8月
15
一息

コンクールラッシュが終わってしばらく日にちが経つ。
ようやく一息ついて、色々ざわついていたものが落ち着いてきた。
棒を振ったバンド3団体。
レッスンに行ったバンドは…えっと、幾つだっけ?
審査員も。
コンクール日程が年々早くなっていて、夏休みにじっくりとレッスン、というわけにはいかず、どの団体にもスケジュール調整でご迷惑をお掛けした。申し訳ない。
それでも、それぞれのバンドは少しでも良い音楽にするために粘り強く練習に励み、それぞれきちんと成果が出たと思う。頂いた賞の色に一喜一憂するのではなく自分達がやってきたことに自信を持ってさらに前に進んで欲しいと思う。

さて私自身、今年は妙な絶望感はなく、むしろ沢山の発見があってとっても有意義だった。
なんと言っても、自分の方向性がかなり明確に見えてきたことは重要だ。
今までずっと納得できなかったことの理由が判ってきたようなのだ。

例えば。
なぜコンクールを嫌いなのか。
バンド界での「サウンド」至上主義に抵抗したくなるのはなぜなのか。
皆が「うまい!」という団体の演奏を聴いても、必ずしも「素晴らしい!」と思わないことがあるのはなぜか。
レッスンをしていて、どうしても拘ってしまうことがある(しかも、それはコンクールでは不利益なことが多い!)のはなぜか。

最近読み漁っている類の本の中に、

「学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない」

(※ グライダーは自力では飛びあがれない。牽引してもらってようやく空に飛び出す。一方、飛行機にはエンジンが付いていて自発的にいつでも空に飛び出すことができる。)
さらに、

「しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかもそういう人も”翔べる”という評価を受けているのである」

思考の整理学 外山滋比古 / ちくま文庫

をみつけたりして「あ、そういうことか」と気が付いたりしているのである。
私はバンドのメンバーに対し常に飛行機人間を望んでいる!

思い起こせば、ずっと昔からそのようなことを口走り、いつもそれを追いかけてきた。
今さら何を再確認しているのだ、と思うが、その再確認が今の私にとってとても重要であることには間違いがない。

ようやくとっかかりが見えてきたようだ。

8月
11
記憶の彼方から

自分がいったい音楽に何を求めているのか、つらつら思い巡らしている時に、30年以上(だと思う)前に読んだ本のある一節をいきなり思いだした。
その本のプレビューなどを見ると

これが、魂の音楽だ! トランペットの響きに魅せられ、ニューヨークのジャズメンの世界にとびこんだ少年の熱くほろ苦い日々。「最高の青春小説」として、若い読者の圧倒的な共感をよんだ話題作。

などとあって、「え?青春小説だったのか?」と思ったりもするのだが…。

探したら本棚にあったので読み返した。
思いだして良かった。
そのなかの演奏描写が強く印象に残っていて、少々長くなるが、引用する。

「ジャズ・カントリー」
ナット・ペントフ 木島始訳/晶文社

7 リハーサル より

〜〜ゴッドフリーは、ウィル・パークのほうを向いた。「ウィル、この曲には題が付いていないんだ。この曲は、あんたにどんなことを言ってきかせてるね?」
「そういうふうには、おれはこの曲を聴いてみなかったんでな」と、バークは言った。「ただ、どういうふうに組み立てられてかってことだけ、おれは聴いてみたんだ。」
「感じ取れよ」と、ゴッドフリーは言った。「もう一度、考えて、感じとれよ。」
 バークは、そこに数秒、立ったままで、天井を見上げ、それからこう言った。「そうだな、お堅いよう(スクェア)に思われるかもしれんが、この曲はおれには子供たちが遊んでいるみたいに聴こえたな。」
 ゴッドフリーは、喜んだ。「ズバリだ。だからこそ、あんたはここに来てるんだ。おれは、あんたならそれをぴたりと掴まえてくれると思った。よしきた。あんたが子供のときのとおり、やってくれ。街でどんな感じだったか。だれがあんたは好きになったか、だれがあんたを苛々させたか。お回りや教師や両親なんかを引きずりこんでくれ。そういうの、みんな引きずりこんでくれ。あったとおり、吹いてみせてくれ。それできみたちは」−−ゴッドフリーは部屋を見まわした−−「耳を傾けて、そのどれかがわかるかどうか、そのなかに入りこめるかどうか聴きとるんだ。きみたちが子供だったころのことだ。サム、きみもむかしは子供だったんだろ、え?」
 ミッチェルは、唇をすぼめた。「おれは八十二年前に生まれてな、毎日、若返ってるんだ。ここにくるときいがいは、よ。ここに来る日は、おれの寿命に十年つけ足すことになるぜ。」
 「おまえは、きっと警官にだってなれるぜ」と、ゴッドフリーは言った。彼は、ピアノのところにいき、テンポを叩きだした。で、音楽は、始まった。それは、ぼくがこれまでに聴いたことのあるうちで最も並みはずれたジャズの二時間だった。最初、バークのために背景となる音は、いまや完全にミュージシャンたちによって極めつくされたモーゼの譜面(スコア)によって、ほぼ完全に構成されていた。しかし、バークがもっと自信を持って、しだいしだいに個性的な即興演奏をやるようになると、他のメンバーたちも、音楽にじぶんじしんのアイデアやフィーリングを徐々につけくわえはじめた。モーゼの譜面(スコア)に基ずいて、かれらは、バークが演奏しているものにたいして、そして、めいめいお互いの言いたいものにたいして、反対(カウンター)メロディ創りだした。まるで複雑だが奇妙に美しい絨毯を一緒に織っているとびぬけて技倆のすぐれた職工の一団を見まもっているようだった。

 モーゼが望んだとおり、中心になる物語の筋は、いつもバークによって決められた。彼の両目は閉じ、両頬はふくらみ、バークは、そのトランペットに物語らせていた。ほんとにそのトランペットが話していた時があった、とぼくは言いたいのだ−−いや、むしろ−−ふくみ笑いをし、鼻を鳴らし、唸り、冷笑し、激怒し、すすり泣き、どなり、囁いていた、と。そして、かれは、ぼくがこれまでに聴いたことがないようなメロディーを創りだしていた。けれども、それらのメロディを一度聴くと、すぐにそれは聴きなれたひびきをもってくるのだ。フットボールの長いパスみたいに、舞い上がって、ぽいとすくい上げられるメロディーがあった。眠っているなと思われてるときに、暗闇で話してるみたいなメロディーがあった。
 バークと他のミュージシャンたちがその音楽を五回目か六回目かやりおえるころには、ぼくは幼年時代の記憶から、もう何年も考えてもみなかったいろんな場所のことを想いだしはじめていた。そして、そのころの感じも。
 あるとき、バークは深くブルースに突っこんでいったので、ぼくは、ぼくも死ぬのだ、始めて死について考えたときのことを想いだし、突き刺されたみたいになった。十一歳のころで、とても高く長たらしい丘を、ぼくは登っていた。半分くらい昇ったところで、とつぜん、ぼくは永久に生きるわけじゃないという考えが浮かんだ。じっさい、そのとおりなのだ。それから、ぼくは、あと何年のこっているかなあ、と思い、そのこと断続的に長いあいだ考えあぐねたのだ。〜〜

中略

〜〜彼女は、見上げ、びっくりし、それから苦笑した。
「ちっちゃな女の子にかえってたの、わたし。」と、彼女は言った。「ね、モーゼ、人形といっしょに遊んだり、ママがお料理するのを見てたり、学校の黒板を消しにかかったり。ヴァージニアのダンヴィルにもどってたの。」
「おれは、シカゴのサウス・サイドでフルーツを盗んでたぜ。」サム・ミッチェルは、かすめてきたものの味をためしてみることができるみたいに、舌づつみをうちながら、言った。「そいで学校サボって映画にいってたんさ。」
 ミュージシャンのだれもが、ゴッドフリーの背景になる音楽とウィル・バークのトランペットのまわりで即興演奏をやりながら、じぶんの瞬間的回想(フラッシュバック)をおこなっていたのだ。今や、だれもがバークの話すのを待っているようにみえた。かれは、まわりを見まわし、またすこし頭をふり、腰をかけて、泣いた。泣くのは、長くはつづかなかった。当惑して、バークは、ポケットに手を入れ、巻煙草を一本とりだした。「モーゼ、八つくらいのときから初めてだよ、泣いたのは。」〜〜

この部分を読んで、音楽はこんな奇蹟のようなことを起こせるんだと知った。
たとえ、これが小説の中の話しだとしても、実際に起こりうることなんだと直感した。そして涙を流した。

8月
02
まだまだ

続くコンクールの本番。
明日は久しぶりに、書き下ろしを自分で演奏する。
14人のための「ルーマニア民族舞曲/バルトーク」だ。
[Fl/Ob/Cl-2/ASax/TSax/Trp2/Hn2/Trb2/Euph/Tuba/ (内、適宜Perc.持ち替え)]
曲が持っている恐ろしいほどの素晴らしい力を表現できる楽譜になっているかどうか。
メンバーのひたむきな音でバルトークの世界観を表現しきれるかどうか。
 

とある地区で少人数演奏を審査員としていくつか聴いた。
一番少ない団体で10人だったが、同じような少人数団体が複数有った。
当然、素晴らしい演奏も、もう一息な演奏もあった。

ずっと昔から、人数の多い・少ないと、演奏の出来・不出来は直接関係がないはずだと思っている。
確かに出てくる「音」は違う。音量とか響きの豊かさとか音色の豊富さとか。また、人数が少ないと一人一人の負担は限りなく増大する。
しかし、人数が少ないから音楽が貧弱になるのではない。その演奏に音楽の力が少ない(それは演奏技術であったり表現手法であったり感性であったりするのだが…)ことが原因だと思う。

しかしそれらを聴いて、大いに触発されたのは確か。

一人一人をきちんと磨き上げ、14人で出来ることは限りない。諦めず求め続けること。
個性溢れるメンバー全員の力が全て発揮され音楽を通して一つになり、この上ない幸せな時間になることを心より期待している。

考えず。
感じて!

7月
23
佳境

例年通り、この時期は吹奏楽コンクール一色の生活だ。
6月末から休み無く朝から晩まで1日に2つ、3つとバンド漬け。

昨日一つ自分の本番が終わった。
今日も、現場に行けなかったが深く関わったバンドの本番があった。(もちろん別の練習があった)
また明日一つ本番。

その次も、さらにその次も、まだまだ先は続くので、一区切り付くような段階ではないが、ここ(コンクール)に向かって進んできた皆さんが、なお、それ(コンクール)を越えていく事を心から願う。
吹奏楽コンクールは決して到着点ではない。
 

毎年くり返しコンクールに振り回され「進歩無いなぁ」とイヤになる自分が居る。
しかしその一方で、本当に自分がやりたいこと、やるべき事が見えかけてきている事も確かな事実。
それもこれも、一緒になって汗をかき力を尽くしている10代から20代にかけての若い人達がいるからこそ。さらにはその環境を与えてくださっている多くの方々がいらっしゃるからこそ。
まだまだ形はもちろん、言葉にもならないのだが、この1年くらいで確実に何かが見え始めている。

だから、苦しいことには変わりないが、以前とは違い迷いはない。
音楽の意味、吹奏楽の意味、スクールバンドの意味。
ずっと以前(深く考えもせずに)「本質」という言葉をよく使っていたが、もう一度考え直そうと思う。
いずれ、何かの形にするときは来ると予感するが、その「形にすること」の意味も含めてあらためて考え直す。

5月
26
BAND設立

一つ始動した。
ENSEMBLE SPIRITUS
アマチュア吹奏楽団設立である。
先日第1回目の練習があった。
企画してくれた人、動いてくれた人、集まってくれた人、サポートしていただける人達、たくさんの皆さんに感謝。

ようやく。
ささやかな一歩。
実は様々な期待をしてる。
課題山盛りであはるがなんとエキサイティングなことか。
蒔いた種をうまく育てる事に傾注したい。
「ごっこ」にしないためにも。

本番は9月だ。

8月
28
先日の集まりで

「吹奏楽好きじゃないと思ってました。」
「吹奏楽を嫌々やってる感、ありありでした。」
と、複数の人から別々に言われた。
もう20年近く以前の事なんだけど、みんなそんな風に思っていたなんて不覚にも今まで知らなかったなぁ。

吹奏楽という編成の持つダイナミックな表現力や繊細さ、どんな(音楽的)場面にでも対応できる柔軟さは、他に類を見ないと思っている。しかも演奏することへの敷居は低くアマチュア参加の扉は常に広く開かれている。
吹奏楽の可能性はあらゆる方向へ無限だと思う。その思いは今でも増大し続けている。

にもかかわらず、吹奏楽を狭い世界に閉じこめて重箱の隅を突きあっている世界がどうしても苦手なだけなんだ。
しかもとても排他的な事が多いから外から関わろうとする人は少なく、2重にその世界は守られている。
でもね、改めて言うけど吹奏楽そのものはやっぱり大好きなんだよ。
 

特に吹奏楽を一生懸命やっている若い人達を応援したい。
応援したいが、決して「やらされている状態」にはしたくない。ここが私の肝なんだな。

丁寧に説明してその通りにやれさえすればよい世界では結果が出るのは早いだろうが、説明が無くなればいずれ自分ではどうしたらよいか判らなくなる時が来る。自分で考える力を鍛えることが難しいからだと思う。
応援するということは代わりに「してあげること」ではなく自力で考え出来るように「支援」することで、さらに「支援」とは暖かく手をさしのべることだけではないと考えている。

「そんなこと自分で考えろ!」と冷たく言い捨てられた人達は多いと思う。
出来ていないことを「出来ていない!」と不機嫌に言い続けたし。
だから、私が吹奏楽を「好きじゃない…」「嫌々やってる感…」と感じてしまったのもしょうがないのかな。

特に若い世代ではその後どんどん自分の世界を築いて行くのだから、へこたれる事無く歩いていける力を付けて欲しいという思いからの「自分で考えろ!」だったんだけどね…。
 

でも、そんなことは今となってはどうでも良い。
なぜなら、その後の皆と話しをしていて「ちゃんと自分の足で歩いてきてる。凄いなぁ!」と思うからだ。限られた時間の中でそれぞれ充分にお話しできたとは必ずしも言えないけれど、きちんと自分自身を中心に据えて日々過ごしていることがとても良く伝わってくる。もちろん上手くいっていることだけじゃないだろう。画に描いたようなサクセスストーリーだけが生きることではあるまい。苦しいことも悩むことも自分自身の中で消化しようとしてる。それが私には「生きている」「生きようとしている」事を感じて心から嬉しい。

私のなかには「音楽とは生きることだ。生きる喜びだ。死を目前にして判った。」という師匠の言葉がいつもある。

WIND MESSAGE 2013 SUMMER

8月
07
怒りの夢

誰かと何かを差し向かいで話し込んでいる。BAND(吹奏楽)絡みの話しだったと思う。
音楽の扱い方だったか運営のポリシーだったか、内容は詳しく覚えていないのだけれど相手が気に触ることを言ったのだと思う。
真剣に心の底から怒りを感じ、怒りの大きさではっきりと目が覚めた。覚めてからも怒りで震えていた。
昨晩寝入りばなのことだ。

特にこの数年、夏の時期、自分の非力に対して悔しさを刻み、何とかしてそこから抜け出す事に傾注してきたつもり。
今年もやはりその悔しさは感じたのだが、どうやら一つ段階が進んだような気がする。悔しさと同じかそれ以上の怒りに似た感情が生まれてきたのかも知れない。

先の夢の話しは、その直前に考えていた事に由来してたのだろう。つまり吹奏楽コンクールの在り方とその審査に求められる内容について。

それは例えば、数年前トモダチ作戦で希望の光を乗せて東北の空を飛び回ってたヘリが墜ちたことに対する短絡的な感情とか、今でも汚染水が溢れ続けているのに、生活維持するには電気がたくさん要るから動かせ、とか、自分ちの周りでは止めろ、といったりするのと同じレベルのモノとして自分は捉えてるみたいだ。

もちろん全てがおかしな事になっているのではない。誠実に賢明に物事が進んでいることも少なくないはずだ。
しかし、この大きなうねりは止められないのか。加速していくだけなのか。そのうち呑み込まれてしまうのか。

本日は愛知県大会2日目。
私と関わった団体も出演する。ぜひ舞台の上で音楽の愉しみや幸せを感じることのできる演奏をと、願う。

8月
03
読み返す

手元にある吹奏楽用メソード(各楽器用、合奏用)を片っ端から読み直している。
いろいろ読み落としがあるなぁ、と気付く。

こんなところにこんな事書いてあるじゃん。見落としてたぁ。が多い。
そうか、この意味ようやく判ったぁ。も多い。

「楽譜」とか「音符」とかだけに目に行きがちだけど、そこから何かを読み取ること。
メソードだって全く同じだな。一個の全音符の意味や背景を見抜き、より良く音にすること。

以下はあるメソードに記載されている一文。

音符とは、ある時間のある「高さ」と「長さ」を表したデジタル情報です
〜中略〜
隣接する各音符は一種の点グラフのようなもので、時間的(長さ)にも空間的(高さ)にも不連続にしか記すことが出来ません。
 JBCバンドスタディ 指導書 より

7月
29
吹奏楽コンクール雑感

怒濤の7月が一区切りついた感じ。大変だったなぁ。(この後はまた別の意味で大変だ。)

嫌いだ嫌いだ、と言いながらも、吹奏楽をやるからにはコンクールを避けて通るわけにはいかなくて結局どっぷり浸かっている。そして見誤る。なんだかなぁ…。

今年は、コンクールに向けての練習や本番で起こりうるアクシデントやトラブルの続出だった。良いことも悪いことも。
一つの団体で色々起こっているわけではないけれど、私と何らか関わりのあるそれぞれの団体で次々と起こるから、自分が疫病神だったのではないか、と思い始めている。

部活動としての崩壊、練習時の内容(これはまさに自分の責任部分)、本番時の大きなミス、タイムオーバー、コンクール規定違反、審査員として得点化することの出来ない評価の悩み、自分達が感じる演奏の出来と実際の評価の乖離、などなど。細かいことを上げればまだまだキリが無く。
どれも現実。だからこそ、その中で一つ一つ出来ることを積み上げていくしかないのだろう。

でもやっぱりどうしても、「金」「銀」「銅」「代表」だけでは計りきれない音楽的充実度があるということは強調したい。いや、百歩譲って「活動的充実度」でも良い。
学校吹奏楽は「人を育てる」ことが第一義で、それを楽器の技術習熟度や音楽の完成度を通して評価していくべきだと私は思っている。巷でよく聞かれる「あそこから来た生徒は確かに上手いけど高校では全然続けられないんだよな。どうやらどこ行っても同じ。」みたいになっちゃうのは成果主義に傾きすぎて大切なことを忘れちゃったかぁ、なんて思うわけ。
とはいっても吹奏楽コンクールは音楽演奏のコンクールだから本番での出来が成績順位に直結するのは当然だし、努力の結果目に見える成果や評価が欲しいのも当然だ。そのバンドの背景を演奏から明確に聴き取って点数化することは難しいから、出てきた「音」が最重要であることには間違いない。

しかし。

例えばこんな例。
審査した大会で、ティンパニ4発を横一列に並べている団体があった。演奏方法はマリンバのようにサイドステップを踏みながら、しかもヘッドの真ん中を叩いていた。それではきっと難しいだろうなぁ。他の楽器も同様な事がたくさん見受けられたが、中にはどうやったらそんなに器用に吹けるの、といったような音も出てくる。が、全体の演奏クオリティは決して良くない。いや、はっきり言って悪い。したがって評価としてはどうしても高い点は付けられない。
でもね。そこで演奏している人達の情熱は感じるのですよ。きわめて演奏しにくい方法でそれだけ出来るようになるには大変だったろうな、と。ただ、正しいとされている演奏の仕方を知らなかっただけ。今の世の中、手を伸ばせば正しい情報なんてすぐ手に入れられるからそれこそ努力不足だ、といってしまうことも簡単だけど、言い捨てて「はい、おしまい」ではあまりにも無責任だと。
何より、どう考えても正しくない情報の元で、一生懸命やっている生徒達がそれに気付いたときの落胆を思うと、いまのその情熱だけでも評価してあげたいなぁ、と思うのだが、結局「講評」という点数化できない曖昧なところでフォローするしかない。

例えばこんな例。
長い時間かけて少しずつバンドの状況が良くなってきた。人数も増えメンバー相互の関係がとても良くなって、それに伴って練習の仕方や運営の仕方など高校生としての自主活動が充分成り立っていく良い流れにあった。楽器の技術はまだまだ発展途上だが、たまにとても良い音がして相互の関係が見える音楽的なアンサンブルが出来るようになった。で、結果は「えー、どうしてそうなっちゃうの?」と言いたくなる低い評価。出てきた音の評価だけだとしても私には妥当だとは決して思えないのだが、コンクールである以上それは致し方ない。色々な考え方がある中での審査なのだから。しかしそうなると生徒達は今までやってきた努力を全面否定されたようなとらえ方をしがちだ。音楽的な思考とその表出方法を学び拙いながら表現という領域にたどり着こうとしていた諸君が「認められなかったのだ」とそのプロセスすら自己否定をし始めたとしたらこれほど残念なことはない。

だからこそ「音」の渦から「音楽」をきちんと嗅ぎ分ける力が必要なのだが、私自身全然力及ばずであった。
それは、次々と出てくる結果でわかるはずなのだろうが、始めは、なぜそうなるのか良く判らなかった。

そんな折、あるJAZZユニットを知る。私の中学時の後輩絡みなのだが『中3の姉と小4の弟による小さなJazzユニット「サファリパークDuo」』のことだ。
ユニットの説明といくつか紹介されている演奏動画を見ているうちに自分の中で何かが弾けた。

「自分は大切なものを忘れていた!」

そう、コンクールの魔物に振り回され大切なものを見失ったまま臨んだ当然の帰結としてコンクールの結果が返ってきたのだ。
偉そうなこと言いながら結局「金」「銀」「銅」に振り回されていたんだ。
なんということだ。
もう一度最初からやり直しだな。みんな本当にゴメン。