みんないろいろ考えているんだなと実感している。
確かに気持ちは見えないし、聞こえない。
最近見たアニメ映画の「心の耳で聞いてごらん」という歌詞がとても印象的だ。
大切なものは見えないし手に取れない。心の中にある。
それを扱うのが私の役目かなと。
音楽とは、広義な意味で心の安らぎやそのあり方を見つけることが重要で、ただ、歌えばいい、音出せばいい、ではないと思うのだ。
私はそれをやりたいと思うし、今までもやってきた。良いかどうかずっと迷いながら。
しかし、そろそろ「これで良いんだ」と思い切ろうと考えている。
誰がなんと言おうと、これが私の道なんだと思うことにしよう。
実態のないものを、より理解したり伝えたりするためにどうしたらよいか。
それにはまず言葉だろう。その意味で、「日誌」はTSWにとって大変重要だ。
言葉を紡ぐこと。そこには苦しみもあるかも知れないけれど、それをしなければ始まらない。表現の第一歩だから。
そして、継続は力なり。少しずつ思いが伝わるようになる。
人と繋がりだす瞬間だ。
最近の日誌より。
勉強に対して高校に入ってから始めて(!?)ちゃんと向き合っている気がする。
劣等感やら、授業がさっぱりわからんやらで、ものすごく苦しい。自分はバカなんじゃないかと絶望する。心の底ではそんな事無いってわかっているのに。部活で学んできた事、どれだけ生かせるか勝負だと思う。勉強に対して同じぐらい頑張れたなら、これから先のあらゆる事に対しても同じように生かせると思う。
気持ちのコントロールがうまく出来るようになりたい。
そう。一つずつで良いと思う。長い目で見てそれが一番の正攻法なんじゃないかな。
確かに他のことがぼろぼろに見えてしまうと、すべてを否定されがちなんだけれどね。しかし、絶対に自信を持つべきだ。すごいことをやっているのだから。
〜前略
ここには(準備室)何か人をひきつけるものがある気がする。
TSWの準備室だから。かな。
人のぬくもりというか、何か温かいものがある。
ここに来れば誰かいる、何かある。みんないる。
当たり前になっているけどすごいことなんだよね。
TSWの当然が通じないことがあると「おっ!!」って思うようになった。
後略〜
見えない何か。大切な何か。その存在に気がつき、あるかないかわかるようになる。
〜前略
今はテスト週間です。しかも土日です。勉強しなければと思う反面、いつもできないことしたいと思ってしまいます。いやいや、だめですね。
きちんとやるべきことをやらなければ!!
月曜日から音楽室で勉強しているのですが、昨年と雰囲気が違います。なんでだろう。1年生がとっても楽しそうにみんなで机をくっつけて勉強しているし…。すっごく仲良いです。うらやましいなと思っていしまうぐらい。もちろん他が仲悪いとかじゃなく、日々を楽しんでいる感じが伝わってきます。
月曜日からテストです。がんばろう!!
〜中略〜
休みの日になるとTSWのみんなが恋しくなります。
準備室や音楽室、合奏室が恋しくなります。
コーヒーのにおいやCDの音、みんなの話し声や笑い声。
ないととってもさびしいです。完璧にTSW依存症ですね 笑))
(一部編集しました)
一つずつ積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
するといつの間にか自然に積み上がっていくようになる。
そうやって雰囲気が出来てくる。
新しい人達はそれが普通としてスタート。
さらに積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
そうやって続いていくことを伝統という。
〜前略
この部活に入って、人の心に触れる(?)ことが多くなった…というか、今まではそういうことがなかった。人の心って難しいって改めて感じた。
高校に入る前は、人がわからなかった。本心かくして笑って、こっちがさらけだしても逃げられて、1人になって。だからこわくなって、わからなくなって、心から「楽しい」って思い出が少ない。気を使ってる自分があたり前だった。どうせこんなもんだよって、痛い場面に出くわすたびかくしてた。でも…ここに入って…TSWで人の心動かすこと、人の気持ち、人の考え、それにたいする自分の考え、気持ち、そこに向き合うことを少し知れたと思う。このメンバーだからイライラをかくさずにいられる。
思い考えることが増えた。くやしい、負けたくないって思うこと、小さいころ以来ずっと忘れてた。覚悟とか意志とか。うーん。「心」だなぁ。よくわからんけど。
どんなに強く思って決心したことでも、強い自分ばかりじゃないから、まよってゆれる、と思う。その時にそのままおちていくのではなくて、またあがってこられるように。休憩しながらでも。−…人間ってすごいね。心をもつんだね。音楽と心は通じているんだよね。…何かうまく書けん。ごめんなさい。
後略〜
言葉を紡ぐのと同時に、楽器で、音楽でそれをやる。
言葉に比べたら抽象的でとりとめもない音達なのに、なぜか言葉より正確に伝わることがある。理解すると言うよりも、パっと心の中で何かが広がる感じ。言葉にはならないけれど、印象というか、イメージというか、感覚というか…。
思わず鳥肌が立つ、という部類だな。
高校生時代にニュータイプ論というガンダムに出てくる概念を題材に生物の進化論レポートを書いたことがあるが、自分の中には未だにそのあこがれがどこかに有るのかも知れない。少し前に合奏で紹介した本「 ヒトはイヌとハエにきけ―異種間コンタクトの方法 J.アレン ブーン (著),上野 圭一 (翻訳) 」も、その現れかも知れない。また、でーだらぼっちも精霊もそのたぐいかも…。
こんな事書くと途端に胡散臭くなってしまうなぁ…。