3月
08
関連させる事

一つの解決が次の解決に繋がっていく事。
それぞれの事柄は各々独立しているのではなく関連している事。
一見別の事に見える事でも、イメージの中でどんどん繋げていく事が出来る事。

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小学生の頃、好きだった工作本の裏表紙にあった広告。(マブチモーターの広告だった。)

真ん中に万年筆一本と、むき出しのモーター(もちろんマブチの模型用モーター)
の写真が載っている。絵柄はそれだけ。

下に小さな字で、「あなたは一見関係ないこの二つをどう結びつけますか?」みたいな事が書いてあった。
さらに小さな字で、「機械の力で文字を書かせたい、という気持ちが電動タイプライターを発明させました」みたいなことが書いてあった。

今でも鮮明に覚えているのだから私にとって何らかの大きな意味を持っているのだろう。その広告から得た物は単なる数百円の模型用モーターという物の購買意欲だけではなく、人類の知恵そのもの(ほんの一部だけどね…)だった気がする。

電動タイプライターは、いつの間にかワードプロセッサーになりパソコンになっていく。また日本語変換プログラムや音声認識技術などにも繋がっていく。さらにはケータイにだってつながっていく。
−−何年か前、口頭で色んな指示してた時、メモをケータイに入力する人がいた。「間に合うの?」「はい、早いですよ。」−−

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何かが何かの足がかりになる。一つの事柄が次のエネルギーになる。そうやってより素晴らしい物を目指していく。それは「失敗は成功の元」ともつながる。

関連させ積み上げる事。
これは決してTSWの中だけの事ではない。同じ所にとどまるのではなく次のステップに行くためには世の東西・老若男女を問わず必須だと思うのだが。

もちろん、明日の練習でもさっそく問われ試される。気がついて欲しい。

2月
21
卒業式

予餞会・卒業を祝う会・卒業式が、全日制、定時制の両課程で終了した。
それに伴うそれぞれのリハーサル、練習などなどもあった。
我がTSWは忙しくハードな三日間だった。

毎回、本番前はどうなるかと冷や冷やさせられるの勘弁してほしいなぁ。間に合わないかもしれないという綱渡りは本当に苦しい。予定通りに練習が出来たとしても怪しかったのに、全体リハーサルの延長やら、式典の他の練習やらでどんどん練習時間と場所が限定されてしまったから、さらに苦しい練習になった。
演奏だけではなく、予餞会ステージの出ハケが全然組み立てられずとてもみっともなかった。
間に合いそうもないと思ったので、結局、口を出し指示をしてしまった。我慢強く充分待てないんだなと反省しきり。

そんなこんなではあったが、拙いながらも何とか誠意を込めて卒業生を送り出すのに失礼ではない演奏にはなったったかと思う。外からの刺激・圧力で緊張感を高めるのではなく、自身の中から余裕を持って緊張感を出せるようになったら、と願う。
 
−−
TSWみんなの先頭に立って一生懸命部活動をしていたのにパタッと私の前から姿を消した生徒がいる。
その彼女がこの卒業式で学校を巣立っていった。

TSWから離脱するにあたり何も感じなかったわけではないと思う。
その後、私たちの練習はいつも聞こえていただろうし。
卒業式の演奏だって間近でTSWの音を聴いたのだ。
万感胸に迫るものはあっただろうと、この先力強く生きて行けよ、なんてつらつら考えながら答辞を聞いていた。
ただでさえ、立派な答辞で感心していたところ、ある不意打ちを食らい見事私の心に命中したのだった。
思わず涙が一筋流れた。
熱い感情が徐々に胸に込み上げてきて、のようにドラマチックなものではない。突然、つっと一筋流れてしまった。

式後、友だとたちと屈託無く笑い喜び合っているのを見て、私の心の中にあった重い物が取れた気がした。
心の底から嬉しく思い、ひとりでに笑みがこぼれてきて困った。
一瞬こちらを見た気がしたので思わず声をかけようとした。が、止めた。
プライドの高い彼女のことだ、自身の感情をコントロールしようとして無理をさせてしまうだろう、と思ったから。
結局そのまま何も言わず見送った。でもやはり私は一人でにやけていたような気がする。

何にせよ良い卒業式だった。
こんな卒業式に立ち会えることが出来たTSWの諸君は幸せだろうと思う。
その直後に行った吹奏楽連盟の会でも「立ち会った生徒たちは本当に良い経験してるよねぇ!! 吹奏楽部だけの特権だよねぇ!!」と話題になった。

日誌にこんな感想があった。
「全日制よりも、定時制の方が「自分たちは卒業するんだ!!」ってオーラ!?がギラギラっぽかったです。どうせ卒業するならあんな風にしたい!!と思います。」
4年間生き延びた末の卒業なんだもの。そりゃ、うれしいだろうさ。

答辞の一節。(これは記憶…)
「普通の高校生ではない道を選択したがためにお父さんお母さんに重い荷物を背負わせてしまいました。ごめんなさい。」
いやいや、謝る必要は全く無いと思うよ。立派に卒業したじゃん。

いつもは挨拶しても見向きもしてくれない金髪アンチャンに「おめでとう!」って通りすがりに声をかけてみたら、小さな声で「うん…」って応えてくれた。心の底から喜んでいることがヒシヒシと伝わってくる。

皆さん、卒業後も立派な人生を歩んでください。自分の生き方に自信を持って下さい。誰の物でもない自分の人生なんだから。

2月
17
毎年の事ながら

この時期は苦しい。

このくらいは出来るだろう、という想定がことごとく覆される。
伸び率が止まる、という感覚ではなく、急激に後退しているようにさえ感じる。

こちらの気分としては定期演奏会に向けて全開にしたいのに、そうするとたちまちあちらこちら負荷に耐えられなくなって故障し崩壊する感じだ。

原因は良く解らない。良く解らないから困る。本当に困る。
三つほど原因を仮定してみた。

資質で片付けて良いのか?
何か方法が間違っているのか?
別の大きな力に飲み込まれてしまうのか?

しかし、どれもしっくりこない。
 

「どの子も育つ、育て方ひとつ」というスローガンが有名なシステムで育った私。
そのシステムに特別な感情を持たないが、しかし「誰でも可能性はあるんだ」という気概は持ち続けたいと思っている。
「育て方」、すなわち教える側の責任において、育ったり育たなかったりするんだ、だから私が気を抜いちゃいけない、のつもり。
 

今日ネットをさまよっていて「感受性」は教えられるか?という一文に出くわした。

>>教育によって感受性のすべてを育てることは到底出来ない。しかし、補足修正の可能性はある。資質の開発可能性は教育が決定する。

そりゃそうだと思う。でも大切な事が解らない。
どうやって?

いろいろ策を巡らせ手を打っているつもりなんだけれどな。全くの力不足だ。
どうやって?

聞く耳持たなかった人たちが、人の話を聞こうと自ら耳を傾けるのを待つしかないのか…?

2月
06
卒業式

関連の合奏レッスンが始まった。
当然、予餞会、卒業式だから現3年生は参加しない。

記録によれば、昨年は予餞会ですら3年生の演奏参加を打診している!
今年はその発想を持たなかったけれど、いずれにしてもこの時期まで3年生に頼らなければならないのは本当はまずいと思っている。もっと早い段階で先輩離れして後輩達が自立せねば…。

1、2年だけで、編成は少し(だいぶ)変則。
でもしょうがないよな。無い物ねだりしてもダメなことは重々承知。
現在持てる力で最大限の力を発揮するために工夫し努力する。

ある程度普通の形に整えなければ、と思う(だから3年生に頼ってしまう…)反面、本質を損なわなければ形などこだわらない、という気概(次に向けての覚悟…)もある。

TSWは人数が少ないとはいえ、複数の人が集まってアンサンブルをする。一定の指向を持った集団だとは思うがそれでも1人1人違った価値観を持っている。集団として何処に線を引くか、常に悩ましい。

が、前提は確実にある。進歩したい。進化したい。次に向けて。

2月
03
自信と誇り

さて。
自分たちTSWの事。先日の本番はどうだったか。

演奏の出来は?
舞台のお手伝いはこなせたか?
長久手まで行った成果はあったか?

一生懸命動こうとしていることは良く判ったよ。
「とっても助かりました」ってお礼の言葉沢山頂いたしね。
客席から見えていた部分でも「良く動いていたんじゃない?」との感想頂いたし。
でもな、欲は出る。
やらなきゃいけないから、ではなく、自然に動ける、とか。
逆に必要の無いときには邪魔にならないようにうろちょろしないとか。
ま、そういったことは経験を重ねたからこその「自信」が必要なのかも。
また、そういったことが出来るゾ、といったような密かな「誇り」とか。
さらにもう一段階上を目指そう。
 

演奏は?
あのリハでは全くダメだ。それぞれが自ら持っている緊張感の質が悪いんだな、きっと。
だから、大切なところで信じられないケアレスミスをする。
実はどう考えてもそれが理解不能だ。
なんで? この期に及んでそれ?
だから、しなくても良いダメ出しが雪だるま式に増える。そんなのは全て無駄な練習。
当然ストレスも激増する。疲れる。

本番はそれなりに(いつものように小さな事故はあるものの)TSWの音楽は出来たように思う。その時の条件の中で出来得ることはやった、と感じる演奏にはなった。
しかし!
本番がなんとか出来たからいいじゃん、ではダメ。
もちろん観客は結果オーライだろうと何だろうとそれしか聴かないわけだからそれでもかまわない。
しかしそれではTSWとして何も進歩しないじゃないか。
さらに高度な課題が次々と繰り出され、それをガンガン乗り越えていきたいのに、いつも同じところで足踏みする愚行はそろそろ終了したい。

ポイントは自信と誇りだ。
自信と誇りをたくさん持つような練習を日頃から積み上げなければならない。
辛抱・我慢し、必ず出来るようになる事を信じて、気の遠くなるような日々の練習を積み上げて、ようやくそれが自信に繋がってくる。そして「出来るんだ」という誇りが漲ってくる。
自信がつくと余裕が生まれる。その余裕があって初めて音楽の楽しみを感じることが出来る。そしてその楽しみが誇りになる。
そこまでやりきらなければ音楽なんてやる意味がない。

自信と誇り。次のステージだ。

2月
02
練習モード

文化の家での私の合奏リハーサルを見た人の感想。
「合同練習はドンドン音が変わっていくのが凄い!」
「マジックですね。」
「みんなを集中させる事が凄い!」
さらには。
「合同練習と豊川単独練習と練習の仕方が全く違う!!」
「豊川単独練習の緊張感は凄い!」
などなど。
怒号や罵倒に聞こえる指示と切れることのない緊張感が、合同練習モードのギャップと相まって相当なショックだったらしい。見てなかった人に「凄い」「怖い」「ピリピリ」など何とか伝えようと、躍起になって言葉を選んでいた。

確かに、モードは意識して変えている。
そうでなくても、そのバンドの現状からさらに良くしようとしたときに、何を課題ととらえるかで、当然練習モードは変わる。

でも、そのやりとりを聞いていたM氏はいとも簡単にこう言い放った。
「あんなの(前日夜の合奏)は全然怖くないです。怖いと思っちゃダメ。当然やるべきダメ出しをしてるだけです。それに引き替え、昔はあんなの比べものにならなかった。それはそれは怖かったですよ。ははははっ!」
彼は自分の練習の居残りをしながら久しぶりに私の合奏レッスンを聴いたらしい。
「なつかし〜」ていってた。
「でも、あれ(高校当時の厳しい練習)があったから今の僕があるんです。」

2月
02
吹奏楽フェスティバル

in NAGAKUTE
無事終了した。
良い小屋が、良い人と良い音楽で満たされた。
やっぱり、まず「人」だ、再度強く感じた。
そして「自分は?」

私自身は頑張りすぎたかなぁ。
体中バキバキいってる。
右腕が上がらない。首が回らない。下向けないし、横向けない。
例の、背中から首筋、頭にかけての痛みはまだましだけど。
両足太ももの付け根から足首まで動きが鈍い。
目も見えづらい。(眼鏡の度が合わないようになってきた?)
おかしいなぁ…、体がいうこと聞かない。

やっただけの成果はあったと思うし、関わったみんなにそれぞれ何かおみやげを持たせてあげることは出来たのじゃないかな、と思っている。TSWも、その他の団体も。

200人を超える合同バンドで指揮をしていると、メンバー全員の真剣なまなざしをストレートに受ける。私はそれをたった1人きりで受け取り、返さなければならない。残念だがたぶん全員には行き渡らない、返しきれない。当然不十分だろう。しかしだからこそ私の持ち得るエネルギーを全放出しなければその気迫すら伝わらない。
当たり前だが、伝えることが出来なければ返ってこない。だから伝えようと目一杯。そのやりとりがスリリングだ。

気持ちが返ってくると、だんだん音も返ってくる。揃ってくる。合ってくる。技術ではない。(…言い方がまずいな。それぞれが今持っている技術がフルに活用されるようになる、ということなんだけど。)

みんな気持ちも力もある。感性も技もある。ただ、出しきっていない。出し切ろうとしていない。
本人すら気がついていないかもしれないその隠れた力を存分に引き出すこと。
それぞれが持てる力を全開で出せたら凄いことになるんだから。
本番は「良き思い」で満たされなければならない。「感動」が満ちあふれなければならない。凄いことになったご褒美であるべきだ。
だから全力でいろいろな手を尽くす。それが私の役割。
今回、何とか出来たかな、と自惚れてみる。

次のステップは、何より継続すること。決して忘れないこと。
「嵐が過ぎ去ったからそれは過去の話」ではまずい。
積み上げなければならない。
重要なのはこれから。この先。
 
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さて。ゲストのみなさんや主催者スタッフとのお話。
「結局ダメなのは大人、子供達は何も悪くない」で盛り上がった。
さらに「それで育っちゃった、大人になっちゃった人が如何に大変か」で盛り上がった。

根は深い。
個人が太刀打ちできるような事ではない。
「でも、それぞれの立場でそれぞれが出来ることをやっていくしか手はないんじゃない」
「めげずに頑張りましょ!」
「続けることこそ大切だな」

十数年前の高校生(今のTSW諸君と同じ!全く何も変わらない!)が、現状の教育を憂い音楽を伝えようとし、人を育てようとしている。
自分に何が出来るか真剣に考え、それを職業音楽家としての使命と責任感でやろうとしている。
いや、そんなに堅い話でもないか。結局音楽やりたくてしょうがないんだ。音楽の喜びを伝えたくてしょうがないんだ。
私の周りにそんな勇士がたくさん集まってくる。
それが出来る場がある。
この瞬間は何物にも代え難い。心より嬉しい。至福だな。

TSW諸君がそれを心から感じるのは何年先だろうか?
いや、何年先でもいいんだ。いつか自分の花が咲けばいい。きっと咲く。

そのためには訳がわからなくてもとにかく、今、目一杯やることだ。
限界ギリギリ目一杯、だ。

1月
26
より良き物

を目指すために必要な事など。

・とにかく情熱。
・本質を見極めた目指すべきビジョン。
・そこに向かうための熟考された施策。
・ブレる事のない固い決意。
・しかし、それ以上の苦言を受け入れる謙虚さ。
・粘り強く諦めないこと。
・集中力。

うーん、他に何があるか。何か忘れてないか?

 #人のふり見て我がふり直せ。

1月
25
育てる

今日は、来週に本番がある合同バンドの練習会初日だった。吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。愛知万博をきっかけに始まって今年で5回目のイベント。私は初回から関わっている。

練習終了後、高校生に「ボクはこのイベント好きです。今回で5年目です。」と嬉しそうに話しかけられた。中学校時代から参加しているらしい。「中学校の時、中途入部でこの本番がデビューだったから何より思い入れが強いんです。」とも。彼は「高校卒業しても出させてもらえますかねぇ?個人参加できますかねぇ?」と言っていた。

ある学校は、本番当日に他の本番(アンサンブルコンテスト県大会!)とダブルブッキングした。そちらの本番に出られるということはとても誇らしいことだし大切なことだ。だから、アンコンに全精力を傾け、こちらに出られない人がいてもしょうがないだろう、と当然思っていた。
が、しかし。アンコンの出番終わったら稲沢から駆けつけるという。「合同演奏には間に合わせます!」ということらしい。

うれしいな。「この本番に出たい!」という気持が嬉しい。

イベントとしてはとても地味。華々しく素晴らしい質の高い演奏会かどうかもわからない。無料だから営業収入もない。予算獲得難しく、継続することは実は難しいのじゃないかな。さらに苦労多くて担当者は大変な事ばかり。目立たないから評価もちょぼちょぼ。

しかし、育っているんだよ、確実に。人も。そして文化も。
一見無駄な事に見えるけれど、このことこそが大切なんだと思う。

最近こういった社会教育型な吹奏楽イベントに関わることが多いが、上手くいっている所の共通点がある。
関わっている人全て、特に大人(企画者、小屋(会館)の人、館付き舞台の担当(通常委託で舞台屋が入っている)、参加団体の引率者、などなど)が、みんな一生懸命。
中高生に対してとても積極的。指示するのはもちろん、タラタラしてたらド叱る、ボーッとしてたら仕事させる、上手くいったらどんどん褒める…。とにかく、関わろうとしているのが良く解る。
館付き舞台の担当者が学校名叫んで点呼しながら打楽器セッティングの指示なんか、普通しないよ。絶対あり得ない。
もちろんそれしないと良い本番にならないから自分のプライドが許せないのかもしれないし、なにより自分が楽できないということもあるかもしれない。

でもだからこそ、結果、人が育っている。
企画力や運営力ももちろん大切だけど、実際に動き出した現場ではその人のクオリティがモノを言う。幸田のコンサートでもそう思ったけれど、人としての魅力で人が育つんだな。

来週は、是非良い本番にしたい。中身は私が全責任を負うのだから。
今回は我がTSWも部として参加する。是非有意義にしたい。

1月
18
合同練習会

第4回定期演奏会スペシャルバンド練習会が始まった。

いきなり7曲通した。中学生諸君にとって午前午後5時間の大初見大会は少しきつかったかな。
しかし、回を重ねているからか、年々レベルが上がっているように感じる。
何度か繰り返すとすぐ吹けるようになって付いてくるし、少しのアドバイスでどんどん変わるし。
顧問の先生は「なんだかみんなやる気満々で…」っておっしゃってくださるし。
やっぱり継続は力なんだな。こうやってすぐ近くの中学校が少しずつ力を付けてくることがとても嬉しい。

これに参加してくれる中学生の皆さんがみんなTSWに入ったら良いのに、とちょっぴり(いや、本当は物凄く!!)思うけれど、でもそんなことより、この経験を元に音楽や吹奏楽を好きになってどんどん広がって行ってくれる方が、なんだかワクワクするんだな。何年も何十年も後で、「実は、あそこで一緒にステージ乗りましたよ」と奇跡の再会をしたらすごいことだと思う。
 
 

さて。
実際に練習で音出している時。
さして難しい練習ではないところで、ふと「定期演奏会」の匂いがした。何度も。
なかなか言葉では説明できない。
雰囲気というか、特殊な感情というか。
油断すると涙腺が緩んでしまうような、絶句するというか、全く違った次元にいきなり飛ばされてしまったかのような…。

今年もそれを感じる頃になったんだな。
第4回定期演奏会まであと二ヶ月余り。