10月
16
今朝の新聞より

朝日新聞3ページ目。紙面の四分の一以上と随分大きな枠。社説の真横だ。
見出しを書き出してみる。

文化変調 芸術とカネ ずさん
演劇制作会社 国の助成金欲しさに出演料水増し
発掘調査の自治体 報告書「完成」偽り補助金受給
助成制度「無法地帯のよう」

さらに、記事の一部だけ抜き出してみる。

 都内の演劇制作会社が2007年に行った、ある公演。文化庁から助成金を受け取るために提出した収支報告書には、「出演料」として「1723万555円」という金額が書かれていた。だが実際の出演料は半分ほどの887万7500円。他にも舞台監督助手料約309万円(実際は235万円)、印刷費203万円(実際は130万円)だった。
 昨年の会計検査院の調査で発覚。「助成金を不当に多く受け取った」とされ、同社は水増しによって不当に得た助成金267万円を返還。
 「1千万円ほど赤字が出た・余分に助成金をもらわないと、苦しかった。わかってもらえると思った」と社長は言う。

全文はこれ
4回シリーズらしいので、これだけで何か言うのは早計だろう。しかしいろいろ考えなければならないことが多そうだ。

同じ朝刊に、ある自治体の公設オーケストラを民営化(公益法人移行)するに当たって、スポンサーが見つからなくて困っている、という記事もあった。
事業仕分けされたんだろうね。日本に5つ有る公設楽団の完全民営化は全国初の事例らしい。
年間活動費7億程度だって。
オケの名称に付いていた地方名を取り去って全国対象でスポンサーを探しているらしいが、まだ見つからないとのこと。

ますます、この世界を生きていくのが困難になる。

10月
14
気が付くのが

少し遅かった。
何かのついでにチラッとだけ聞いて、ぐぐる先生で調べたときにはもう既に…。

スタッフ・ベンダ・ビリリ。これのこと。

映画もあるんだ。そのほか、NHKで取り上げられたこんな映像はじめ、各国のメディアで取り上げられた様子の動画や、準備(日本公演)記録ブログがあったりと、上記ページから色々行けますので探索してください。

メンバーは車椅子。松葉杖。拾われたストリートチルドレン。
ポリオによる下半身不随で路上生活を強いられていたということ。
でも、↑のページによれば、
「コンゴのどん底、路上生活から夢を勝ち取り世界へ!芳醇なコンゴ風ルンバにのせた希望と勇気の歌。」

長久手公演があったのに。しかも当日券有り!だったのに。
 (WEBによれば今週土曜日の松本公演はまだチケット残っている模様。来日公演はあと二つ残すのみ。)

その存在を知っただけでも元気をもらえた気がする。
 

#リンクはケータイ可かどうか確認せず。見れなかったらごめんなさい。

10月
04
昨日の

本番は、ゲスト氏に随分助けていただいて何とかなったかな。
バンドも持っている力が発揮出来たのではないか、と。

愛知県の方で春日井市出身だったよ。
よく知っている人が現在指導しているバンドの卒業生だった。
ここは狭い世界だなぁ。

それにしても、タイコがゲストで一人入れ替わるとバンド全体の演奏の質は激変して良くなるのだから、逆の言い方すれば、他のメンバーは日頃の練習ではしなくていい苦労をたくさん強いられているのかもしれない。

この辺りが難しいところで、だからといってみんなのレベルに達していないメンバーを排除する方向に動くのは間違っているし、しかし、全体の目標を全員が楽々クリアできるところまで緩めていったら、全体の伸び率は極端に下がってしまうし。

そのため「育てる」事が重要なのであって、それは「時間の経過と共に少しずつ変化させる」(一つの瞬間だけで評価するのではなく一定の期間でのトータルな評価)という観点がどうしても必要なのではないかと思う。
一人一人持っている物も背景も違うのが前提で、しかしある程度のまとまった方向性を持ってそれぞれが成長できていく環境が大切なんだろうな。それぞれの点を、時間をかけて線にし、撚って糸にし、綱にしていく作業というか。

今、目の前に見えている一瞬の出来事だけをピックアップしていくのは、あたかも、「音楽は運んでなんぼ」(音楽が時間の流れを伴って連続し起承転結していく事)の視点が欠落したまま、その瞬間瞬間の音程や音色や音量だけに固執していくバンドの練習のようだ。(誤解の無いように念のため。それは決して不必要なのでない。)
しかし、さらにその瞬間の精度でさえ緩く甘ければ、次第に向かっていくべき目標を見失って音楽をする本質から遠ざかっていくとしか思えない。

吹奏楽の活動に対して、もしかして私が想像できていないような他の付加価値があるのなら教えて欲しいと思う。
世の中のバンド指導者は、つまるところ何のためにバンド指導しているのだろうか。
もし、これを読んでいる指導者諸氏がいらっしゃるのならば(もちろん指導者に関わらずどんな方々も)、是非ぜひご教授願いたいのです。
次に進むために。

10月
02
今日は

ジュニアバンドのリハ。
明日が本番。

数時間の練習を数回で、全くswing未経験のバンドをゲストドラマー迎える本番まで持っていく。
なかなかキツイ。

練習に対する集中力が日頃から訓練されていたら、もう少し楽かも知れないと思いつつ。
この数年、様々な要因が重なっていき、次第にキリリ度は薄れていく。
中に入っている人は案外気が付かないんだろうな。
こんな場合の「なぜ気が付かないのか」という仕組みもだいぶ見えてきた。
ある意味、自分の勉強にはなっている。

明日の午前中に始めてゲストの方との「合わせ」がある。
キツイけれど、ゲストの方に最低限失礼のない演奏にするために、今から最後の単独練習で出来る限りを尽くそうと思う。
各ソロもたくさんある。
ちゃんとさらってきてくれてるかな。

9月
23
第7回

吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE
平成23年1月30日(日)PM1:00〜 長久手町文化の家 森のホール
今年度も開催です。

愛地球博絡みで始まったイベント。
企画としてはとっても好評のようで回を重ねることが出来ています。
既に第8回についての話題が出ているので、まだまだ継続できそうです。

私個人としては、上手く行ったこと少し、失敗したことたくさん、様々有るけれど、1回目から色々な想いがあります。
参加者全乗りで200人を超える人数の無謀とも言える合奏。
そこだけ切り取れば単に人数が多くて音がデカイだけの演奏に見えるけれど、でも、これこそがこの企画のエッセンスだと思っています。
「スイソウガク」が単なる青春の思い出の1ページで終わるのではなく、アマチュアの裾野から世界の頂点まで音楽として一本貫き通る価値のある物だと信じ、その原点として、皆で演奏することがこの上なく暖かく幸せで素晴らしい物であることを実感して欲しいのです。
音楽を通じて人はひとりぽっちではないことを知って欲しいのです。

継続は力なり。
次なる力を生むためにも全力です。

9月
04
音楽の楽しみ

うん。すごい。
とんでもなくすごい。
なにがって?
とにかくまずはこれを見てください。(YouTube)
そして、このリンクのページにあるいくつかの大切なキーワード(シモン・ボリバルやグスターヴォ・デュダメルなど)で検索してみてください。

これは「エル・システマ」というベネズエラ国を挙げての奇蹟らしい。
この演奏は、形だけ真似しても決して実現はしないだろう。
音楽の一番の根っこのところから是非目指したい。

2010年12月18日、我が町の長久手文化の家で、このオケメンバーの金管5重奏コンサートをやる。
そして「エル・システマ」についてのレクチャーが11月6日に同会館である。
いずれもとても楽しみだ。
シモン・ボリバル・ブラス・クインテット
シモン・ボリバル・ブラス・クインテット 2

7月
28
未体験ゾーン

だと思う。

類い希なるポテンシャル。凄まじい伸び率。
(まだ本人達は気付いていないかも知れない。)
(信じていないかも知れない。)

一日 〜いや、正確には半日だ〜 でこれだけのことが出来るのだから、もっともっと。
もちろんそんな容易いことではないと百も承知だが、どうしても期待値は上がる。

自分を信じること。
仲間を信じること。
音楽を信じること。

7月
27
限られた

時間でたくさんの課題をこなさなければならない。
有り余る時間をふんだんに使った積んでは崩れ積んでは崩れの繰り返しが出来るわけではない。
そんな贅沢な環境ではないのだ。
そして精神論の範疇ではない。

決して必要ないという意味ではなく。そこはもうクリアしている、と。

効率と効果、ルーティンとその応用、体感と強化、そして成功と定着。
目指すべきは既に人の強化ではなく音楽の進化だろう。

繊細かつ大胆、強大な集中力。
そろそろその一週間が始まるようだ。

7月
25
ある知らせ

が速報で届いた。
少しはお役に立てたようで。
本隊も予備隊も。

特に予備隊、良かったなぁ。多くの可能性を提示、実感できたのでは、と。

次へ向けて、そして更に次へ!
既に持っている宝物を最大に活かすため、テクニカルな課題は積み上げれば必ず。

酷暑の中、どっぷりと腰を据えてやりましょう。

6月
06
二ヶ月ぶりの

バンド。

感覚が鈍っているかなと思っていたが案外そうでもなく、むしろ力が抜けて良い感じだったかなぁ。
もちろん開始早々取り戻すまでは多少のギクシャクは有ったが。
3時間の練習最中は余計な事は一切考えず、ただ音とそこに至る過程のチェックに集中する。

自身の行為として何の不自然さもなく違和感がないことは確認した。

若い世代の人たちが、音楽の本質そのものを感じたり、吹奏楽活動を通して何かもっと別の物を得る機会として、我々がするべき事は何なのか、何を準備しておくべきなのか、惑わされることなく、ブレる事なく、もっともっと深めたいと思う。

多分、全く違う道が有るはずだから。