12月
07
さらに)昔の

日誌。

2008年3月20日に開催された第3回定期演奏会直前。
前後の日付を見ると、どうも3月19日っぽいのだが、もしかしたら定期演奏会が終わってからかも知れない。

卒業するにあたって、引退するに部員に向けての内容なので、ここに書き出すには少し時期がずれているし、対象が限られているもののような気もするけれど。
ま、シリーズで書いてきた続きなので敢えてここに書いてみる。

日誌より。

(2008年3月19日 …と思われる)

〜前略

2年目はあっという間だった。
もっと色々なことを伝えたかったな。

練習がどんどんキツくなっていって申し訳なかったね。

〜中略〜

その瞬間に感じた事をほとんど動物的に言葉や行動にする。何かを感じてから言葉を発するのに1/10秒はかかっていないと思う。ほめる時も怒る時も。だからあれは私の生です。しぼりたて。
人によっては拒絶したい場合もあるだろうし。でもしょうがない。あれが私という人間の生なのだから。
人と人がぶつかる事を要求するのに、自分がぶつからなかったら何の見本にもならないから。だから醜いけれどあの合奏モードを多くしました。
悪かったな、と思いますよ。

で、2年いっしょにやりました。

私は本当に幸せです。怒る事も何もかもTSWで活動している事は全て幸せです。
あなたたちと一緒に音楽できたから。
最初に書いたような状況の中でTSWをはじめて、自分の生き方を考える場面があなたたちといっしょだった事は、私にとってほんとうに幸せだったのですよ。

〜中略〜

私は、このTSWの活動について人生を賭けているのです。
もしかしたら解雇されてしまうかも知れない危険を冒してもみんなに伝えたい事あるし、やりたい事がある。
もしかしたら学校の風習に合わない事やろうとしているかも知れないし、大きな無理をして、この先活動ができないようになるかも知れないし。

それでもあなたたちと活動したいと思う。それはたぶんこの先も同じ。
大きなリスク背負って、でもみんなに何か伝えたい。
結局それが私の生き方なんだろうーなと思っています。

もう一度みんなに気付かせてもらった。

私は私の道を自信を持って歩き続けます。
まよう事もあるだろうけれど、その時は、またみんなに甘えます。

〜中略〜

では。

これからが出発です。

何を言っているのか良く解らないところがたくさんあるかもね。
…”人生を賭けているのです” なんて大げさだなぁ…。こっぱずかしい!
この後、あまりこの言い方はしていない。”生活を賭けて” な感じが多いかな。

TSWで苦楽を共にし初めて世に送り出す人たちに向けた、出逢った時からを振り返った走り書きで、しかも9ページに渡る物の一部なので余りまともではありませぬ。でも、自分の覚悟の再確認はできるような…。

さて、3日後に試験明けて練習は再開。
第4回定期演奏会に向けてTSWは本格的に動き出す。

さらに何かを伝えたい。

この瞬間は今しかない。

12月
05
期末試験中

なので、今TSWの練習はしていない。
しかし、音楽室や合奏室、準備室は開放してるから、そこで勉強したり気分転換に楽器吹いたりしている。
また、準備室では、学習したり、打ち合わせしたりのBGMで様々な音楽を流していることが多い。モーツァルトだったり、ピアソラだったり、兼田敏だったり。

先日聞こえていたのはヘンデルだった。
ピッチ悪いし、なんだかなぁ、下手だなぁ、ヘンデルにしては楽器の編成が変だなぁ。
「水上の音楽」かぁ?「王宮の花火」かぁ?どっちだぁ?と思いながら何となく耳にしていた。

しばらくぼーっと聞こえている状態が続き、

あれ、でもな?
不思議な感じだぞ?
音楽として破綻はしていないぞ?
何処の演奏だろ?

と集中して聞いてみた。
「おや、吹奏楽じゃん」

そのときになって初めて「もしや??」と、気が付いた。
そして、そばにいた人に「それって何処の演奏?」って聞いてみた。
「T高校ですよ」
うぎょ! やっぱり。

自分の演奏だった…。昔の…。
 

だいたい自分の演奏っていうものは出来ればその直後には聞きたくない。アラばっかり目立って平常心では聞けないからね。すぐ次々飛ばしてしまうか、再生機械を壊したくなる。
それでも自分の勉強で聞かなくてはいけないからとりあえず録音は取る。

以前、バンドがうまくいっていなくて、どうしようもなく下手くそな演奏会をしてしまった、と思ったことがある。やはりその録音を直後に聞く勇気はなかった。しかし、いつものようにその録音を親しい音楽仲間に配ることはした。

すぐにその録音を聞いた感想をいただいた。
「涙が出た。」
「聞いている最中止まらなかった。」
私としては「えっ? そんなに酷いのか」と金槌で殴られたようにショックだった。
「ごめん。変なもの送っちゃったね。」

「いや、違うよ。全く正反対。この演奏は奇跡だと思う。なぜならちゃんと音楽してるから。」
「どんなに達者な演奏でも音楽になっていないことが多い日本の吹奏楽の中で、この演奏は紛れもなく音楽だと思う。」
「確かに拙い技術だけど、その拙い技術でもちゃんと音楽は出来るんだ、という証明が出来ている。だから涙が止まらないんだ。」

というような会話だったと思う。
社交辞令をいう人ではないから文字通りその人の感想だとは思うが。
私としては「そういうものかねぇ」程度でにわかには信じられなかった。
 

つい最近、月日が経ってようやくその録音を聞き直した事になるわけだ。
過ぎた年月といい、勝手に音が流れてた状況といい、私にとってはほぼ理想的に、自分の演奏を客観的に聞く事が出来た。

確かに下手だった…。音程悪いし…。音外すし…。
しかし単なる音ではなく、音楽だった…。流れに淀みはなかった…。

かつていただいた感想の意味が少し解った気がする。
もっと自信を持とうと思った。
音楽の力は計り知れないのだから。

12月
01
久しぶりに

ゆっくり、まったり、休日を過ごした。都合3連休。
本当に久しぶりだった。

今日の午後なんか何となく正月な気分さえしてきた。まだ師走だというのに。
3連休がまずあり得ないし、さらにどこへも遠出しない、なんていうのは今までほとんど皆無だったからな。

普通なら毎週この土日のお休みがあるんだ。毎週連休だよ…。

何年か前は毎日がこれだった(気分的にはもう少し違った…)けれど…。

羨ましいようで、実は違う。逆のことを考えた。
休む暇もないくらい没頭することがあるという幸せ。
TSWのメンバーとBANDをする幸せ。

BANDは正直苦しいことだらけだ。
降って湧いたようには良い音楽は出来っこない。
毎日毎日、休み無く、地道に積み上げていくしか手はない。
だからこそ、本番で奇跡のように起こる一瞬の喜びは、他の何にも変えがたい価値がある。
それを共有する仲間がいるって事。
それを共有する時間や空間があるって事。

TSWのメンバーとBANDをする幸せ。
この三日間でかみしめたこと。

11月
29

今回の修学旅行でいくつか気が付いたことがある。

「気が付いた」ではなく「再認識した」の方が近いか。

昨年、次々と泊まったホテルにて毎食後、コーヒーを飲みたいと思った。
だからホテルの人に「コーヒーはありますか?どこかで飲めるところありますか?」と尋ねた。もし食事にコーヒーを含んでいないのなら自分でオーダーして飲むつもりで。
しかし、だいたいの所ではサービスでコーヒーを求められていると思うのか「しばらくお待ちください」と引っ込み、責任者らしい人が出てきて、普通はコーヒーはサービスしない旨の説明をしてから「特別にお出しします。時間がかかりますが少々お待ちください。」と、手続きがややこしかった。
その事を添乗員さんに、自分で払うから食後のコーヒーを手配してくれないですか、と話をしたりしたのだが、なかなかわかってもらえず結局全部自分でやった。

今回、最初のホテルで同じ事を望んだ。ホテルの方は「大変申し訳ありませんが修学旅行の場合、食後のコーヒーはサービスに含まれておりません。しかしコーヒーをお入れすることはできます。別料金になりますが。」と明確にしかし丁寧にお話しいただけた。「もちろん自分で払います。お願いできますか?」
大変スムーズだったことに気をよくした。
次の朝、何も言わなくてもコーヒーが出た。おっ!とびっくりした。それだけでない。別料金ではないのだ。
さらに。次のホテルでも、何も言わないのにコーヒーがある。さらに次のホテルでも、打ち合わせでコーヒーが出てきた。
先のホテルで「修学旅行の場合、どのホテルもコーヒーのサービスはしない」のだと明言されたのにもかかわらず。ホテルの対応が一律にサービス良くなったわけではあるまい。

===

長々とコーヒーのことを書いた。たかがコーヒー一杯。されどコーヒー一杯。
あの状況の中、コーヒー一杯が普通に出てくるには確実に誰かの配慮があるはずだ。誰かの指示であると考えた。誰だろう?
我々教員は無粋だからそんなことに気が付くはずはないし、気が付いたとしても一つ一つ指示する余裕は無いと思う。
たぶんこの場合、できるのは添乗員さんだけ。
今回同行した添乗員さんが、私が自身で払ってコーヒーを飲んだことをどこかで知って、先回りしたのではないだろうか。きっとそうだ。

このことだけをとってみても今回の添乗員さんの質の高さが解る。かゆいところに手が届くのである。
そうやって思い起こせば、気が付かないところでそういった配慮がたくさんあったのだろうな、と推測できる。
毎日の反省会の手配。
何かトラブル前に手を打ってある手腕。
クレームの処理。
事前の予知とその対策。
同行している部下への配慮。
素晴らしいと思った。

そういう意味で昨年は私自身、様々なことで随分イライラした記憶がある。
お世話になる(マリンスポーツなどの)現地業者さんと話をしたが、そちら側も同じようにイライラしていたみたい。結局、学校と現地業者の間で随分ギスギスしたやりとりになってしまったのは、間に立つ人の采配如何だったのだと思う。

結局「人」なのだ。

今回は添乗員S氏が素晴らしかった。
最後別れる時に「楽しい旅でした。本当にありがとうございました。」と心からお礼を申し述べた。
「この人だったら、次また何かあったときにお願いしたい。」と思った。
決して旅行会社に対して思うのではない。
この「人」に対して思うのだ。
少なくとも私はそう考える。この人だったら信頼できる。託そう!と。
 

バスのガイドさん運転手さん、タクシーの運転手さん、ガマでのガイドさん、ホテルの方々、様々なところで様々な「人」に関わって旅行は進んでいく。
お世話をしていただける「人」と、それを受け取る我々の「人」。
受け取る側、つまり我々(生徒)の「人」が未熟であることは重々承知ではあるが、しかし、ちょっとそれはないんじゃない、と思う状況は多々あった。
「人」と「人」が関わって物事が成り立っているのにそれを尊重できないことは、人としてとても貧弱だ。

特に沖縄で私たち修学旅行に関わっていただける人たちは皆、「平和について伝えたい」と思っていらっしゃる。 

その気持はとても強いのだと今回さらに感じた。

その思いをきちんと受け止めるだけの誠意は常に持ち合わせていたい。

結局は「人」なのだ。
「人」を磨くこと。

そして、かつての師匠の言葉がオーバーラップしてくる。
「音楽はな、人だぞ、人。 教育もな、人だぞ、人。  …技術じゃないんだ。」
教える側も教えられる側も「人」を磨かなければいけない。

どんなことがあっても忘れてはならない。

11月
24
続々)昔の

日誌。シリーズでもう少し続くつもりです。

明日から修学旅行。昨年に引き続き再度沖縄。
PCを持って行こうか悩んだけれど、持って行かないことにした。だから、旅行中のWM更新は難しいと思う。ケータイでやれるだけやってはみるけれど。

ということで昔の日誌シリーズ、今書いておこう。
今回も以前(3月頃)、日誌に私が書いたもの。第3回定期演奏会直前だ。
年明けてから、運営も、演奏会の準備も、もちろん練習も、何もかも上手く進まずみんながジリジリ焦げついていた頃。

日誌より。

(2008年3月5日)
「先生の悩みってこれかもね」ってか。
ある意味あたってる。
でも意味は全くの逆。あなた達が邪魔な荷物であるわけがない。
そこまであなたたちを追いつめている自分が苦しい。
・もっと気楽にやればいいのに…!ってこえが聞こえる。
・もっとのんびりここのペースに合わせればいいのにって思う。

でも、それを許せず、私の思うレベルまで行きついてほしくて無理を言い、みんなは、なんとかそれに応えようとしてくれて、でもうまくいかず、追いつめられて苦しんでいる。

そう、原因は私だ。まぎれもなく私が悪いのだよ。だから苦しい。(私に会わなかったらこんな苦しみは知らないですんだのにね)
自分の目指す所にあなたたちを導いてあげられない能力の無さが最大の私の悩み。

あなたたちを「私の仲間だ」と言っておきながら苦しみのどん底につき落としている自己矛盾が苦しい。本当に苦しい。あなたたちを理解できない自分が情けない。

後略〜

直後にさらに書き加えている。
日誌より。

(2008年3月6日)
〜前略

さて。
人間難しい。人間難しい?

考え方を変えて変えてみよう。
「人間難しい」から困るんじゃない。
難しいのが人間なんだよ。

そんなに簡単に人間わかってたまるか!
難しいのが当たり前。

だから色んな失敗するしうまくいかないしハラもたつ。
難しいんだからしょうがない。

でも、だからこそ思いやりが必要で優しさが必要で助け合うことが必要なんじゃないか?

人間、みんな不完全。だから声かけあって痛い所もつつきあってみんなが少しずつそれぞれの足りない所を補うんじゃないのか?

人間だからこそできる事はそういう事なんじゃないか?

何度書いても書き足らないからもう一度書く。
私は120%君たちを信じたい。
だからうわっ面のごまかしの言葉はいらない。
だから心の奥底からの生の声だったらどんな声でも真正面から受け止めたい。
それが、仮に想像を絶するすごい声だったとしても。それを全て受け入れる覚悟はもう既にある。
無条件に120%信じたい。だから私のことも信じてはくれまいか?

この頃は本当に苦しかった。私もみんなも。
しかしそれを乗り越えて第3回定期演奏会の成功まで持っていったんだよな。
しかも、演奏会前日深夜まで(いや、…明け方まで…だったなぁ)とてつもない苦悩に悶絶していた。
それでも乗り越えられたんだ。
そしてついにこうなる。

信じること。奇跡を生むこと。この記憶しっかりと胸に刻む。

11月
23
本番三つ

昨日二つ。

いなり楽市。朝10時からいっぷく亭前。
朝一番で合奏してから、積み込み移動。
移動や準備の時間もぎりぎりでなく。一つ一つ私が指示をすることもなく。なんとか想定通りの動きが出来てた。そう言う意味では随分進歩したと思う。
しかし、寒かったな。音程はシビアに合わせるの無理だよ。でも、本番で音出しながら少しずつ合わせようとする努力はもう少しあっても良いと思う。

11時直前に終わってすぐ移動。いなりの中で11時30分から本番だから、ここはギリギリだと思った。出来るかな?
車で運ぶのではなく人海戦術の方が早いと思い、何往復かして運ぶように指示。
どうしてものものだけ車で運ぶ。人出やイベントでにぎわっている中、なんとか境内に入り込み下ろす。
何とかなったか?と思って自分のスコアと棒を持って出ていったらもう既に総合司会が始まっていて、時計を見たら11時29分。
さらに我々のMCも開始された。定刻スタートだ。
素晴らしい。

先刻よりは随分マシな演奏になる。ただ観客が遠いので一体感はあまりなかったかな。

お世話していただいた方のお孫さんはH丘でバンドやっていたそうだ。どうりで詳しいわけだ。
その方が、終わった後、ポソリと「しかし上手くなったなぁ…」とおっしゃった。私に対してではなく独り言のようだった。少し嬉しかった。
精進料理をおいしく戴いて学校に戻り次の日の本番の練習。合奏。
ああ、忙しい。

で、今日一つ。
新城に行った。初めての小屋。ピットの張り出しステージだが、全体が反響している。
演奏中に響きの悪さは感じなかった。むしろ気持ちよい。客席ではどうかな?

ただ、響くホールは怖い。響きに生音が埋もれてしまう傾向があるようだ。
実力の差が如実にでる。上手いと響きが助けてくれる。下手だと響きに負ける。
何度かこの小屋で練習してみたいな。

演奏は、「ま、やることはやった」感じ。決して悪い印象ではない。もちろん課題は山積み。これから一つずつ潰していかねば。

本部のモニターでしか聴けなかったけど11人のAN高校のバンドは好感が持てた。1人1人が誠実で一生懸命な音がしていたと思う。見習うべき事はたくさんあるだろう。

最後に舞台係をした。こちらもまだまだ課題はあるが進化は認めらた。
一度に全てを望むのは難しいのは解っている。一つずつ確実に自分の物にしていこう。

何事も「出来る」と信じることから始まる。
「自分は出来るんだ」と信じる事できなくて辛い事もあるだろう。
逃げ出したい時もあるだろう。
でもそれは、出来ないことから逃げるのではなく「自分はできるんだ」と信じることから逃げるのだと思う。

逃げ出したいのは、今まで信じたことがないから、信じてもらったことがないから、なのかも知れない。

でもTSWでは信じることが出来るのだ、と思う。
信じたいと思うことが出来るのがTSWだ、と思う。
だから少しずつでも進化できるのだ、と思う。
TSWにいさえすれば。

11月
22
続)昔の

日誌。

前の続きがある。

日誌より

(2008年1月31日)

〜前略

疑いを持ちつつ信じるのは辛い。それは誰だってそうだ。
じゃ、なぜ疑うのかな? 何を信じるのかな?

昔々こんな事があった。
あるクラスで盗難事件があった。何人もの被害者、かなり高額だった。
調べていくうちに何人かが疑われた。そのうちの1人にバンド部員がいた。確かにそいつは素行も悪く、約束破る事も多く部活やっていれば他の事はどうでも良い、みたいなやつだったから、指導部も担任も「ほぼ黒だろう」と疑ってしまうのはある意味しょうがないと思った。
クラスに行けないようになってずっと音楽準備室に入りびたり、そこで色んな話をした。もちろん本人は「やってない」と言う。さらに「ある事を知っているがそれは言えない。人を裏切る事になるから」と言う。だから「私が疑われている事はそれで構わない」のだと言う。他の先生に言ったのかと聞くと「そんな事学校のセンセイには言えません」「だったら何でおれに言う?」「先生はセンセイじゃないから…」…なんか良く解らんな。

その時私が何を考え決断したか。
やつの家庭はわりと大変で親とうまくいってない。約束やぶる事多いから友達も半信半疑な感じ。もちろん指導部や担任は疑っている。
どこまでが本当かわからないけれど私に対して色々話してくれた。たぶんそれは本人の気持ち。
やつは今誰からも信じてもらっていない。だからこの世の中で1人くらいこいつの事を信じる人間がいても良いんじゃないか。それなら私がその信じる人間になろうと思った。そして、そうした。
殺人をしてしまった息子を「それでも本当はあの子はそんな子じゃない」と信じる母親のように。
「信じる」という事は無条件なんだな。
その時気付いた。信じる、とか、疑う、とかはその人の行為に対してではなくその人そのものに対してなのだ、という事を。より本質を見定めようとすればその行為の奥に何か別の物がある事に気付く。それを見ようとする努力は常に必要だという事を。

〜中略〜

盗難事件の真犯人であったかどうか、それは今でも解らない。もっと時間がたったらおしえてくれる事もあるかも知れないが…。
それよりもヤツがその時何を考え何を悩み何を苦しんだか?そしてその事が年を重ねた今どう生きているか?
そこに少しだけど関わってしまった私が何を信じたのか?さらにその事がヤツの生き方に少しでも役に立っているか?

 なんてことが私にとって大切な事なんだな。

裏切られるのがこわいのならはじめから信じなければよい。
信じたいと思うのなら裏切られる事を含めて全てを信じなければならない。

信じる、という事は 自分の決意 自分の覚悟。
人のために信じるのではない。自分のために信じる。
全て自分の責任において。

その意味で究極の自己中、と言う事なのだな。

こんな事書いているからか、「さすが永遠の23歳!わかいですな!」と、口の悪いかつての生徒から励ましのメールをいただいた。ありがとう。
そうそう、私は弱冠23歳の未熟者だからね。まだまだ青いのです。

11月
22
昔の

日誌。何となく読み返したくなってね。
TSWに来てから3年経ち、日誌もだいぶたまってきたから、どれがどれだったか探しながら、ああ、あのときはこうだったなぁ、と思い出しながら楽しんでいる。

今までこのWIND MESSAGEで紹介した日誌はTSWのメンバーが書いものだったけれど、私自身が書いたものもそこそこある。
メンバーが書いてきたものに対して応える場合もあれば、私から話題提供する場合もある。走り書きの場合が多いから少々脈絡がない事もあるけれど、その当時の生な声だと思う。
今日はそれを少し書き出してみることにした。
「人を信じるって辛いんですかね」という問いかけ(だと思う。自問自答かも知れないけれど…)に応えた形になっている。

日誌より

(2008年1月30日)

信じることは辛いか?って。 辛いかもね。 でもなぜ辛いの?
信じているその瞬間が辛いか? たぶんちがうね。
信じている事、信じていた事が無意味だと感じたときが辛く感じるときだよね。
あるいは「無意味だと感じるときが将来あるかも」という事を予想しているときも辛いかな。でもこちらは「…かも」という仮定の話だからもしかしたら無意味じゃないかも知れない。その時は別に辛くないよな。

 
という事で「信じる事は辛いか?」の問いに対して私の答えは「No」
信じる行為は辛い物ではない。しかし信じる行為が無意味になった時、すなわち信じたのに裏切られたりした時が辛い。という事だと思う。

〜中略〜

私にとって信じるという事は100%か0%のどちらか。中間はない。作らないようにしている。
信じよう! と思ったら無条件で100%だ。
自分の心の中だもの自分でコントロールできる。何がどうなっても100%信じる。
相手がどう?じゃない。自分の中、心の内部の決意だね。
「認められる」とか「信じてあげる」とかじゃない。自分と相手の関係の中で「信じる」のではなく、とにかく自分が信じる。それで良いんじゃないか。と思うが…。というよりそれしかないんじゃないのか。

〜中略〜

自分の中で何をよりどころとしているか、自分がどう考えているか、が問題で、個々の相手1人1人が現在良い人間かどうかなんてあんまり関係ない。その意味で自己中という言葉は文字通りそうだと思う。むしろ、それで何が悪い?と開き直りたくなる。

11月
19
昨日から今日

今日から明日。
僅かずつでも動いている。
一日一日は同じではない。
かけがえのないその日々が、さらにその先の大切な一日一日に繋がっていきたい。

1つ1つの「音」を大切にし、それがお互いに尊重しながら積み重なり、次々と連なっていく。「音」が「音楽」になり得る重要な鍵だ。
はじめは1つ1つの音の大切さを良く判っていないこともあろう。音楽の流れなど気にもとめないかもしれない。
しかし次第に、まずはそれぞれの「音」(個)がなければ「音楽」(全体)の流れをつくることなど不可能なことに気がつき、さらに大きな「音楽」(全体)のうねりの中でこそ1つ1つの「音」(個)が生きる事を感じられるようになる。
音楽の、アンサンブルの、一番の醍醐味だと思う。

人との繋がり。

そしてそれが一瞬ではなく、時間とともに流れてゆく。
緊張と緩和。
ストレスと解放。
ドミナントとトニック。

音楽の幸せ。
 

日誌より

〜前略

今日は久しぶりの合奏でした。
昨日もしたけど、そのときは11人。
やっぱり人数が多いっていいなと思いました。
人数ってよりもみんながいるって良いなって思いました。
みんながいるとすごい安心する。
存在がとかじゃなくて、音にすごい安心する。
まぁ、存在してないと音は出せないから、存在になのかもしれない。
でもただいるだけじゃ意味がないから、やっぱり音だ。
みんなの音があるから自分も安心して音が出せる。
ただ人数がいれば良いってことじゃなくて、このメンバーだから安心できるんだと思う。
だから1人でもいないと不安だし、だからこそ1人1人がすごい大切な存在。いないと困る。
TSWの中に必要のない人なんていないと思う。
TSWって良いなって思いました。

TSWの中に必要のない人なんていない。
全くその通りだと思う。

11月
16
研修2

研修二日目はA-M高校の吹奏楽の実践発表および練習見学だった。

何よりびっくりしたのは年間の予算のこと。
ここは大きなホールでしかも2部制で定期演奏会をやるからその利益が多い。それ以外でも年間何十本の依頼演奏本番(ま、営業ですねぇ)があり、顧問の先生の言葉によれば「儲かってしょうがない」ということ。
で、生徒からの部費徴収は無いらしい。あの活動内容からすると信じられないけれど、そういえば昔からそうだったような気がする。

もちろん学校からの予算も桁違い(普通の吹奏楽部からするとたぶん二桁違い!)で有るそうだ。遠征なども全て学校持ち。すごいな。逆に楽器の個人持ち率は90%を越えている(打楽器以外は全て、くらいの数字じゃないか?)というから、各個人のお金のかけどころが違うだけなのかもしれないけれど。
前日の合唱部事例では、どうしても音楽はお金がかかるから生徒からもだいぶ徴収しています、だったので、伝統と実績のある所とは随分差があるなぁ、という印象だ。

その割には合奏する部屋は昔と何ら変わらなくてとても懐かしかった。音の乱反射防止にパンチカーペット引き詰めてあったり。
150人が音を出すので学校内だけでなく近隣(普通に街中)に向けても騒音対策は必須だと思うけれど、そのあたりはどうしているのだろう?
ほぼ建物一棟が練習場のようではあったが。

練習は、生徒による基礎合奏と、アルメニアンなど何曲か通しで聴かさせていただいた。やはり個々の楽器技量はさすがだな。上手い。このあたりまで目指さなきゃダメだと再認識。
音楽的力量は開発中な感じかな。自発的、積極的な表現と、それをアンサンブルでどう処理するかなどは、どこのバンドに行っても共通の課題のようだ。特に最近は。
午前中の研修で話題になった「日本はこれだけ吹奏楽が盛んでスクールバンドは世界的にもトップレベルにあるのに、なぜか世界に通用するプロの管楽器奏者が生まれない」の答えがそこにあるような気がした。
技術力と表現力がとてもアンバランスだと思った。
残念ながらTSWは全然その域まで達していないので、まだまだひたすら技術を磨かねばなりませぬが…。

いずれにせよ、じわじわじわじわと「おぉ!バンドやりてぇ!」と心から思った二日間の研修だった。
行って良かった。ホントに。