5月
17
今日は

師匠の命日。
一日雨だった。

で、新入生歓迎会。
私は雨の中で遊ぶのは慣れている。
今日ぐらいの雨はなんてことはない。(風が強いのは少し困るけれど)
キャンプでも何泊かしてると必ず雨は降る。その都度憂いていたら野外生活は楽しく無くなってしまうから、雨でも楽しむ事を覚えた。
集中豪雨でも、台風でも、そんな事は構わず楽しんできた。
自然は敵対し逆らうものではなく、同化し流れに乗るほうがはるかに上手くいく。

とはいえ、雨の中で遊ぶ事に慣れていないみんなはどうかな、と少し心配だった。
しかし、上手く行く事行かない事色々あっただろうけれど、みんな屈託無く楽しそうだった。明るかった。
色んな工夫があったね。素晴らしい。
新入生の皆さんはどうだったかな。私は色んな素顔を見る事出来てとても有意義だったよ。

濡れたり寒かったりだったろうから、体の調子悪くならないよう気を付けて。
明日から試験週間。
気を抜くな!手を抜くな!

5月
16
適性

つくづく自分はこの仕事に向いていないと思う。いつも思う。

そうあるべきだ、と思ってその理想に近づけば近づくほど、一般的に良しとされることから離れていくようだ。
目指すところが全然違うのかな?

私は常に「本質を見たい」と思うのだが、皆が必ずしも同じように「見たい」と思っている訳ではないことに気が付く。見てしまうと自分に都合の悪いことも見なければならないからかな?

私は音楽という世界にいる。
音楽の価値は、
いくら年数長く音楽活動してきた人でも、5歳の天才ヴァイオリニストにかなわないことがあるのを知っている。
どんなに努力家であったとしても、ほとんど練習しない、しかし持ち声の良い歌い手にかなわないことがあるのを知っている。
「良い」「悪い」はそこにいたる過程ではなく、その瞬間の絶対的価値によることを痛いほど知っている。
音楽という時間芸術であるからこそ、大切なのは二度とやり直しのきかないその瞬間ということを知っている。切り取った「瞬間」が如何に美しく素晴らしいか、のみが重要なのである。

一方、だからこそ教育という場では過程がもっとも大切なのだ。
「なぜそうなったのか?」
「そう思うようになるまでどう心が移り変わったのか?」
「へこんだ気持が前向きになるには?」
過程なのだから時間がかかる。当たり前だ。すぐに答えは出ない。
間違えることもある。萎えるときだってある。苦しくて座り込んでしまうときだってある。
そんな瞬間を切り取りそこだけ見て「なっとらん!」「甘えるんじゃない!」と言ったら救いようがない。
時間の流れの中で、どう推移したかが大切なのだ。
二度とやり直しのきかない「瞬間」の連続を最高に贅沢に無駄遣いしなければ、時間の流れは出来ない。だから、じっくり待つ。(だから教育にエコ[節約・倹約・効率…]はなじまないと思っている。)

私の仕事は、この全く相反する矛盾した二つを同時にやらなければならない。
だから、オトナの都合だったり子供の甘えだったりを許容するゆとりなど無い。
本質を見ようとしなければ何も進まない。生半可なことでは両立しない。
両立しなければ音楽にならない。
音楽にならなければ私のプライドが許さない。
厳しいのだ。

その厳しさに耐えられなくなる。そしてつくづく「向いてない」と逃げたくなる。

吹奏楽部を運営するのはそんなに難しいことではない。(とはいっても他に比べたら大変だよ)
しかし、吹奏楽部でちゃんと音楽をやろうと思うと極端に難易度が上がる。
さらに、それを可能にする環境も自ら作り出さなければならない。これがまた困難だ。分からず屋のオトナ相手で始末に悪い。
バンドはやることだらけ。

それでも、鞭打って「やらねば」と思うのは、疑うことなく澄んだ目でじっと見つめてくる宝物達が目の前にいるからだ。こんな自分でも心から信頼してくれているのだからそれに応えない訳にはいかないじゃないか。
適性が有るか無いかではなく、応える気持が有るか無いかだ。何度も出てくる師匠の言葉「教育は技術じゃないんだ、人だ。」

よく「なんでそんなに頑張るの?」と聞かれる。「手当が出るわけでもないのに」
当然経済的な目的ではない。もちろん自分の立身出世の為でもない。立場確保でもない。
私の中ではわかりきっている。
そしてそれをなかなか理解してくれない同業者がいることもわかっている。

4月
29
編成

Fl−3
Ob−1
Fg−1
Cl−7
Sax−5
Trp−4
Hrn−3
Trb−3
Euph−2
Tuba−1
Perc−5

実稼働数35名。
少ないながら、数の上ではようやく普通な編成になった。
ここが出発点。
大切に育てよう。
必ず出来る。
投げない。
めげない。
諦めない。

信じることは、裏切ることよりも辛いかも知れない。
しかし、無条件に信じること。
物事の始まりは信じることから始めたい。
TSW−2009始動する。

4月
28
NMF

名古屋マーチングフェスティバル。
新入生のデビュー。
初々しくて良かったなぁ。
難しいのをよく頑張ったぜ。
舞台の上でライト浴びることってとっても緊張するけど楽しいでしょ?

上級生のステップも良かった。
キレがあって、揃えることの喜びや、高い完成度を求める楽しさが伝わってきた。
言われて、やらされて動くのではなく、自らの意志でステップの一歩を出し、それがみんなと揃う、というTSWの理想が垣間見えた本番だったと思う。
いくつかのアクシデントはあったけど。(それは本番にはつきものだし…。)

さらに、一日中、安心してみんなの行動を見ていられた。
いや「見ていなくても大丈夫、という確信がある」のほうが表現は近いかな。
その安心感は一見何気ないけれど、実はそんなに簡単なことではないんだ。
苦労して積み上げてやっとここまで来たんだから。
私の中で「この状態は他のどこにも劣らない」という自負はある。
みんなはどうかな?

TSWは自立(自律)した集団になってきたと思う。
そろそろ漲る誇りと自信を全面に打ち出そう!

4月
24
14人

の新入部員。
26日の本番に向けて、慣れない踊りを一生懸命に。
随分難しいことやってると思うよ。
しかも、だいぶこなしてると思うよ。

自信を持って!!
その一生懸命さは誰にも負けない!
少々のミスは気にするな!
その一生懸命さと初々しさは正真正銘本物だから。

もし、あと1つ何かを望むとすれば、それは「笑顔」だ。
心から楽しんでいることを表す「笑顔」だ。

必ず出来る。あなた達は出来る。
なぜならあなた達は既にTSWだから。
まだ、その意味に全然気が付いていないだろうけれど。
あなた達は間違いなく既にTSWなのです。

4月
21
先日

廊下で、メンバー同士激しくやり合っているのが聞こえてきた。
漏れ聞こえてくる感じでは、係にお願いをする人と、しかし、そのお願いは筋が違うんじゃないか?という係のやりとりのように見受けられた。雰囲気的には圧倒的に係り優勢で、一人のメンバーが「係に激しく怒られている」状況と言った方が正確なのかもしれない。しばらくの時間続いていた。
私は内心「ニヤニヤ」していたのだが、「もう少し静かにしてください」と注意し、気を利かせてくれた他のメンバーもいた。

必要だからこそ激しいやりとりが日常的に出来て、しかもその状況を冷静に見守る別の人もいる。やっとそこまで進化してきたんだなぁ、と「ニヤニヤ」していたのだ。

その後、日誌にこんな記述があった。

「逃げてばかりじゃ何も進まない」事を教えてもらいました。ありがとうです。

先の激しいやりとりの当人達だと思われる。しかも立場は真逆。
あれだけ激しいやりとりの様子から、この言葉が出てくることは普通結びつかない。

もちろん、この言葉が出てくる背景があるはずで、それを想像すると感動的ですらある。
全体的な流れの中で強く感じたのは、お互いを認めていなければ出来ないこと。そしてさらに重要なのは極めて自然であること。
決して、無理して物を言うのではなく、使命感で行動するのではなく、それぞれが感じ考えたそのものをぶつけ合って関わり合っている。
猜疑心で探り合うこともなく、無意味な気を遣うこともなく、それぞれが思ったまま感じたまま自然体で物を言い、お互いに感じ取り、怒り合い、同感し、さらに感化しあう。

それはビンゴ!なのだよ。

だからあなたたちの表情はとても自然で美しい。真剣な顔、笑う顔、喜ぶ顔、怒りの顔、不思議そうな顔、落ち込んでいる顔でさえ。
なによりアンサンブルとして出てくる音が何もしなくても一つに寄ろうとする。

ここまで来たんだ。
真っ只中にいると、そんなの当たり前と思うだろうが。
実は奇跡に近い。
=ちょっとした言葉の行き違いで感情むき出しの攻撃をするのとは全くの別世界。

大切にしたい。
ほんの少しのことで崩してしまわないように。一生の宝だ。

4月
21
おかえり!

一年近くの旅から戻ってきたね。

本当に待ち遠しかったよ。
「おやっ?」って見上げた瞬間、なみだが込み上げた。

旅に出なければならなかった時は本当に辛かっただろうに。
しかし、状況ができれば必ず戻ってくると、ずっと信じて疑わなかった。
違った状況もできちゃったから、少しだけめげてたけれど。(私が、ね。)
それでも戻ってきてくれた。上っ面じゃない。
信じることの凄さ。

おかえり!
やっぱり今のここはあなたの居場所だよ。
ちゃんと仲間もいる。
音楽やろうね。

おかえり!
今日のA-EでCisがよりはっきり聴こえてきたのはあなたが戻ったから。
音たちが祝福したのですよ。

おかえり!
心の底から!!

4月
10
もう一度

書いてみる。

2009/03/29付け記事をそのまま抜き出して転載

ある意味頭脳戦。
ある意味消耗戦。
みんなが想像するほど私はタフではないし不屈の精神力があるわけでもない。
しかし私のスキルと体が持ちこたえる限り、それが出来る状況がある限り、挑戦は続く。

なにより最高の音楽(音楽の存在とその実現の手法)を皆に伝えたいから。
そして「伝えることが出来た」という自分自身への証明をしたいから。

4月
03
進化

4月のど初っ端から大波乱。
でもそれは私の話で、皆は何も悪くない。にもかかわらず皆の真剣な眼差しがありがたい。感謝。
 

さて。
話題にもしたけれど、定期演奏会以降、このところの何回かのイベントで進化を確認できて嬉しい。
少しずつではあるけれど確実に進んでいる実感。
思い返してみれば、一人一人の顔つきが変わっていることに改めて気が付く。
言葉の端々にその変化が現れていることにも気が付く。
細かい動きの中にごまかしや上っ面でない本物が見え隠れするようになった。

優しく思いやりに溢れ、きちんと自分と向き合うことが出来るようになり、挫けずにやり続ける事が出来るようになったあなた達。
まだまだもろくて、何かあれば壊れてしまいそうだけれど。
まだまだちゃんとした答えがでないことが多いけれど。
でもね、それで良いんだ。
壊れそうになることを不安に思わなくても大丈夫。
答えが出ないことに焦らなくても大丈夫。
もちろん、これからだって紆余曲折があり一筋縄ではいくまい。
だからこそ、もう少しだけ「この方向で良いんだ」という自信に満ちあふれて欲しい。
そうすればさらに進化が加速されていくはず。

「信じて待つ」事でここまで来た。奇跡でも何でもない。今まで押し込められていた、本来あなた達が持っている力だ。まだ無尽蔵に持っている。
解き放とう!
「出来る」ことを信じよう!
 
 
花いちもんめ。皆の心遣いが嬉しかった。心よりありがとう。

3月
29
休暇

が明けたら4月。4年目突入だ。

まだまだ棘の道だろうか。
泥濘に足を取られ、浮き石で足を滑らすだろうか。

自分が目指すべきと信じている先と、目指して欲しいと期待されている先の間にギャップは無いだろうか。
私が信じ、これからも信じたいと思っている事は誤解無く伝わっていくだろうか。
従来の風土の中にそれまでと異なった物を持ち込むことについて何らかの意味を見いだせるだろうか。

ある意味頭脳戦。
ある意味消耗戦。
みんなが想像するほど私はタフではないし不屈の精神力があるわけでもない。
しかし私のスキルと体が持ちこたえる限り、それが出来る状況がある限り、挑戦は続く。

なにより最高の音楽(音楽の存在とその実現の手法)を皆に伝えたいから。
そして「伝えることが出来た」という自分自身への証明をしたいから。