力でぶつからなくてはいけない。
その事によって相手がなぎ倒されたとしても。
その瞬間、どれだけ純粋に相手と対峙できるか。

練習の最中はそんなこと考えている余裕はない。音に集中しているだけ。
今でも練習が終わった後、ゆっくり考える。
誠心誠意本気だったかどうか。手加減しなかったか。

7月
04
一段落

ついたと思う。(公表できる段階ではないケド…。)

期末試験が終わると(まだ始まったばかりだが…)全開な練習がはじまる。
楽器の、楽譜の、音楽の、練習をするのと同時に様々な訓練もする。
コンクールに向けて死にものぐるいで練習するのは、ただコンクールで良い賞を取る為だけではない。
もちろん今年は賞取り代表云々も最大限目指すが全然別次元の効果も狙う。

しかし、渦中にいる人はそんなことは全く考えなくて良い。
ただただ素晴らしい音楽になるために考えられること出来るだけのこと全てやり尽くせば良い。それだけ。

練習は極限まで苦しい思いをするだろう。誰だって逃げ出したくなる。
何しろ私自身がいつも一番逃げたいのだから。
でも、自分を誤魔化したらそれでいっかんのお終い。
全ては無になる。とはいっても、きっと無になったことに気が付かないだろうがね。
 

…ずっと後になってからそれを知る。

いつの間にか何かを得ていた事を。
知った時に、少しだけこの大変だった瞬間を思い出してくれればいい。

あるいは大切なものを取り逃した事を。
知った時に、取り返しの付かない悔しい思いをしてくれればいい。
 

私は欲張りだ。
一段落付いたからといっても、ただでは起きない。転んだにしろ転ばされたにしろ。
起き上がる時はワラをも掴む。

さて、掴んだワラで次は何を始めようかな?

6月
26
喉元

過ぎれば熱さ忘れる、か。

あなた達は何故コンクールに出るのかな?
そのために何をやるのかな?
今まで以下だとしたら、いや、今までと同じだったとしても、それって意味あるの?
今までと同じではダメだから、変えなければいけないんじゃないの?

何やっても変わらない、変えられないんだったら、結局何処かの誰かたちと全く同じじゃん。
わはははっ、って笑われてそれでお終いじゃん。

変えられる、変えるんだ、というプライドを取り戻せなかったら、そして実際に変えて見せなければ、TSWで音楽をやる意味を見失うことになる。
そんなことのために今までやってきたのか?
 

少し思い出したので探してみたらやっぱりあったよ。
私は、とっくの昔から覚悟している。

6月
22
人として

の成長は著しいと思う。
思いやる心。
関わろうとする心。
見極めようとする心。

しかし、だからといって少々楽器が下手でも構わない、と思ったら大間違いだ。
練習の手を抜いても許される、と思ったら大間違いだ。
音楽は馴れ合いではない。TSWは仲良しクラブではないのだ。

もちろん、人としての成長は一番大切だ。
しかし、その事は「即、素晴らしい音楽ができる」ということでは決してない。その前提にすぎないのだ。
ようやくスタート地点にたどり着いた、と思えばいい。

言い換えれば、全ての人がそのスタート地点に立てる訳ではない、ということだ。
しかし、スタート地点が最終目的ではないことは誰でもわかるだろ?

求められていることは、成長した心を持って正しい練習を妥協することなく継続していくこと。

迷わず次のステップに進もう!

6月
15
コンクール

に向けて全開にしよう!

悩みに悩んだけれど。
課題曲は5、江原大介作曲「躍動する魂」に。
自由曲はP.Hindemith作曲「March from ‘Symphonic Metamorphosis’ of Themes by Carl Maria von Weber」だ。

確かに難易度はとても高い。

しかし、一つずつ確実に。
ゆっくりでかまわない。しかし間違いなく。
その積み上げが大切なのだ。
粘り強く、最後の最後まであきらめることなく。
焦って適当になってしまったら負け。

人によっては今まで経験した事のない練習を積む事になるかも知れない。
しかし、やった事ないから、といって投げてしまってはいけない。捨ててしまっては絶対だめ。
やり方を覚えよう。行き着くところまで行ってみよう。

そして成し遂げたときの感動を知って欲しい。
絶大なチャンスなのだ!必ず物にして見せよう!

そしてこのことは全ての事につながっていく。
必ずあなた達の生きる力になる。

素晴らしい演奏のために。
感動の渦に巻き込まれるために。

6月
07
感謝

今日は二つの本番があった。
一日二つ、全然別な本番で、しかも間隔がこれだけ極端に短い、というのは初めてだったような。

いなり楽市が、10時開始。歩行者天国の路上。そこを終了したのは10時30分頃。急いで片付け機材を車に積んで、人間も後援会の皆様に用意していただいた乗用車に分乗し、車で10分ぐらいの二つめの場所に移動。
麻生田市民館の敬老会現地に到着してすぐ楽器を下ろし、まだ別のアトラクションをやっている間に出来るだけの準備をし、11時半にイスや打楽器などステージ演奏準備、11時40分演奏開始と相成りました。

それぞれ決して広い場所ではなく、充分な音だしやチューニングなど出来るわけもなく、それこそほとんど「ぶっつけ本番」が二つだったのですが、なんとか予定通り進行し、良かった!良かった!

それぞれの主催者の方々、楽器やメンバーを運んでいただいたりした後援会の方々、会場に駆けつけていただいた保護者や卒業生の方々、たまたま通りすがりの方々、楽市の演奏会場でお会いできた豊川市長様、敬老会で人生の大先輩の方々、そこにはいなかったけど遠くで思いを馳せていただけた方々、そのほかたくさんの方々のお力があってこそのTSWだということをひしひしと感じました。
そんな中で演奏できる喜び。音楽を通してたくさんの人達、ついさっきまで知らなかった人達とつながっていくのです。音楽に携わるものとしてこんなに嬉しいこと素晴らしいことはありません。

演奏の出来不出来については課題が色々たくさんあります。
しかし、TSWのメンバーが1年生も2年生も3年生もそれぞれの立場で誇りを持って行動しイベントをやり遂げていくことが出来るようになった。演奏する機会も様々いただけるようになり、出演したことにより何らかのお役に立ち、皆様に喜んでいただけるようになり、自分たちもそれを喜びと感じることが出来るようになってきた。
ありがたいことに、そんなTSWを進んでサポートしてくださる方々もたくさんいらっしゃる。
この環境は決して一朝一夕には出来ません。素晴らしい環境です。

そんなことを考えながらいなり楽市のアンコール「夏が来ぬ」を演奏していたら涙が止まらなくなってしまいました。(この曲には他にもいっぱい思いが詰まっているので…。)
私の正面方向に居た方々(TSWのみんなも)にはバレバレでしたわ。声を出して歌おうと思っていたのに、声にならなくなってしまい少々恥ずかったなぁ。
 

心から感謝です。
ありがとうございます。
音楽とか、文化とかはこうやって広がっていくんです。
素晴らしい瞬間でした。

世の中にはこのことをなかなか理解していただけない場合があります。
「音楽の素晴らしさや強さを是非わかっていただきたい、知っていただきたい」と望みます。
…心の底から。
…是非!

6月
02
気持ち(心)について

みんないろいろ考えているんだなと実感している。
確かに気持ちは見えないし、聞こえない。

最近見たアニメ映画の「心の耳で聞いてごらん」という歌詞がとても印象的だ。
大切なものは見えないし手に取れない。心の中にある。
それを扱うのが私の役目かなと。
音楽とは、広義な意味で心の安らぎやそのあり方を見つけることが重要で、ただ、歌えばいい、音出せばいい、ではないと思うのだ。
私はそれをやりたいと思うし、今までもやってきた。良いかどうかずっと迷いながら。
しかし、そろそろ「これで良いんだ」と思い切ろうと考えている。
誰がなんと言おうと、これが私の道なんだと思うことにしよう。

実態のないものを、より理解したり伝えたりするためにどうしたらよいか。
それにはまず言葉だろう。その意味で、「日誌」はTSWにとって大変重要だ。
言葉を紡ぐこと。そこには苦しみもあるかも知れないけれど、それをしなければ始まらない。表現の第一歩だから。

そして、継続は力なり。少しずつ思いが伝わるようになる。
人と繋がりだす瞬間だ。

最近の日誌より。

 勉強に対して高校に入ってから始めて(!?)ちゃんと向き合っている気がする。
劣等感やら、授業がさっぱりわからんやらで、ものすごく苦しい。自分はバカなんじゃないかと絶望する。心の底ではそんな事無いってわかっているのに。部活で学んできた事、どれだけ生かせるか勝負だと思う。勉強に対して同じぐらい頑張れたなら、これから先のあらゆる事に対しても同じように生かせると思う。

 気持ちのコントロールがうまく出来るようになりたい。

そう。一つずつで良いと思う。長い目で見てそれが一番の正攻法なんじゃないかな。
確かに他のことがぼろぼろに見えてしまうと、すべてを否定されがちなんだけれどね。しかし、絶対に自信を持つべきだ。すごいことをやっているのだから。

〜前略
ここには(準備室)何か人をひきつけるものがある気がする。
TSWの準備室だから。かな。
人のぬくもりというか、何か温かいものがある。
ここに来れば誰かいる、何かある。みんないる。
当たり前になっているけどすごいことなんだよね。
TSWの当然が通じないことがあると「おっ!!」って思うようになった。
後略〜

見えない何か。大切な何か。その存在に気がつき、あるかないかわかるようになる。

〜前略
今はテスト週間です。しかも土日です。勉強しなければと思う反面、いつもできないことしたいと思ってしまいます。いやいや、だめですね。
きちんとやるべきことをやらなければ!!
月曜日から音楽室で勉強しているのですが、昨年と雰囲気が違います。なんでだろう。1年生がとっても楽しそうにみんなで机をくっつけて勉強しているし…。すっごく仲良いです。うらやましいなと思っていしまうぐらい。もちろん他が仲悪いとかじゃなく、日々を楽しんでいる感じが伝わってきます。

月曜日からテストです。がんばろう!!

〜中略〜

休みの日になるとTSWのみんなが恋しくなります。
準備室や音楽室、合奏室が恋しくなります。
コーヒーのにおいやCDの音、みんなの話し声や笑い声。
ないととってもさびしいです。完璧にTSW依存症ですね 笑))

(一部編集しました)

一つずつ積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
するといつの間にか自然に積み上がっていくようになる。
そうやって雰囲気が出来てくる。
新しい人達はそれが普通としてスタート。
さらに積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
そうやって続いていくことを伝統という。

〜前略
この部活に入って、人の心に触れる(?)ことが多くなった…というか、今まではそういうことがなかった。人の心って難しいって改めて感じた。
高校に入る前は、人がわからなかった。本心かくして笑って、こっちがさらけだしても逃げられて、1人になって。だからこわくなって、わからなくなって、心から「楽しい」って思い出が少ない。気を使ってる自分があたり前だった。どうせこんなもんだよって、痛い場面に出くわすたびかくしてた。でも…ここに入って…TSWで人の心動かすこと、人の気持ち、人の考え、それにたいする自分の考え、気持ち、そこに向き合うことを少し知れたと思う。このメンバーだからイライラをかくさずにいられる。
思い考えることが増えた。くやしい、負けたくないって思うこと、小さいころ以来ずっと忘れてた。覚悟とか意志とか。うーん。「心」だなぁ。よくわからんけど。
どんなに強く思って決心したことでも、強い自分ばかりじゃないから、まよってゆれる、と思う。その時にそのままおちていくのではなくて、またあがってこられるように。休憩しながらでも。−…人間ってすごいね。心をもつんだね。音楽と心は通じているんだよね。…何かうまく書けん。ごめんなさい。
後略〜

言葉を紡ぐのと同時に、楽器で、音楽でそれをやる。
言葉に比べたら抽象的でとりとめもない音達なのに、なぜか言葉より正確に伝わることがある。理解すると言うよりも、パっと心の中で何かが広がる感じ。言葉にはならないけれど、印象というか、イメージというか、感覚というか…。
思わず鳥肌が立つ、という部類だな。

高校生時代にニュータイプ論というガンダムに出てくる概念を題材に生物の進化論レポートを書いたことがあるが、自分の中には未だにそのあこがれがどこかに有るのかも知れない。少し前に合奏で紹介した本「 ヒトはイヌとハエにきけ―異種間コンタクトの方法 J.アレン ブーン (著),上野 圭一 (翻訳) 」も、その現れかも知れない。また、でーだらぼっちも精霊もそのたぐいかも…。

こんな事書くと途端に胡散臭くなってしまうなぁ…。

5月
23
曾孫

らしい。ヒンデミットから数えて。だからあなた達は玄孫(やしゃご)だね。

パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895年11月16日 – 1963年12月28日):下総 皖一:兼田敏 と続く。

今までに何度もヒンデミットの曲を取り上げた。
吹奏楽のための交響曲変ロ調(1951年).
ウェーバーの主題による交響的変容(1943年 今配ってあるのはこの第4楽章 行進曲だ。)
など。 
最初にSymphony in B flat を取り上げたときに師匠に教えてもらった。「おまえは曾孫弟子なんだぞ」って。

だいぶ薄まっているだろうが…。

口の悪い吹奏楽仲間から「あんな小難しい曲やったってなかなか評価してもらえないぜ」とよく言われた。
「審査員がヒンデミットわからない人だったら損だよ。」
そんなこと言われても損得で曲を決められないよ。
奥が深いからやってもやっても発見がある。
そのおもしろさはやってみないと解らないかもね。

テスト勉強の合間にヒンデミット調べてごらん?

5月
21
久しぶりに

日誌より。

〜前略
合奏の時、みんなの音がまとまっているって言われました。
まだまだだけど、嬉しかった。
みんながみんなを聴き合って、主張することは言って…。
うん。やっぱり、すごいね。音楽って。アンサンブルって。
後略〜

==

〜前略
マーチングが終わって、合奏室に戻って入った瞬間に合奏室!ってにおいがして落ちついた。
楽器を片付けるために準備室に入ったら曲が流れててみんながいてワイワイ・ガヤガヤしてた。
荷物が置いてある方は、なんかあのぐちゃぐちゃ感がいい。

マーチングやりたい。合奏やりたい。
パート練やりたい。セクション練やりたい。
やりたいことてんこもりです。
後略〜

==

〜前略
んーと わたしもここがとても好きです。大好きです。
準備室のコーヒーの匂いとか、あの人がいろんなことやってる感とかみんなと一緒ですごい落ちつくし、ここにいたいって何かが思わせてくれます。
なんかいい。この空間が何かを変えてくれるのかな。
人に相談なんてできなかった。愚痴を言うのだってこわくて言えなかった。今でもいわなくてすむのならいわないほうがいいけれど。まあ。まあ。
でも、この空間で一緒にすごしてきたTSWの皆なら言えるって思えたし、不安もなかった。うん。 ありがとうの一言ですね。みんなあったかいです。
〜中略〜
いろいろ、いろいろ、重なって思うことはたくさんありますが、ここにわたしはいたい。って最近すごい思います。

==

〜前略
ここ毎日、1日が終わっていくのが悲しいです。なんだかディズニーランドの帰りの気分(笑)”
朝練の時、お昼、午後、一瞬一瞬、「ずっとこれがつづけばいいのに」って無意識に頭に浮かんで、つぶやいてしまいそうになります。
1日が終わってしまうのは、悲しいけど、明日が来てまた明日、TSWでいることが、とても楽しみにおもって、また明日みんなで練習したいと思う。
中学の頃というか、今まで毎日毎日つまらなくて仕方なかったし、毎日毎日明日が来るのが嫌で仕方なかった。生きてるのがよくわかんなくて、ただぼーっと1日がすぎていく毎日でした。
 でも今は、本当に毎日が、楽しい。たまに、めげそうになったり落ち込むけど。
今日の合奏で呼吸の話がありました。
それをきいて、さらに、生きてるって素敵だーって思いました。
呼吸は聞こうとしなきゃ、気にしなくちゃ(相手を)聞こえないもん。生きてなくちゃ、聞こえないから。
後略〜

==

〜前略
新入生の子に「何でこの部活に入ったの?」って聞いた時、うちらの演奏を聴いて、一緒にやりたいと思ったって言ってくれる子がいて、すごくうれしかったです。うちらのやってることが聴いてくれる人に届いている気がしました。
後略〜

進化している実感。
何が素晴らしいかって、ここに書いてあることは「人が生きていることの素晴らしさ」だと思うんだ。
簡単なようで、実はとても難しい。
その難しいことを当たり前に出来ている素晴らしさ。やっと出来るようになった素晴らしさ、かもね。
今私の目の前にいるTSWの宝物達は確実にそれを自分のものにしている。
さらに新入生も進化著しい。

残念ながらどうやっても実感できなかった場合だってあるのに。
その差はとてつもなく大きい。差とは言わないかも。追いつけるものではないから。1 or 0。

5月
19
出演依頼

いなり楽市。
敬老会。
少し先の話では保育園での音楽会。
保育園はかつて呼んでいただいた時の演奏が好評で、再度お願いできませんか?という依頼。
少しずつ草の根で広がっていくTSWの評価。

嬉しいね。呼んでいただけるというのは。
必要としてくれる事の喜び。
音楽っていうのは、そうやって広がっていくんだ。
それが本質だと思う。

「演奏お願いできますか?」
「指導に来てください。」
「みてもらえませんか?」
「いっしょに練習してくれませんか?」
「助けてください!」
呼んでいただける範囲が少しずつ広がってきている。
力がどれだけあるのか判らないけれど、何かのお力になるなら喜んで。
 

逆に「お願いですから来ないで!」と思われるようになったらどうしよう?自分が否定されたと感じて逆上するだろうか?世の中にはそんな人いるけれど。
いや、「邪魔しないで!」と言われ、自分自身もそう感じるのなら素直に引き下がろう。
迷惑となってしまったときに引き下がる潔さは常に持ち合わせていたい。
人の力になれるのか、人の邪魔になってしまうのか、線引きはとても難しいけれど。
なにが迷惑なのか判断するのはとても難しいけれど。
その見極めが出来る人でありたい。
いや、まずその前に人の力になり、皆が頼ってくれる人でありたい。
それが人としての豊かさ深さだと思う。

あっ、大丈夫。目の前にいるTSWの宝物達はみんな線より上だよ。
みんなお互いとても大きな力になっている。それが私の誇り。TSWの誇り。

期待されて、出演依頼が来て、ありがたく1つ1つ丁寧に対応していこう。
あわただしく、行動がばたばたすることは良くあるけれど、だからこそ音楽は心を込めて、じっくりと。
音楽の喜びを広げるために。