12月
30
日誌より

年末総集編ってワケでもないけれど、いくつか並べてみます。

〜前略
この部活にいていい、いちゃいかんじゃなくて
それは自分できめることじゃないの?
私は自分次第だと思うよ。

==

〜前略
何故、いていい?ってきくの?
すごく悲しくなって、あーもう!!ってなったよ。
「いたいんだ」って自分の心にあるのなら、そのままそれでいいんだよ。って、私は思うな。
何でいるのか、理由はわからなくても、今はわからないけど、ここに「いたいんだ」って思うなら、TSWだよ。
後略〜

==

〜前略
「諦めない事」しょっちゅう大切だ、大切だ、と言われると思う。でも「割り切る事」も大切と言われる。矛盾しているようだけれど、そうでもないと思う。「諦めないために割り切る事」これこそが大切だと思う。
後略〜

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〜前略
人の心を動かす、心って形が無いのにそれを動かすって、すごいし、不思議だなぁと思った。

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〜前略
今日は一度だけ、いつも、わぁーってなって失敗のところがピッタリとそろって思わず鳥肌がたって、すごいっていってしまいました。よーく考えれば、その時の自分は「ここでみんな出てくる!」というものすごい確信があったんだろうと思いました。音を出した瞬間、心がぴたっとくっついたかんじでした。アンサンブルかな?
後略〜

==

〜前略
人の音を聴くということ。反応するということ。
普段の生活の中で、最近特に、自分のものさしで物事をみてしまっている。”私の普通がみんなの普通”ではないのに。余裕がない。イライラしてしまう。あたってしまう。何でイライラするのか…。結局自分のやっていることを、間違いだとは思いたくないだけなのか。でもどれが正しいかなんて、わからないのがあたり前で、間違いもすればいい。こわがっていたら前に進めないのに。
十人十色、人それぞれの価値観、考え方がある。でもそんな人たちが集まって1つの音楽をつくる。「私」を持ちつつ、相手の話をきき、冷静にみるようにしたい。
後略〜

決して贔屓目ではなく、ぐんぐんと成長している。
心の中は見えないから、1つ1つは全然目立たないけれど。
素晴らしい!!

12月
28
2008年

のTSW活動は本日終了した。

1年色々あったな。

反省会したら、みんな口をそろえて「大変でした」だって。
当たり前だよ。大変なことしてんだから。
いや、違う。「みんなにとっては大変と感じる事してるんだから。」が正解だな。

みんなにも話したけど、大変なことを見過ごさず真正面から受け止めることが出来るようになったから、よりいっそう大変だった、と感じるんだよ、きっと。今までは大変なことを見て見ぬふりしたり、誰かが肩代わりしてくれていたり、黙って避けていたり、見ないようにしていたから、大変だと思わなかっただけでね。
素直に「大変」を受け止めることが出来るようになった「進歩」だと思えば良い。そして今現在まだTSWにいると言うことは、曲がりなりにもそれを突破してきたんだと、自信を持って良い。それがTSWのプライドだ。

私にとってこの大変さは大学出たてで仕事始めてから、ずっと変わらず共にある。もう慣れっこだ。
しかし、自分で言うのもなんだが、狂気の沙汰だと思うよ。常軌を逸脱しているというか。

前任校の時も思っていたけれど、ここでもこの一年は同じ事思っていたな。「学内で一番勤務時間が長いぞ」と。休日無し。一週間7日間朝から晩まで。月月火水木金金。
一体何のためにやっているのか見失いかけた事一度や二度ではない。
学校のため?生徒のため?地域のため?自分のため?名誉のため?
いや、今だって何のためにやっているのか正直解らない。よくTSWメンバーが「自分って何かわからない」と言うが、そんな事は私だっておんなじよ。
ただ、私は音楽が好きだ。吹奏楽が好きだ。みんなと音楽出来る事が幸せだ。
それだけじゃダメかい?

この狂気の沙汰に取り憑かれて○○年。
また今年も暮れていく。

初代機動戦士ガンダムにホワイトベースという戦艦が出てくる。状況が何となく似てるかな、と思うことがある。
また、銀河英雄伝説という話に、ヤン・ウェンリーという人物が出てくる。かつて「似てる」と言われたことがある!?(ほんとかよ!)
だから、どう?な話だけどさ…。

世間では非正規採用切りで非常に冷たい風が吹いている。
人ごとじゃないぜ。

12月
28
アンコン

結果は敢えて書かないよ。

本番、楽しかった?
アンサンブルできた?
自分のこと言えた?
言えずに悔しかった?
人の話聞けた?
聞けたけど応えられなかった?
メンバーとかけがえのない時間を過ごせた?
私もやりたかった?

もし、いくつかでも「YES!」と答えられたら成功だ。
さらに。次、もっと!と思ってくれたら大成功だ。

一段ずつステップアップをしていく。
そのためにも、少しでも時間を見つけてアンサンブルをし続けよう。

12月
26
アンコン前夜

明日はアンコン地区大会本番。

Clarinet-5、Saxophone-4、Horn-3、BariTuba-4、のグループ4つ。
他にもグループ組んだが、事前の校内予選でこの4グループに絞られた。

アンサンブルコンテストの対応は「全て生徒で組み立てること」を課題にしている。
昨年までは楽器編成の条件やそれぞれの思惑が錯綜し、グループを組む調整がうまくできなかったり、選曲で難航したり、練習の進め方でもめたり…、と大変だった。

初めは、何故混乱するのか理解できなかった。
様子をうかがいながら解ってきたことは、それぞれが言いたいことを言うくせに他人の言っていることを聞けないことだ、と。
攻撃のみで受容がない。だからせっかく誰かが調整役買って出ても聞く耳持たないんだな。「わたしはこれやりたいの!!」って。言った者勝ち、になってしまい面白くない思いをたくさんしただろうと思う。
今年はその苦労を余り感じなかった。
たぶん、前述の文を読んだ後に即座に立場を入れ替えて読み替えることができる、みたいな人が増えたんだろうと。

今回も「アンコンのこと、自分たちでどんどん組んで行けよ!」と指示してからは、こちらから積極的に何かを仕掛けてはいない。
若干の不安定要素はあったものの、生徒同士の調整だけでここまで来た。練習も自分たちで企画し運営した。
レッスンに持ってくるのが少々遅過ぎな気もするが、それでも数回ずつのレッスンはした。そして、アンサンブルに対する私の想いを伝えることはできた。
後はそれぞれのメンバーがどれだけ消化し、練習し、達成するか、だけである。

まだ明日の本番前に少しだけでも練習の時間はあるだろう。
最後の最後まで諦めずにアンサンブルの意義を深めてほしいと思う。

自分の主張と他との調和。
アンサンブルは一人ではできない。

12月
24
録音

最近、駅伝応援や練習の都合で何曲か録音することがあった。

録音で活躍するのはRoland EDIROL R-09。便利だ。小さくて軽い。単3電池2本で動く。
外部マイク付けなくても音質は充分実用に耐える。
USBケーブルでそのままWAVファイルをパソコンに取り込める。だからCD化がらくらく。
もちろんオプティカルアウトでデジタル出力もある。
メデイアはSDカード。最新システムでは16GB, 32GB の SDHCへの録音/再生が可能。
便利になったものだ。

いくつかの録音を後日ゆっくり聞き直した。そして、意外にまともであることに少しばかり驚いた。
楽譜配って一度確認の合奏やって再度さらわせ、日を改めて少し合奏レッスンした直後の録音である。
細かいことを言えば全然ダメだけど、そこそこの雰囲気出してるし、アンサンブルの基本は押さえてある感じはする。短い時間で譜読み・さらいをこなし、一定のレベル以上にする力を付けてきたという事だ。
もっとも、音は荒い。決して綺麗じゃない。
でも、音楽になっている。少なくともその方向を向いている、ことは確か。

密かに嬉しかった。
ここまで来たんだ。

12月
21
優勝

すごいなぁ。全国制覇だよ。
有無を言わさないというのはこういう事だ。すごいすごい。

駅伝女子。

決して知らないわけではなかったけれど。創部3年だって。(もっともそれ以前の歴史もあるだろうが。)
3年目、っていうキーワードで活動している部活動、他にもあるような気がするなぁ。
簡単に比べられることではないと思うけれど、それでもいろいろ考えてしまうなぁ。
ま、こうやって応援・支援で活躍(?)してるんだから、それで許してもらおう。そして、TSWも次に続こう。
 

隣は、SS高校だったな。久しぶりにMO先生をお見かけした。ちょっとスマートになった感じがしたけれど。
金管、PERCとSAX・FLだけだった。しかもだいたいが1年生っぽい。もちろん指導係の2年もいるだろうが。それはチアもバトンも同じとみた。我々に比べ、「人数多いですねぇ」と言う感想を多く聞いたけれど、あれ、全員じゃないよ。半分以下くらいじゃないかな。

さらに、気になったのでWEBで調べてみたら、吹奏楽マーチングは別の部活動の様子。今日の人たちは(MO先生がいらっしゃるんだから)吹奏楽だな。
と言うことは、1つの学校にどれだけバンド人間がいるんだ!?

12月
18
一区切り

早いものだ。もう2学期が終わる。
そして、あっという間に大晦日になり正月を迎える。

1年経ったんだな。

昨年の年明けからの記憶がふと脳裏をよぎる。

昨日、SP-BANDのお誘い文書発送した。
既に広告の目処も立ちそうだな。
プログラムビルドが遅れているが、楽譜を配っていないわけでもないし、入手の手配も必要に応じて済ませてある。
原稿の依頼も進んでいるようだ。
みんなが書いた曲紹介の内容チェックを年内に済ませてくれ、と実行委員に頼まれた。まだ1つも原稿が届いてはいないが…。
この準備に関して今回私は一度も「どうなっとるんだ!!」と促したことはない。その必要がないからだ。ありがたいことにむしろ私がせかされる。

さらに、譜読みも少しは早くなった。
ようやく今年はアンサンブルを自分たちで企画できた。グループの調整をして、選曲をして、練習を重ね、レッスンの依頼に来る。
合奏で指示された事への反応も何とかやってやろうという前向きな姿勢が見えるようになった。
少々のことではへこたれなくなった(かな?)。
 

昨日もここに書いたが、この3年でTSWは随分進化してきたと思う。驚異的とさえ思う。
しかし、残念なことにこれらの成果を具体的に直接的に表現できる、たとえば、評定や偏差値のような「数字」は無い。
誰もが優劣を理解できる(と思われている)コンクールなどの「成績」や「実績」にはまだ反映されてこない。明確なタイムで順位が決まるわけでもないし。
TSWメンバーは確実に変化し、育ち、力を付けているのにな。それを客観的に広く知らしめる事が難しい。

ここに至るまで一筋縄ではない。それぞれがギリギリのところで踏ん張り、時には絶望し、しかし、何とか勇気を奮い起こし、必死に励まし合いながら、の結果である。私だって同じだ。
これからだって今まで以上の障害が次から次へと襲ってくるだろう。

端から見たらぼろぼろの満身創痍にしか見えないだろうな。

それでも憑かれたようにやり続けるのは、それぞれが持っている「底力」がパワーアップしているからに他ならないと考えている。それが「生きる力」だと言って良いかもしれない。

そうだよ、誰だってみんなパワーアップしたいにきまっている。

だからこそ見た目だけで判断して欲しくないのだ。

音楽でやると、通常それは「感性の世界だから素人には判らない」でかたづけられるてしまうことが多い。たしかに、それぞれの自身の心の中と、信じ続けるお互いの関係の中でしか、その進化の実感は感じにくいだろう。外からではなかなかわかりにくいよな。
  

当事者は常に人生最大の悩みの連続だから、「必ずやり遂げる」と信じ、自らの力が発揮できるような周りの支援が一番大切なのではと思う。現状見えている現象だけではなく、本質を見ぬかなければ体質改善は難しい。そのための手法は常に吟味しなければならない。
その時々の現象「対処」にとどまらず進むべき先をきちんと見据えなければ、と強く思う。

12月
16
昨年に引き続き

駅伝の全国大会応援に出かける。

先日、そのためにチア部と打ち合わせを兼ねた練習をした。
小気味よい進行で、曲のサイズ合わせやら回数やらを確認できた。
当日も同じバスで行動するけれど、応援も行動も余計な心配しなくて大丈夫そうだ。頼もしいな。
主体は6名の1年生だ。3年生もいるけれどサポート的。
見習うべき所たくさんあると思う。良い機会だぞ。

さて。
その練習の時に、おや?と思ったこと。
とりあえず音を出し、確認をしたり、の最中に私とチアとのやりとりが続くのだけれど、その間の絶妙なタイミングでTSWのメンバーの中からメンバー同士に向けて声がかかった。
「あの、音程がとても悪いです!」
「ハイ!」
今までにはなかった事だと思う。
私のいない時にお互い声を掛け合うことはあっただろう。しかし、今のは状況が違う。
私がいる前で。
重要な打ち合わせをしているタイミングで。
しかもその打ち合わせに邪魔にならないような隙を突いて。
その時の私は曲のサイズなどチアとの合わせに最大限集中しているから見落としているような内容。
的確な問題点の指摘。
全員に対して通る指示。

気が付かなければ、そのまま過ぎてしまうような小さな事だけれども、実はとても大切なこと。
指摘する方も、受け取る方も、その瞬間の状況が理解できている必要があるからだ。

同じようなことを今日も感じた。
私が仕事で出たり入ったりばたばたな合奏のなか、「ちょっとやっといて」と私が抜けるとすぐさまお互いに声がかかる。

そういうことが成り立った、ということは状況が「理解できている」という証し。進歩の証しと考えてよかろう。
進歩する、とは決して楽器の技術だけではない。練習のノウハウも。
一つずつ。ゆっくりだけれど確実に。そして次へ伝えられるように。

誇り高き伝統を作ろう。

12月
14
冬の練習会

という名称のイベントだった、今日は。

近隣の中学がTSWに来てくれる。当然顧問の先生方も。嬉しいことだ。もちろんそのような機会を作ってくださるからこそ。感謝。

運営は、私がしゃしゃり出るのではなく、できるだけTSWのメンバーがお世話する形で進めたいと思った。
期待通り、みんな一生懸命やってくれたね。ありがとう。
何より自分たちのためになったのではないかな。
教えるということは、実は一番勉強できるんだ。

どれだけ、来てくださった皆さんの為になったかは、正直わからない。
でも、嘘も隠しもしない生のTSWを見ていただいて、何か思ってくれたら感じてくれたらそれで良いと思う。
さらに、一つでも良かったな、と思ってくれることがあったのなら嬉しいね。
それがあなたたちの、TSWの、学校の評価になっていくんだ。
良かったなと一つ思ってくれたなら、次には二つになるように、これからさらに努力するんだ。

中学生の皆さんは「また来たい!」と思ってくれたかな?
顧問の先生方は「定期演奏会、必ず参加させてくださいね!!」って、「また、中学校へ指導に来てくださいね」って、お言葉残していきました。
ご期待にお応えしたい。

文化ってやつはそうやって培っていく。

12月
11
耕す

小学生の時だったかに読んだ記憶。

ツンドラ地帯の凍った土を苦心して鍬で掘り、食べるために植物の種を蒔き、しかし、ほとんど永久凍土だから少しも芽を出さない。さて、どうやって生きていこう?

何の話だったか、結末はどうだったか、他のことはほとんど何も覚えていないのだけれど、このエピソードだけは鮮明に覚えている。
「そんな無駄な事してどうするの?
いやいや、これを無駄と言ったらバチが当たる。ほとんど可能性の無いようなことにでも望みをかけてやるしかないんだ。
やっても無駄かもしれないけれど、それをしなけりゃもっと生きていけないもの。」
と思った(−そういう話の筋だったのかもしれない)事は忘れてない。
 

内部的にも、その周りも、もう少し大きな枠組みでも、ここでは相当な覚悟が要る。
だいたい移民し入植する時、バラ色の将来が約束されているような錯覚がつきもののようだけれど、しかし現実は想像からほど遠い場合がほとんど。その先は苦渋に満ちた困難の連続だ。
その昔からの凍った荒野が続いている。(あるいはかつては栄えた遺跡を発掘できるかもしれないが。)
凍土を融かし、木を切り、石をどかし、平らにし、耕し、…から始めなければならない。
ちゃんとした種蒔きが出来るところまでいったら感動ものだぞ、きっと。
一番の敵は凍った土ではない。凍った土に「融かす必要」を感じない理解しない人、もしくは風土である。あるいは制度かもしれない。

その敵に対して1人では決して太刀打ちできない。荷が重すぎる。だから精鋭な仲間が要る。

そして石の上にも3年。
ようやく、少しずつ周りに融ける気配が見えてきたかな。
「融かさなければ!」「これじゃダメだ!」と気がついたかな。
中学校とか小学校とか地域とか関連業者とか。
「融かさなきゃ」な気持ちが萎えないうちに動かし始めないと、またここら一体の地面が凍り付いてしまう。
で、誰がやる?
膨大なエネルギーが必要だよ。
みんな自分の畑が手一杯で、誰も全体見てないよ。

桃栗3年 柿8年 柚子の馬鹿たれ18年。

調べてみたら、柚の馬鹿たれは13年だったり15年だったり18年だったり20年だったり。

18年待てますか?
18年融かし続けられますか?
ま、それくらいのスパンで文化が育つのだったらとっても簡単なんだけど…。