3月
15
茶番

いったいどうなっているんだろ?

何年も前から会議検討を重ねてきて、最終的にあの結果はあまりにもお粗末じゃないのか?
責任の所在が明らかでなく、何か問題が起こるとあたかもその直接の担当者のミスのように扱われる風習。
今まで何の説明もされていないのに、いきなり「聞いていませんか?」「知らなかったですか?」と非難される。
主体者に決定権があるように見せかけて、実は(めんどくさいから?)全てあらかじめこちらにとって都合の良い予定がされている事だらけ。

主体たる顔が全く見えてこない。「何のために?」本質と感じるところが全く違うのだろうか。
この先どう育って欲しいのか、将来どうなって欲しいのか、先を見通した具体的な計画は私には見えてこない。ビジョンや夢すらも見えてこない。

見えるのはただ保身に走る醜い姿だけだ。
最大の被害者はだれだろう?

良くなるのはきわめて難しいのかも知れない。

 #もちろん自分はどうだ?の自問を忘れてはいけない。

3月
06
挨拶

TSW諸君に挨拶の話をすることが良くある。

ついこの間もそのことで一悶着あったね。
実はその背景がある。どうしても私はこだわってしまうのだ。

今私が住んでいる場所は微妙な、絶妙なところで、名古屋という大都会の東の端っこ。ド田舎ではないが都心でもない。
そこに越してきた頃、散歩してると誰でも親しく挨拶してきた。もちろん今もそうだが、その時は田舎だから、みんな人が良いのかな、くらいに思っていた。しかし、宅地開発でどんどん新しい人たちが流入している場所なのだから、昔からのド田舎では無いことに気が付いた。新しいお家の人たちもとっても気持ちよく挨拶する。もちろん子供達もそうだ。

その前は名古屋市内地下鉄の駅徒歩約2分のところにいた。ま、都会だ。それでも近所の人や行き交う人と挨拶してた。殺伐とした大都会だからこそか、知らない人同士でも、何となく会釈し、声を出していた。それが当たり前だった。

この地に勤務するようになって先ず初めに思ったことは、挨拶がないこと。
街を行き交う人同士挨拶がないと思った。(気を付ければ少しはあるよ、ちゃんとね。)
同僚でさえ、ない。お互いが言わないのではない。こちらから声をかけてもスルーされる。目を合わすことさえしない。その現場に居合わせたスタッフが憤慨していたこともある。

2年経った今でもそうだ。外で、だったらまだ判らないでもない。
しかし職場の中(建物の中!)でもそうだ。
おれ、何か悪いことやったかな?失敗したかな?そうじゃなかったら相当嫌われてるのかなぁ?と自分を責めてみる。
関わることを拒否されているように感じてしまう。
よく、都会だからそういった人と人のふれあいがない、と言われるけれど、実は逆なんだと気が付いた。
都会は、だからこそ挨拶することに敏感なんだと。
そうか、ここは田舎なんだ。精神的田舎なんです、きっと。

最近はめんどくさくなって、郷に入れば郷に従えで「ま、いいや」になっているけれど、やっぱり何かおかしいと思う。

だから、TSWの諸君がさわやかな挨拶が出来ないと気になるんだ。
閉鎖された空間や風習の中で、「それでよい」と何の疑問も持たないと、もっと広い世の中に出たときにとても恥ずかしい思いをする。

あなたたちはそうなって欲しくない。
挨拶する、挨拶したい気持ちをきちんと持って欲しい。

2月
13
気が利く

予餞会のための各部合同のリハが予想通りのペースで進み、そのあおりをくって時間のやりくりが上手くいかず、変則的な練習形態になった。
リハ終了後無理を言って練習室に戻らずそのままの場所で卒業式(予餞会の、ではない!)の練習を試みた。

しかし、自分たちも気が利かない。
どんな練習になるかある程度予想していたら(本当は指示が出ていたはず)一連の楽譜はあるだろうに。
合奏できなくても自分がさらわなければ、と思っていたらその準備はするだろうに。予餞会の準備だけで卒業式の準備がない。直後にある保育園本番の準備がない。

それでもやらないよりはマシだろうと練習開始した。しかし最大の問題は別にあった。
会場内が騒々しい。いくつかの部活動がそこに残っている。残っているのは構わないがうるさい。とんでもなくうるさい。
練習するなとは言わないが、もう少し気を利かせて考えられないか?
打ち合わせするなとは言わない。が奇声を発する打ち合わせはそうはないだろう。
信じられないのはどちらも生徒だけではないということだ。しかるべき指導者がその場に居合わせている。
しかもその声もでかい。僕らの練習に合わせて鼻歌まで歌ってる。

そりゃ、これでは人は育たないよ。見本ができてないんだもの。馬鹿にされてもしょうがない。

そう言えば何ヶ月か前、同じような光景に出くわした。
体育祭アトラクションでマーチングをやるから、前日その場所で練習していた。
後から来た部活が(たぶんいつもの通りなんだと思うが)練習を始めた。
我々がマーチングの練習をやっているエリア内でだ。しばらくは練習の様子を見ていたはずだから、どこから何処までの範囲で我々が練習しているかは一目瞭然だったはず。(ポイントだって打ってある!)
本番前最後の通し練習最中だった。あたりまえだが衝突を避けフォーメーションは崩れ、音楽も合わせられなくなった。向こうだって衝突しそうになれば自分たちの練習が出来なくなって困ったに違いない。

確かに我々はその時だけの外様だよ。よそ者は邪魔だ、と思われたのかも知れない。うっとおしいと思っただろうとは思う。でも、気が利いた人なら何らかの対処は出来たはずだ。
その時もやはり、すぐ側に、その部活動の監督はいた。

悪いのは生徒ではない。大人だ。
だから、人のふり見て我がふり直せ。
自分にもその類の事がないか細心の注意をすべきである。

1月
25
定着

今までに何度も言ったはず・話したはずの事なのに「全く初めて聞きました」という様子の時がよくある。
普通に考えると「一度言ったことはちゃんと覚えておけよ!」なのだが、もしかしたらそんなに単純ではないのではないかと思うようになってきた。問題があるのは「記憶力」(メモリー)ではなく、「入力」(インプット)の段階で既につまずいているのではないか、と思うようなことが何度もあったのだ。

こちらの意図や話の内容が正確に伝わっていない、すなわち把握できていない、理解しようとしない、もしくは、はなから聞く耳を持たないのではないかと、感じるようになってきたのだ。
だから、正確に理解したかどうか不安だから同じ話を何度も繰り返す。どうしても話がくどくなる。余計聞く耳を持たなくなる。理解しようとしなくなる。しかし繰り返すと少し改善する。だからまた同じ話を繰り返す。飽きてくる。聞きたくない。 …悪循環だ。

簡潔にわかりやすく伝える努力はしなければならない。それは伝える側として当然。
だけど、わかりやすい説明でなければ理解できなくなってしまうのは少しまずいのではないか?
少々わかりにくい説明でもそれを理解しようとする「受け手側の努力」もホントは大切なのではないか?

PISA調査において日本の子供達の読解力低下が問題になった頃、ある研究会でその対策キーワードに「不親切」をあげたことがある。他の人はさぞ訝しく思ったに違いない。
今は何をするにも親切丁寧で、失敗をさせない、苦労をさせないことに重点が置かれることが多い。私はいつもそのことについて「上手くいかない余地」を与えない、すなわち「失敗する」という出来れば避けたいけれどしかし実は貴重で大切な体験をする機会を奪っているように思っていたのだ。
周りが親切すぎるのは「自ら考える力」を奪っている最大の原因だと考え、その対策として、あえて「不親切」を提唱してみたのだ。
今もその考えは変わらない。さらに「不親切」のあとには「ひたすら待つ」べきだとも思っている。

今「読解力」問題は「生きる力」問題に発展している。
中央教育審議会答申(1998.6.30)で提示されている「生きる力」とは、
・自分で課題を見つけ ・自ら学び ・自ら考え ・主体的に判断し、行動し ・よりよく問題を解決する能力 ・自らを律しつつ ・他人と協調し ・他人を思いやる心や ・感動する心など ・豊かな人間性とたくましく生きるための ・健康や体力
を指している。

なんだ、いつもTSWのみんなに言っていることだよ。

何でもかんでも正解することが大切で、間違えることはとても恥ずかしい。だから出来るだけ間違えないようにしたい。しかも正解を出すことで苦労したくない。だから答えを教えてくれない指導は嫌われる。プロセスはどうでも良くて、正解であるかどうかでしか価値が見いだせないのだ。
ゲームにしたって、ゲームの攻略本ですぐ答えを与えられてしまえばつまらないものだと思うのだが…。それが続けば上記のような「生きる力」は付くはず無いのに、と思う。

私は音楽をやっているが指揮者(指揮の専門家)ではない。吹奏楽の合奏で指揮棒を振るが指揮棒のみで100%音楽を表現できるほど棒の技術を持ち合わせてはいない。
しかし、毎日顔をつきあわせているメンバーはボクのヘタクソな棒を理解してくれている。(合わせなきゃ怒られるしね。)
そこには解りにく棒ではあるけれど理解しようとする気持ちとか合わせようとする決意、癖なども読んで意図を再現したい、という前向きな気持ちがあるように思う。(あって欲しいと思う、が正解かも)

一方、素晴らしい棒の技術を持ち合わせている方々は、相手が初対面だろうと初心者だろうとなんだろうと、指揮棒の一振りで音や、音楽をコントロールすることが出来る。少ない練習で効果的にこちらの思った通りに音を出してもらわなければ仕事にならないので、さらに棒を振る技術に磨きがかかる。 当たり前だが、だからプロの指揮者と呼ばれる訳だ。
その場合、棒で明確な指示を貰えるので、演奏者は棒の通り音を出しさえすればいいので、あまりいろんなことに気を遣うことなく楽に演奏できる。
だが、とりあえず指示通りの破綻のない音を出しているだけで、そこに音楽の喜びとかアンサンブルの妙味とかがたくさんあるかどうか疑わしいかもしれないのだ。

とにかく指示通り何かをさせることと、こちらの意図や思いを相手に正確に伝達することは全く意味が違うと思う。
指示通り何かをさせるのことですら苦労するような人たちに、こちらの意図や思いをきちんと伝達し記憶に定着させ必要なときに引き出せるようにする、ということは、本当に至難の業に思えてくる。。

12月
25
駅伝応援

我が校駅伝部女子が全国高校駅伝大会に出場することになった。素晴らしい!
12月23日に5名の選手が京都を走る。
TSWはその応援に行くことになったのである。

前任校時代、甲子園の応援は数知れず行った。だから野球の応援の様子はよく知っているつもりだ。
しかし、駅伝の応援は行ったことも聞いたこともない。

何をすればいいのか全く見当がつかない。何処で演奏するのかさえ判らない。
準備が全く出来ないままあと数日というところまで来てしまった。

種目は何であれ、とにかく全国大会の組織応援の経験が無いのだから無理はないとは思うけれど…。
応援本部の機能がなかなか見えてこない。
なにより応援そのものを企画する部署がない。
とにかくバンドとチアが現場に行きさえすれば良い、と思われているのか?
ま、それもしょうがないか。一度経験すれば次からはいろいろと改善されるだろう…。
しかし、演奏する曲目の準備ができていなかったら、何も音は出ないぞ。
……。

うーん、いくら文句を言ったところで曲が無ければ困るのはこちら。チアと相談していくつかを見繕って準備した。2回ほど合同の練習も持った。なんとかその部分の目処はついた。
しかし、競技は1時間はかかる。前後で2時間ぐらいありそう。
こんな少しの曲数で足りる訳はないよなぁ、単独の演奏でももっと曲数準備しなければ、と急遽10数曲付け足しておいた。

 
前日昼過ぎに学校を出発し、夕方バスの中からバスの停車位置や楽器の積み卸し場所を確認するために現地をちらっと見た。
当日の朝7時頃現地着。「うへ!」競技場に近づいてびっくりした。なんと既にバンドの音が出ているのだ。強豪は応援も相当なんだな。
メインスタンドのバンドは何処も100名に近い。超えているところもありそう。しかもBrassだけだったりする。こちらは助っ人中学生を含めて総勢30名強。圧倒的物量の差。「嗚呼、人数が欲しい。」
駅伝

前日から降っていた雨も何とかあがり、競技が開始された。
会場に設置された大型ビジョンで何とか競技の画像は見える。
「あれ、先頭走ってるのうちの選手かぁ??  あっ!!そうだ!! 」
しかし音声は聞こえないので解説はわからない。
「おぉ? 何ジグザクに走ってんだよ??」
といってるうちに2位で2区にタスキを渡した。
2区もトップ争いをしている。
「すげ〜!!」
なんと3区は最後のスパートで、ついにトップタイで4区に繋ぐ。
わくわくするねぇ。
どきどきするねぇ。
よっしゃ、もっと音出そう!チアも演技したいでしょ!自分たちが一番得意なことで応援したいよね。
後半、バテそうになりながら出来る限り音出した。とても気持ち良い。

結果は、なんと7位入賞!!
初出場だよ、我が校は。
ゴール直後、校歌を演奏していたらなんだか久しぶりに胸が詰まった。
少し複雑な思いで京都まで出てきたけれど、とってもすがすがしく気分が良かった。来て良かった。
TSWはこんな宿泊遠征は初めてだったからか、色々なところで部員のミスが目立ち終始イライラモードだったけれど得るものは多かったなぁ。
一生懸命やってる姿っていうのは本当に感動する。TSW部員も何か熱いもの感じてくれただろう。

しかし帰ってきて正直がっかりした。
学校はいつもと全く変わらない雰囲気。休日のひっそりとした午後だった。
学校の回りにはこれ見よがしに健闘をたたえる垂れ幕が下がっていたり、応援隊が帰ってくるときは大勢の出迎えがいたり、と何かと派手にするものだと思っていたけれど、どうもここはそうではないらしい。
だから近隣の方々へのアピールも全くなさそうだ。
…本当にこれで良いのか?今後の課題は多そうだな。