10月
29
シング・シング・シング

ここ何日かとは少し話題を変えて。

・・・

本日、小学校金管バンドのレッスンに行った。
メインの曲がなんとシング・シング・シング。
演奏するのはメンバーの中からオーディションでセレクトされた精鋭達らしいのだが。

へぇー、そんな曲やるんだ、スウィング出来るのかな、と思いつつも音を出してみた。
そしたら…。うへぇ、なかなかやるじゃん、な音が出てきた。
以前から自分達でやりたいといっていた曲がようやく実現して嬉しくてたまらないらしい。

楽譜の読み方が違っていたり、どんどんテンポが遅くなっていったり、課題は沢山あるものの、なんだかそれらしい演奏にはなっているのだ。
リップスラーの速い装飾音とか、アドリブのTrbSOLOとか。
リズムもそれなりに崩してる。「良くわかったねぇ。」と褒めると即座に「みんなで議論したもん。」とにこにこ顔で返ってきた。
頭で判っただけではなく実際に音になっているのだから、これはスゴイ事だぞ。
 

いつの間にか中高生に対するのと同じような勢いでレッスンしてる自分がいた。
一つ一つの音のアーティキュレーション・ディナーミク処理の仕方、テンポの取り方、シンコペーションの感覚、その他諸々。
何よりスゴイのは指示したことがすぐ消化され直後から持続する事だ。しかも明るく屈託が無く、演奏できるのが嬉しくてしょうがない、とひしひしと伝わってくること。

オトナに管理されこぢんまり完成された一糸乱れぬ演奏とは全く質の異なる次元、不揃いで一見ただの石ころにしか見えないけれど磨けば素晴らしい宝石になる原石がどんどん巨大化しているような感覚である。
子供達の心の内側での変化充実度が凄まじい、と出てくる音を通して感じるのだ。
これこそが大切なこと。この段階での外見的な完成度は二の次で全く構わない事なのだ、と改めて強く思う。

レッスンしながら涙出そうになっちゃった。
充実した日常練習の積み重ねで、子供達の能力(キャパシティ)をフルに引き上げている顧問の先生方の指導に拍手喝采。素晴らしい!

10月
28
メールのやりとり(4)

マーチングコンテスト終了後のメール。
関わっている団体が沢山あってめまぐるしかったけど、久しぶりに色んな人に会えた日だった。

============
県大会お疲れ様でした。
昨日は珍しくずっと椅子に座ってたくさんの団体を見ました。

そちらは、無難にらしさを出して面目を保った感じかしら?
ここからのコンテ変更や追い込みが正念場かな。
 

コンテどうでした?
彼女は自分がやりたいことと、頼まれて描いたコンテの内容(難易度や凝りかた)のギャップに悩んでいるようです。終了後長い時間話しました。「聞いてみたら?」って言ってみました。何か連絡有るかも知れません。

そのなかで私が忘れていた事を言ってました。
この前の卒業生に対しては入学当初から、私が事ある毎に「今はこんな状況でこんな時はこう行動しなきゃダメだぞ」とか「今回の3の動きはこのポイントが出来ていないからこんな状況になってしまったんだ」と1年だけ集合させて話していたそうです。
もちろん叱るのではなく一つ一つ丁寧に説明して実際にやらせてみて、を繰り返していたようです。
そういえばそうだったな、と一つ思い出しました。
名古屋マーチングフェスでたまたまそちらの集合と隣り合った時、近くにいる1年生呼んで荷物の置き方を「これ見てみ!美しいと思わんか?」と言いました。(そうしろ、とは言ってない。)そしたらその後の荷物の置き方が変わりましたよ。だからそこで(全体を)褒める。1年生達は密かに「私たちがやった」と思って自信に繋がる。
そんなことをくり返していたんでしょうね。

(それらがここに書いた< <そうそう、いなくなる直前は怒る必要はほとんど無くなった。部員が私の先回りをしていて、ただにこにこしてればよかった。>>という話しに繋がる。編集註)

後略〜(実務的な内容なので割愛)
============

続編はまだまだ続く。

10月
27
メールのやりとり(3)

シリーズ第三弾。
だんだん、始めの相談内容から離れていってしまっている感じ。
しかも矢継ぎ早な返信間隔。自分自身も何かしら吐き出したくてしょうがないのかも知れない。

============
日時: 9月12日
件名: Re: Sです。

> これなんですよ。『信じること』と『待つこと』
> これなんですよねえ。ここでめげちゃうんです。まだまだ未熟です。
> ここで、焦りと苛立ちと怒りが抑えきれなくなっちゃうんです。

それは隠す必要はないと思う。
こちらだって生身の人間なんだし。
ただ、その状態になっても信頼関係が崩れないための策は事前に確立しておく必要はある。
私は、それは生徒一人一人への理解だと思ってた。
「親にも友達にも、もちろんタンニンのセンセーになんか決して言えないようなことを、理解してくれて考えてくれる。」と生徒が感じてくれるようになったら、大概のことは大丈夫だと思う。
合奏は怒鳴りまくってたけど、(世間的=学校的に)問題抱えた生徒が多かったからほとんどカウンセラーのような事をやって励ましてた。

直接そう感じさせることは難しいかもだけど、他の部員に対しての私の対応などを見て少しずつそう思ってくれるようにはなったと思う。
そのあたりの逸話は数え切れない。凄まじい話し沢山あるよ。

また、怒りまくり方は昔の比じゃなかった。
「おまえらを心の底から信じているのになぜオレを裏切る?」
「おまえらだって必ず出来るはず。さっき出来たじゃないか。なのに自分で『出来ません』と諦めることに猛烈に腹が立つ。自分を粗末にする奴は嫌いじゃ!」
逆に良いところは思い切り褒めまくったつもりだけどね。
そうそう、いなくなる直前は怒る必要はほとんど無くなった。部員が私の先回りをしていて、ただにこにこしてればよかった。

つい最近、その当時の話しをしたけど、信頼してくれていたんだなぁ、と改めてありがたく思ったよ。

> 今年の1年には『○○にいけば全国へいけるから娘を入学させた。』
> 『だから全国大会にいってもらわないとなんのためにいかせたかわからんくなる』
> なんて言う保護者もいます。

娘は親の私有物ではなく、別の一人の人格なんだけどね。
娘はそんな風に言ってくれる親のことをどう思っているんだろうか。親以上に心底「絶対全国行く!!!」と思っているのなら問題ないけど、いつの間にか親にそんな風に思わされているのだったらなんだか不幸な気がするよね。背負わなくても良い物背負わされてる。
ま、どこまでが叱咤激励でどこからが親のエゴか判らないから、とっても微妙で難しいところだけどね。

で、自分で考えることの出来ない人が増えるのですよ。
代わりに誰か(この文脈では親)が考えて判断しちゃうから、本人はその物事を決める経緯や決まった結果について責任感じていない場合が多い。そして、うまく行かなかったときは自分ではなく、人のせいになる。

全国に行けなかったら「こんな学校来るんじゃなかった」「先輩が悪い」「あいつは嫌いだ」「練習方法が悪い」「指導者が悪い」挙げ句の果てに「交代させろ」とかね。

ああ、たいへんだぁ。

〜中略〜

> あの時は本当にしんどかったです。毎日のように名東スポーツセンターにいって導線考えたり
> 客席の位置を考えたり…
> しかしあの経験は色んなところで活きてると思います。

ま、世間的に矢面に立つのは私だったから、コーチやスタッフは純粋に演技の計画や仕上がりのダメ出しだけで済むからね。
有る意味派手に失敗を経験できるから次の糧にはなった、かな。
失敗はとっても大切なのです。

あらゆるしかけをした上で「信じて」「待つ」のですね。でも芽が出るのはうんと先ですよ。

果報は寝て待て。
============

続編は続く

10月
26
メールのやりとり(2)

9月8日に返したモノに対するお返事。
少しだけ過去のことに触れているから、何か思うことがある人達もいらっしゃるかしら。

============
Date: 9月10日
件名: Re: Sです。

>> さらに、なぜか指導者になった私の教え子達はみんな私と同じような道をたどるんですな。申し訳ない。
>
> NGOイズムを感じます。泥沼です。(笑)

へへへ。すまんのお。
私自身は、少しだけその先を行っているとは思っているけれど…。
泥沼は慣れたというか、既にそこから抜けたというか。

>> 苦労は尽きませんわ。一人一人の生徒部員を通して世の中の大勢と向かい合っているようで無力感で打ちひしがれます。
>
> よくわかります。

今私は小学校で試行錯誤してる。
みんな純粋ですごいよ。可能性は素晴らしい。でも、その可能性を萎ませてしまうようなことがあるんだろうと。

高校生に対しては、萎んだまま大切なことを知らずに育っちゃったからもう一度育て直す気概が必要だ。これには絶大なエネルギーが必要。社会に出る直前のラストチャンスだからね。
キーワードは「信じること」と「待つこと」
すぐ裏切られるし、待っても何も無いことの方が圧倒的に多いけれど決してめげない。
即効性は全くないけれどそうやって対応した生徒達には何かしら種は残って、随分後に芽を出すことは多いように感じるよ。
後になって気が付いて「ああ、あのときに判っていれば…」と悶絶するらしい。

私はそれで良いと思ってる。それが私の役目だと。

でも、見た目に結果が出ないから誰も評価してくれない。で、干される。
そこは何とかしたいなとは思う。オレだって生きていかなきゃならないもんね。

〜中略〜

> ウエストサイドを思い出しちゃいます。

それは良く話題になります。前日リハ後のミスドでの雰囲気克明に覚えてる。
譜面を自分達で作ったりしてよく頑張ってると思ってたのだけれど、リハ見て愕然となった。
「オレのせいだ」と。今だから言うけどね。
 

> どっかで門下の指導者が集まってプチ会をやりたいものですね。

企画してくれたらすぐのっかるよ。誰かやって!!
============

続編は続く。

10月
25
メールのやりとり

しばらくぶりにある人から連絡があった。
珍しく苦しんでいるよう。
(ま、調子の良いときは連絡の必要がない、って事だけど…。)

で、しばらく相談に応えるようなメールのやりとりしていたんだけれど、次第に私の様々な想いを一方的に綴るように変化していった。
申し訳なかったなと思い「これメールで書くんじゃなくてブログに書いた方が良いような内容なのかな。」と言ってみた。即座に
「ブログに書くべきですね。」って返ってきた。皆に周知しろということらしい。

といういきさつで、シリーズで転載してみることにする。ただし公開するために原文に少し手を入れる。

まずはとっかかりのもの。最初のメールの返信だ。
============
日時: 9月8日
件名: Re: Sです。

一般的には、生徒の状態(テクニカルな面もメンタルな面も)を良く把握して、メンバーが出来る範囲(決して無理はしない、という意味でもないけれど)の中で、出来ることをやれる方法でやり、それで世が認める実績を作っていくのだろうなと思います。

私が思うような「生きる力」であるとか「アンサンブルする力」などという代物は残念ながら世が認めるためには説得力が少なく、教員の口上として発せられることはあっても本気でそれらを目指す事は少ない。せいぜい結果のおまけ程度にしか考えていないのだろうな、と思ってます。
(長いバンド指導経験で如何にマイノリティであるか良く解ってるつもりです。)

だから極論してしまえば、仲が悪かろうが本末転倒であろうが音程やアインザッツやラインが揃えばいいわけで、即ち「技術が高いことが」最大の解決への近道ということで、どんな手を使ってでも「高い技術を身につける」ことによってのみ全てが解決していく、のようなことを最優先にした指導がメインになるのかな。(誤解無きよう。不必要なのでは決してない。他に大切なことがあることを忘れている場合が多い、ということ。)
「ここに到達するとご褒美がもらえる」=「全国大会に出れば希望大学の指定校をもらえる」「そのために大嫌いな隣の奴とでも音程が合いさえすればよい」とかになってくると、モチベーションの持たせ方がなんだかなぁ、になってくるんですわ。簡単な図式で言ってしまうと(良い意味でも悪い意味でも)「如何に騙すか」なんですな。
その弊害として、いつの間にか意識の中で自分と他人を隔離して「自分はやっているのに、あいつは出来ていない、ケシカラン!」と他を非難することによって自分の立場を守ろうとする者が出てくるんです。攻撃は最大の防御ですからね。それでも成り立つんだったら構わないのかも知れないけど、バンドは人数が多いからなかなかそうはいかないよね。
どこでも常にコミュニケーションスキル不足から来るそのようなトラブルを抱えて苦労していますよ。

私は、それが嫌で、人との関わりから迫っていくから、理解してくれたら最強になるんだけれど、出来なかったら0のままなんですな、きっと。さらに、なぜか指導者になった私の教え子達はみんな私と同じような道をたどるようで。申し訳ない。

よく言われます。
「1、2年の時は言うこと(オレの事ね)さっぱり判りませんでしたよ。なんてやなやつ、と思ってました。」と実にあっけらかんと。その人のその時は全くの0だったんでしょう。
しかし3年になるころに変わった。時間をかけて少しずつ変わってきたのだと思います。彼女ですら2年かかった。

で、現在。
そんな人との繋がりを理解してくれるような生徒は限りなく減ったなと思います。ましてや入学時点で既に理解出来ている生徒は皆無でしょうな。

そんなのを相手にしているのですから、私のやりたいような音楽を目指すのに苦労は尽きませんわ。一人一人を通して世の中の大勢と向かい合っているようで無力感で打ちひしがれます。

> WIND MESSAGEの2008年9月から12月を読んでいてなぜだか涙がでてきました。

まさにこの頃は最大の苦労をしているときでしたね。大混乱している時期です。それでも私的には蛹が羽化する直前のような期待感はあったのです。傍目にはどう見えていたかは判りませんけれど。

ただ、無理すると自分の身が危ない。
(実際それが起こったわけだし。ただ、その結果下級生の成長は著しかったよ。唯一の救い。)
かといって何もしないでいてもラチがあかないから、じたばたするんですけどね。
探せば方法はあるのでしょう。思いもよらない方法を見付けるかもしれないし。
 

直接、練習いって生徒達の様子見たらもう少し気の利いたこと言ってあげられるかも知れないけれどねぇ。
============

続編は続く。

9月
22
ダメ出し

というキーワードでこのブログ内検索をしてみた。結果これこれで12の記事があった。
私はダメ出しという言葉をよく使う。レッスンの時も「ダメ出しして潰しといて!」って。

でもこの言葉、案外世間では認知されていないような気がしてきた。
必ずしも不具合を改善してより良くしていくという前向きな意味で「ダメ出し」を捉えてもらえないようだ。言葉そのものも、その行為も。
「あら探し」や「足を引っ張る」のように、ただ否定された、攻撃された、になってしまうのかなぁ。
全くそんな意図は無いのにそう感じさせてしまうのは単なる話法の問題なのかなぁ。

これなんかは昨日感じた思いとほとんど同じだ。
さらに付け加えるなら、その攻撃を如何にかわすか、に終始する説明は可笑しくも悲しい。

この行き着く先はどこやらの町で起こった打ち上げ花火の失態みたいなことになるのか…。

皮肉なことに、だからこそ子供達に対してきちんと伝えておかなければならない大切なことなのだと、あらためて痛感したのだった。
ダメ出しされその痛さを乗り越えた先に次のステージが待っていることを。
ダメ出しを憚ることなくできる関係を持つ豊かさを。

9月
21
第8回

吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE
継続して第8回です。

日時 2012年 1月29日 13:00開演予定
場所 長久手町文化の家 森のホール

開催日当日は既に市制施行で長久手市になっているので、施設名変わってるかも?

例年のように出演団体全乗りで合同演奏あります。

入場は無料ですが整理券が必要です。入手しづらい場合があるようです。お早めに長久手町文化の家にお問い合わせ下さい。

8月
08
WIND MESSAGE 2011 SUMMER

 つい先日、関わっている吹奏楽団体すべてで今年の夏コンクールレッスンが終了した。
============
 長期間出入りしているバンドもあれば、一回だけ呼ばれてレッスンしたバンドもある。楽器や活動場所が何でも揃っているところもあれば、練習時間確保すらおぼつかない厳しい条件のところもある。
 一口に吹奏楽部といってもその内容は千差万別。それでも同じ舞台に乗るのだから音楽をする環境としてコンクールはかなり過酷だと思う。
 しかし、どんなにバンドの環境が違っていたとしても変わらないことがある。本質的な音楽の喜びを感じる可能性は、すべての人の前に開けているはずだということ。
 にもかかわらずあらゆる障害によりその可能性が閉じられていく。しかもその障害は本人達にはおよそどうしようもない事だったりする。いわゆる「オトナノツゴウ」の場合が圧倒的だ。

 私のような者が一人でいきり立って解決することではないのだが、それでも何とかならないものかともがいてみたりもする。その挙げ句に「どうしようもない障害」という現実と、進みたい方向即ち「理想」との狭間の中でより苦しむ結果となってしまう場合が多い。「私が」苦しむだけなら構わないのだが、それで関わった人達皆が苦しむのを見るのは辛い。

 これ、実は私自身が昔から何も進歩していない証明に他ならない。自己紹介で「年は23歳です」と冗談っぽく言うが心の中では全く冗談だとは思っていないのである。本当に不甲斐ない。

 唯一の救いは、その後、彼ら彼女らが自分の道を精一杯生きているのを垣間見て、私と過ごした時間が何らかの役に立っているかも知れない、と感じたりする事だ。逆説的な意味合いのほうが多いが、それでも「何か意味があった」と思えるのは密かに嬉しいものだ。

 この夏、私と関わったバンド諸君達にとって何か大切な意味を持つ時間にすることができたのだろうか。コンクール特有の「キンショウ」とか「ドウショウ」とか「ダイヒョウ」とかに縛られない音楽の喜び、即ち、生きる喜びに繋がる種を植えることができたのだろうか。
============

(改めて)
 つい先日、関わっている吹奏楽団体すべてで今年の夏コンクールレッスンが終了した。

 私にとって重大な個人的問題はその次だ。これで本来の仕事がほとんど無くなるからな。
 世の中は厳しい。どうやって食いつなごうか。

 ただ、自分の中での覚悟は固まってきてるように思う。
 どんなことになろうとも、自分の前にある道を歩くために食いつなごうと思っている。それをしている限り若い人達に種を植え続けられる。

 種を植えなければ、決して芽は出ないのだから。
 

——
以上は8月6日に行われたイベントのために「WIND MESSAGE 2011 SUMMER」として書き、それを転載したものである。

6月
26
随分懐かしい人

からこのWEBを通して連絡いただいた。
「久しぶりにお会いしたいですね」ということで何回かメールのやりとりしてるうちに、なんだかいつのまにやら話しが大きくなっているのにびっくりした。

いや、大きくなることは全く構わない。
むしろ現実に物事が動いて(しかも予想をはるかに超えて)ることが何となく嬉しかったり。
最後に会った時から決して短くない月日が流れているのだが、その間平坦ではない道のりをきちんと自分の足で歩いてきているのだな、と感じさせられたりして妙に頼もしかったり。

さまざま超えてヒトが「つながって」いくことをこれからの自分自身の活動キーワードに据えたところだったので、殊更感慨深いのである。

今年の夏の暑い最中に何かが起こるのだろうか。
次への指標が見えてくるだろうか。