4月
03
進化

4月のど初っ端から大波乱。
でもそれは私の話で、皆は何も悪くない。にもかかわらず皆の真剣な眼差しがありがたい。感謝。
 

さて。
話題にもしたけれど、定期演奏会以降、このところの何回かのイベントで進化を確認できて嬉しい。
少しずつではあるけれど確実に進んでいる実感。
思い返してみれば、一人一人の顔つきが変わっていることに改めて気が付く。
言葉の端々にその変化が現れていることにも気が付く。
細かい動きの中にごまかしや上っ面でない本物が見え隠れするようになった。

優しく思いやりに溢れ、きちんと自分と向き合うことが出来るようになり、挫けずにやり続ける事が出来るようになったあなた達。
まだまだもろくて、何かあれば壊れてしまいそうだけれど。
まだまだちゃんとした答えがでないことが多いけれど。
でもね、それで良いんだ。
壊れそうになることを不安に思わなくても大丈夫。
答えが出ないことに焦らなくても大丈夫。
もちろん、これからだって紆余曲折があり一筋縄ではいくまい。
だからこそ、もう少しだけ「この方向で良いんだ」という自信に満ちあふれて欲しい。
そうすればさらに進化が加速されていくはず。

「信じて待つ」事でここまで来た。奇跡でも何でもない。今まで押し込められていた、本来あなた達が持っている力だ。まだ無尽蔵に持っている。
解き放とう!
「出来る」ことを信じよう!
 
 
花いちもんめ。皆の心遣いが嬉しかった。心よりありがとう。

3月
31
名前

小学校のころ自分の名前は大嫌いだった。何より「音」が嫌だったし漢字が書きにくい、と思っていた。

それがいつだったか、まんざらでもない、と思うようになった。
自分の名前を辞書で引いてみたのだ。目についた国語辞典や漢和辞典を片っ端から。

辞書には悪いこと書いてないんだな。むしろ書いてあることが大きすぎてびっくりした。
初めの一文字は「大水」転じて「王意」なんてのも有った気がする。(気になって今回探してみたが残念ながら見あたらなかった。幻だったのだろうか。)
二文字めは、それのもと、という意味だろう。
で、色々あるんだけれど、どれにも書いてあることは「大事業の礎」の意。
広辞苑ではずばり書いてある。(読み方は変えるが、漢字はそのままで出てくる。)

大事業そのものでないことが気に入っている。その礎なのだ。
ダムに開いた蟻の穴1つ。大水の元。
たくさんの人が知ることはないし表には出てこない。しかし、それがなければ世の中動かない。

名前が体を表すのか、体が名前に寄っていくのか。
最近益々、名前の通りそうありたいという気持が強くなっているようだ。

明日から始まる。
気を引き締める。
アグレッシブに。

3月
29
休暇

が明けたら4月。4年目突入だ。

まだまだ棘の道だろうか。
泥濘に足を取られ、浮き石で足を滑らすだろうか。

自分が目指すべきと信じている先と、目指して欲しいと期待されている先の間にギャップは無いだろうか。
私が信じ、これからも信じたいと思っている事は誤解無く伝わっていくだろうか。
従来の風土の中にそれまでと異なった物を持ち込むことについて何らかの意味を見いだせるだろうか。

ある意味頭脳戦。
ある意味消耗戦。
みんなが想像するほど私はタフではないし不屈の精神力があるわけでもない。
しかし私のスキルと体が持ちこたえる限り、それが出来る状況がある限り、挑戦は続く。

なにより最高の音楽(音楽の存在とその実現の手法)を皆に伝えたいから。
そして「伝えることが出来た」という自分自身への証明をしたいから。

3月
26
課題

アンサンブルする上で、誰かがたった1つミスをしたとする。
ミスをした当人は「一生懸命やったし…」「これくらまぁいいいや…」なんて思ったりする事は良くある。
しかし、そのミスが取り返しのつかない場合だってあるのだ。本人が気が付かないだけで。

もちろん「その重要性を知らなかった」という場合もあるだろう。「そんなに大変なことだとは思わなかった…」と。
しかし知ってたとしても知らなかったとしても取り返しのつかないミスであることには変わりない。

よく私が「信じられん!!」と嘆くミスがそれだ。
結果、音楽が台無しになる。
たった1つのミスが原因で。

だから、常に細心の注意を払って音を出すことを覚えなければならない。
闇雲にやりさえすればいい、なレベルはそろそろ卒業しよう。

不注意で、ミスを出すことは止めよう。
ミスを100%無くせ、と言っているのではない。
取り返しのつかないミスが何か理解し、絶対避けるべきミスは絶対に避けよう。

それが4年目の課題だ。早い頭の回転と正確な状況把握が必要。出来るか?

3月
23
生き残り6人

第4回定期演奏会まで到達したTSW2期生の6人。3年間よく頑張りました。
心の中まで土足で踏み入られ、理性をぐるぐるぐるぐる攪拌され、あれをせよこれはするなと翻弄され、忙しさに目が回り、自分が何が何だか分からなくなったこともあるでしょう。さぞ苦しかっただろうと思います。
 

演奏会終了して数日経ちました。まだまだこの3年間を冷静に振り返るには時間が足りないと思いますが、でも今、せっかちにこの3年間の意味を見いだそうとする必要はないです。そんなに簡単に見える物でもないでしょうし。次第に見えてくる物もあれば、何年も後に突然ひらめくこともあるでしょう。

それは必ずやってきます。
やり遂げた者への何よりのご褒美です。逃げずに立ち向かい最後に勝ち取った自信と誇りです。
紆余曲折色々あったにせよ、最後まで到達したのですから。
途中どんなことがあったにせよ最後まで生き残った6人だけの特権です。
「高校生活最後の定期演奏会の舞台に乗った」ことは厳然たる事実なのです。そうでない人と決定的に違うのです。

それはこの先、生きている限りじわじわとその意味をずっとかみしめることになると思います。
(たった)3年間でその準備をして、一生の宝となるのです。凄いことです。
 

3年前、私がここに来るのと同時に高校に入学し、入学した途端、当初の予想とは違う吹奏楽生活の展開が始まり随分とまどったんじゃないかと思います。それでもTSWの土台をつくるという地道な作業をひたすらやり、TSWに居続け、一生懸命私の話に耳を傾け、私の希望に添おうとし、私の一言に一喜一憂してくれました。そして私に力を与え続けてくれました。随分助けてもらいました。TSWが次のステップを踏めるのはあなた達のおかけです。心より感謝します。

さらに進化させたTSWにするために残された者が引き継ぎます。身を引き締めて引き継ぎます。
だから安心してそれぞれ自分の道を前に進んでください。未来はあなた達の前にあります。

3年間、本当にありがとう。

3月
21
雲雀

を声を空高く聞いた。
軒下を出入りするツバメを見た。
キジが鳴いた。
鳩が卵を抱いている。
丹頂草が咲いた。
柳の垂れた枝に柔らかい緑の小さな新芽が無数についている。
木蓮が咲く。
ミモザが咲く。
ユキヤナギが咲く。
桜はつぼみが膨らみ、気の早いいくつかは既に花開いている。
香嵐渓ではカタクリの群生が満開らしい。
土筆の卵とじを食べた。
菜の花を食べた。

〜今日見聞きしやったこと。

春だ。

==

第4回定期演奏会は昨日無事終演した。
とても良い演奏会だった。
その時その空間にいた人々が皆それぞれ暖かい気持になり優しく幸せになった。
誰かの指示通りやったから出来たのではない。それぞれが皆、自らやるべき事をやったのだ。
その事の意味の大きさを各自が実感するにはもう少し時間が要るかも知れないけれど。
 

本番という特別な時間と空間の中で、舞台に乗った人も、乗っていない人も、何かの弾みでたまたまそこに居合わせてしまった人も、(そこに居たいのにそれが叶わなかった人も、)全ての人がそれぞれ特別な感情を持ち、「音楽」を通して揺るぎない一体感を持つ。その凄まじい恍惚の中である人は涙し、ある人は微笑み、ある人は感動で打ち震え、ある人はやり遂げた達成感を感じながら極度の緊張が心地よい安堵に変わっていく。
今までの全てのストレスが解放され希望と喜びに変貌する瞬間だ。

音楽の持つ力。計り知れない偉大さ。
決して一人では出来ない。たくさんの人の力が合わさることが必要だ。
その瞬間瞬間に生まれては消えていってしまい決して手に取ることは出来ない「音楽」というもの、さらにはそこから目に見えない「幸せ」が生まれ続けていることを一人一人が微塵も疑わず信じることによって、全ての人々が1つになる。

信じること。諦めないこと。

そして、次の一年はさらに。
TSW-NGOは進化し続ける。
我々TEAM NGOは当然揺るぎない。

毎年必ず春は来る。
喜びに満ちて春は来る。
今年は第4回定期演奏会開催と同時に来たようだ。
我々も大いに喜びに満ちあふれよう!

3月
16
続 高校の記憶

なんだか関連していろいろ思い出して来ちゃったから、記憶のメモとして書いておこう。

生徒会の選挙があった。会長に立候補したのはよく知っている友達だった。決して悪い奴じゃないし心意気もあった。彼は学校を変えたいという純粋な思いも有ったようだし、近しい周りもそれは認めていたようだ。しかし、生徒全体から見たら、説得させられて渋々出てきた(言葉は悪いけれど)教員の犬に見えたのだろう。信任率がとんでもなく低い(具体的な数字は忘れたけれど2,3割だったような…)選挙結果で、成立せず再選挙になった。当然本人は相当へこんだだろうな、と思う。一方、一般生徒たちはなんだか自分の主張が通ったような感覚でその結果に満足していた。

しばらくして、やっぱりなんだかまずいぞ、という雰囲気が出てきた頃、急に招集がかかった。教員からではない。一つ上の学年の先輩からだ。
「日曜日の何時、集合せよ。もし学校を良くしたいという熱意の有る物がいたらかまわないから連れてこい。」私も友達に誘われた。
20人ぐらいいただろうか。先輩達も一人ではなく複数の人間がいた。我が吹奏楽の先輩もそこにいて「おまえも来たのか!」と嬉しそうな顔だった。集まったのは同じ学年の部活やクラスのリーダー達、そうそうたる顔ぶれだ。アパートの一室に案内された。(あの部屋は何だったんだろう?人が住んでいる気配はなかった。)
まず、「あの生徒会選挙は何だ!おまえらには学校を良くしようとする気持ちはないのか!みんなで結束して何とかしないととんでもないことになるぞ!」と先輩からお説教を食らった。その後具体的にいくつかのプランや指示があったような気がする。

背後で教員の指示があったのかどうか不明だ。しかしそんなことはどうでも良く、「学校を良くする」という大命題に対して、(先輩ではあるけれど)生徒が生徒に、個人ではなく組織として働きかけ、実際に個々の気持ちが動き、その先の行動となって行くことに少なからず感銘したんだ。

再選挙では、いろいろな仕込みが功を奏し別の勇士が圧倒的な信任率で無事選任された。その後校則はみんなの努力の甲斐あって一つずつ改正されていく。

部活の事、学校生活のこと、いろいろ物言いたくてずいぶん暴れたからなぁ、私は最後まで扱いにくい生徒だっただろうと思う。
ブラックリストの筆頭だったんじゃないか。

なのに、大学(一応それなりの学校だから進学実績には充分貢献できる…)受かった瞬間、英雄扱いになった。なんだそれ!?ってアホらしくなった。
私のガッコー嫌い、センセー嫌いはここが原点だろう。さらに、それを今自分がやっているかもしれない恐怖は常につきまとっている。
ま、独り言です。

3月
13
昨年の

今頃、定期演奏会に向けて新入生の練習参加が始まっていた。
もう一年が経つんだ。

今年もやはり同じように新入生が練習に参加している。
数日たって少しずつお互いのことを知ってうち解けてきているように感じる。今日は自分たちだけで曲の練習を合わせていた。新鮮で初々しく、不安でいっぱいであろうに何より一生懸命な感じが嬉しい。
初心忘れるべからず。

さて、昨年新鮮で初々しく不安でいっぱいだけど元気もいっぱいだったあの人たちは今どこにいるのだろう。舞台転換の段取りを自分たちで組み上げ、どんどんこなしていたあの人たちは今どこにいるのだろう。
おかしいなぁ。
 「朱に交われば赤くなる」。
いつの間にか、何かに、何処かに同化していってしまったのか??
それとも劇的に変わる何らかのきっかけが有ったのだろうか??

取り戻せるか?

3月
12
高校の記憶

先日、なぜか突然、高校時代のある一コマが急に蘇った。

前にも書いたかな?
私の通っていた高校はマルトウ訓練なる物をやる、いわゆる「管理教育」を全面に打ち出した学校だった。校則は理不尽で力任せ。生徒は人間扱いされていない(ように感じていた)。それでも新しい学校だからか、とりあえず生徒は従順だったなぁ。この事件までは。

確か2年の時だったと思うが、授業中、急に廊下から激しいやりとりが聞こえてきた。全員がほとんど授業を上の空で聞き耳を立てている。
声の主は一人の生徒指導部教員と一人の生徒。その生徒は、教員相手に激しくやり合うことなどにわかには信じられないような成績学年トップ、スポーツ万能(剣道部だった)、人望も厚く先生も生徒も皆が認めるリーダー。同級生だ。
だから「何であいつが?」って、みんな固唾を飲んで聞き耳を立てている。
次第に事態が判明してきた。内容は、授業中校則違反をしている彼をとがめて廊下に連れ出し指導し、それに対して猛烈に反論している、ということらしい。
たまに(今では問題になるよ…)殴られているであろう激しい音がするが、彼は全然そんなことにはひるまない。

校則違反とは靴下の色が学校指定と違う、ということ。…その場をしのぐには脱ぎさえすればいいのに…。

今思うと、彼は自分がリーダーであることを十分自覚した上で、理不尽な指導に対し、全生徒の代表として断固意思表示をしたのではないか。決して独り合点の我が儘では無かったと思う。
次の日、自発的に集まったたくさんの生徒の前で事の顛末を説明し、改めて自分の主張をした。「その校則はおかしい。その指導は間違っている」と。「みんなに迷惑かけて申し訳ない、しかしどうしても許せないのだ」と。

ここで書いたような事と同時期だったと思う。こんな事件があったからこそ、私もそれに呼応して動いたのだったんだ、と思い出した。
 

TSW諸君、あなたはどう思う?
「すごいな、見習おう!」かな。それとも
「先生にタテツイタらダメ!なんじゃないの?」って思うかな。
「適当にやり過ごせばいいのに…」か?

我が儘と自己主張って何が違うんだろう。

自分の気持ちを表現する、ということは、それを阻害する物を打ち破っていくエネルギーが要る。「叩かれたら止めとこ」程度だったら全く説得力無い。だから行き着くところまで行こうという意志が要る。けれども無理矢理押し込んでいけばいいという訳でもない。それでは理不尽な先述事件と何ら変わらない。一定の理解と容認が無ければそのエネルギーはただの暴挙にしかならない。絶妙なバランス感覚はとても重要だ。

しかし、今はとにかくその力が欲しいのだよ。TSWに。
全くのパワー不足で何も出てこなかったら表現も何もあったもんじゃない。
 

「他律の中から自立は生まれる」というキーワードが最近気になっている。この場合少し意味が違う(反面教師)かもしれないけれど。
結果、理不尽な校則という他律の中から、それはおかしいんじゃないかという(ある意味正義感的な)自立が生まれたのかもしれない。

押されたら押し返す。そんなことでも良いじゃないのか。
とにかく「若さ」という無尽蔵なエネルギーが欲しい。

第4回定期演奏会は目前だ。

3月
08
2週間

を切った。
3年計画の総仕上げ。

総仕上げ。
今まで積み上げてきたことの。
積み上げてきたはずのこと。

何を?どれだけ?ちゃんと積めたのか?
積んだものは活きているか?
どれくらい詰めたか?
密度は上がったか?

「3年間」という膨大な日数を見渡す。1000日を超える日々。何ができたか。何ができなかったか。
「3年間」という全体を見渡す。そして今いる位置を確かめる。今後向かうべきところを確かめる。

あと2週間弱。その日はやってくる。
その一瞬に懸ける気迫をさらに漲らせよ。