5月
23
久しぶりに

日誌から引用してみる。

みんな考えている。悩んでいる。だから伸びている。
3年間無事に居続けることが重要なのではない。
その3年間でどれだけたくさんのものを積み上げるか。
失敗もするだろう。挫折も味わうだろう。もちろん嬉しいこともあるし楽しいことだって有るはずだ。
それら全てがそこにいた人の糧となる。

日誌はその課程の自主記録だ。

(日誌より)
〜前略
マーチングの方では、全然駄目でした。腕は上がらない、音は綺麗に出ない、キビキビと動けない、ぶつかる。
本当に最低でした。
本番が終わったあと、涙が出てきました。理由はよく自分でもわからなくて、「先輩にぶつかってしまってめいわくをかけてしまった」、「全然動けない、音が出ない自分に悔しかったのか」、「ただたんに痛かった」理由はわかりません。
もしかするとここに書いたこと全部のことで涙が出たのかもしれません。
自分のことなのにわからない。 それがすごく嫌だ。

皆のページを読んで、30分ぐらい涙が止まらなかった。何かわからないけれど涙が出た。自分の「真剣」について考えて、自分が甘ったれてるんだなと思った。

□□のときにも「自分のことを書いて欲しい」と書いてあって、で、昔○○にも「本音で話したい」と言われたことがあって、それはカンタンに言うと「本性」ってことであって。
自分の考えていることが本性??思ったことが本性??
それもわからない。本性で話すって何?って考えるときもある。

私は、いつからかわからないけれど本性で他人と話すことを恐れてきたんだと思う。本性を、本当のことを知ったら皆がどう思うか分からないから。
でも、私もちゃんと本音で話す努力をしたいです。
今は無理かも知れないけれど、少しずつでもよいから変わっていきたいです。
後略〜

もう一つ。

(日誌より)
〜前略

時間があまりなくて音がじゅうぶんに出ないままの合奏での自分の音は、大嫌いです。ただでさえ、好きじゃないのに、もっと嫌で落ち込みます。
自信とか、いろんなものがなくて、ただただおくびょうな、なさけない音がします。
それは自分自身が甘いからです。おくびょうだからです。ずるいからです。
私は一歩ふみだしてみることができないことが多いです。
1歩ふみだしてみたら、何かがかわったり、解決したり、何かがまた進んでいくかも知れないのに、失敗を恐れます。
逃げるのは、嫌です。でも、自分でも気付かないうちに私は逃げ道を考えていることもあります。

〜中略〜

そんな自分がいるからこそ、音にもでるんだと毎日毎日思います。
だけど、ぶちあたっていきます。
うまくいっても、悪くいっても、何かが変わると信じて行動するように心がけたいです。

〜中略〜

私にはこれといった好きなところもないし、自信をもてるところもなく駄目なところばかりコンプレックスのかたまりです。
だから一つ一つ解決していき、今のなやみと同じなやみを持っていないように頑張りたいです。
今日は思いきって自分のことを書いてみました。
小さいですが、ぶちあたってみたつもりです。(笑)”

後略〜

私が怠けている間にいつのまにやら変化しているんだな。
そう、それで良いんだ。さらに続けよう!

5月
13
繰り返す

同じ事を繰り返す。

・何度も同じ間違いや失敗を繰り返す。
・同じ事を何度も繰り返して反復練習する。

繰り返すことは同じ。
しかし意味合いが全く違う。出来るだけ繰り返したくないことと何度も繰り返さなければならないこと。

さて、今やっていることはどちらだろう?

5月
10
続ける事

新しいことを始める。不安もあるだろうが大概の場合ワクワクする。新鮮な事ばかりだ。びっくりするこもあるだろうがそれも嬉しい。

しかし、しばらくすると思ったようにならないことが出てくる。些細なことでイライラしたりめげたり逃げ出したくなったり。こんなはずじゃなかったのに、と愚痴をこぼしたり。はたまた上手く行かないことを人や物のせいにしたり。

やってるうちに色々な事があるのは当たり前だし良いことも悪いこともあって当然だから、それは構わない。
しかし、もっともつまらないのは、そのことを放棄してしまうこと、つまりすべてを捨てて辞めてしまうこと。
それまで積み上げた何もかもが意味を失なってしまう。もしかしたら思い出の1ページにはなるかも知れないがそれはただの思い出ですぐ風化してしまうだろう。むしろやめてしまった後悔がいつまで経っても自分のトラウマになるだろう。

些細なことで(その時は最大重要なことと思っているとは思うが…)大切なものを失うことだけはして欲しくないと思う。失うものはとてつもなく大きい。
また、簡単に「辞める!」なんて口にしないで欲しい。

やり続ける事こそ、物事が上手く進む一番の方法だ。細く長くで良い。必ずやり続ける事。
期待したい。

5月
06
あすより

本格始動。
今日までに、練習を詰めていくことを経験した。
いくつかの本番経験もした。そのために主体的に動かなければダメだぞ、ということも学習した。(と思う…。)

そして、GWも終わった。練習再開。

ぼちぼちボルテージを上げていこうと思う。練習モードを変えていく。
もちろん、様子を見ながらだが、上がられるところまで上げるつもりだ。

既にお客様ではない。TSWのメンバーの一員だ。
妥協は排す。言い訳は一切認めない。甘える事は許されない。

独りよがりではない、質の高い練習を展開したい。
力業だけではない、賢い活動を展開したい。

5月
06
二つの本番

5月4日に二つ本番をした。

練習のつらさ
準備の不足
トラブルの予測およびその対策
突発的に起こるアクシデントの対応
周りへの配慮
行動の正確さや迅速さ
自分たちの勉強
本番での楽しみ

私がいくら口で言っても実感がないことは、一度やってみたら強烈に印象に残るだろう、と思う。
特に一年生。入部したばっかで解らないことだらけだと思うけれど。
事実、上に挙げたようなことはなんやかんや実感したんじゃないかと思う。

それぞれのレベルで感じていること。失敗は失敗。成功は成功。それがどういう内容でもとても大切。

だけど、その失敗や成功に一喜一憂するだけでは意味がない。
大切なのはこの次。その経験をどう生かすか?
「臭いものに蓋」ではダメ。敢えて取り出し、検証し、次に備えること。

大いに期待し、君たちから動き出すことを待つ。

4月
28
仲間

世の中自分だけひとりぽっちではない。
語彙は少ないが上っ面の言葉ではない。
本気で自分以外のことで悩み。
人の痛みを心で感じ涙する。
何も出来ない自分の非力に地団駄を踏み。
それでも他人の幸せを願い。
何かできないかと思いを巡らせる。
出来ることがあったら即動く。

そんな優しく強い心を持っている人たちの集団がTSWだ。
文字通り珠玉の愛おしい宝石達。あなた達はいつの間にか大きく変貌している。
どこも真似できないと思う。TSWは私の誇り。TSWは私の命。
ありがとう。

4月
24
多様性

世の中いろんな人がいる。
世代により、地域により、風土により、環境により、自分では想像もつかない様々な人たちがいる。
それは当然。人は皆違って当たり前。

「皆同じでなければならない」という前提では結局破綻をきたす。
ある一定の型にはめそこからはみ出た者達はどうする?
そんな窮屈な場所にずっと居たい?
それは、共通の「一定のルール」という意味合いではなく、全てを同じにしなければならないという発想に傾いていく。それは危険なのだと思う。

だから「皆違って当然」「皆同じであるはずがない」というところに立脚したい。
しかし、目指すべきところはぶれることなく同じにしたい。
皆はそのことに矛盾を感じるだろうか?

多様性を許容することと協働を目指すこと。
アンサンブルってそう言う事じゃないのかな。

協働とは
・相互にお互いの不足を補い合い、ともに協力して課題解決に向けた取り組み
・協働は責任と行動において相互に対等であることが不可欠

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

4月
22
関わり

人と関わる。

(日誌より)
〜前略
あたし今までみんなに言いたいこと言ってるところはあったけど、心の底から本気のことは怖くて、嫌われるかも…伝わるかとかいろいろあって言えんかったけど、最近はもうやめた。言わないのは疲れる。ためこむだけ。別に嫌われたって、何思われたっていい。本当の気持ち伝えたんだもん。その人が理解してくれようとしているか、していないかは知らん。あたしがみんなの前で話しても実際聞いてないかもしれん。顔だけ向けてるだけできこうとしていないかもしれん。でもあたしは話し続ける。きかせてみせる。
後略〜

衝突を避け、自分が傷つくのを避け、攻撃されるのを避け、仲間はずれにされるのを避け、あらゆるトラブルを避けまくってきたけれど、その鎧を捨てるとき。今から数ヶ月前の話。第3回定期演奏会準備段階の日誌。

ものすごい勇気が要ったと思う。文字通り腹をくくったのだと思う。。
しかし時が経った今、それが出来てから物事は少しずつ進んでいる事を実感しているはずだ。
自身の気持ちをしっかり持ち主張し、しかし皆と協調し、切磋琢磨する。その間に「定期演奏会の大成功」というかけがえのない宝物を手に入れて、ますますそれが自信につながってくる。
まだまだみんな不完全。だけど、大切な物は見えてきている。

明日は部活動二次登録。部員増えるといいな。仲間は多いほど良いから。

4月
20
さて

しょうがないとはいえ5減。
次のチャンスに期待する。

合う合わないも有るだろう。
出来る出来ないも有るだろう。
縁がなかったのだね、ということか。

そんな単純なことでも、何か自分が失敗したのではないかと思うこともある。
見えないことや解らないことが多すぎて足をすくわれているのではないかと思うときがある。
いや、しかし。そんなはずはない。出来ることを可能な限りやるだけだ。

宝石のようにきらきら輝くTSWの皆と、ひとつひとつ着実に積み上げていけばよい。
決して平坦な道ではないが、私に出来ることはそれしかない。
そこに特化することは多くのリスクを持つことでもあるが、とにかく今は突き進もう。

もしそれが本当に意味のあることだとすれば、かならずあとから浸透するだろう。それを信じよう!

4月
19
でーだらぼっち

朝の通勤時、車はだいたい東を向いている。
天気の良い日は朝日がまぶしくすがすがしい。

その朝日に照らされた今の季節の山々が大好きだ。
もう桜は終わった。しかし山々はみずみずしく柔らかい。
あらゆる木々の新芽が一斉に手を伸ばししなやかだ。
持てるだけの生命力を一斉に放出し惜しまない。
風が吹こうが嵐になろうがお構いなく。
「ひたすら」という必死感はなく、あるがままに、しかし先を競って伸びる幸せを喜んでいるように感じる。

出来ることなら今すぐにでも、そのただ中に入り込み時間を忘れて自分が自然の一部であることを確認したい。満ちあふれる生命力を全身で受け止め吸収し自身のパワーにしたい。
私はほんのちっぽけな不完全な人間だ。大自然の中で生かされているに過ぎないのだ。でもそれを喜んで享受したい。そのことを実感し感謝し、この先の私のためにほんの少しだけ力を分けてもらえたら本当に幸せだ。

今、TSWのみんなはとても活力がある。ミスもするけれどそんなことに全くめげない。それぞれ色々抱えていることもあるだろうが、それを乗り越えようととっても前向きだ。
だからもっともっともっともっとパワー持って欲しい。生きる力を持って欲しい。
私が思うだけでなく、きっとみんなも1人1人そう思っているに違いない。

だからこそ、私自身にもパワーが欲しいのだ。滾々と湧き、無尽蔵に溢れ出るパワー。

私がでーだらぼっちになることは絶対無理だ。とんでもない。私はほんのちっぽけな不完全な人間だ。
だけど、ほんの一部で良いから大自然のパワーを私に分けてもらえないだろうか。みんなとそれを分かち合いたい。

TSWの1人1人が、山々の木々のようにしなやかに伸びていく幸せを掴んで欲しいから。