事態に遭遇している。
うん、やはり凄まじいのだと思う。
あまり状況が把握できなかった段階で関わり、ある程度予想はしていたものの知れば知るほど「なにこれ!?」である。
詳細を書きたいと思うのだが、それはもう少し後になるかと。
じっくり書く必要のある内容だと思い、しかし今は連日「ピッチィーッ!」とか「合わせてー!」とか「聞けよっ!」とか「感じろぉーっ!」とかで、思いのほか疲れる。やってる最中はみんな素晴らしく集中してるし疲労感なんて全く感じないけれど、終わった途端、へなへなへなぁーと床に座り込んでしまうくらい。そんな時でも私自身はすこぶる充実してる。
ただ、これだけは今すぐにでも言いたい。
学校吹奏楽は良くも悪くも「教育活動の一環」。そこで体験し感じ身体に浸みたことは一生持って歩く。一生影響する。その大切な始めの瞬間に立ち会うのだから。
全ての吹奏楽部員が音楽の専門家を目指しているわけではない。むしろ目指す人はほんの僅かな一部だろう。しかも、そんな人は将来もっと深く音楽を勉強する機会を持つだろうから、少々の事があっても後々取り返しがきく。
だからこそ、学校吹奏楽の場ではきちんと深い音楽を知らしめ生きる糧としての豊かさを伝えるべきだと思う。アマチュアだからテキトーでよいのではなく、アマチュアだからこそきちんとした物を見せなければ!
そして、それが出来るはずの専門性の高い人達が、「たかが吹奏楽」「たかがアマチュア」と軽く見るのではなく、楽器の奏法やコンクール対策をさらっと示して「出来る出来ないはあなた達の能力次第」で終わってしまうことなく、奏法技術にしろ音楽性にしろ、じっくり「育てる」指向性を持ち、楽器を手にして目を輝かせている生徒達が一生音楽を好きでいてくれるよう真剣に相対するべきなのだと思う。
様々な難しい状況が背景にある事は承知の上。
でも次を育てなければ全てが先細りだ。