8月
18
ブラ2

Symphony No2 in D Major, Op.73 / Johannes Brahms
(交響曲第2番 ニ長調 作品73 ヨハネス・ブラームス作曲)

ずっと昔、ある人と話しをしているときになぜかこの曲の話題になった。(その人がバンドアレンジの演奏をすることになったんだったか…だったかな…。)
で、その人が唐突に私に尋ねた。
「ブラームスは何であんな和音つけたのかね?」
「えっ、どこのこと?」
「1楽章始まってすぐ2回目のホルンの出る前。」
「(えっ、そこ?)なんで、って言われても…。」

具体的には第一楽章冒頭9小節目。
小難しく言うと、この曲はD Durなのでその部分はH,D,Fisの構成音でVI度の和音になるところ。次の小節でII度調(E moll)になりホルンでテーマの確保が行われる直前だ。私は何の疑問もなくE mollに移るためのVI度だと思っていた。

「何であんな和音にしたのかな??」と大いに疑問のご様子。
彼が言うには「D durなんだからD,Fis,A(主和音)で良いじゃん。」と、随分強い主張だ。

彼にそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかったし、あらためて聞かれどう答えて良いのか判らずに窮したのだけれど、私はようやく「ブラームスに聞いてみないと解らないねぇ…。」と曖昧に返した。

今日、突然にこのエピソードを思い出した。
バンドの様々なことに思いを巡らしている時だった。
いや、彼のこと云々を考えていたわけではない。
吹奏楽界では往々にしてあり得るこのような話しをつらつらと思い起こしていた時だ。
吹奏楽界では有名な彼がこんな質問を発することに吃驚したんだった。

「吹奏楽」って何だろ?
音楽を演奏する単なる編成の一つではないのか?
吹奏楽だって先祖代々脈々と受け継いできた豊かな音楽のはずなんだけど、(日本の)吹奏楽だけなんだか貧弱なことになっていないか?

8月
15
吹奏楽コンクールが

終了してしばらく経つ。

〜ようやくコンクールについて少しだけ思いを吐き出せる気分になってきた。〜

今年も複数のバンドでレッスンを重ね、久しぶりにコンクールで棒を振り、他の演奏を聴き、たくさんの素晴らしい指導者の先生方とお話をさせていただいた。
様々考えた。コンクールの前も、最中も、後も。夢の中でも。
そして、やはり私自身のバンドに関する指向性は大勢とだいぶ異なっている事を再確認した。

音、とか、音楽、とかの指向性というより、スクールバンドとしての活動の指向性と言った方がより正確だろうか。
スクールバンド活動で何を一番目指したいのかと自問したら心の底から「スクールバンド(=若い世代のアマチュア)に対して、音楽もしくは音楽の在り方や幸せを伝えたいと強く願っている事」だと思っている。
が、現実には極めて難しい。コンクールという世界で成果を出す事と自分のやりたいことの両立が出来ないままだ。
「成果の出せないヤツがいくら何言ってもダメなのさ」
コンクール直後、帰宅途中にほぼ絶望に等しい感覚を持った。この感覚、一体何度目だっただろう。

しかし、何日か経ってある生徒から以下のような言葉をいただく。

============
(前略)
昨日の演奏は本当に楽しかったです。みんなの気持ちが音や空気や呼吸や動きから感じられて、
いいバンドだなぁ。居場所はここだ。ひとりじゃない。って実感しました。
結果とか順位とかより、みんなと部活できないことに涙が出ます。
それが私は嬉しいです。そんな風に思えるバンドに居れたことが、誇りです。
(後略)
============

私の想いは伝わっているのかな?つたわっていると思って良いのかな?音楽の幸せの輪が少しは広がったのかな?

「ダメかも知れない」と思う気持ちを「いやまだまだ!」と跳ね返すパワーを若い人達からもらったようだ。
希望がまた少し戻った気がする。
 

この夏、音楽を通して私と関わってくれたすべての人達に心より感謝。
みんな、ありがとう。
泣き言いってちゃダメだね。まだまだ頑張る!

8月
13
我が庭には

 柚子の苗が三鉢ある。数年前に種を蒔いたら発芽して植え替えながら育ってきているものである。アゲハチョウが卵を産みに来るので、すぐ葉を食べられて坊主になりかかるのだけれど何とか50cmくらいまでになった。蒔いた種は特別な物ではなくスーパーで食品として購入し自家製柚子胡椒を作ったときに出たもの。普通は間違いなく生ゴミ行きだよ。
 我が家にはそうやって育っているものが他にもたくさん。良く発芽するアボガド、信州で買っておいしかったリンゴ(種類はなんだっけか)、枇杷(本当は土肥の白枇杷が絶品で種も持っていたんだけど保存が悪かったらしくまったく発芽しなかった)、紀州でよく見る三宝柑やパール柑など柑橘類6種。これらは熊野詣出に行ったときに入手してきた各種柑橘系ものが主体だ。

梨は三粒の種が発芽したんだけど枯れちゃった。沖縄のシークワァーサとか和歌山十津川のジャバラとかも種蒔いたんだけどダメだったみたい。

 家人は「そんなコトしないでおいしい実を買ってきた方が速いし安い!」と言われてる。
 そりゃ、出来れば花を咲かせ実を実らせ収穫まで持っていきたいとは思っているが、そんなことよりも、蒔いた種がちゃんと発芽し育っていくことが何やら面白いのですよ。

 オーストラリアのユーカリのように山火事の高温に晒されないと発芽しないとか、そんな特殊な条件でなくても発芽させるのは難しいようで。夏に蒔いたのに冬の寒い時期を越してそのまま何も変化せず、それでも水をやり続けたら春になっって一斉に芽が出たのもある。せっかく発芽してもその後の条件が悪いとたちどころに萎えていくし。

芽の出たては本当にか弱いんだよな。枯れちゃった梨は本葉が4、5枚になったところで赤星病という病気にやられて全滅したんだ。葉に何だか赤い斑点がプツプツ出来たな、と思っていたら苗全体から気持ちの悪い髭みたいなのが無数に伸びてきて、ついに全体が枯れてしまったんだ。調べてみたらウィルスが時期を見計らって移ってきて梨をイジメルらしい。効果的な対策は無いようで、出来るのはそのウィルスのキャリアであるカイヅカイブキという樹を梨の回りから半径何kmで取り除く事だけのよう。それって個人レベルではどうやっても無理だなぁ。なかなか他所のお宅に行って「この木切り倒してください」とは言えないもの。だから果樹の産地では自治体の条例でカイヅカイブキの植栽を禁じているところもあるらしい。

 種蒔きのきっかけは庭にある藪椿と柿。そこに留まった鳥たちが様々な遺留品を残しその中にあったのであろう種が次々と発芽していくのを知ったのが始まり。一度鳥の体内を通っているのに!種って凄いなと単純に感動したのである。

しかも発芽するだけでなく、例えば、そうやって始まったアスパラの株は毎シーズン食卓を賑わす。

 で、鳥による偶然に頼るのではなく、積極的に種を蒔いてみよう!と。

 か弱い苗が、手をかけ世話をすることでいつの間にかそれ自身の力で生きる力を得、生きようとする強い生命力を見せてくれる。
 桃栗3年柿8年柚子の馬鹿たれ13年。欲をかいて成果物を期待してるのではなく、耕して種蒔きしたものが芽を出し育っていくこと自体が妙に嬉しい。どうやら、盆栽のように樹形良く整えるとか、花をたくさん咲かせるとか、美味しい実をたくさん実らす、のように他人の目にも見えやすい形ある事は二の次のようなんだ。

 最近、それって私がバンドを通してやりたいこととまったく同じだって事に気が付いた。関わった生徒達に音楽の楽しさという種を蒔きたい。もちろん種蒔きするためには事前にちゃんと耕してあげないとダメだけど、蒔いた種が芽を出しある程度育ったら「音楽の楽しさ」という樹は自分自身でどんどん成長することが出来る。そうやって一人一人が自分自身の楽しさや喜びを得る事が出来るようになることが私にとってのなによりの喜びなんだ。

 どんな種でも芽を出すことは出来るが種を蒔かなきゃ芽は出ない。しかし自分自身で種蒔きすることはとても難しい。
 当たり前のことだけど決して忘れてはならない。誰かが種蒔きしなきゃ芽は出ないって事。

7月
30
毎年

この時期になるといつも考えてしまう。
吹奏楽コンクールって自分にとって何だろう、って。

ま、以前のように頑なではなくなってきているけれど、それでもコンクールのための練習を暑い中必死にやっていると「本当にこれで良いのかなぁ…?」とふっと頭の中をよぎる。

執拗な音程合わせとタイミング合わせに終始し「サウンド」の純化向上を目指す。
もちろんそれだけではないたくさんの音楽的処理もするのだけれど、次の大会に抜けるためにはどうしても避けられないサウンドの純化。しかも、それはやればやるだけ効果が目に見えて(耳に聞こえて)くるのだから、ある意味中毒的でもある。

今現在、3つのバンドでそれをやっている。地区を抜けさらに次へ、という各バンドの欲求を満たすために。

途方もない数の音達一つ一つを粘り強く揃えていく作業は、いくら音楽室にエアコンが整備されていてもとてもしんどい。
午前と午後と別の2つのバンドをレッスンしたら帰りの車の運転が危ないくらい意識朦朧でくたくたになる。たぶんバンドのメンバーも同じなんだろうな。

その事がどれだけ大切かということも重々承知の上、「しかし、こんな事ばかりやっていたらこの若い人達、音楽嫌いになるよ」と危険を感じるのも事実。

さらに複雑な状況として、その3つのバンドうちの1つは私自身が棒を振る。自分が振るからこそ余計に「音楽」に比重をかけたいと思う一方、「成果」がその後の仕事に影響を及ぼす事は否めないから、それは少し苦しい。
しかも他バンドの成果が上がれば上がるほど自分の首を絞めることになる。

…そんなこと考えたってしょうがないのにね。

結局はバンドを目の前にしたら、そこで出来る事を目一杯やってしまう自分がいる。
何だか自分でも訳の判らない状況のなか、バンド(=バンドのメンバー)と対峙してその瞬間瞬間を切り刻んでいるような。

はぁ。まったく成長していないなぁ。
どうやったら「音」と「音楽」のバランスが取れたレッスンが可能になるのかしら。

7月
26
ままさんバンド

久しぶりの更新です。
サボっててすいません。
その間色々(FBなんか始めちゃったり)ありまして…。

先日吹奏楽コンクールの会場で懐かしい方にお会いした。かつて指導したバンドのメンバーで、今はご結婚され旦那様と一緒にバンドをやっているとのこと。とても微笑ましく嬉しく楽しくたくさんのお話を聞かさせていただいた。

その中で、最近ポツポツと企画されているママさんバンドの話題になった。
その形態は望まれていること、しかし託児が必ず付いてまわるために場所とか人とかマネージメントが大変なこと、などを聞くに及んで、ずっと暖めている夢物語とそのままリンクするぞ、と気が付いた。

詳細はそのうち別のところで書くけれど、とりあえずここに形跡を残して見失なってしまわないようにしようと思う。

4月
06
メールのやりとり(8)

だいぶ間が空いちゃっって、このシリーズも宙ぶらりんのままでダメですな。
少し端折ってこのシリーズ記事を書こうと思ったきっかけの内容をご紹介。

============
日時: 10月21日
件名: Re: 先日はどうも

> なるほど。いるっちゃあいるんですけどね。なかなかこれが…

ここを育てることから始まるのかも知れないね。
私のモットーは、如何に自分が楽に出来るようになるか、だったです。(今も)
そのために自ら手を下さなくても勝手にオートマチックに思い通りに進んでいくような仕組みにすればよい。
まずは、他人の気持ちを推理し先取り出来る人材を育てること。つまり「今自分が何を考えているか」ということを考えることの出来る人を育てるんだね。その次にそうやって知り得た情報を元にどう動くと実現できるか考える。ここまでは案外出来るんだ。
で、実際に動くことの出来る人にすること。ここが難しい。先に言ったように自分と同じ動きをしがちなのだよ。大切なのは自分と対象(生徒ね)の間に立って仲を取り持つことが出来るようになること。

現実はその理想ために大変な思いをしてた訳で、マッタクの本末転倒の連続だった。
 

だからこそ私の中でNシステマの発想が生まれていくんだけど。

上に書いた事って、そのままアンサンブルに当てはまると思うんだ。正しい・間違っている、じゃなく、相手を思いやりながら自分の役割を果たしながら上手に立ち回って全体をまとめていく、ってことだから。
全員が正解すれば勝手に合ってくる、んじゃなくて、積極的な相互補完な精神なんだな。だから個々がでこぼこでも成り立つ。
でこぼこで良いからそこにいる人はそこにいることで安心できる。ミスしても大丈夫と思えるからこそミスが少なくなる。さらに切磋琢磨されてお互いが高みに登る。

でもそれには条件が要るんだ。すべての人が真剣に前向きであること。でないとしらけちゃうからね。
で、この段階を指導してるとみんなが折れていく。訳の判らない人達はここでの指導は全段と矛盾してると思って抵抗するんだな、きっと。

昔、良く考え込んだ。
「自分自身で自発的に考えられるように、こちらから枠をはめなければならない。さて、このパラドックスをどうするか?」

その結論が「自発を生むための他律」という考え方に至る。簡単に説明すると、小学低学年時、九九を覚えるのに、意義や意味なんかマッタク関係ない。とにかく覚えろと言われて(泣きながらでも)覚えなければならない。それが他律。うむを言わさずやらせる=他人から強制される、という意味合いもある。
しかし、それが自分のモノになったら次はそれを使って自由自在に計算出来るようになる。これが自発。
九九を覚えられなかった人達は、世の中に出ておつりの計算やバーゲンの計算すら出来ないのです。損だよね。

他律も自発も必要なんだけれど、必ず時期をずらして、小さいときに他律(それが躾)、反抗期過ぎたら自発。(それが自我=他律で培った基礎力で自我を発展させる)

世の中順番が入れ替わってるよ。小さいときは何でも好きにさせておいて(叱るのが可哀想、とか腕力で何とかなるとか…)、成長し自発性を持ったら干渉してくる(ピアスダメよ、とか規則で縛ったり…)。最近は干渉するのもめんどくさくなったのかな。生物として成り立っていないめちゃくちゃなやつか覇気がないかの2択になっちゃった。

で、今は他律が出来ていない人達ばっかりだから、自発を促す時期に困る。それを同時にやるのはムリがあるからね。でもやらなきゃ先に行けない。
しょうがないから私は高校でそれをやった。生徒にとって最後のチャンスなんだからと思ってね。
水疱瘡やおたふく風邪と同じで年取れば取るほど大変なんだ。だから随分ムリしたよ、自分の身を危険にさらして。実際何度も追い詰められた訳だから。
もっと良いやり方があったのかなぁ。

デモ、諦めない。
そんな簡単に世の中が変わるわけないけどね。
============

この後に、
>>ブログに書くべきですね。
とお言葉いただき、今に至る。

11月
12
メールのやりとり(7)

久しぶりに風邪引いた。
今回は早めに医者に行ったけどもらった薬が切れたらぶり返してきた。
喉と鼻の奥が痛い。
咳も少し出る。
どうやら熱はほとんど上がらないみたいだから普通に過ごせるけれど、早く寝ても自分の咳で目が覚める。

============
日時: 9月23日
件名: Re: お疲れ様

> 今回の台風も一応指定避難所になりましたが、

なるほど。指定避難所ですか。
避難所が雨漏りで水没したらしゃれになりませんなぁ。

このところ世の中至る所で問題噴出ですな。
問題の根源は「自分のところに責任がかからないようにする」体質や人ですかな。
ババを押しつけ合っているうちに雪だるま式に深刻化していく。
ワリを食うのは小市民。その小市民だって自分は関係ないと思ってるし。

いつかどっかで破綻をきたすと思うんだけれどねぇ、社会も経済も教育も、もちろん音楽も。

> はまる子にとってはグイグイ
> 心奪われていく魅力を感じると思うので顧問の先生が嫉妬することもあるかもし
> れないですね。

うーん。なるほど。
そういえば、以前ある部員(女子生徒)の父親に面と向かって「あなたに嫉妬します、ものすごく。」と言われたことを思い出した。その時はそんな発想に至ることが理解できなかったけど。
それと同じような事なのかな?(そんなことはないと思いたいけれど…。)
そうだとしたら、そりゃ世間を敵に回すわ。困ったな、こりゃ。そんな感情論では全く太刀打ちできない。
やっぱり、音楽とか教育とかときっぱりと縁を切って山の中でひっそりと暮らす方向を目指すかなぁ…。

> このことは100%に近い確立で開催しようと思っているのでお願いします。

はい。了解。
でも出来るだけ早めに日程が決まると嬉しい。なにせ今は時給¥880バイトの身なので、急な勤務予定変更は辛いのです。
============

話がどんどんそれてきたけれど、まだまだ先は続く。

11月
02
メールのやりとり(6)

11月。
朝晩随分冷えるようになってきた。
気が付くと川沿いのソメイヨシノの葉が全て落ちていて、くるくる回る年月の加速感がときおり恐ろしく感じるほど。

メールの内容だが、少しずつ当初より逸脱してきて私よりの内容ばかりになってきた。申し訳なし。
うーん、読み返していて、何かしら焦りを感じているのかも知れない、と思えてきた。
============
日時: 9月22日
件名: Re: お疲れ様

>> した。「私たちはNGOの弟子ですから…」だとさ。ワシの責任らしい。
>>
> NGO門下はそんなもんです。

えへっ?
そんなもんかね。わしゃ責任負わへんゾ。

> スポットのレッスンとなると理解者が必要ですよね。同じ考えを共感できて、単純に
> こちらのマーチングの世界観を好きになってもらえばいいんですが。

これは何でも同じだよね。
私もなかなか呼んでもらえないのは、自分の音楽的世界観もなかなか認知されにくいからだろうなぁ。
関わった当の本人達(生徒達)には案外受け入れられていると思うんだけど、それが逆に顧問の先生達は困るのかも知れない。自分の言うこときかんようになるからな。しかも全国大会出場!!の印籠を持っていないから余計に胡散臭く見えるんだろうよ。

でも世界観が同じならリピートしてくれる可能性は増えるかもね。

>> そのほかに方法はあるかな?
>>
> 捨てる…(笑)

あ、そんな手もあるか…!?
生ユッケ出すために随分回りの肉捨てるみたいだし。

> これものすごく楽しみにしてるんです。いつだったかNシステマの話を聞いた時、

近所の小屋と動き出したんだけど、なかなか行政は前に進んでいかない。音楽の専門家じゃないだろうし教育現場の実情は良く知らないだろうし、判っちゃいるけれど何とも歯がゆいです。
今は平行して別の可能性も考える必要があると思い始めてる。

なので、

> 近々NGO門下会開催しなかんですね。

開催されると嬉しいな。みんなのアイデア聞けるかも知れない。なによりみんなから元気もらえるだろうし。
============

まだまだ先は長い。

10月
31
メールのやりとり(5)

昨日、いったん区切りがついたようだ。
望むようには進撃せず悔しい思いをしたみたい。
でも、それはそれ。それぞれがこの先その経験を最大限生かせばよい。

さて。
メールの続きです。
============
日時: 9月20日
件名: Re: お疲れ様

大雨で大変だね。

>> 自分がやりたいこととコンテの内容(難易度や凝りかた)のギャップに悩んでいるようです。

> なんだか凝った外周やってるなあと思って見てましたが、基本的な技術力が低いのか

本人は随分簡単に書いたつもりだそうです。

> ちょっと背伸びした感じの印象が残っています。
> そうゆうことで悩んでるのか

B級グルメ全盛の時代で、あえて高級フレンチで勝負しているような。
しかし食材のレベルが追いつかず、無理しなきゃよいのに、という評価しかもらえない。
しかし、お手軽に化学調味料や既製品レトルトで済ます気はさらさら無く、かといって、腕の奮える質の高い食材ではない。質がどうしようもなく悪いのかというと決してそうではなく理想と現実のバランスが取れていないんだな。
(しかも、特に今のご時世、本質をきちんと評価できる人はそう多くないだろうからね。パッと見だけで全てを見切ったつもりの薄っぺらな知ったかぶりえせ評論家は数多いけど。)

私にはそんな感じに見えました。
でも、その路線にこだわることは絶対に大切。
さらにその上で説得力を持つためには何が必要か、って事かなと。

そちらはこの5年くらいでやっと世間に認知されてきたように感じるのでそのあたりの苦労や考え方、方法などが参考になるんじゃないの、と思ったのです。
 

やつらはその路線の先鋒を切る覚悟で今後も突き進むと、言ってました。「私たちはNGOの弟子ですから…」だとさ。ワシの責任らしい。

でも、それでは仕事に繋がりづらい(どこからもオファーが来なくなる?)から、
「出来ればもう少し一般受けするコンテを描く必要があるかなぁ」
「でもそのためにもっと基礎レベルを上げたいなぁ」
「レッスンの回数をもっと増やしてもらえないかなぁ」
「そもそも次のレッスン有るかなぁ」
か昨日の話しで行き着いたところなのでした。
 

そちらはようやく世間の認知度が上がってきたのに、肝心の食材の質が落ちてきて苦心惨憺といったところでしょうか。

食材は
・育てるか
・見付けてくるか
・誤魔化すか
 …
そのほかに方法はあるかな?

現在の私の一番の関心は育てることです。
大きな農場(ファーム)を持ちたい。
そこで本当に音楽を楽しむことが出来る子供達を育て世の中に供給したい。
============

続編はさらに続く