1月
29
12回

先週の日曜日は、第12回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTEでした。
参加した学校、団体の皆さん、ありがとうございました。
暖かく力強い、すばらしい合同演奏になったと思います。

毎回感じますが、皆さんから絶大なお力をいただきます。力とはもちろん音楽の力です。
そして、12年の年月をかけて育てられたものの大きさを想います。

来年はホール補修工事のため残念ながら開催できないそうですが、音楽で繋がった人達がさらに繋がり続けることを願っています。

12っていうのは、干支だと一回りだな。
練習後の立ち話で、私と同じ干支だけど一回り・二回り・三回り違う人達が同じステージに載っていることが判明した。さすがに四回りはいなかったけど、客席にはいただろうね。
五回り違うと還暦だよ。この企画もそれくらい続くと良いなぁ。

11月
19
余韻

先日の日曜日の昼過ぎ、本番があった。あぁ、楽しかった。
その時はただそれだけを感じ嬉しかった。

実はその晩、なかなか眠れなかった。
ようやく寝付いて、浅い眠りの中で夢を見た。
今自分が考えていて、やろうとしていて、生きているうちに出来たらいいなぁ、と思っていることが実現している夢だった。
ハッと目が覚め、この夢は絶対忘れてはいけない、と強く思った。

それから、じわじわと、その本番の真の意味が理解できてきたような気がする。

私はかつて、創部昭和4年という希有な伝統を持つ、東邦高等学校吹奏楽部というところの顧問で毎日指導をしていた。
前任からそこを引き継ぐときに様々混乱があり、何も知らずに着任したとき私は全く孤立し、以来私以前との断絶は続き、しかしそのなかで伝統に見合う活躍をしなければならないプレッシャーと戦い続け13年ほどでそこを辞めた。

辞めてからやはり変わらない状態でさらに年月が経ったが、邦吹会という私以前の東邦高校吹奏楽部OBの方々が中心になっているBANDで本番を振ったのが先日の日曜日の昼過ぎ。この日この本番をもって続いていた世代間の断絶がとうとう終了した。

本番最中は、冒頭に書いたように、単に「ようやく繋がることができた」ことが嬉しくて楽しかった。ようやく私を認めていただけたのではないか、と感じて幸せだった。時間はかかったけれどようやくここまで来る事が出来たのだ。

邦吹会20151115

ただ現在私が東邦高校吹奏楽部の現場にいないことはなんだか申し訳ない…。

が、その後じわじわと滲みあがってきた事がある。
私が2曲、そして先代が1曲、この二人でたった3曲15分ほど、その時だけの寄せ集めバンドで街角演奏することが、私個人の感情などとは比べものにならないくらい、とてつもなく大きな意義を持っていたことに気がついたのだ。
今それが大きな余韻となって私の中を駆けめぐっている。

創部以来85年を越える(きっと日本国内でそれだけの伝統を持つスクールバンドはほんの僅かだろうと思う…)伝統が、言葉のみで語られる歴史としてではなく、実際の人と人が繋がって受け継いでいく生きた伝承として蘇りつつある。その時々に関わる個々がいてこその伝統だが、受け継がれ出来上がった流れは人の意図を遙かに超え大きなうねりとなる。そのうねりの中に世代を越えた人の繋がりが厳然とあること。それこそが今まさに生きている文化なのではないか、とさえ思う。

まだまだ「始まり」に過ぎないが、とても大切な「始まり」だ。
その小さな「始まり」も勝手に始まったのではない。それを望み働きかけた方々がいらっしゃってこそ。心より感謝いたします。

記念写真

そして何よりも良かったのは「間に合った」こと、だと思う。本当に良かった。
「望むこと」の大切さ。

その晩に見た夢は「望み続けろ」ということなのだ。きっと。

11月
09
四半世紀

ずっと繋がっていなかったものが、本日(いや、もう昨日…)繋がった。

心の片隅に引っかかっていたことが取れたような気もするし、一方ではその状態に慣れてしまっていたので取れたことに若干の違和感(残存感)を感じたりもしているが。
なんにせよ良かった。吹奏楽(から足を洗わず…)続けていて良かった。
感慨深い。

これで何かが動き出すとさらに良いなぁ、と強く思う。

8月
12
見えてきたこと

前回(自転車と一輪車)からの続き

見えてきたことは、実は新しい事ではない。
今までも見え隠れしながら私の周りにまとわりついていて何かある度に少しずつ顕在化してきた事々なのだが、うすらぼんやりとしか見えていなかった一つ一つの事々は、だから確固たる自信がなかったり、自信はあるけれどその実行に弱気だったりして、どうにも情けない状況だったのだ。(それでたくさんの失望や迷惑をおかけしてきた。本当に申し訳ないです。)

それが今、その一つ一つはやはりどれも大切で、それらを有機的に結びつけていずれ一つの大きな動きにする、という道筋がはっきり見えてきたのだ。そう、いきなり。

今はまだ、その目指すべき一つの大きな動きを説明するのは難しい。
しかし、その全体の大きな動きに中にある一つ一つの要素を着実に進めていくことこそが、それを説明する一番最良の道なのだということは判った。

今現在、実際に動き出している事は二つほど。
始めかけていることが一つ。(これはずっと以前より考えているけれどなかなか進んで行かなくて、そろそろ加速せねばと思っていた。)
これをきっかけに相談開始していることが一つ。
今までもやっていたけれど、もっとたくさんやらねば、と思っている自分自身のこと二つ。
今までもやっていたけれど、もっとたくさんやりたい(でも、こればかりは私ひとりでは出来ない…、どうか依頼してください!)こと一つ。
まだ何もやれていない、けれど、とても大切で必ずそこに行きつかなければならないこと、三つ?いや四つか?

全てが私のイメージの中で明確にリンクしている。
まだまだ見えていないこともきっとあるだろうから、するべき事は数多い。
 

これを書いている最中に、かつての生徒が音楽で活躍しているという便りが届く。(facebookの情報です)
彼女は、「自転車」に乗って縦横無尽に音楽という世界を駆け回っているのだ。
 
たどり着くための大きな力を頂く幸せ。
皆さん、どうか今一度力をお貸しくださいませ。
少しずつかも知れないけれど、私は本気で動き出します。

8月
11
自転車と一輪車

自転車や一輪車は、だいたい小学生かそれより少し前くらいに乗れるようになるのだと思う。
いずれも同じように人が乗ってバランスを取りつつ前に進んだりする。
でもこの二つ、タイヤ数の違いだけでなく、性格が根本的に違う。

一輪車は乗れることがステータスだ。さらに難易度の高い技を競ったりして「乗る」こと自体が楽しさである。もっと高度に「乗る」「操る」ことを目指しつつ。
一方、自転車は乗れることのみが目的ではない。今まで行けなかった遠くにまで足を伸ばせるようになることや、移動時間の短縮にもなるし、より多くの(重い)荷物を運んだりもできる。そういった乗れることによって生まれる恩恵のほうに重要な意味がある。他のアクティビティの範囲を広げるためにこそ自転車はあるのだ。

最近は自転車に「乗る」ことが大きな目的だろうと思われる上から下までビシッとバイクファッションで固めた大勢の方々が、車道をかっ飛ばしていらっしゃるけれど。
移動や輸送の手段で動いている大多数の自動車と道上でなかなか折り合いが付かないのはその目的が違うからかも、と思ったりする。

確かに、乗る自転車は錆付いたママチャリより最新のマウンテンバイクやロードバイクの方がかっこいい。(とはいえ、体にあったサイズや調整をしていないと少々苦しいのも事実だが。)
しかし「乗れる」からこそ「行動が広がる」のが自転車であって、乗っている自転車がかっこいいかどうかはまた別の話なのだと思う。
 
 

そんなことを、今年の吹奏楽コンクールの様々な演奏を聴きながら考えた。
どこのバンドも楽器は達者に吹けるようになった。個々の楽器の集合体である「バンド」という大きな楽器も本当に達者になった。
吹奏楽コンクールは、まさにその達者さを競っているのだと改めて感じた。それはとても難易度の高い一輪車的アクロバティックな競技なんだな。

で?

中学高校で管楽器や打楽器に興じているこんなにたくさんの人達はこの先いったいどこへ行くのだ。小学生の頃一輪車に興じた多くの子供達が、大人になったら一輪車のことなんか全く忘れてしまうように、みんな吹奏楽から、楽器から離れていってしまう。

一輪車のように、楽器が達者に吹けるようなることやバンドとして精度を高くすることだけではなく、自転車のように、出来るようになったその先にあるもっとたくさんのもっと大きな様々な楽しみを伝えてくるような、そんな演奏を目指して欲しいと心底思った。(もちろん自転車に乗れなければ決して出来ないのだから、自転車をうまく乗りこなす技は必要である。)

一輪車的な吹奏楽は話題性もあり世間に振り向いてもらえる可能性は高いが、それが続けば飽きてくる。本人も飽きる。私はとうの昔に飽きている。
きちんとその先の数ある楽しみを伝え、だからこそ吹奏楽(音楽)を続けたいと思わせる楽器技術やバンド演奏にならなければならないと強く思う。さらに言えば、それが自転車ではなく自動車になっていく可能性をも見せるべきだと思うのだ。

そこを押さえた指導がいかに大切かということと、それをこのコンクール現状の中では実践するのは難しいのだろうということ。
個々のバンドレベルでの問題ではなく、もっと大きな視点で捉え大きな動きにしていかないと、吹奏楽という音楽文化はいずれ衰退していくのだろうとさえ思った。

それは今年度のとある課題曲の扱い一つとっても感じる。「音楽の表現」という領域に入ってい(け)ない場合が多いのが露呈した感じ。演奏する側(※実際に演奏した団体についてのことではない。演奏した団体はその曲を「選んだ」時点で既に「表現」を意識している…)も評価する側も。この数年何となく感じていたがそれがこの曲によりはっきりした。
特に、評価する側についてそう思っていたら、最近になって「この曲は吹奏楽コンクールの審査員を試そうとしたんだ」と作曲者本人が言ったとか言わなかったとかの話を小耳に挟んだ。いずれコンクールが全部終わったら今度は「吹奏楽連盟を試したんだ」と言いそうだね。(私は最初からそう思っているけど。)

そして、衰退をしはじめたら止めるのは難しいかも、と思う。
 

一方で、たくさんのレッスンの様子から、個人レベルでは皆それ相当の力を持っているように感じている。しかし、本人達はどうやらそれを知らないみたい。力の発揮の仕方を知らない、「発揮させる」という発想を持たない、というか。でも本当に一生懸命一輪車の練習はしてるんだよ。
(あ、鉄棒の逆上がりに置き換えても同じ事。その先に何か良いことあるの?が判らないまま、本当にまじめに練習してる。あたかも「それが出来ること」が最大の目標のように。「それが出来たら良い成績をもらえる」ことが最終目標のように。)
 
 

その中で私は何が出来る?
何をするべきだ?

この数年(数十年かも知れない…)の混沌の中から見せるべき形が浮かんできたように思う。今までぼんやり見え隠れしながら感じていたことが、今年はとてもはっきり見えだした。

(続く)

8月
05
一息

昨日で一息つくことになった。
この夏、私とバンドで関わっていただいた全ての皆さん、すばらしい!

練習を進める上で、その前後に日頃指導していらっしゃる先生方と様々なお話をする度に、直接皆さんとお話しする中で、ひしひしと感じる夏でした。
何を、かというと、スクールバンドの根底は「教育活動」だということ。

実際には、楽器が上手くなることや音楽(表現)がさらに高度になることを、ひたすらやっているだけです。
いい音を出せ! 音程を合わせろ! タイミング合わせろ! 等々。
そして、その成果を(冷酷に)評価され順位が付く。それがコンクールです。
事柄は至極単純。

これでもか、といわんばかりに楽器の課題が出て解決できずに途方に暮れ投げ出したくなったり、他のメンバーと折り合いがうまくいかなくなったり、顧問の先生に言いたいことが言えず悩んだり。
それでも、一つになることを目指し、音楽が雄弁に語り出すのを夢見て、音楽に打ち込む。
もう一度演奏するチャンスが欲しい! これを最後にしたくない! と熱望しながら本番の演奏に臨む。

見えているのは「それだけ」といえばそれだけのことなんです。
しかし、それと同時進行しているもっと大きい意味でのひとりひとりの心のありようが、ずっと大切なんだ。

だから、その見えていることだけにとらわれている演奏を聴くと悲しくなる。「それでは悲しいから、ちゃんと音楽やろうよ」と言葉にしてみるのだが、なかなか「音楽」の意味合いを深く伝えられずにいつも苦悶する…。

心のありようなんて誰にも見えない。自分だって良く見えないのだもの。
しかし唯一、出てきた音を通してその心のありようが手に取るように判るときがある。

「出てきた音」と「その心のありよう」。この二つは必ず表裏一体。二つで1セット。
音現象のクオリティを求めるのだけれど、ただそれだけを求めてもダメ。もちろん心のありようだけを求めてもダメ。そんな精神論だけでは今のスイソウガクは歯が立たない。音楽の本質を真摯に追究することよっていつの間にか技術が高まり心が磨かれ二つが1セットになる。生半可じゃダメ。「音楽のまねごと」でもダメ。とにかく全力で事に当たらないと何も動き始めない。

そのことを噛みしめ日頃から心を砕いてご指導いただいている顧問の先生方がいらっしゃってこその活動なんです。関わり方はいろいろです。おおらかに自主に任せる、丁寧にアドバイスしていく、一つ一つ指示してチェックする。でも、どの方々も生徒の皆さんと一緒に「本番」という土俵に登り評価の対象として晒されるのです。そうまでして生徒ひとりひとりの成長を願っているのです。

だから育っていく。この夏の暑いさなか劇的に育つのです。
それを目の当たりにすることが出来るなんて、こんなに幸せなことはないです。

また、先日は「その後」の確認も出来た。数年前にはまだ中学生だった人達がさらに次を目指しているがんばっている話を聞き、何年も何十年も経っているのに当時の面影のまま、しかしそれ以降重ねてきた経験を頼もしく感じつつ再会することできた人達が居た。
これはさらに嬉しい。

今はまだ、悔しい涙、悲しい涙、苦しい涙、が乾いていない人も多いと思う。それも良い。
来年こそは、と密かに決意している人や、もう来年にこの夏はないんだ、と寂しく感じてる人もいるだろう。それも良い。
やり切った満足感にあふれている人もいるだろう。それも良い。

音楽を突き進めようとした結果受け取る感情は何物にも代え難い。それがどんな物であれ成長の証であることは間違いないのだから。

あらためて、この夏音楽で関わることの出来た全ての皆さんに伝えたい。
「本当にすばらしい!最高です!」

7月
30
次の段階

最初の段階を超え、次の段階。
ここで関わっているBANDは3つ。

さらに磨き、研ぎ澄ませる。
テクニックと。
感性と。
そして、それらを統括するメンタルと。

バランスが大切だと思う。
意欲満々でもテクニックが無いと空回りする。
いくら楽器達者でも感性が乏しいと単なる音に終わる。

しかし、考えてみればこれらがアンバランスなのはよくある事で、だからこそ技術を磨き音楽の勉強をして高度にバランスがとれるようにしていけばよい。そのために様々な人がいてサポートする。様々なやりかたや考え方をそこからどんどん吸収すればよい。
望んでいただけるのだから私も全力でお手伝いしたい。一生懸命音楽を突き詰めようとしている全ての若い人達のお力になりたいと思う。それが出来ることは最大の幸せである。
 

ただ、それらの行動の根底にある、解決のためのエネルギーを充分出すことは、本人以外が働きかけても難しいことが多い。水場を教えても水を飲むかどうか、ってことなのだけれど。

特に今回特別な事情なのは、その状況を他のアクシデントで得たらしいということだ。
本来頂けるものでは無かったのだから、真剣にその水を飲みたがっていた人達を尻目にその水場を占拠し、さらに大切な水を粗末にしているように見えるのはまずいと思う。

飲めなくなった人達は悔しく苦しいに違いない。棒を振り間違えるのとはレベルが違いすぎる。
音楽を突き詰めようとしている同世代の人達の悔しさや苦しさをきちんと受け止め、引き受け、背負って、力及ばずながらでも精一杯日々積み上げて次に臨む必要があると思うのだが、そんなことは考えなくて良いのだろうか。

私たちにとって次の段階は物見遊山ではないと思う。

7月
27
一段落

初期の喧噪がだいたい収束して、区切りが付いたところ、次に進むところ、いろいろです。

私が関わったところは皆、それぞれ良い成果が出てます。出来たこと(もしくは出来なかったこと)に対してきちんと評価され、満足感と新たな課題をもって次の活動に進めます。
なにより日頃の精進があってこそ。皆さんすばらしい。
そして、そういった活動が出来る環境に感謝し忘れずにいたい。

いつも、結果という「形」に表れにくい成果をきちんと評価したいと考えているのだが、今年のコンクールはそれが少し出来たような気がする。
というのは、本人達はもとより周りの人達にもそれが伝わった感があるから。
そんなのを見ていると私も幸せになる。
「音楽って良いなぁ、みんなとアンサンブルして一つのもの目指すって良いなぁ。」と感じてくれている、また仮に今ははっきりと判っていなくても、いずれはそれが心の糧になっていることに気がつくだろう、ことを思いめぐらして、自然に顔がほころんでくる。
やっぱり「音楽をする」ってのは幸せなことですよ。
 

一方で(これは関わっていない部分での感想だが…)、BANDの力量とそれを牽引する力のバランスが悪い場合もあるように感じた。一回こっきりの演奏を聴いての感想だからあたっているかどうか定かではないが、少なくとも聴いている間にそう感じたのは事実だ。
その原因を推測してみたのだが、いくつか考えられたその壁を乗り越えるのはなかなか大変かも。そうなってしまう環境まで含めるとさらに困難だろうなぁ。

それでも、その場所その時間で関わった生徒達が「音楽の幸せ」に浸れることを願う。
これだけあつくなってスイソウガクに関わっている人達が、この時期を境に音楽から離れていってしまうのは悲しいからね。

7月
24
例年のように

あちこちで始まってきた。

今年は自分のが一番最初だったのかな。
(いや、一つ中学校でもう少し早い時期のがあったっけ…。)

私的にいろいろアクシデントがあったのでずいぶん肝を冷やした…。
ご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありませんでした。助けていただいた皆さん、ありがとうございました。
次は気を引き締めて行きます。

本番まであと数日、というレッスンになって、すっかり改善したこと、まだまだなこと、これからの練習をどうするのか、など、みなさん最後の調整にもう一踏ん張り!

粘り強く。
急がば回れ。

今日は、早い3拍子の旋回舞踏についてとても興味深いお話をお聞きする事が出来た。
なるほど!私のイメージはさらにはっきりしてきたぞ。

7月
19
梅雨明けは?

関東甲信地方は開けた、らしい。
中部はまだか?
夕方遠雷は聞こえてた。
 

この時期、例年慌ただしい。
今年は少しだけ質が変わったけれど、やはり慌ただしいのは変わりない。
この暑い中、若い人達が一生懸命になっているのだから、それに出来る限り応えたいと思う。

本当はもっとじっくり出来たらいいのに、と思うことしきりなのだが、だんだん前倒しになってくるスケジュールに合わせるしかないので。

なんにせよ、至るところで音楽の喜びを味わえると良いなぁ。