11月
16
KYU

自分の書いた楽譜が、自分が関わらないところで演奏され、その結果だけを聞く。

たいていの場合、いくつかの場面で「え、そんなこと書いてないはずなのに…」と思うところが出てくる。
また、演奏団体によっては、私自身のイメージとかけ離れた音が出てくる場合もある。

先日数曲の演奏を聴いたのだが、やはりどうも思ったような音は出てこない事が多かったな。
それを聴きながら、まず、「えっ?」と思い、次第に「どうしてかなあ…」と考え、「そうか、楽譜の書き方が悪いんだ」と強く思うことにしたのだ。
とても上手いとされるバンドだから腕はあるはずだもんね。

もともと、ある特殊な場合のために書かれた楽譜の流用なので、ある程度楽譜と演奏のギャップはある事は承知なのだけれど、その音楽的内容を汲み取り「実際に演奏する場合に合わせて解釈し直すことも必要だよな」「でも元譜の音すら出ていない場合もあるしなぁ…」な感じで。
ま、演奏しにくい、とか、意図を読み取りにくいとか、楽譜が悪い事に起因するんだと、自分の勉強にすることにしたんだ。そのおかげで書き直そうと意欲が増えたからそれでOKだ。

もう一つ感じたこと。
自分の指向する音や音楽が、昨日聞いたバンドとは随分違っていることも再確認した。
以前より知ってはいたけれど、よりその傾向が強くなっている。
いや、逆だ。どんどん「普通」のバンドが自分と離れていってしまっているんだ、ということだな。
 

そんな中で、KYUの踊りを見ている人がたまたま近くにいた私に「なんでこの人達はこんなにはじけてるの?楽しそうなの?」って聞いてきた。一番下手側の人達見て。へへ。それどこのバンドだっけ?
「うちの子達もやってたけどさ、どうやってもこんな風に踊れない!」ってさ。

あるバンドはごっそり一列分ほど本番欠席だったみたいだ…!

大変な一日(一部は二日間)だったろうけれど、それぞれ得る物はあったかな。

10月
26
8重奏の

楽譜がだいたい片付いた。
アンサンブルコンテスト用に先週頼まれた変則編成の8重奏アレンジ。

原曲はドビュッシーのピアノ曲なのでそれっぽい音がするかどうか少し不安。
なるべく簡単にしたつもりだけどそれでも難しいかもね。
なにせFl、Cl×2、A.Sax、Hrn、Trb×2、ContraBassのOctetだから、アンサンブルのバランスとるのがそこそこ工夫が要りそうだね。
アレンジに際しては、持ち替えとか金管のミュートとか色々考えたけど、結局なにもせず。
ま、実際に音出してみて考えよう。

それにしてもFinale2009はスコアのファイルの中にパート譜データ持たせる事できるんだってことに気が付いた。だからスコアを手直してもそのままパート譜に反映される。をぉぉ!リヴィジョンの管理が楽になったぞ。
まだ慣れない機能の変更につまずいて時間食うけれど、いい感じだ。
あ、でも、アーティキュレーションでアクセントテヌートがデフォルトで無いのは困っている。いくら探しても新しいフォントセットに入ってない。いちいち以前のフォントセットで作らなきゃダメなの?

別の話だけど、メインマシンに入っていたウィルス駆除プログラムを変えた。そしたらとたんに調子がよくなった。
Firefoxは落ちなくなったし。Finaleのネット認証もすんなりいったし。スキャン中のイライラも無くなったし。
いろいろやってみるものだな。

10月
19
11月15日に

1000人の吹奏楽という企画がある。
ナゴヤドームである大きなイベントの中の1つで、単独の企画ではないのだけれど、愛知県の吹奏楽仲間が集まって午前中に1時間ほど演奏をする。集まるのは名古屋・尾張地区、西三河地区、東三河地区の私学を中心とした高校が集まる3つの合同バンドと名古屋市内の1つの中学校。TSWも東三河合同で参加することになっている。

いずれは吹奏楽だけの単独企画に持っていけたらという密かな願いもあるらしい。

それぞれの合同バンド単独演奏を、全員参加のオープニングとエンディングで挟むことになるみたい。ドームのフロアでやるからマーチングの要素も含めたちょっとしたショーになるのだろう。

ここでも少し紹介したけれど、このオープニングで2曲(ファンファーレと入場行進)、エンディング(セレクトバンド:あんがく、ひかり、さくらの三校合同:の伴奏で参加者が踊る!)で1曲、合計3曲私の楽譜を使う。
オープニング2曲は少し特殊な曲だけど、エンディングで使うのは色々な場面で使っていただけたら、と思っているものなので演奏されることになると嬉しい。メドレーオブKYUという曲。これをきっかけにまた何処かで使ってくださいね。
もともとマーチングバージョンなので、そのうちコンサートバージョンつくろうとおもっています。(といってもパーカッションいじるだけだけど…)

10月
13
10月4日に

1つ本番があった。

幸田ジュニアユースウインドオーケストラとJazz Trumpet Player 岡崎好朗氏との競演。
こんな素晴らしい方との競演はとても貴重なのに、なんと今回が4人目。ここではいつも良い思いをさせていただいている。
やはり研ぎ澄まされた音は雄弁で、どんなに言葉で説明しても十分ではないのに、1つの音を聴いただけでメンバーは反応するんだよな。
とっても勉強になる。ありがたいことだ。

メンバーのみんなはあまり良く解っていないかも知れなけれど、いつか気が付いて「スゲ〜ッ!!」て思うことになってほしいな。

それに対して私はどれだけのことが出来たんだろうなぁ、といつも思う。
そう思うのだが、それでも私は私の出来ることをする以外方法はない。
出来ることを全放出することこそ、次に繋がるのだと信じる。

9月
08
ある楽曲を

調べるために、その管弦楽原曲CDをネット通販で入手した。ポケットスコアも別の通販で。
両方とも頼んでから3日ぐらいで到着した。代引きなので、玄関先で支払うだけ。

便利な世の中になったなぁ。と思う反面、実店舗は無くなる、あるいは私が欲しいようなものの売り場はどんどん縮小されてしまうのも事実。
実はその数日前に近所のCD屋をハシゴして見つけられなかったんだ。だから普段あまり買うことのない吹奏楽のコンクール全国大会CDで急場をしのいだのだ。

で、ついでだから聴き比べ。

始めに全国大会版を聴いた。なるほど、全国大会だ、という演奏。
うん。上手いよ。個人もアンサンブルも。破綻をきたさないし丁寧だ。しかもスキがない。

一方、オケの方は…。
フィルハーモニア・フンガリア、棒はドラティ。
ん?所々音程悪いし、合わないところある。
日本のコンクールだと何やらかんやらダメ出しされてしまいそう。

でもね。
音楽的にはこちらの方が格段に素晴らしいと感じるのだ。

何故だろう。何故そう感じるのかな。自分でも説明ができない。
同時に買ったキーロフ歌劇場オケ・ゲルギエフの春祭やロシアの名曲集でも同じように感じる。

嫌いな人はきらいだろうな。
普通は解りやすい技術の優劣やできあがりの正確さで判断するだろうから。

音楽の本質はそれだけとは限らない。その背景にある心の豊かさとか、生きている価値とかがにじみ出てるのかも知れない。
とは言っても確かめることは難しい。目に見えないし、定量化できないし。定量化できないことなんか誰も見向きもしてくれない。
 

が、しかし。
夏休み中のNHKラジオ『夏休みこども科学電話相談』で
「なぜ楽しいときは時間が経つのが早いのですか?」
という質問に対し、見事に科学的に証明していたのは印象的だったなぁ。
どんな説明するんだろう、と興味津々だったが、脳科学の実証データに基づいた明快な説明だったよ。しかも小学生にもわかるように。

見えないことだから、解りにくいんです! と開き直ってばかりじゃダメだ。
勉強しなけりゃな。

6月
07
感謝

今日は二つの本番があった。
一日二つ、全然別な本番で、しかも間隔がこれだけ極端に短い、というのは初めてだったような。

いなり楽市が、10時開始。歩行者天国の路上。そこを終了したのは10時30分頃。急いで片付け機材を車に積んで、人間も後援会の皆様に用意していただいた乗用車に分乗し、車で10分ぐらいの二つめの場所に移動。
麻生田市民館の敬老会現地に到着してすぐ楽器を下ろし、まだ別のアトラクションをやっている間に出来るだけの準備をし、11時半にイスや打楽器などステージ演奏準備、11時40分演奏開始と相成りました。

それぞれ決して広い場所ではなく、充分な音だしやチューニングなど出来るわけもなく、それこそほとんど「ぶっつけ本番」が二つだったのですが、なんとか予定通り進行し、良かった!良かった!

それぞれの主催者の方々、楽器やメンバーを運んでいただいたりした後援会の方々、会場に駆けつけていただいた保護者や卒業生の方々、たまたま通りすがりの方々、楽市の演奏会場でお会いできた豊川市長様、敬老会で人生の大先輩の方々、そこにはいなかったけど遠くで思いを馳せていただけた方々、そのほかたくさんの方々のお力があってこそのTSWだということをひしひしと感じました。
そんな中で演奏できる喜び。音楽を通してたくさんの人達、ついさっきまで知らなかった人達とつながっていくのです。音楽に携わるものとしてこんなに嬉しいこと素晴らしいことはありません。

演奏の出来不出来については課題が色々たくさんあります。
しかし、TSWのメンバーが1年生も2年生も3年生もそれぞれの立場で誇りを持って行動しイベントをやり遂げていくことが出来るようになった。演奏する機会も様々いただけるようになり、出演したことにより何らかのお役に立ち、皆様に喜んでいただけるようになり、自分たちもそれを喜びと感じることが出来るようになってきた。
ありがたいことに、そんなTSWを進んでサポートしてくださる方々もたくさんいらっしゃる。
この環境は決して一朝一夕には出来ません。素晴らしい環境です。

そんなことを考えながらいなり楽市のアンコール「夏が来ぬ」を演奏していたら涙が止まらなくなってしまいました。(この曲には他にもいっぱい思いが詰まっているので…。)
私の正面方向に居た方々(TSWのみんなも)にはバレバレでしたわ。声を出して歌おうと思っていたのに、声にならなくなってしまい少々恥ずかったなぁ。
 

心から感謝です。
ありがとうございます。
音楽とか、文化とかはこうやって広がっていくんです。
素晴らしい瞬間でした。

世の中にはこのことをなかなか理解していただけない場合があります。
「音楽の素晴らしさや強さを是非わかっていただきたい、知っていただきたい」と望みます。
…心の底から。
…是非!

5月
23
曾孫

らしい。ヒンデミットから数えて。だからあなた達は玄孫(やしゃご)だね。

パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895年11月16日 – 1963年12月28日):下総 皖一:兼田敏 と続く。

今までに何度もヒンデミットの曲を取り上げた。
吹奏楽のための交響曲変ロ調(1951年).
ウェーバーの主題による交響的変容(1943年 今配ってあるのはこの第4楽章 行進曲だ。)
など。 
最初にSymphony in B flat を取り上げたときに師匠に教えてもらった。「おまえは曾孫弟子なんだぞ」って。

だいぶ薄まっているだろうが…。

口の悪い吹奏楽仲間から「あんな小難しい曲やったってなかなか評価してもらえないぜ」とよく言われた。
「審査員がヒンデミットわからない人だったら損だよ。」
そんなこと言われても損得で曲を決められないよ。
奥が深いからやってもやっても発見がある。
そのおもしろさはやってみないと解らないかもね。

テスト勉強の合間にヒンデミット調べてごらん?

2月
13
なんだこりゃ?

つい最近HERMANN SCHERCHENという人の指揮したチャイコフスキーやらを聴いた。中身は1812年。ロミオとジュリエット。ハチャトリアンのガイーヌ。ムソルグスキーの禿げ山。たまたま準備室で生徒が聴いていたのが耳に入ったのだけれど。

ぶっ飛んだ!なんだこりゃ!
CDの解説読むと「名演」って書いてある。名演の定義って何だろう?

私は単純に破綻している、と感じた。もしくはふざけているのかとも。
オケはウィーン国立歌劇場管弦楽団。個々のプレーヤーは確実にうまい、と思う。特に金管。
しかし、それが演奏のクオリティには何ら反映していない。
木管は音程が酷い。
打楽器は酔っぱらっているんではないか、と思うくらいやる気がない。
みんなたまにロストして落ちる。
テンポが合わない。
バランスなんか関係ない。(これは録音のせいかも?)
 ……。
何より音楽が運んでない。メロディーが、リズムが。

全体的な印象としては、演奏者が指揮者に辟易して
「めんどくせーなぁ、仕事だからさ、しょうがないからさ、あんたのやりたいようにやってやるけどな、でもな、それじゃ音楽にならんのだぜ、あーあ。不毛だ、早く仕事終わらんかな…。」
簡単に言うと、やけくそな感じ。
オケの問題ではなく、まさしく棒の悪行。

一番最初に耳に入った時は小音量でCDラジカセから。
聞こえてくるその演奏は、まさに日本のアマチュア吹奏楽コンクール地区大会の音楽。ガイーヌなんか特にそうだ。そばにいた生徒に、それどこのコンクール?って聞きそうになった。
アマチュアはそれでも許される。技術はなくても一生懸命さは偽りがないからね。単なる下手は罪じゃない。
でも、プロフェッショナルな方々はそれじゃまずいでしょ、と思うんだけどな。

気になったので後でじっくり腰を据えて聞き直してみたが、感想は前述の通り。

さらに先ほど少し調べてみた。
現代音楽の初演に力を入れていたんだって。へぇー。
デビュー当時のクセナキスを絶賛したんだって。へぇー。
「音楽の本質」という著書があるんだって。へぇー。(ぜひ読んでみたいゾ。)
 
 
それまで私の車の中ではゲルギエフの悲愴とロミジュリがずっとかかっていた。ゲルギエフの演奏も意見が割れるのではないかと思うが、私は大好きだ。それこそ本質が見える、と思う。
それと比べるまでもなく「なんだこりゃ?」だった。笑うしかない感じ。
世の中にはいろいろな物があるもんだ。

12月
15
リズム隊

3人。Drums、Bass、Guitar。全くもって強力だぁ!

バンドのメンバーはあまり実感はないかも知れない、と思ったけれど、とりあえず3人の音を聞いてもらったら次全然変わった。

いい音や良い音楽をいつも聴いていたら結果は全然変わるんだろうな。

もちろん聞く耳は必要だけど。

環境って大切だ。
どうしようもない部分もあるけれど、でも、気が付いたら自分で何とかできることもある。

リハーサルしながらそんなことを考えた。
F氏、K氏、I氏、ありがとうございました。本番よろしく!!

12月
05
期末試験中

なので、今TSWの練習はしていない。
しかし、音楽室や合奏室、準備室は開放してるから、そこで勉強したり気分転換に楽器吹いたりしている。
また、準備室では、学習したり、打ち合わせしたりのBGMで様々な音楽を流していることが多い。モーツァルトだったり、ピアソラだったり、兼田敏だったり。

先日聞こえていたのはヘンデルだった。
ピッチ悪いし、なんだかなぁ、下手だなぁ、ヘンデルにしては楽器の編成が変だなぁ。
「水上の音楽」かぁ?「王宮の花火」かぁ?どっちだぁ?と思いながら何となく耳にしていた。

しばらくぼーっと聞こえている状態が続き、

あれ、でもな?
不思議な感じだぞ?
音楽として破綻はしていないぞ?
何処の演奏だろ?

と集中して聞いてみた。
「おや、吹奏楽じゃん」

そのときになって初めて「もしや??」と、気が付いた。
そして、そばにいた人に「それって何処の演奏?」って聞いてみた。
「T高校ですよ」
うぎょ! やっぱり。

自分の演奏だった…。昔の…。
 

だいたい自分の演奏っていうものは出来ればその直後には聞きたくない。アラばっかり目立って平常心では聞けないからね。すぐ次々飛ばしてしまうか、再生機械を壊したくなる。
それでも自分の勉強で聞かなくてはいけないからとりあえず録音は取る。

以前、バンドがうまくいっていなくて、どうしようもなく下手くそな演奏会をしてしまった、と思ったことがある。やはりその録音を直後に聞く勇気はなかった。しかし、いつものようにその録音を親しい音楽仲間に配ることはした。

すぐにその録音を聞いた感想をいただいた。
「涙が出た。」
「聞いている最中止まらなかった。」
私としては「えっ? そんなに酷いのか」と金槌で殴られたようにショックだった。
「ごめん。変なもの送っちゃったね。」

「いや、違うよ。全く正反対。この演奏は奇跡だと思う。なぜならちゃんと音楽してるから。」
「どんなに達者な演奏でも音楽になっていないことが多い日本の吹奏楽の中で、この演奏は紛れもなく音楽だと思う。」
「確かに拙い技術だけど、その拙い技術でもちゃんと音楽は出来るんだ、という証明が出来ている。だから涙が止まらないんだ。」

というような会話だったと思う。
社交辞令をいう人ではないから文字通りその人の感想だとは思うが。
私としては「そういうものかねぇ」程度でにわかには信じられなかった。
 

つい最近、月日が経ってようやくその録音を聞き直した事になるわけだ。
過ぎた年月といい、勝手に音が流れてた状況といい、私にとってはほぼ理想的に、自分の演奏を客観的に聞く事が出来た。

確かに下手だった…。音程悪いし…。音外すし…。
しかし単なる音ではなく、音楽だった…。流れに淀みはなかった…。

かつていただいた感想の意味が少し解った気がする。
もっと自信を持とうと思った。
音楽の力は計り知れないのだから。