7月
09
凄まじい

事態に遭遇している。
うん、やはり凄まじいのだと思う。

あまり状況が把握できなかった段階で関わり、ある程度予想はしていたものの知れば知るほど「なにこれ!?」である。
詳細を書きたいと思うのだが、それはもう少し後になるかと。

じっくり書く必要のある内容だと思い、しかし今は連日「ピッチィーッ!」とか「合わせてー!」とか「聞けよっ!」とか「感じろぉーっ!」とかで、思いのほか疲れる。やってる最中はみんな素晴らしく集中してるし疲労感なんて全く感じないけれど、終わった途端、へなへなへなぁーと床に座り込んでしまうくらい。そんな時でも私自身はすこぶる充実してる。

ただ、これだけは今すぐにでも言いたい。

学校吹奏楽は良くも悪くも「教育活動の一環」。そこで体験し感じ身体に浸みたことは一生持って歩く。一生影響する。その大切な始めの瞬間に立ち会うのだから。
全ての吹奏楽部員が音楽の専門家を目指しているわけではない。むしろ目指す人はほんの僅かな一部だろう。しかも、そんな人は将来もっと深く音楽を勉強する機会を持つだろうから、少々の事があっても後々取り返しがきく。
だからこそ、学校吹奏楽の場ではきちんと深い音楽を知らしめ生きる糧としての豊かさを伝えるべきだと思う。アマチュアだからテキトーでよいのではなく、アマチュアだからこそきちんとした物を見せなければ!

そして、それが出来るはずの専門性の高い人達が、「たかが吹奏楽」「たかがアマチュア」と軽く見るのではなく、楽器の奏法やコンクール対策をさらっと示して「出来る出来ないはあなた達の能力次第」で終わってしまうことなく、奏法技術にしろ音楽性にしろ、じっくり「育てる」指向性を持ち、楽器を手にして目を輝かせている生徒達が一生音楽を好きでいてくれるよう真剣に相対するべきなのだと思う。

様々な難しい状況が背景にある事は承知の上。
でも次を育てなければ全てが先細りだ。

5月
14
うれしいことに

レッスンに呼んでいただける学校・団体が増えてきた。本当に少しずつなんだけど、でもじわじわと広がっているように感じる。
生来ずぼらな私だから熱心に営業活動を重ねているわけではなく(…それじゃダメなんだろうね…)、幅を利かせている大きな力にすがるわけでもなく(…それはしたくない…)、皆さんの口から口へと何かが伝わってこちらに寄ってくる感じ。本当にありがたいことです。

先日、新たなレッスンに関する打ち合わせをしているときに、生涯かけて成し遂げたいと思っている構想について大いに意気投合した。
その構想は、始めの着想から既に大きな状況変化や方向転換を何度もしているのだが、根底に流れる部分については全く揺らいではいない。それどころか益々確信を持ってパワーアップされている。

その最も大切な部分での意気投合なのだ。これはレッスン増加と相まって、とてつもない力になる。
また熟成がさらに深く進んでいく。

5月
01
1年の3分の1

が過ぎていった。早いなぁ。
もう5月だよ。

バンドでは新入部員というキーワードが少し落ち着き、課題曲とか自由曲とか講習会とかの単語が多く聞こえてくる。
関わるバンドは昨年よりまた少し増えた。幸せなことだ。
そのお返しに、コンクールに絡めつつ少しでも多く音楽の楽しみや喜びを伝えたい。

そして音楽の楽しみや喜びを通して「目には見えない耳にはきこえない大切なもの」を実感するための「見える道筋、判りやすく明確な方法」をさらに探求する。
今の課題は「具体的な方策・行動」とその実践による「成果」だ。

カタチにすること。

3月
09
到達点として

満足出来るレベルかどうかは良くわからない。
が、全体的な伸びシロとしては及第点にはなったかな、とは思う。

数ヶ月前、何も準備が出来ていない状態を知って愕然としたが、「必要な準備とは何か」を知らなければ出来ないのはある意味当然だろう。「自ら知ろう」とすることはもちろん大切だが、そのきっかけとして「外から知らせる」ことも大切なはずだ。初動段階では特に。

人は勝手に育つ、と考える風潮が強いのかなぁと感じることが多いのだが、勝手に育つにしてもその環境下の範囲でしか育たないのだから、育つ環境をより良く整えるのはそのレベルにある者の最も重要な役割だと思っている。

少々強引かなとは思ったが、今年度から職として関わっている以上、時間も限られているし一定以上のレベルにしてほしいという願いもあったから、お節介にも私が介入した。ダメ出しが続くから苦しかっただろうなと思う。

今日に至っても大変重要な事で問題が発生した。それを解決するために皆苦しい思いをしたことだろう。(ずっと以前からこのことを予想していたのでもっと早く手を打つことは出来たはずではあるが、皆がその決断をするために「機が熟す」という意味合いでは今日に至ったことは必然なのかも知れない…。)
まだまだ片付けなければならない問題は様々山積みだが、時間はいつでもきちんとやってくる。

明日だ。
今まで苦労して積み上げた事々をすべて出し切って欲しい、と願う。
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愛知東邦大学吹奏楽団
第3回定期演奏会
2013年3月10日(日)開場17:30 開演 18:00
尾張旭市文化会館 文化会館ホール
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2月
27
広報誌

郵便受けに毎月入る「広報ながくて」。役場発行のA4版行政広報誌だ。長久手町時代からずっと見てきた。端から端まで読むと案外面白い。
その2013年3月号が本日投函されていた。
広報ながくて表紙


郵便受けから取り出しすぐに表紙を眺めた。最近、我が長久手は町から市になりさらには市長も替わり、なにやら広報誌も変化してきているのでいくつか注目していた部分もあったので。
そして「ほぉー!」と思った。
「写真で見るながくて」という見出しで先日の吹奏楽フェスティバルの文字が大きく並んでいる。

続いて表紙を一枚めくりさらに吃驚。見開き全面2ページにわたって大きな写真が飛び込んでくる。
広報ながくて3月


今年で9回目のフェスティバルだけど8回目まで広報ながくてには数行記事が載る程度だったと思うのだが…。
今回は何だかすごいな。大きく載ったことは携わっているすべての皆さんにとって素晴らしいことだ。

だが、今までとの扱いの違いは何なんだろう。
一方では、次のフェスティバルについて「第10回で節目ですから…」という語尾が微妙に曖昧になる感触があって、良い意味でも悪い意味でも「どうなるのかな?」と思っていたのだが。

このこと以外にも様々少しずつ変化の兆候があるようなので、とりあえず、ずっと温めてきた構想について動き出す時合いかも知れないな、とお気楽に考えることにしてみる。

1月
26
いよいよ

明日。
第9回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。
思えば愛知万博のプレイベントで単発企画だったのに、今回で第9回。よく続いている。

その間、自身にも世の中にも色々なことがあり、様変わりしていったことも多い。
けれど、無謀とも言える全乗り200人を越える合同合奏は変わらず。

短い練習の中では、音符を並べることに精一杯で、音楽でもっと大切だと思っていることを上手く伝えていくことが難しい。
いつまでたっても全然ダメだなぁ、と悔しい。
それでも、思いを伝えていくと音が変わっていく。細かい指示をすることで変わるのではないから不思議だし凄いことだと思う。

細かい指示をして各々トレーニングをするつもりはない。というより出来る訳ないよ、この人数でこの時間内では。
そんなコトしたら時間の浪費でお互い気が滅入るだけだから、「各自でやってきた」という前提で進めるしかない。
ということでまったく別のことをやりたい、と思い続けて9回目を数えた。

漠然とした、言葉にならない何か。
雰囲気というのか、イマジネーションというのか。
一人一人の頭や心の中でぼやっと浮かんでいるだろう事々が音を通して伝わってくる。場合によっては強烈に伝わってくる。
音達や、メロディーや、和音や、休符さえ、「繋がり方」みたいなことを説明すると途端に音楽が繋がりだす。みんないつも「繋がりたい!」と心の底で思っているのだろうか。
オトノタテヨコヤキョウジャクを合わせることだけではない、もっと違う繋がり方を知ったら良いのにな。そうやって繋がりだすと、私には人の温かみを感じようになる。

お世辞にも上手い演奏ではないけれど、でこぼこの一人一人がお互いにうめ合わせながらいつの間にか大きな一つになる。
そこにいるみんなが繋がった演奏をしたい。

だからといってそんな演奏は生半可のことでは実現しない事も知っている。オトノタテヨコが合うよりもっとハードルは高い。人を試されるからね。

たった数十分の本番の間だけで良い。本当に繋がったと感じることが出来る演奏だったなら、そのたった数十分がかけがえのない一生の宝になるのだ、と思う。

12月
16
仕事をしながら

ふっと思い出した。(扱っていた曲のメロディーがそこへの連想に繋がったのかな、となんとなく思う。)

私が高校3年生のこの時期、つまり年末で、年が明けたら作曲科という一般世間からしたらあまりにも異質なところへの受験を控え、音楽への強い思いと大きな不安と訳の判らない焦り…などで、心がもみくちゃになっていた頃のこと。

パシフィック231という曲を知ってからオネゲルという作曲家が好きだった。だから、なけなしの小遣いをはたいてオネゲルのLPレコードを少しずつ集めていて、その中にあったクリスマスカンタータを毎日毎日何度も何度も繰り返し聴いていたのだった。

その事を思い出して、改めて聴き直してみようと思ったものの、もう既にLPレコードを聴く装置はないしLPそのものもどこに行ったか判らない。
CDを探そうか、どうしようか、少し考えてとりあえずYOUTUBEで検索。
「Une cantate de Noël for Baritone, Children and Mixed Choruses, Organ and Orchestra」
久しぶりに聴いた。もちろん当時聴き続けていた演奏ではないから多少の違和感を感じながらだが、曲の細部とともに当時の気持なども克明に思い出してきた。泣きそうになった。

今になって何故この曲を聴き続けていたのか判る気がする。
聴くのも辛くなるような重く苦しく始まる20数分に及ぶ曲。しかし最後の最後でお馴染みのクリスマスソングが渦を巻き次第に静かに安らいで眠るように終わっていく。

後にこの曲がオネゲルの絶筆作品だと言うことを知る。さらに彼は音楽の将来をずっと悲観していたのだということも。
その最後の最後があまりにも美しいと思うのだ。音楽を、人間を、心より賛美していると感じるのだ。

辛く苦しい現実でも、最後にはきっと希望を見たかったんだろう。至福の幸せを音楽に見いだしたかったのだろう。

聴き直して良かった。
自分自身の音楽の「始まり」を再確認できたように思う。

そして、今もオネゲルを好きなままだった。

12月
07
昨日見つけた

言葉。

『素晴らしい発明は日々のカイゼンからは生まれない。大胆な発想の転換からのみ生まれる。』

NHK 地球イチバン 「地球でイチバン未来が見える研究所」(MIT マサチューセッツ工科大学)

番組を見ていて、もう一つ感じたこと。
『捨て去る勇気』

何故だか良くわからないけれど、少し元気をもらった。

11月
30
FBで

知人がリンクをシェアしていた動画。
私はここに動画を張り付けようと思う。

あるピアノコンクールでの講評ということだが、大いに共感するお話。一つ一つ「そう!そう!」と頷く。
私が自分なりに言葉を探して様々な場で音楽好きの若い世代に伝えようとしてきた、まさにそのものだと感じる。
言葉の選択のしかたによってこれほど説得力を持つことに感嘆し、少しでもそれに近づけるようにしなければと思う事しきりである。

だが、しかし。
このお話しをする状況というか背景というか、つまり、きっとその場でその内容を話す必要性があったのであろう、ということについて少しとまどうのだ。

くどいが、もちろん内容についてではない。内容はすべて共感できる事であるのは前述の通り。
権威のある「音楽コンクール」という場において、音楽として当然前提になっているはずであろう内容を殊更強調する事にとまどうのだ。

先日ここでこんな記事を書いたが、その思いと実はまったく同種の感想だ。

この2つの事例は何に警鐘を鳴らそうとしているのだろうか。
本当は、自分なりに見えていることなのだが、なかなか他へ伝えることの出来る「言葉」としては浮かび上がってこない。
もう少し心の中で熟成させ当を得た言葉が見つかったらここに書きたいと思う。

11月
01
今朝の

朝日新聞(2012年11月1日)に第60回全日本吹奏楽コンクールの1ページ特集があった。前日に名古屋国際会議場で行われた中学の部に関わる特集だ。
(記事の内容からこの辺りの地方記事ではなく全国版だと思ったがどうだろうか。)

さて、その記事の中央の囲みに「総評」という見出しで各演奏に対して評論が載っていた。その最後の一文。

 とある審査員が以前、こうこぼしたことがある。「一番感動的な演奏をしたのに、技術が弱くて銅賞になった学校がある。音楽の審査って矛盾だらけだよね」。名旋律に心震わせたり、美しいハーモニーの一翼を担ったり。技術を克服する快感以上に、音楽ならではのそうした幸福こそを、子供たちの感性に刻みたい。勝つためではなく、育てるための大会であり続けるためにも。

なぜ、コンクールの総評(各学校の演奏評価を並べたあと)の最後に字数を割いてこんな一文を載せたのか気になった。

吹奏楽コンクールに関して単純ではない何かを感じたからこそ、全国版の記事であるにもかかわらず(であるからこそ!?)紙面を割いたのではないかと邪推してしまうぞ。
「金賞受賞」という非日常の感動は「到達の評価」としてとても重要だが、それと等価もしくはそれ以上に(特に若い世代の人達にとって)重要なのは、素晴らしい音楽とともにある「日常の創出」だと思っている私は、とても近い匂いをこの一文に感じたので少々面食らったというのが正直なところ。

本日は高校の部だったと思う。
どの団体も気の遠くなるような練習を重ねてここに至っているだろうから、素晴らしい演奏だったことは間違いないだろうが、さらには音楽ならではの幸福を感性に刻んだのだろうか。