12月
26
アンコン前夜

明日はアンコン地区大会本番。

Clarinet-5、Saxophone-4、Horn-3、BariTuba-4、のグループ4つ。
他にもグループ組んだが、事前の校内予選でこの4グループに絞られた。

アンサンブルコンテストの対応は「全て生徒で組み立てること」を課題にしている。
昨年までは楽器編成の条件やそれぞれの思惑が錯綜し、グループを組む調整がうまくできなかったり、選曲で難航したり、練習の進め方でもめたり…、と大変だった。

初めは、何故混乱するのか理解できなかった。
様子をうかがいながら解ってきたことは、それぞれが言いたいことを言うくせに他人の言っていることを聞けないことだ、と。
攻撃のみで受容がない。だからせっかく誰かが調整役買って出ても聞く耳持たないんだな。「わたしはこれやりたいの!!」って。言った者勝ち、になってしまい面白くない思いをたくさんしただろうと思う。
今年はその苦労を余り感じなかった。
たぶん、前述の文を読んだ後に即座に立場を入れ替えて読み替えることができる、みたいな人が増えたんだろうと。

今回も「アンコンのこと、自分たちでどんどん組んで行けよ!」と指示してからは、こちらから積極的に何かを仕掛けてはいない。
若干の不安定要素はあったものの、生徒同士の調整だけでここまで来た。練習も自分たちで企画し運営した。
レッスンに持ってくるのが少々遅過ぎな気もするが、それでも数回ずつのレッスンはした。そして、アンサンブルに対する私の想いを伝えることはできた。
後はそれぞれのメンバーがどれだけ消化し、練習し、達成するか、だけである。

まだ明日の本番前に少しだけでも練習の時間はあるだろう。
最後の最後まで諦めずにアンサンブルの意義を深めてほしいと思う。

自分の主張と他との調和。
アンサンブルは一人ではできない。

12月
24
録音

最近、駅伝応援や練習の都合で何曲か録音することがあった。

録音で活躍するのはRoland EDIROL R-09。便利だ。小さくて軽い。単3電池2本で動く。
外部マイク付けなくても音質は充分実用に耐える。
USBケーブルでそのままWAVファイルをパソコンに取り込める。だからCD化がらくらく。
もちろんオプティカルアウトでデジタル出力もある。
メデイアはSDカード。最新システムでは16GB, 32GB の SDHCへの録音/再生が可能。
便利になったものだ。

いくつかの録音を後日ゆっくり聞き直した。そして、意外にまともであることに少しばかり驚いた。
楽譜配って一度確認の合奏やって再度さらわせ、日を改めて少し合奏レッスンした直後の録音である。
細かいことを言えば全然ダメだけど、そこそこの雰囲気出してるし、アンサンブルの基本は押さえてある感じはする。短い時間で譜読み・さらいをこなし、一定のレベル以上にする力を付けてきたという事だ。
もっとも、音は荒い。決して綺麗じゃない。
でも、音楽になっている。少なくともその方向を向いている、ことは確か。

密かに嬉しかった。
ここまで来たんだ。

12月
21
優勝

すごいなぁ。全国制覇だよ。
有無を言わさないというのはこういう事だ。すごいすごい。

駅伝女子。

決して知らないわけではなかったけれど。創部3年だって。(もっともそれ以前の歴史もあるだろうが。)
3年目、っていうキーワードで活動している部活動、他にもあるような気がするなぁ。
簡単に比べられることではないと思うけれど、それでもいろいろ考えてしまうなぁ。
ま、こうやって応援・支援で活躍(?)してるんだから、それで許してもらおう。そして、TSWも次に続こう。
 

隣は、SS高校だったな。久しぶりにMO先生をお見かけした。ちょっとスマートになった感じがしたけれど。
金管、PERCとSAX・FLだけだった。しかもだいたいが1年生っぽい。もちろん指導係の2年もいるだろうが。それはチアもバトンも同じとみた。我々に比べ、「人数多いですねぇ」と言う感想を多く聞いたけれど、あれ、全員じゃないよ。半分以下くらいじゃないかな。

さらに、気になったのでWEBで調べてみたら、吹奏楽マーチングは別の部活動の様子。今日の人たちは(MO先生がいらっしゃるんだから)吹奏楽だな。
と言うことは、1つの学校にどれだけバンド人間がいるんだ!?

12月
18
一区切り

早いものだ。もう2学期が終わる。
そして、あっという間に大晦日になり正月を迎える。

1年経ったんだな。

昨年の年明けからの記憶がふと脳裏をよぎる。

昨日、SP-BANDのお誘い文書発送した。
既に広告の目処も立ちそうだな。
プログラムビルドが遅れているが、楽譜を配っていないわけでもないし、入手の手配も必要に応じて済ませてある。
原稿の依頼も進んでいるようだ。
みんなが書いた曲紹介の内容チェックを年内に済ませてくれ、と実行委員に頼まれた。まだ1つも原稿が届いてはいないが…。
この準備に関して今回私は一度も「どうなっとるんだ!!」と促したことはない。その必要がないからだ。ありがたいことにむしろ私がせかされる。

さらに、譜読みも少しは早くなった。
ようやく今年はアンサンブルを自分たちで企画できた。グループの調整をして、選曲をして、練習を重ね、レッスンの依頼に来る。
合奏で指示された事への反応も何とかやってやろうという前向きな姿勢が見えるようになった。
少々のことではへこたれなくなった(かな?)。
 

昨日もここに書いたが、この3年でTSWは随分進化してきたと思う。驚異的とさえ思う。
しかし、残念なことにこれらの成果を具体的に直接的に表現できる、たとえば、評定や偏差値のような「数字」は無い。
誰もが優劣を理解できる(と思われている)コンクールなどの「成績」や「実績」にはまだ反映されてこない。明確なタイムで順位が決まるわけでもないし。
TSWメンバーは確実に変化し、育ち、力を付けているのにな。それを客観的に広く知らしめる事が難しい。

ここに至るまで一筋縄ではない。それぞれがギリギリのところで踏ん張り、時には絶望し、しかし、何とか勇気を奮い起こし、必死に励まし合いながら、の結果である。私だって同じだ。
これからだって今まで以上の障害が次から次へと襲ってくるだろう。

端から見たらぼろぼろの満身創痍にしか見えないだろうな。

それでも憑かれたようにやり続けるのは、それぞれが持っている「底力」がパワーアップしているからに他ならないと考えている。それが「生きる力」だと言って良いかもしれない。

そうだよ、誰だってみんなパワーアップしたいにきまっている。

だからこそ見た目だけで判断して欲しくないのだ。

音楽でやると、通常それは「感性の世界だから素人には判らない」でかたづけられるてしまうことが多い。たしかに、それぞれの自身の心の中と、信じ続けるお互いの関係の中でしか、その進化の実感は感じにくいだろう。外からではなかなかわかりにくいよな。
  

当事者は常に人生最大の悩みの連続だから、「必ずやり遂げる」と信じ、自らの力が発揮できるような周りの支援が一番大切なのではと思う。現状見えている現象だけではなく、本質を見ぬかなければ体質改善は難しい。そのための手法は常に吟味しなければならない。
その時々の現象「対処」にとどまらず進むべき先をきちんと見据えなければ、と強く思う。

12月
16
昨年に引き続き

駅伝の全国大会応援に出かける。

先日、そのためにチア部と打ち合わせを兼ねた練習をした。
小気味よい進行で、曲のサイズ合わせやら回数やらを確認できた。
当日も同じバスで行動するけれど、応援も行動も余計な心配しなくて大丈夫そうだ。頼もしいな。
主体は6名の1年生だ。3年生もいるけれどサポート的。
見習うべき所たくさんあると思う。良い機会だぞ。

さて。
その練習の時に、おや?と思ったこと。
とりあえず音を出し、確認をしたり、の最中に私とチアとのやりとりが続くのだけれど、その間の絶妙なタイミングでTSWのメンバーの中からメンバー同士に向けて声がかかった。
「あの、音程がとても悪いです!」
「ハイ!」
今までにはなかった事だと思う。
私のいない時にお互い声を掛け合うことはあっただろう。しかし、今のは状況が違う。
私がいる前で。
重要な打ち合わせをしているタイミングで。
しかもその打ち合わせに邪魔にならないような隙を突いて。
その時の私は曲のサイズなどチアとの合わせに最大限集中しているから見落としているような内容。
的確な問題点の指摘。
全員に対して通る指示。

気が付かなければ、そのまま過ぎてしまうような小さな事だけれども、実はとても大切なこと。
指摘する方も、受け取る方も、その瞬間の状況が理解できている必要があるからだ。

同じようなことを今日も感じた。
私が仕事で出たり入ったりばたばたな合奏のなか、「ちょっとやっといて」と私が抜けるとすぐさまお互いに声がかかる。

そういうことが成り立った、ということは状況が「理解できている」という証し。進歩の証しと考えてよかろう。
進歩する、とは決して楽器の技術だけではない。練習のノウハウも。
一つずつ。ゆっくりだけれど確実に。そして次へ伝えられるように。

誇り高き伝統を作ろう。

12月
15
リズム隊

3人。Drums、Bass、Guitar。全くもって強力だぁ!

バンドのメンバーはあまり実感はないかも知れない、と思ったけれど、とりあえず3人の音を聞いてもらったら次全然変わった。

いい音や良い音楽をいつも聴いていたら結果は全然変わるんだろうな。

もちろん聞く耳は必要だけど。

環境って大切だ。
どうしようもない部分もあるけれど、でも、気が付いたら自分で何とかできることもある。

リハーサルしながらそんなことを考えた。
F氏、K氏、I氏、ありがとうございました。本番よろしく!!

12月
14
冬の練習会

という名称のイベントだった、今日は。

近隣の中学がTSWに来てくれる。当然顧問の先生方も。嬉しいことだ。もちろんそのような機会を作ってくださるからこそ。感謝。

運営は、私がしゃしゃり出るのではなく、できるだけTSWのメンバーがお世話する形で進めたいと思った。
期待通り、みんな一生懸命やってくれたね。ありがとう。
何より自分たちのためになったのではないかな。
教えるということは、実は一番勉強できるんだ。

どれだけ、来てくださった皆さんの為になったかは、正直わからない。
でも、嘘も隠しもしない生のTSWを見ていただいて、何か思ってくれたら感じてくれたらそれで良いと思う。
さらに、一つでも良かったな、と思ってくれることがあったのなら嬉しいね。
それがあなたたちの、TSWの、学校の評価になっていくんだ。
良かったなと一つ思ってくれたなら、次には二つになるように、これからさらに努力するんだ。

中学生の皆さんは「また来たい!」と思ってくれたかな?
顧問の先生方は「定期演奏会、必ず参加させてくださいね!!」って、「また、中学校へ指導に来てくださいね」って、お言葉残していきました。
ご期待にお応えしたい。

文化ってやつはそうやって培っていく。

12月
11
耕す

小学生の時だったかに読んだ記憶。

ツンドラ地帯の凍った土を苦心して鍬で掘り、食べるために植物の種を蒔き、しかし、ほとんど永久凍土だから少しも芽を出さない。さて、どうやって生きていこう?

何の話だったか、結末はどうだったか、他のことはほとんど何も覚えていないのだけれど、このエピソードだけは鮮明に覚えている。
「そんな無駄な事してどうするの?
いやいや、これを無駄と言ったらバチが当たる。ほとんど可能性の無いようなことにでも望みをかけてやるしかないんだ。
やっても無駄かもしれないけれど、それをしなけりゃもっと生きていけないもの。」
と思った(−そういう話の筋だったのかもしれない)事は忘れてない。
 

内部的にも、その周りも、もう少し大きな枠組みでも、ここでは相当な覚悟が要る。
だいたい移民し入植する時、バラ色の将来が約束されているような錯覚がつきもののようだけれど、しかし現実は想像からほど遠い場合がほとんど。その先は苦渋に満ちた困難の連続だ。
その昔からの凍った荒野が続いている。(あるいはかつては栄えた遺跡を発掘できるかもしれないが。)
凍土を融かし、木を切り、石をどかし、平らにし、耕し、…から始めなければならない。
ちゃんとした種蒔きが出来るところまでいったら感動ものだぞ、きっと。
一番の敵は凍った土ではない。凍った土に「融かす必要」を感じない理解しない人、もしくは風土である。あるいは制度かもしれない。

その敵に対して1人では決して太刀打ちできない。荷が重すぎる。だから精鋭な仲間が要る。

そして石の上にも3年。
ようやく、少しずつ周りに融ける気配が見えてきたかな。
「融かさなければ!」「これじゃダメだ!」と気がついたかな。
中学校とか小学校とか地域とか関連業者とか。
「融かさなきゃ」な気持ちが萎えないうちに動かし始めないと、またここら一体の地面が凍り付いてしまう。
で、誰がやる?
膨大なエネルギーが必要だよ。
みんな自分の畑が手一杯で、誰も全体見てないよ。

桃栗3年 柿8年 柚子の馬鹿たれ18年。

調べてみたら、柚の馬鹿たれは13年だったり15年だったり18年だったり20年だったり。

18年待てますか?
18年融かし続けられますか?
ま、それくらいのスパンで文化が育つのだったらとっても簡単なんだけど…。

12月
07
さらに)昔の

日誌。

2008年3月20日に開催された第3回定期演奏会直前。
前後の日付を見ると、どうも3月19日っぽいのだが、もしかしたら定期演奏会が終わってからかも知れない。

卒業するにあたって、引退するに部員に向けての内容なので、ここに書き出すには少し時期がずれているし、対象が限られているもののような気もするけれど。
ま、シリーズで書いてきた続きなので敢えてここに書いてみる。

日誌より。

(2008年3月19日 …と思われる)

〜前略

2年目はあっという間だった。
もっと色々なことを伝えたかったな。

練習がどんどんキツくなっていって申し訳なかったね。

〜中略〜

その瞬間に感じた事をほとんど動物的に言葉や行動にする。何かを感じてから言葉を発するのに1/10秒はかかっていないと思う。ほめる時も怒る時も。だからあれは私の生です。しぼりたて。
人によっては拒絶したい場合もあるだろうし。でもしょうがない。あれが私という人間の生なのだから。
人と人がぶつかる事を要求するのに、自分がぶつからなかったら何の見本にもならないから。だから醜いけれどあの合奏モードを多くしました。
悪かったな、と思いますよ。

で、2年いっしょにやりました。

私は本当に幸せです。怒る事も何もかもTSWで活動している事は全て幸せです。
あなたたちと一緒に音楽できたから。
最初に書いたような状況の中でTSWをはじめて、自分の生き方を考える場面があなたたちといっしょだった事は、私にとってほんとうに幸せだったのですよ。

〜中略〜

私は、このTSWの活動について人生を賭けているのです。
もしかしたら解雇されてしまうかも知れない危険を冒してもみんなに伝えたい事あるし、やりたい事がある。
もしかしたら学校の風習に合わない事やろうとしているかも知れないし、大きな無理をして、この先活動ができないようになるかも知れないし。

それでもあなたたちと活動したいと思う。それはたぶんこの先も同じ。
大きなリスク背負って、でもみんなに何か伝えたい。
結局それが私の生き方なんだろうーなと思っています。

もう一度みんなに気付かせてもらった。

私は私の道を自信を持って歩き続けます。
まよう事もあるだろうけれど、その時は、またみんなに甘えます。

〜中略〜

では。

これからが出発です。

何を言っているのか良く解らないところがたくさんあるかもね。
…”人生を賭けているのです” なんて大げさだなぁ…。こっぱずかしい!
この後、あまりこの言い方はしていない。”生活を賭けて” な感じが多いかな。

TSWで苦楽を共にし初めて世に送り出す人たちに向けた、出逢った時からを振り返った走り書きで、しかも9ページに渡る物の一部なので余りまともではありませぬ。でも、自分の覚悟の再確認はできるような…。

さて、3日後に試験明けて練習は再開。
第4回定期演奏会に向けてTSWは本格的に動き出す。

さらに何かを伝えたい。

この瞬間は今しかない。

12月
05
期末試験中

なので、今TSWの練習はしていない。
しかし、音楽室や合奏室、準備室は開放してるから、そこで勉強したり気分転換に楽器吹いたりしている。
また、準備室では、学習したり、打ち合わせしたりのBGMで様々な音楽を流していることが多い。モーツァルトだったり、ピアソラだったり、兼田敏だったり。

先日聞こえていたのはヘンデルだった。
ピッチ悪いし、なんだかなぁ、下手だなぁ、ヘンデルにしては楽器の編成が変だなぁ。
「水上の音楽」かぁ?「王宮の花火」かぁ?どっちだぁ?と思いながら何となく耳にしていた。

しばらくぼーっと聞こえている状態が続き、

あれ、でもな?
不思議な感じだぞ?
音楽として破綻はしていないぞ?
何処の演奏だろ?

と集中して聞いてみた。
「おや、吹奏楽じゃん」

そのときになって初めて「もしや??」と、気が付いた。
そして、そばにいた人に「それって何処の演奏?」って聞いてみた。
「T高校ですよ」
うぎょ! やっぱり。

自分の演奏だった…。昔の…。
 

だいたい自分の演奏っていうものは出来ればその直後には聞きたくない。アラばっかり目立って平常心では聞けないからね。すぐ次々飛ばしてしまうか、再生機械を壊したくなる。
それでも自分の勉強で聞かなくてはいけないからとりあえず録音は取る。

以前、バンドがうまくいっていなくて、どうしようもなく下手くそな演奏会をしてしまった、と思ったことがある。やはりその録音を直後に聞く勇気はなかった。しかし、いつものようにその録音を親しい音楽仲間に配ることはした。

すぐにその録音を聞いた感想をいただいた。
「涙が出た。」
「聞いている最中止まらなかった。」
私としては「えっ? そんなに酷いのか」と金槌で殴られたようにショックだった。
「ごめん。変なもの送っちゃったね。」

「いや、違うよ。全く正反対。この演奏は奇跡だと思う。なぜならちゃんと音楽してるから。」
「どんなに達者な演奏でも音楽になっていないことが多い日本の吹奏楽の中で、この演奏は紛れもなく音楽だと思う。」
「確かに拙い技術だけど、その拙い技術でもちゃんと音楽は出来るんだ、という証明が出来ている。だから涙が止まらないんだ。」

というような会話だったと思う。
社交辞令をいう人ではないから文字通りその人の感想だとは思うが。
私としては「そういうものかねぇ」程度でにわかには信じられなかった。
 

つい最近、月日が経ってようやくその録音を聞き直した事になるわけだ。
過ぎた年月といい、勝手に音が流れてた状況といい、私にとってはほぼ理想的に、自分の演奏を客観的に聞く事が出来た。

確かに下手だった…。音程悪いし…。音外すし…。
しかし単なる音ではなく、音楽だった…。流れに淀みはなかった…。

かつていただいた感想の意味が少し解った気がする。
もっと自信を持とうと思った。
音楽の力は計り知れないのだから。