1月
31
きのこ?

あはは。なんだこれ。
面白い形。
三重県の伊賀上野(上野公園:伊賀上野城)にあったよ。
俳聖殿


そんなに古いものではなく、1942年(昭和17年)築。

「俳聖殿」という松尾芭蕉生誕300年を記念する下層八角形平面、上層円形平面の木造建築。屋根は桧皮葺。
2008年に三重県の有形文化財(建造物)指定、2010年に国の重要文化財に指定。
どうやら、このユニークな屋根は芭蕉の旅姿を模したデザインらしいです。

9月
24
少し前に

なるけれど、諏訪大社にお詣りしてきた。

いつもなら熊野まで行って本宮と新宮さらには那智と三社を詣るんだけど、例の水害の直後だからもう少し落ち着いたら行こう、と考えた。そしたら先日再度水害だ。
被災地の方お見舞い申し上げます。落ち着いたらまた必ず行きます。

諏訪大社は御柱祭りで有名だけど今まで一度も行ったことがなかったのだが、今回は熊野を断念したから、それではこの機会にきちんと行っておこうと、上社の前宮と本宮、下社の春宮と秋宮と、4つの宮を巡ってきた。

まずは上社の本宮。門前はおみやげ屋さんなども並び、観光バスも出たり入ったりで賑やかしい。でもなんだか伊勢とか熊野とかと雰囲気が少し違う気がする。詳しいことは判らないけれど。
入ったすぐに新しい土俵があった。相撲と何か関係があるらしいのかな、と思いながら順路を巡っていくと、拍子木の音が鳴り渡りだした。神事が始まるようだ。しばらくすると歌声が聞こえだした。

近くに行くと、本殿の前で力士と思われる格好をした男衆が円陣組んで歌いながら舞っている。
おお!見付けた。これだ。諏訪大社上社本宮・十五夜相撲神事というらしい。説明はこの辺りなどをどうぞ。
たまたま出くわしたのだが、良い物を見させていただいた。

その後、上社の前宮にいった。こちらは民家の奥を入り坂を登っていったところにある。
鄙びていて良いなぁ。ごく普通の鎮守様の様相。それでも四隅に御柱は立っている。

諏訪湖を挟んだほぼ対角のところにある下社。

真冬に全面結氷した諏訪湖で起きる自然現象「御神渡り」は上社の男神が下社の女神のもとに通った道

まず春宮から。
そういえば何度もこの前は車で通過している。美ヶ原方面R142に入るために。道の真ん中に鎮座する「下馬橋」を見て思い出した。
そして、宮の近くに「万治の石仏」がある。万治の石仏でぐぐったtopはここ。様々推測するが、造形としてはとても面白い。岡本太郎絶賛らしい。うーん、好きだ。

最後に秋宮。
神楽殿は改修中。
春宮と秋宮、神様は半年ごとに入れ替わるので、年始のお詣りこっちだそうだ。

四つの宮とも立派だった。建物の装飾も沢山あるし、本殿への距離感が(物理的にも心理的にも)近いように感じた。
また(近くにあった小さなほこらでさえ)きちんと四隅に立派な御柱が立ってる。こんな立派な樅の木の御柱合計16本を7年ごとに入れ替えるのは大変なことだな。

2月
26
お詣りに

行った。

本当は熊野三山に行こうと思った。
ある時をきっかけにコンスタントに訪ねている。
昨年は正月に行ったが今年はまだ行っていなかったのでずっと気になっていたのだ。
最近カラスの鳴き声が妙に気になることが多っかたし。
しかし悩んで悩んで今回はやめにした。やっぱり少々遠いからね。
とはいっても気持がお出かけモードになってしまったので、とりあえず車に乗って家を出た。

琵琶湖に行って鳥でも眺めるか、良く分からないけれど珍しい猛禽類も見れるかも知れない、などと妙にテキトーなことを考え高速道路を西進した。

実は猛禽類の識別は難しく、ほとんど素人の私にはさっぱり判らない。空高く飛んでるし早いし。何が珍鳥かすら判らない!?

なんとなく米原で北陸道に入りそびれ、だったら「ひこにゃん」でも見るか、と名神彦根で降りた。
ICを出たすぐの所に「多賀神社」の看板があって、当初のお詣り気分が再度沸き起こり「ならば!」と行ってみた。

立派な神社だった。
門前が鄙びていてまた良い。開けている何軒かのおみやげ屋の前に人がたまっている。
4〜5台が入る駐車場に車を止める。
「駐車料金はお気持ちをお入れ下さい」とかいた札が下がっている。その素朴さが良い。
料金箱になっている郵便箱にチャラリンとコインを入れる。
大きな石の太鼓橋をよじ登って渡り本殿にお詣りする。
よく見ると左右の脇に幾つも小さなほこらがあって、そのうちの一つは「熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社」と札が立っている。
ありゃ、こんなトコに熊野三山あるぜ。これはちょうどよい!とお詣り。
もちろん他の(木花咲耶姫とか恵比寿とか)も全部きちんとお詣り。

そういえば神社の入り口に「おいせのふだ あります」って張り紙があったっけ。

便利な世の中になったもんだ(…って昔からだったんだな)。

11月
26
桜と紅葉

数日前の新聞で紹介されていた。
旧小原村の四季桜。
楓の紅葉と相まって不思議な美しさ。
桜は満開。紅葉は絶好調。
小原四季桜

9年前、やはり今と同じような生活だったときも見に行った。
でも、それから随分変化していた。
小さな苗木達は大きく立派に成長し、いたるところで花を付けている。
当然、皆に知られるところとなり、早朝から多くの人が訪れ、駐車場は有料になり、観光バスが何台も連なってくる。
小さな山里が一時賑わいを見せる。

なんにせよ美しい。

9月
04
ぶり返した酷暑を

避けるために、朝から標高の高いところへ逃げることにした。
近場で、と悩み、南信に出ることに。

目的は温泉に設定。(釣りじゃなく…。)
ならば、と売木村の「こまどりの湯」に。
足助のスーパーや平谷の道の駅で道草しながら13時過ぎ到着。
お湯はヌルヌル系で心地よい。

売木村は、台風の中、田んぼのようになったグランドでマーチングをやったり、雪降る零下10度の厳冬の朝、外でファンファーレを吹いたり、普通では出来ないことを色々やった思い出のあるところ。訪れる度に懐かしい。

その後、いったん新野の道の駅千石平に出て、ここでしか手に入らない野菜(新野ナスとか…)のいくつかを手に入れた。
今回の帰路は東栄には出ず、茶臼山山頂経由R153で帰ってきた。
さすがに山頂は涼しかったなぁ。
鳥もたくさん見た。
 

でも…、帰ったら…、やっぱり暑い。
明日も暑いらしい。

8月
15
予定通り

明日から行方不明決行。
予定通りとはいっても、予定はほとんど無いようなもの。
何するかも未定。 (…だからフル装備)
いつまでかも未定。 (…週末に一つ本番あるからそれまでだけどね)

近場で涼しいところが良いので、いつものように例の場所(標高1200m付近)で徘徊するのだろうとは思う。

お盆を過ぎて落ち着いていると良いなあ。
あそこは(その回りも)必要最小限の設備しかなくて本当に自然が好きな人じゃないとつまらない所だろうから、大丈夫とは思うけれど。
人が多いのは勘弁ね。特に不作法なのは。

天気が気になるところ。
霊峰のご機嫌は如何かな。
 

早めに荷物を積んで朝早く出られるようにしておこう。

6月
08
能登で

札幌から来た人に会い、九州の話に花が咲く。
 

急に東海北陸道を全線走ろうという事になる。出来れば輪島の千枚田を見たい。ちょうど田植えが終わったころだろう。
ということで休日¥1000で高岡に抜け、氷見に出る。
途中散居の風景に感心しずっとこの景観は遺って欲しいと思う。
サシ(たぶんカジキマグロのことじゃないのかな…?)の昆布じめなど夕食を地元のスーパーで入手し、能登路に向かう。
「いおり」という、富山湾を越えて北アルプスに昇る日の出が見える道の駅に夕方立ち寄り、半島を西に縦断して「ころ柿の里しか」で泊まることにする。
併設の海水のようにしょっぱい温泉にはいる。¥450で23:00まで。無料の足湯もあるらしい。

朝起きて、トイレ脇のベンチに座っていたら、男性が一人寄ってきた。
「おはようございます」とこちらから声をかけると、にこっと笑って「おはようございます。どこから来たの?もう(能登半島)回ってきたの?」
だいたいいつもこんな感じで話が始まる。
「オレはなぁ、3月に北海道出て九州、四国、と回ってきて、7月始めに戻る予定。」
「先日まで金沢にいて一日中お祭り見てた。」(第59回金沢百万石まつりの事だと思われる)
などなど。

最近、高速¥1000のおかげで車中泊という言葉が市民権を得てきているけれど、そんなことずっと前からやっている人たちは、お互いパッと解ってしまう。
その日も群馬・品川・福井・など他府県ナンバーの車はキャンピングカー含めて10台近く停まっていたけれど、もちろんアイドリングなどはせず、とても静かに夜を明かす。朝の行動も日の出と共に動き出す人がほとんど。
そこのトイレにも「ここは手洗いする場です。調理したり食器を洗ったりしないで下さい。」と注意書きがあったが、慣れた人たちはもちろんそんなことはせず、むしろ掃除をしてくれている人たちと世間話したり、ゴミ拾ったりと、何かと気を遣う人が多い。

お互い「良い旅を!」と言い合って別れ、のんびりしていたら出発直前に産直物産館「旬菜館」に人が並びだした。
開店前の行列だよ。

なんの行列か確認してから出よう、と開店を待って入ってみる。
野菜だったり、お弁当だったりはだいたいどこでもあるんだけど、なんとここは朝捕りの海産物も並んでる。
メバル(だと思う)、カワハギ、コウイカ、サザエ、タイ、タコ、マトウダイ、キス、ナマコ…。
安い。あっという間に無くなっていく。

競って並ぶわけだ。
思わず、カサゴやマトウダイなどいくつか買った。

というわけで(鮮魚は日持ちしない!)、輪島に向かうのは止め、南下し帰路につくことに変更。
気ままなぶらり旅である。

あの札幌おじさんは、今頃どこにいるのかな。
輪島に上がったかな?それとも宇奈月あたりで温泉につかってるかな?

5月
29
豆腐焼き

飛騨の丹生川に行った。
運搬の手伝いでドライブがてら車を出した。

東栄・御園で星の子午線オルゴールをやった友人の手伝い。
今回は、日中空の様子(雲の動きや明るさなど…)をリアルタイムで音化し、ブラインドされた別室で聴く、という仕掛けらしい。
旧丹生川東小学校(廃校された)で行われるイベントの一環だそうです。

渓流釣りを始めたころ、郡上・長良川が解禁する2月1日以降夏が終わるまで暇さえあればR156を北上した。まだ東海北陸自動車道が出来る前、明宝温泉が無料だった(!)ころ。
解禁明けで久しぶりに釣るワクワクを持って、釣れる予感に打ち震えつつ、眠い目をこすりつつ、スキーの渋滞と格闘しつつ、貧果でしょぼくれつつ、何度も何度も往復した道だ。
それからしばらく経つと郡上やひるがのを通り抜け荘川まで出るのが恒例になったが、この辺りの釣行はやはりいつもR156を北上した。

いつの間にか高鷲を越え荘川まで東海北陸自動車道が伸びていき、ついには小鳥ダムを乗り越えて日本海まで抜けていった。
さらに飛騨清美からは中部縦貫という道路が高山に向かって延びている。西は福井県の九頭竜湖付近の油坂峠を端に発し、もしかしてこれは安房トンネル経由で松本まで繋がるのかしら。

今回、ホントに久しぶりにせせらぎ街道を通ったのだが、飽き飽きしていたはずの道がとても新鮮で良い道だった。(今回は食べなかったけれど五平餅屋も健在だった。)
山に雑木が多く、みずみずしい様々な新緑の時期だったからこそ気分の良さが倍増したに違いない。
 

さて、タイトルだが、高山市街を抜けたR41沿いに食堂があり、そこの豆腐焼き定食とホルモンを食べた。
この20数年来、記憶だけを頼りに店を探し、多分ここだろう、と見当を付けてからもなかなか機会が無かったのた。
本当にやっと。ようやく。

味はきっぱりと。全く媚びてない。濃い。
一般的な「豆腐ステーキ」とは全く想像を異にすると思う。まさしく「豆腐焼き定食」だ。
四半世紀前の記憶にジャストヒットらしい。
それぞれ四角い鉄板に乗って出てくる。ホルモンも美味。
他のメニューは「焼き肉」と「焼きイカ」だけ。(若干の麺類が有ったかも)

客層が面白かった。
正午前に入ったときは、地元の人たちとリタイア後の旅好きさんたちの様相だったのに、昼休みになったら途端にスーツネクタイでビシッと決めたビジネスマンだらけなっちゃった。
明らかに接待ランチだな。「高山に来たら一度はここでしょう!」な雰囲気で。
バイクのツーリストも多いと聞く。
何せ安い。

もしかしたら三重・亀山の亀八食堂のように、ホルモンに白玉うどんを混ぜると美味いかも知れない、と密かに思った。

場所はJR高山線上枝駅(ほずえ?えき)付近、R41号沿い。
有名な店だと思うよ。国八食堂。
我が家の「もう一度行きたい店」にリストアップされた。

3月
27
近くの

小さな城趾に行った。岩崎城。

我が家の辺りは小牧長久手の合戦があったところで、まつわる場所が色々ある。
地名も面白い。首塚とか、血の池とか。血の池なんか、埋め立てて公園にしちゃったから、その公園の名前が「血の池公園」。すごい名前だな、と思う。ウソじゃないヨ。
− 徳川家康方の渡辺槍半蔵らが血のついた槍や刀を洗った池があった。この池には「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる。」という伝説が残り、「血の池」と呼ばれていた。この池を埋め立て整備されたのが「血の池公園」である。現在、池はなく、住民の憩いの場になっている。” − by Wikipedia

いつもは歩いても行ける「古戦場公園」という所によく行くのだが、今日は少しだけ(車で)遠出をした。

せろりの散歩だよ。
ステロイドや抗生剤でだいぶ筋肉が弱ってきているらしく、歩くのはもちろん、車の遠出もなかなか辛いのではあるが、それでも気分転換はしたいだろうからね。

駐車場に車を停めて、坂を少し登り、小高い丘の上に出る。
資料館の入り口に甲冑がいくつか掛けてあり、「試着自由」って書いてある!
おっ、試着している子供もいる。もちろんレプリカで樹脂製のようだが。
せろりはじっと不思議そうに見てる。

「もうそろそろ返しなさい」とお父さんに言われ、小声で「えっ、もう?イヤだな」と。随分気に入っている様子。
そうか、最近は歴史ブームだからか案外多くの人がいるんだな。

しばらくそんな光景を眺めながら休憩していたら、せろりは急に坂を下り始め車に戻ろうとする。
以前は全くそんなことはなかったのだけれど、「自分から帰る」って主張するようになったんだな。きっと満足したんだろう。

たったそれだけなんだけれど、随分疲れたようだ。
帰ってからしばらくよく眠った。