1月
09

仲間の尊い命。
突然。
交通事故。

救急車で搬送中、心停止、なんとか蘇生し、しかし数時間後お亡くなりになったと聞いた。

軟式野球部で部活動をやった帰り道だそうだ。
無念だよ。どうしようもなく無念だ。

「生きる」ということ。
「生きている」という進行形。
「死んでしまった」という完了形。

言葉が出ない。
ご冥福を祈るのみ。

 −合掌。

12月
23
応援雑感(2)

私たちの為に確保していただいた場所はバックスタンド第2コーナー寄り。他の学校の垂れ幕が下がっているけれどかまわないらしい。そこに陣取った。

しばらくすると右隣(センターより)にSS高校が来た。
バンドはうじゃうじゃと。うちの金管全部よりそこのTrpの人数のほうが多い。金管・打楽器とSAX、Flのみ。木管は置いてきたみたいだ。しかも1年生っぽいぞ。出てくる音とか、応援での反応や行動とかで何となくそんな気がする。

バンド以外は応援団部員数人。
チアリーダーとバトン部の合同部隊。20人弱ずつくらいかな。ここも1年生主体で修行に来た雰囲気。演技とかはまだまだな感じ。ポンが間に合わなかったり、リフト失敗して落ちちゃったり。
たぶん生徒会と思われる十数人。特に何をするわけでもなく。視察っぽい。
駅伝部員。

どうやってこの集団動かすのか興味津々。よく観察して今後の参考にしようっと。

バンドの棒は生徒。カウベル叩いている。ここが全てのコントロールタワーのようだ。
教員は、というと、やっぱりちゃんと責任者はいらっしゃる。応援団の顧問だろう方が、丁寧に指示をしている。弁当の置き方とか、並びとか。(バンド指導者と思われる何人かの先生は最前列に陣取ってはいるが、指示の矢面には立っていない。)
「女子生徒撮影禁止」の札も下がった。「無断撮影は禁止だが、大会本部や報道の腕章をした人たちには積極的に撮っていただくからね。」という説明が聞こえてくる。なるほど。
「今は走者の紹介をしているので音は出してはいけない」などなど、生徒たちに1つ1つきちんと説明していた。彼の指示でバンドの指揮者が全体に指示を出し動き出す。ご自身で大太鼓叩いたりして大忙しな感じ。バンド指揮者からではなく生徒応援団長が仕切る場合もある。
いずれも顧問の先生からの指示。やっぱり指示系統がすっきりしているなぁ。組織にしようとする意図は明確だ。

そういう状況を観察してくれたかなぁ?次に生かせるかなぁ?

12月
22
応援雑感

バス泊がベストだったかどうかは判らない。
でも、当然のように「朝4時集合!」と言われても、不可能な場合だってある。遠い人は本当に大変だし、なにより生徒はどうやっても自分の力だけでその時間に集合するのは不可能だ。
その裏には「応援希望者なんだろ!行きたいんだろ!」があるのかなと。

このような場合、我々には選択の余地は無い。「行けません。」では済まないのだから。意識としては初めから「当然行くもの」として考えられている。

あまのじゃくな私はすぐ逆手に取りたくなる。「行けません。」「希望者の応援団なんでしょ?」「拒否する余地ありますよね?」

本来、行かないと成り立たない人・物についてはそれなりの体制を保証しなければ組織にならないと思うのだけれど。
だからバンドとチアは違った動きをする形にしたかったので無理を言った。メンバーにも無理を言ったね。バスの中では寝れなかっただろうし。

言い方良くないけれど、我々(バンドとかチアとか…)は業務・仕事で出かける心づもり。だから体制とか組織とかの組まれ方が気になる。
一方、一般参加の希望者応援団はやはり物見湯山な感じだ。もちろんそれで当然。応援団としての責任なんて微塵も必要ない。楽しんでいただくことが一番大切。
でも誰かがどこかで組織として統轄する必要があるのではないかな、と思う。
一般の応援でいらっしゃった方々の応援席は誰が確保するの?会場まで運んで、後はご自由に!応援の仕方も。旗配って「後ご自由に」…、は失礼じゃないのかなぁと。皆さん苦労されてましたよね。

また、生徒の応援団は誰がまとめるの?あの状態で人文字作ったり、全員でコールしたりは、きわめて難しいだろうな。全体を把握している人が一人もいないのだから。

きちんとした応援団は、そこにいるみんなに大きな一体感を持たせ、一生懸命応援した、という充実感を実感として持たせる事が出来る。だからこそ、校歌や応援歌が大きな声で響き渡るのだ。どうしようもなく歌いたくなるのだ。それが誇りになり母校愛になる。
しかし、それためには綿密な仕掛けがいる。

組織力と企画力。問われていると思う。

12月
21
優勝

すごいなぁ。全国制覇だよ。
有無を言わさないというのはこういう事だ。すごいすごい。

駅伝女子。

決して知らないわけではなかったけれど。創部3年だって。(もっともそれ以前の歴史もあるだろうが。)
3年目、っていうキーワードで活動している部活動、他にもあるような気がするなぁ。
簡単に比べられることではないと思うけれど、それでもいろいろ考えてしまうなぁ。
ま、こうやって応援・支援で活躍(?)してるんだから、それで許してもらおう。そして、TSWも次に続こう。
 

隣は、SS高校だったな。久しぶりにMO先生をお見かけした。ちょっとスマートになった感じがしたけれど。
金管、PERCとSAX・FLだけだった。しかもだいたいが1年生っぽい。もちろん指導係の2年もいるだろうが。それはチアもバトンも同じとみた。我々に比べ、「人数多いですねぇ」と言う感想を多く聞いたけれど、あれ、全員じゃないよ。半分以下くらいじゃないかな。

さらに、気になったのでWEBで調べてみたら、吹奏楽マーチングは別の部活動の様子。今日の人たちは(MO先生がいらっしゃるんだから)吹奏楽だな。
と言うことは、1つの学校にどれだけバンド人間がいるんだ!?

12月
12
様々な

思惑の流れを感じる。
そりゃそうだ。
そんなことは先刻ご承知よ。
お手並み拝見!

私は私の信じる道を行くだけ。
それがより多くの幸せを目指す事につながるはずだから。
信じることはさらなる信じることにつながるはずだから。
大切な人たちのために。

11月
30
聞く耳

修学旅行中、大人数で、少人数で、あるいは1人で、色々な形で生徒たちが人の話を聞く機会が多く、また、その状況を観察するチャンスがたくさんあった。
やはり、総じて人の話が聞けない事が多いようだ。

初めは話す人によって変わるのか、とも思ったがそうでもない。
内容によるのかとも思ったがそうでもない。
状況によるのかと思ったがそうでもない。
「話を聞く」という行為を知らないのでは、と思うくらいである。

今からの飛行機搭乗の説明をする添乗員さんの話。
バス中での教員の指示。
バスガイドさんの様々な説明。
ガマに降りるときガイドさんの解説や注意。
まさに今からやろうとしていることの説明。
etc.

自分勝手に何かしている。
隣の友達と関係ない話をしている。
ただ、ぼーっとしている。

うるさく喋っているのを注意して静かにさせることはできる。
顔を話している人に向けさせることはできる。
しかし、話している内容を理解しながら聞かせることが出来ているのかどうかとなると全くわからない。。何故かというと、理解しようとしているかどうかなどという各人の頭の中のことを他人が知る術など無いからだ。
聞いているような顔をしているが、本当に理解できているかなど、わかろうはずがない。
結果はその後の行動となってあらわれる。勝手にどこかへ行く者。何度も同じ質問を繰り返してくる者。何をして良いか判らないからそのまま止まっている者。その段階で注意しても手遅れだよな。

やはりインプットができないのだ。
様々なアクシデントのほとんどは正確な入力ができていないことが原因なのだ、と感じた。
「聞く耳を持たない」のだ。

そのくせ人と違うことになってしまうのを極度に恐れている。
今からで間に合うのか?救うことはできるのか?

「聞く耳」というキーワードで検索したらこんなページが出てきた。かみしめようと思う。

11月
29
修学旅行四日目

朝から快晴。
最終日にしてようやく。

朝一番で首里城見学をする。
昨年同様、修学旅行生でいっぱい。資料館ももっとゆっくり説明文読みたいしじっくり展示物見たいけれど、ぐりぐり後ろから押されてトコロテン式に動くしか手はない。
たまに横にそれていくつかの集団をやり過ごすが、後から後から押し寄せてくるので焼け石に水なんだな。
それでも、昨年工事中だったところ(書院の部分とか)を見ることできて良かった。真新しいから少し違和感があるものの。

後からガイドさんにお聞きしたら「これでも今日はすごく少ないですよ」ということらしい。

4日間の沖縄滞在を終え、一路セントレアへ、と思いきや、那覇空港で「ただいま中部国際空港は強風のため着陸できない可能性があります。その場合の着陸地点は東京国際空港か関西国際空港に変更になります。あらかじめご了承ください」などとアナウンスされている。
ま、着陸時の幸運を祈るしかないねと、ジャンボに乗り込む。

渥美半島が見えてきて、だんだん高度が落ち、「何だ、大丈夫じゃない?」と思った瞬間、エンジンが全開になり急上昇。「当機は着陸を試みましたが、当社規定の以上の横風が吹いていますので、再度着陸をするために上昇しています。」だとさ。
知多半島をぐるっと一周するような感じで旋回し、再度着陸態勢に。「今度は行けそうじゃん!」
しかし先ほどより若干高度が下がったところで、再度エンジン全開。「あぁ、だめだ。」
上昇しつつ、「あれ、さっきと景色がちがう、西向いてる!」
こりゃ関空に向かうか?もしそんな事態になったらどうすりゃいい?
「当機は再度着陸を試みましたが、やはり当社規定の以上の横風が吹いていますので、着陸中止し上昇しています。滑走路を変えて再度着陸を試みます。今しばらくお待ちください」
進入を逆にするんだ、南からではなく北から降りるんだと理解した。

ようやく3回目は無事に降りた。
少し到着が遅れたけれど、関空まで行かずに済んで良かったよ。
全体的にも特に大きなトラブル無く良い旅行でした。

もちろんこの旅行で色々感じること考えることありました。
それは近々また別の機会で。

11月
28
修学旅行三日目

本日は朝からタクシー研修。

スタートは大変スムーズ。ただ、タクシーに車椅子積むのに苦労するというアクシデント発生。なんとか対応していただき全車定刻より早く出発。

昼食は伊勢海老半身ウニ焼き定食。マグロ刺身付き。漁港の食堂にて。美味かったよ。
他のタクシーも、いつの間にか集合してきた。
食堂はスペースの半分。もう半分はちょっとした市場になっていてそそられる食材が色々有った。けどさすがになまものは無理だな。

ビオスの丘。植物園というか自然観察園というか。
密林の中の川で船に乗る。解説がとても愉快。ここも時間かけて見たいな。
蘭がたくさん。いたるところで咲き誇る。デンファレ一鉢200円。5つ買うとおまけ一つ。悩んだあげく諦めた。和蘭があったら無理しても手に入れたな、きっと。

この後那覇に向かう。
途中スーパーに寄るけど、店が小さすぎて目的のものは手に入らず。味噌三種入手。

夜、国際通りの公設市場で島らっきょ入手。大量購入で宅配の手配。
やっぱり美味い。自家製なんだな。おばちゃんの手作り。新ものの生をかじらせてもらった。甘い。エグくない。
さらに肉屋自家製ラフティなど。

だいたいの目的は果たしたぜ。

こんなことばっか書いていると、なんか仕事してないみたいだけど、これでも一応ちゃんと仕事はしてるんたぜ。目立たないところで。

明日でおしまい。このまま平穏にいくと良いな。

11月
27
修学旅行二日目

曇り。
瀬底島ビーチ。ほんの少しでも日が射せば、と願うが…。珊瑚の浜はきれいだが案外歩きにくいものだ。
パラパラと雨が降る。

昼食場所で「すくがらす」というものを見つけた。アイゴの塩漬け。
瓶入りで一目見た途端、アンチョビーを連想し美味いに違いないと確信した。豆腐にのせると美味いらしい。勿論即ゲット。

今帰仁城跡は一人もしくは少人数で行くのがいいな。鄙びた場所で物思いにふけりたいぞ。

あすはタクシー研修。スーパーの食材売り場に行けるかな?
公設市場は島らっきょを手に入れるためにかならず。

雨らしいが。

11月
25
修学旅行一日目

何故か雨がぱらつく。予報では晴れだったのじゃないの?

いつも思うのだけれども、時間が足りない。

ひめゆりもガマも平和祈念館も。もっと時間かけてゆっくりと見たい。
サトウキビ畑の中で風の音をもっと聞いていたかった。

飛行機到着から遅れ、全て詰めつめ。後ろが詰まっているからどうしようもないけれど。せっかくここまで来てもったいないな。

去年も思ったが、今回も平和についてもっと深めよう、勉強しよう、と強く思う。ボケちゃダメだ。

号車は違うのだけれど昨年のガイドさんに再会した。どうも覚えていただいてたみたい。
誇り高き平和のガイドさん。皆さん素晴らしいです。

明日もさほど天気は良くなる気配はない。私は晴れ男のはずだけどな。