2月
26
譜読み

新しい楽譜を10曲ほど渡されたので、製本し読んだ。

その中に面白い曲があった。
でも、譜面はめんどくさく書いてあるなぁ。
16分の11と16分の7の交互。16分音符で4+4+3/4+3なんだな。
譜例1


しかし結局曲の最後では、同じようなリズムのパターンが普通の4分音符単位の拍子にならされて書いてある。
譜例2


(わざわざ譜例まで作ってみたのよ。…スコアじゃないからこれだけじゃわからないかも。)
音楽の内容と楽譜の書き方の慣例によって、これはほぼ同じモノ、と私は思うのだが。
ただ違うのはバッキングのリズムで、16分音符分母の方はリズムのユニゾン、ならしてある方は言うならば16ビートで裏を刻んでる感じ。
どちらがめんどくさいか。楽譜を書く上でめんどくさい、演奏する上でめんどくさい、色々あるけれど。
覚え書きのつもりでここに書いておく。

曲の内容はなかなか面白そう。5分弱の曲。
調べたら、吹奏楽編成にビッグバンド要素を持たせた、と作曲者自身が書いているようだ。
なるほど。16分音符の細かいリズムの交差やシンコペーションの正確さは必要だろうな。
しかし、私はこれはマーチングの世界に合っている、と思ったよ。
編成はともかく、パワーとか躍動感とかリズムのおもしろさとか。

いつか機会があったらこんなタイプのマーチング曲を書いてみたいかも。
もっとも、それまでにバッテリーパーカッションのお勉強が必要だな。

2月
08
育てる

愛知県の文化施設でJAFRAアワード受賞館は二つ。
うち一つで先週、吹奏楽フェスティバル。
今週は、もう一つでジュニアユースウィンドアンサンブルの発表会。

双方とも吹奏楽での関わりで、中身は青少年の育成を期待されている。
活動はとても先進的で有意義な取り組みだ。
そんな立派な意識を持っている方々(他の出演者や指導者、主催者)と練習、本番の合間、終演後などおおいに話しをした。
話題の多くは、「(育てることが)なかなか難しくなってきた。」の一点に絞られる。

昨日のこと。
本番中ホールの中で電話をかけている親がいたそうだ。周りの人(同じ観客)が注意すると「なんでそんな事あんたに言われないかん!?私の勝手でしょ!」だったそうだ。
特に最近多いらしいが、かといって最近の親世代が…、ということでもないらしい。
和太鼓のリサイタル、遅れてきた老人が演奏中、中に入ろうとしたので「演奏中の出入りはご遠慮ください」って丁寧に注意したら「俺は客だ!入れろ!」

そんなこんなの多すぎる障害の中で、健全な青少年育成を本気でやろうとしても自分の無力を思い知るだけで苦しい。本来やりたいことに行きつく前のトラブルが多すぎる。

だから、学校現場はほとんど諦めているようにも見える。何かあれば即教員の責任を問われ学校の見識を問われ足をすくわれる。誰だって痛い目には遭いたくないから差し障りのないところまで。

話していくうちに、学校教育ではなく、もっと別、社会教育の範疇での対策のほうが有効なのかも、と思うようになってきた。
しかし個人の力だけでは如何ともし難い状況まで来ているだろう。
何かもっと大きな組織的な動きが必要なんじゃないか。

2月
01
第6回

長く続いているなぁ。
地元の吹奏楽フェスティバル。継続は力なり。

回を重ねる毎にパワーアップしていると思う。
多くの賞賛の声をお寄せいただいた。
「演奏者の素晴らしい顔に感動した」
「参加者全員の大勢での演奏、というだけで感動していたレベルから、音楽としての感動に変化しているよ」
参加した生徒が、わざわざ私のところまで駆け寄ってきて
「音楽って本当に楽しい、って感じました、ありがとうございます!」

なんといっても地域力だと思う。
そして毎日地道に現場で活動している方々の努力の賜だろう。

世の中、事業仕分けで大変なのに「来年もよろしくお願いします」と言っていただける。もっとも仕分けられそうな文化教育事業なのに。
行政、教育、地域、家庭、それぞれの文化に対する熱意、それらの連携、さらに啓蒙の努力。

そんな背景があってこそ、演奏直後のみんなの顔が素敵に輝いている。
この瞬間は何にも代え難い。心の宝物だ。

1月
04
表現

明後日が本番らしい。

年末にレッスンして、年明けて今日、再度レッスンに行った。
見違えるようだった。
自分たちの表現をしようとしている意図が良くわかった。ただし、その段階まで行くと技術の不足が目立つようになる。
個人の、アンサンブルの、さまざまな種類のテクニックが必要になる。それを1つ1つ説明しながらメンバーの相互理解を深めていった。
やればやるほど格段に良くなっていく。

こんな練習はどんどん欲が出るね。
明日も行くことにした。
細かいダメをどんどん潰しておいて。
まだまだやるべき事、出来ること、沢山ある。

12月
15
行進曲

を書き終わった。最近にしては珍しく、随分無理をして夜なべを繰り返した。

そして、とにかく昨日楽譜を渡しに行ったが、ご本人には会えなくて受付に託した。
とりあえずのスコアとパート譜。練習に入らなきゃちゃんと演奏できないもんね。

すぐ連絡きた。
「8分の6じゃん。」
「そだよ」
「…う。…リズム、…がんばります。」
「演奏会、いつだっけか?」
「12月23日だよ」
「うわ。近いね。がんばってね。音域も高くないし、そんなに難しくないと思うよ。細かい直しをした楽譜すぐ作るからね。」

数年前も曲の依頼をいただいた。定期演奏会のアンコール用の曲。
「3年生が、ソロでリレーできる曲が欲しいんだ。最後のステージの最後の曲だから。」
「あ、お涙頂戴やるの?」
「うん。だめ?」
「いや、良いよ。」

行進曲を頼まれたとき、既にそのことはまったく忘れていた。言われて思い出した。「LastStage」ってタイトルのバラード。
「あの曲、まだやっているの?」
「…。もうそろそろお涙頂戴やめないと、と思っているんだけど、止めようとすると生徒が怒るんだ。」
「そっか。気に入ってくれてるんだ。良かった。」

実は演奏を一回も聴いたことが無い。
そうだ。マーチの初演を聴きに行こうかな。2009年12月23日愛知県勤労会館。アンコールまで居れば2曲とも聴ける。

12月
14
緊急な電話

日曜日のちょうど正午頃、ケータイが鳴った。
「ちょっとトラぶってます。楽譜が入れ替わっていて、バスーンの楽譜なのに中身がクラリネットです。至急正しいのを持ってきてくれませんか?」
「え、それは申し訳ないです。今どこですか?」
「栄の明治屋のむかえです。2時頃までリハしてます。そのあと本番です。」

…えっ!
えらいこっちゃ。
今リハ?
今日本番って?
時間無いじゃん!
あわてて楽譜をFINALEで立ち上げ、パート譜の確認。
あれ、ほんとだ。中身入れ替わっている。
原因解明は後回し。間に合わせなきゃ。

ということで楽譜を読み込み直し、印刷し、即、車で出かける。
高速道路を乗り継ぎ、栄に出る。12:40着。
しかし。まだ営業時間じゃないから店の入り口が開いていない。
電話したってリハ中だから出ないよなぁ。
どうやって入るんだ?

人に聞き、地下駐車場の入り口から下に降り、事務所に。
やれやれ、やっと行きついた。お店の関係者の方にことづけて楽譜を渡し、一件落着。
時計を見ると12:50。
ま、無事にリハできたかな。
帰り際、ゆっくり店の入り口見たら、それっぽいポスター貼ってあった。ここライブハウスなんだけどな。オケもやるんだ。

しかし。
今日が本番とは知らなかったぞ。
ここで本番とも聞いていなかった。
本番数時間前のリハで始めて楽譜の不備がわかったのか。それも凄いな。
(いやいや、ミスはこちらだ。なんとか危機回避はできたようで…。ご迷惑おかけしました。)

たまたま、家にカンヅメで、曲書きしてたから良かったものの、外に出てて、それこそバンドの練習なんかしてたらどうやって対処できたんだろう。冷や汗が出る。とにかく急ぎの仕事だということで、細かいこと何も聞かずに受けちゃったけど、これからは気を付けよう。

家に帰って原因究明した。
FINALE2009 の新機能、パート譜の管理の落とし穴。
特にあわてて何回かパート譜作成をやり直すと陥りやすいミスだと言うことが判明。
これも気を付けよう。

世の中スリリングだ。

12月
11
パート譜の向こう

言うまでもなく、パート譜とは楽譜だ。しかし、それぞれのパート譜だけではいきなり曲の全体像を掴むのは難しい。
パート譜に書いている全音符一つの裏側に何があるのか?楽譜には本当にただ一つの全音符しか書いていないのだから。

しかし、熟練たる演奏家達は、一度皆で合わせてみたら瞬時にその意味を見抜いていく。
さらに、音を出す瞬間で様々な音を聞き取り、互いに演奏者の様子をうかがいながら、すべての状況を判断し決断し音を出していかなければならない。作曲家の特徴、時代のスタイル、合わせているメンバーの性格によっても判断基準は変わる。
その結果見事に的確で必要不可欠な一つの全音符が実現する。

その裏付けには、それまでの途方もない努力とため込まれた情報量が必要だ。
 

昨日、頼まれて書いた楽譜の音出しに付き合った。久しぶりのプロフェッショナルな音出しの現場はとても有意義だった。
練習も面白かったが、速いピッチで進んでいく練習を眺めながら、「そうだよ、この状態は音楽家にとって当たり前なんだよ。」と思った。「これが出来なきゃ仕事にならない。」

この状態とは、自分の目の前にあるたった一つの全音符から、その音楽の全体像を正確にしかも瞬時に推測し他のメンバーに音として提示し、万が一違っていたら次には訂正が完了する。相手はそのミスをとても寛容に許容する。
その一連の作業はそれぞれが誰に頼ることなく、一言も発せず水面下で行われるから、音楽に詳しくない人が見たところで何が行われているか皆目検討がつかないだろう。
皆で声に出して確認することは本当に肝心なポイントだけ。
 

アンサンブルの意味を良く問う。
如何に、目の前のパート譜から全体を見極め、参加し、一体になるか。
しかし、いきなりその状態になれない。
必要なのは才能ではなく、目指したいと思うこころざしと、日ごろの努力だろうか。少なくとも試行錯誤は必須だろう。

12月
06
少し前に書いた

8重奏のレッスンに行った。
ほぼ想定通りの音だった。ほっと胸をなで下ろす。
変則混成だから音量や音色のバランスは難しい。音楽は原曲ピアノでアゴーギクたくさんだから、どうしてもアンサンブルの難易度は上がる。

アンサンブルについて色々説明しながら、そのための練習方法とかも提示しながらレッスンした。

しかし、もしかしたら望まれているものと違ったかも知れない。もっと早わかり式に、悪いところを指摘し、手直しをし、演奏効果をあげて欲しいのかなぁ?
いつも悩むけれど、今回は初めてのアンサンブルレッスンだったし、とても伝えたいことだと思ったから、こだわってみた。

次はもう少しさらってあるだろうから、別の角度から進めてみよう。

12月
03
オルゴール

北極星を背に南を向く。
地平線上の真南から真上の空にずーっと線を引き、天頂を超え、北極星を目指す。そうやって出来た線は子午線という。

北極星を背に南を向く。
星は、向かって左側から右に向かって流れていく。当然一日かけて地球を一周する。(本当は反対方向へ地球が自転しているんだけどね。)
だから、流れていく星は一日に必ず一度、その子午線を越える。

それぞれの星が子午線を越えるときに、星の明るさや高度の違いによってそれぞれの音を出す。
オルゴールのように。
 
そんな仕組みを旧知の友が創り、その作品展示を山の中で手伝っていた。

あいちアートの森の一環。
東栄町会場は12月5日から翌年1月24日まで。
その作品は森林体験交流センター「スターフォーレスト御園」に今日なんとか設置完了。

期間中ずっと24時間音を出す予定だそうだ。

北極星に背を向けて南の空を仰ぐ。
一直線に存在しているはずの子午線をイメージする。
星空見ながら「もうすぐあの星が通過するぞ…」と密かに期待し、じっと神秘的な雰囲気に浸る。
山を渡る風の音。
遠鳴きする鹿の声。
大気が冷え込んでくる耳では聞こえない音。
それらと共に星の通過音が鳴る。

昼も良いが、是非、夜の帳が降りてから。
寒さ対策と行き帰りに気を付けて。
 

これを機会にスターウォッチも復活させるかな…。

12月
02
譜面書き

一つ完成。

途中までやってたら、「歌が入ります」だって。
そんなの聞いてないからメロディいっぱいわりふっちゃったよ。
しょうがないから書き直し。

歌聞こえなかったらどうしようか?
演奏でこなしてね。(ところで誰が演奏するんだ?Nフィルさんかなぁ?)

パート譜も既に編集したから後は印刷して製本して発送してすべて完了。
充分間に合うね。
 

しかし。
ついにマーチの催促が来た。うぉ。
アイディアはいくつかあるんだけどな。全然形にしてない。
明日は山奥だし、曲書きは出来ないぞ。困った。