11月
02
言葉その三

私は、バンド指導で「アンサンブル」という言葉を象徴に様々説明する。
それは、意識して「寄り合う」ことだと強調してきた。
チューナーやメトロノームという測定器が示す機械的な数字に、あるいは指揮者を絶対的な存在として、盲目的に合わせるのではなく、お互いを理解した上、自身の意志で歩み寄り、その結果折り合いが付くのだ、と。
言葉では説明したこと無いけれどそれは「撚り合う」でも良いな、と思っていた。

音楽の本性で根本的なのはグループの形成を可能にする点です
つまりオーケストラや合唱…そのなかで子供たちは
集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます
これが音楽の特性なのです

アブレウ氏の言葉

またしても、そのものではないか。

とにかくタテヨコ揃えること、が始めにありきなのではなく、そこでの人の在り方、振る舞い方を身につけると、その結果、音楽が揃い一つになっていく。
即ち、「素晴らしい本物の音楽」を目指すことによって「集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます」なのだ。

だからこそ、その先には「人としての生きる喜び」という大きな目標があるのだと思う。
喜びに満ち溢れた演奏に繋がるのだと思う。

11月
01
言葉その二

少し長いが先回も紹介した
 NHK BS-2
 クラッシックドキュメンタリー
 オーケストラは人をつくる
 〜ベネズエラのユース・オーケストラ〜
から引用する。

リズムは音楽的な現象ではなく精神的な現象です
魂の鼓動なのです
その鼓動を 音楽が昇華し調和の中に表します
ほのかに…
目には見えない形で…
言葉を使うことなく人々に広がっていく
芸術は 意志と魂と精神を一つに融合させます
その結果 意味と価値が生じるのです
オーケストラに参加している子供たちは
これが生じる過程の中で心底から変わっていきます
啓示を受けたように感じるのです
神は 言葉では表せない何かを示される
理屈では説明できない何かを示されるのです
それは感覚的に受け止めるしかありません
子供たちは音楽に心を貫かれその鼓動とオーケストラでの役割を担い変わり始めます
魂の鼓動は音楽 彫刻 文学 映画の姿を借りて私たちを結びつけます
人々は芸術を通し自分の本質を見るでしょう
芸術の世界でのみ私たちは自らの存在の根幹を知ることができます
善良で 偽りなく 美を備えた私たち本来の姿を

映像の中でアブレウ氏と少年の言葉がオーバーラップする。
言葉そのものも素晴らしいが、その言葉を小さな少年がそらんじていてさらに素晴らしい。
 

目に見えない物を信じること
説明しきれないことを感じること
見失ってしまった大切なものがここにはある、と思う。

10月
31
今日は一日中

9時から18時過ぎまでみっちりレッスンだった。

始めにTuttiでアルメニアンの1を、その後7グループ(だったかな)のアンサンブルレッスンを45分刻みで。
アルメニアンは急に「やって!」だったのだけれど、いくつかのアンサンブルテクニックや表現の工夫のポイントやコツを説明しつつ全然時間が足りなくなっちゃった。細かいこと全然出来なくてすいませんでした。

アンサンブルはずっと連続でさすがに少々きつかったのだけれど、とても面白かった。
様々なことを1つ1つ説明していくと、如実に音が変わっていく。
それで、音楽をすることがもっと奥深く「面白いこと」になったり、アンサンブルすることがとても「幸せ」なことになってくれたらとっても嬉しい。
 

音楽は「人を変えることが出来る」と強く確信する有意義な一日だった。

10月
30
言葉

長いバンド指導経験の中で、私がずっと考え思い伝え続けていたことがらをとても見事に表した言葉を見つけた。

オーケストラとは何か
それは共同体です
オーケストラが持つ不可欠にして ただ唯一の特徴は
「合意すること」を前提に集まった共同体だということです
団員が学ぶのは
協調の中で生きる方法です

アブレウ氏の言葉

他にも宝物のような言葉が次から次へと見つかる。

少しずつここに書き留める。
是非伝えていきたいと思う。

10月
26
最終回・先日の記事(文化変調)

文化変調の記事up。2010年10月25日朝日新聞朝刊。
今日は4回め。最終回。全文はここ。

うーん。
結局何が言いたいのかしら。
文化助成に関する不正の告発?
曖昧な文化行政への不満?
文化芸術に関わる人々の努力が足りないってこと?
その事に無知である人々への啓蒙啓発?
単に、問題と意見の羅列?

???

なんか言いっ放してお終い、みたいに感じる。
素朴な疑問。担当した記者の方々、所属は何だろうか。社会部?文化芸術では無さそうだけど(違ったらすいません)。1回目の見出しなんかスポーツ紙だな。

で、これ以上感想書くの止めます。
ただの揚げ足取りになりそうだから。

10月
24
続々・先日の記事(文化変調)

文化変調の記事up。2010年10月23日朝日新聞朝刊。

ここに記事をアップすることがどうやら少しはお役に立てているようで。
今日は3回めで主に遺跡の調査発掘の助成について。全文はここ。

どうも遺跡の発掘助成と音楽の公演助成が同種同列なんだな。
助成目的の掘り下げや問題提示は弱く、単なるカネの話らしい
 

先ほど、TVのワイドショーで、この秋の熊被害について流れていた。
聞きかじりの適当な情報(樹木の名称がまったく変だったり)とお気楽な感情論(熊こわーい!)で、何の根拠もない発言をくり返すタレントコメンテーター達。いや、タレントは局から指示された(期待された)発言をしてるだけなのかも知れないけどね。
番組作り手の誠意を感じることは難しい。

無責任な情報に対してきちんと見抜ける受け手ばかりだったらそんな番組はいずれ淘汰されていくのだろうけれど、「なるほど、そうか!」や「そうだ!そうだ!」と動いていく世の中、どうしたら良いのかね。

10月
22
講演会

の紹介。(正確には2度目…)

「音楽は社会をつくる 〜 ベネズエラの音楽教育システム”エル・システマ”」
”奇跡”はなぜ起きたのか?また音楽が社会に与えるものとは?日本に”エルシステマ”を紹介したその第一人者である佐藤正治氏による映像を交えたレクチャーです。

[日 時] 2010年11月6日(土)13:30開場 14:00開講 (約120分)
[会 場] 長久手文化の家 光のホール
[講 師] 佐藤正治(日本・ベネズエラ音楽交流支援委員会事務局長・梶本音楽事務所顧問)
[入場料] 無料/要予約(定員100名/定員になり次第終了)
[受 付] 9月4日(土)より長久手文化の家窓口および電話にて予約受付

  チラシより抜萃

まだ、受講者定員まで余裕があるようです。
文化の家に問い合わせみてください。もしくは私にご連絡いただいたら取り次ぎます。
音楽関係者や教育関係者の方々、如何ですか?

(エル・システマ関連の書き込みが続いちゃってる。 ま、いいか。)

10月
21
録画を

手に入れた。
色々資料を探していたらご厚意でいただけたのだ。

 NHK BS-2
 クラッシックドキュメンタリー
 オーケストラは人をつくる
 〜ベネズエラのユース・オーケストラ〜

その中、後半でグスターボ・ドゥダメルが、子ども達のオーケストラを指導する場面がある。
ドキュメンタリーだが2005制作のようなので、デュダメルもまだ若く学生、って感じだ。

時間は相対的なものだ
どういうことか わかる?

ストラヴィンスキーは時間は空間にあると言った

プレーヤーは演奏するとき自分が生きる瞬間の中でテンポをつかむ
ただ指揮棒を振ったってだめだ

正体はわからないがそこに存在する

それが音楽の魔法

(画面の字幕より)

ほとんど小学生くらいの子ども達相手に、しかも鄙びた村にあるせいぜい屋根の付いた集会所みたいな練習所で、にこにこしながら熱心にこんな事を語っている。
解るのかしら?

そのすぐ次でドゥダメルは「みれどれみそらーそー」のフレーズを、つまらないのとそうでないので歌い分ける。
そして、覆い被さるように聞こえてくる子どもオケの「ミレドレミソラーソー」が聞こえた途端、涙が頬を伝いこぼれ、そこに厳然とこの上なく素晴らしい音楽が存在すると確信する。

ちゃんと解っているんだ。
子ども達の拙い演奏から「何か」がひしひしと伝わるのだ。
しかし「何か」は解らない。(ドゥダメルは ”正体はわからないがそこに存在する 音楽の魔法” というが…)
その「何か解らない物」が、見えない私の心の核心を直撃し、とまどうばかりだ。

…私に何が出来るか。

10月
18
エルシステマについて

始めて知ったのはこの時

自分のアンテナ感度が悪いんだよな。もっと前から知っていたら別の展開が出来たかも知れないのに。
でも、それは言ってもしょうがない。
出逢うべき物は出逢うべき時にこそ出逢うのだ、と、それがこの時だったのだ、と無理矢理納得させる。

その後いろいろエルシステマについて調べた。毎日本を読み、ネットを漁り、DVDを観た。
知れば知るほど、ずっと以前から考えていた事がエルシステマにあった、ということがわかって来る。

嬉しさと悲しさが入り乱れて複雑だ。
嬉しさは、今まで考えていたことが決して間違ってはいなかったと検証ができたように思えること。そして今までのことがすべてそこに向けて収束していくのではないか、という期待。

が、しかし。

ネットをさまようと、シモンボリバルユースオーケストラとドゥダメルの演奏について「のだめみたいでおもしろーい」と沢山の人が喜び賞賛の声を上げているのを良く見る。
でも、なぜウェストサイドのマンボや、ヒナステラのエスタンシアであんな演奏が出来るのか(あんな行儀の悪い演奏をしたいのか…、ロスフィルの音楽監督になったドゥダメルがそれを許すか…)その奥深い背景まで見通そうとしている人は少ないように思う。
また、無償で楽器を貸与しレッスン代も要らない音楽教育システムに感嘆の声を上げているサイトも沢山ある。
しかし、日本にはそんな無償楽器貸与システムはもっともっと以前から脈々と有るのだ。
ガッコウのスイソウガクブは、たいてい(特にはじめ)はガッコウの楽器を使う。楽器買わなきゃできない、ってことはあまり無い。経費も全くかからないわけではないがある程度はガッコウが面倒見てくれてる(はず)だ。
日本の不要楽器を大量にピースボートでベネズエラへ送っている(らしい)のに。
それでも楽器が足りないから「ペーパーオーケストラ」なるものを工夫して補っているのに。

なんとなく派手に見えるところだけをつまみ食いして「へぇーおもしろそうじゃん」と言い、なんやら羨ましいようなことを知ると、短絡的に「あっちは良いなぁ」と言う。
まだまだ情報が少ないからだろうとは思うけれど、テレビスタジオからのワイドショー的に上っ面の個人感想をもっともらしく流しても、あまりリアリティが無い。
 

先述した悲しさはそこにあり、さらには、ベネズエラでできることが日本ではできない(少なくとも今まではできていなかった)ことがもっと悲しい。
見るべき視点はそこだと思う。

あるサイト(実際ベネズエラに赴き視察してきた学生さんのページ:この行動力は脱帽です…)で見付けたエルシステマ成功への条件三つ。
・目的がはっきりしていること
・仕組みがしっかり確立していること
・その活動にある程度多くの時間を割いていること(たとえば一日4・5時間で週に複数回。子供にとってそれが日々のmain activityになることが大事)
この三つが子どもの心を変えるために必要であると。

日本の場合、「音楽」という文脈の中で上記3つの条件は揃っているだろうか。
揃えることのできるシステム構築は可能なのだろうか。

10月
18
続・先日の記事(文化変調)

こちらの続きが今朝の朝刊にあった。
全部で4部になるそうで、続編の予告もされているので全部読んでからよく考えてみようと思う。
記事はこれ

==

我が家の周辺では稲刈りがほとんど終わったようだ。
このところずっと、終日個人の稲刈り機や、委託コンバインが唸りを上げていたが、今日は落ち着いている。

刈り終わった田に様々な鳥たちが降りたって賑やかではあるが。