3月
15
信じる その4

朝から晩まで練習。
気が遠くなるなぁ。

でも少しずつ変化は見られる。ごく僅かずつだけれどね。音楽上の変化も少しずつすこしずつ。
もちろん、さらえていない箇所はどうにもならない。そんな穴の開いたところはいち早く無くさなければならないが。

合奏レッスンしていると、私の持っている全てを伝えたくなる。はた迷惑だろうと何だろうととにかく伝えたくなる。私の思いの全てを判って欲しいと思う。私から溢れ出る全てのパワーを受け取って欲しいと思う。

なぜだろう。それが意味のある事かどうか判らない。
でも、なんとしてもそうしたい衝動は日増しに強くなる。

無条件にあなた達を信じ、そのあなた達に私のもてる全てを伝えたい。
それが今の私の全てだ。

3月
12
新しい風

昨日から新しい来年度メンバーの何人かが練習に正式参加している。

いきなり定期演奏会直前の緊迫した合奏に放り込まれてびっくりしているかもな。
しかし実際の練習の様子では、どうって事無い、へっちゃらサ、という感じもする。たくましさすら感じる。
で、吸収力が凄い。上手くいかないところを何度かやるとやる度に出来るようになる。自信なさそうだけれど、何点かアドバイスをして繰り返すとすぐに定着する。欲を出してもう少し!ってがんばるとやっただけ伸びる。

こうでなくちゃね。
TSW諸君、ぼやぼやしてると置いて行かれるぞ。
…でもね、それは楽器のテクニックのこと。

TSW諸君は楽器演奏のテクニック習得だけではない、凄まじい鍛錬を繰り返してきた。
そのことについて大いに絶大なる自信を持つべきだし、新TSW部員の素晴らしい見本になることが出来る。

あの環境の中、あなた達は本当に良くやっている。今日の帰り際、みんなが中庭などで練習しているのを見て「たった2年間でこれだけ出来るようになったのは奇跡だよな!」とスタッフ達と話した。
しかも、最近少しずつだが悲壮感が無くなってきている。誰かが、「やれ!」と言うからやるのではなく、自分がやろうと思うから「やる」。しかも出来る限り高いレベルを目指して。
練習をすることそのもの、や、練習して出来るようになること、の喜びを少しずつ理解してきているのだろうか。

あなた達がここのリーダーになれる日はそんなに遠くはないと思う。お世辞抜きでそう思う。だからこそ要求は妥協しない。
私の宝物達よ、諦める事なく考え続け、やり続けてるんだぞ。TSWの誇りを持って。

3月
07
来週

から練習再開。
まだ期末試験が一日、月曜日が残ってはいるけれど、その午後から始まる。

この試験休み中に少しずつだが定期演奏会に向けて、またその後の体制について準備をしてきた。傷ついたところを癒してきた。
これで一気に動き出すことができるだろうか。

NGOの全開で練習開始して良いか?みんなついて来てくれよ。着いて来てくれよ。憑いて来てくれよ。
頼むぞ。おねがいだ。タノミマス。

TSWの諸君。言うまでもないと思うが、私はあなた達と毎日真剣勝負をしている。強すぎて困るくらい全力であなた達に向かっている。120%純粋だ。みんなにとってはありがた迷惑な話だけどな。
でも、それは私のあなた達に対する思いの強さの現れ、そのことは常に忘れないで欲しいゾ。

世の中純粋なだけでは済まない世界がたくさんあるのに、TSWの中では本当に純粋でいられる。私はその幸せを絶対忘れない。ありがとう。

3月
05
慣れない言葉

「俺を信じて着いて来い!」

自分の足で大地を踏みしめて歩く大切さ。
自分で道を切り開く大切さ。
自ら段取りを付ける重要性。
頼るものは自分自身。

それぞれ意志を持ったパーツ。またその集合体の凄さ。
はからずして同じ方向のベクトルを持つ集団。
価値観の猿真似は許せない。
金魚のうんこは嫌いだ。

俺はそんなにたいした奴じゃない。
背負いきれなくてこけたらゴメンな。

なのに言ってしまった。決死の覚悟はある。全てを背負う宣言。
ダメだったら心中だぁ。(って思うのは自分だけ?)
そもそも嬉しいと思ってくれただろうか?(…思ってくれなければ困る…)

そう言ったことに対して、話したり議論したりするのだろうか?
皆の話題になって深めたり、盛り上がったりするのだろうか?
孤独な独り相撲で終わるのかな?

でも、出来ればそれに甘んじて欲しくないな、やっぱり。
早いうちに自分の足で歩き初めて欲しい。自分の頭で考えて欲しい。
なぜなら君たちとはずっと対等でいたいのだ。

2月
29
神?

洋物の音楽映画を見ていると、必ず出てくる「神」の存在。
最近いくつか連続して映画の中でそのことを目の当たりにして。
人を超越した絶対的な「神」の存在が人自身の行動の規範や制約となり、音楽も神からの啓示を受けて創造される。(と信じている。)
 「神」というもの(偶像があろうとなかろうと)が、自身の向かうべき目標や信じる対象となり、神の名においてすべての苦労は試練として昇華されてしまうのだ。「神のご意志」「神の思し召し」が人の意識を支配し、人はその手のひらの上で俗世を生きる。

さて、私には私を支配する神が存在するのだろうか、と自問してみた。
今まで自分は無宗教だと思っていた。なぜなら、最終的に自分の行動を決するのは自分以外にいない、と信じているからだ。

実家には仏壇がある。我が家にも亡き者を弔うスペースはあり、花を飾り食べ物を供え手を合わせる。しかしそのことが日常の自分の行動規範になっているかと考えると、漠然と大きなくくりで何かあるような気もするが、具体的なことはあまり思いつかない。
また、日本には古来より八百万の神がいる。大きな樹木や岩や滝や世の中のすべての物に精霊がつき、人はこぞってご来光を拝む。
自然崇拝。決して私は嫌いではない。むしろすばらしい景色に遭遇すると神々しさを感じ、ああ、自分は日本人だなぁ、とうれしく思う瞬間がある。
しかしこれでも、日常の行動規範としては弱いのではないか。自然を大切にする気持ちとか、畏怖を感じる場所とか、それによって身を引き締めよう、などと思うことはあるだろうが、直接的に日常の具体的行動に直結することはさほど多くないと思うのだ。

とらえ方を変えて「自分自身の思考や行動を支配する何か」と、別の思いを巡らせてみた。

で、気がついた。私にとっての神は音楽だ、と。
いやいや、そんなにかっこよくないし簡単明瞭ではない。
ただ、「私にとっての神は音楽だ」と考えるといろいろなことが説明できるんじゃないかと気がついた。
私は、すばらしい理想の「音楽」の実現と人の生き方をオーバーラップさせて説明することが多い。我を忘れて時間を忘れて話し込んでしまうほど(聞かされる者にとっては迷惑な話だろう)、皆に一番知ってほしいのはそれだと思っている。

私にとって音楽とは、無条件で信じ、目指す事なのだ。
信じ、目指し、理想の音楽を実現するために、自分がどうあるべきか、どう考えるべきかの根拠をそこに求めている。すなわち自分の行動の規範が生まれる。

そうだ! 信じることにより規範が生まれるのだ。
そうか、私がTSW部員達に理解してもらいたいのはここなのだ。
やっと自分で整理できてきた気がする。

しかし、まだ音楽経験の浅いTSW部員達に、いきなり「音楽の奇跡を信じよう!」と言ったところで何のリアリティもないだろう。
世の中の大半の吹奏楽部員が絶対的に信じることは、「目指せ普門館!!目指せ全国大会!!」なのだろうと思う。
わかりやすく信じやすく目指しやすい。皆が同じ向きになるためにこんなに効果的なことは無い。私もよくわかっているつもりだ。
しかし、私はそれを「本質ではないと」言い放ち、決して潔しとしない。なんと愚かなことだと思う。「信ずべき物」の選択肢を減らしているのだ。
だから、TSW部員は悩み苦しみ混乱する。

心から信じてほしいものになかなか到達できない苦しさ。
みんなそこまで行きたいのに。

大切な物は目に見えない。
大切な事は聞こえない。
大切なものに触れられない。 …。

このジレンマ。

信じるものがない状態でめいっぱいやれ!って言うのは酷だよな。
すべての行為がただその瞬間をやり過ごすための作業にしかならない。あるいはその作業すらあきらめ、首をすくめてひたすら嵐が過ぎるのを待つ、そんな印象を強く持つ。

少しずつ、ぼんやりと、見えてきているようでもあるがまだまだ半信半疑だし、すぐ見失ってしまいそう。

信じるべきことを、どうやって理解したら良い?
信じることを確固たるものにするには何をしたら良い?
それぞれの神をどうやって見つけたら良い?

神?

2月
25
これで

揃った。

揃った上で再スタートだ。あとはやるだけだ。ただひたすら。

TSWに限らず(いや、やはりTSW固有の問題かな?)バンドはしんどい。音を出すまえにやるべき事が多すぎる。しかも多岐にわたる。
だから「あとはやるだけ」という状況になったということは、ある意味幸せなのかも知れない。

あと1ヶ月弱で第三回定期演奏会。持てる力を出し尽くし目一杯ヤリキラナケレバナラナイ。
すべてのエネルギーをそこに集中する。
そして、信じることの凄さを証明してみせよう。

2月
24
決着

がついた、と思う。

いつもの事ながら苦しかったな。ホント命縮めてるよ。何やってんだか。
でも、やっぱりウワッツラのキレイ事がどうしても耐えられないんだな。

どうしようもなく心の底から湧き上がってくる、コントロール不可な生々しい感情。
しかし、なぜか、みんなそれを表に出さないように頑なにガードする。
恥ずかしいのか。知られるのが怖いのか。なるべく見せないように。知らない振りをして。

何とかしてそれを引き出したい。生な素直な気持ちを少しでも表出させたい。
そのことが、多分これから先の活動に大きな影響を与えるから。自分自身の生き方や考え方がより深くなるから。一度出てしまうと楽になるしね

それでもなかなか出てこないんだよ。色々な手を使ってもこちらの意図と無関係なことになっちゃう。
すぐふたをする。ふりをする。
だから捨て身の真剣勝負。出たとこ勝負。
絶大なる覚悟と瞬間瞬間の判断力の世界。
こちらも大きなリスク背負わなければフェアじゃない。
とてもスリリングだ。

今回は特に苦しかった。しかし、どうやら抜けたようだ。
格段にパワーアップしているに違いない。
明日からが楽しみだ。

よくがんばったぞ!

2月
21
信じる その3

今、様々な問題を抱え混乱し、一見収拾が付かないような状態である。

当事者達は何をどうして良いか分からず、何から手を付けて良いか分からず、何をどう考えて良いか分からない。一言で言えば支離滅裂な状態。

みんな、もだえている。苦しんでいる。叫んでいる。そして、撃沈している。
決して高みの見物をしているわけではなく、相当苦しい。昨日も苦しかった。今日も苦しかった。明日もきっと苦しいに違いない。
たった20人前後の集団なのに全員の現状を把握し切れていない。把握しているつもり、なだけだ。次々と問題が勃発する。私は、せいぜい何人かと決着を付け少しずつだがサルベージを開始しているだけだ。

しかし、そんななかでも育つ。それぞれほんの少しずつだが昨日とは違う。よろけながら、こけそうになりながら(実際にこけてる奴もいる!!)、訳が判らなくなりながら、涙でくしゃくしゃになりながら、それでも憑いたように進もうとする。
そう、そのパワーだ。若さあふれる絶対的なパワーだ。検証は後からできる。今はがむしゃらに前へ進むときだ。それは必ず次で生きる。

めげるな。
なげるな。
とまるな。

必ず抜け出せる。抜け出して爆発的にパワーアップする。
今に見ておれ!

2月
19
戻る

戻ってくれた。

こんなに嬉しいことはない。
こんなに一人の大きさを感じたことはない。
かけがえのないメンバーなんだもの。

見えるところ見えないところで様々な人が手をさしのべてくれた。感謝あるのみ。
いろんな事があった。いろんな事を考えた。いろんな事を話した。

私は? 結局何かできたのか? 何かやったのか? もっとやれることはなかったか?

とにかく、おかえりなさい。あなたのいるところはちゃんとここにあります。

2月
15
卒業式

今日は卒業式。ここに来て二年めではあるけれどある意味初めての卒業生を送り出す。
6人の誇り。心からおめでとう。

良くも悪くも私と出会ってしまった事が何か意味を持つことになる。感慨深い。
私にとってのこの仕事は、関わったみんなにこの先があるから、私の元を離れて全く音信不通になるとしてもそれぞれの未来が確実にあるから、意味があるのだと思っている。
一緒に過ごした時だけでなく。

この地でもそれが始まった。
しっかりと自分の足で大地を踏みしめて歩んでいって欲しいと思う。

かつて私にこんな事を言った奴がいた。
「自分の存在価値なんてものは自分で測ることなんか出来やしない。相手の記憶の中にどれだけ長く大きく居続けられるかで決まってくるんだ」と。