2月
05
1年前の

この時期にこんな記事を書いている。
今年も、昨年と同じ二つの演奏会が先週・今週と続く。
どちらも継続は力なりだ、と思う。

成果が実感できるようになるのには時間がかかることなのだ。
時間をかけることの大切さを理解してもらう大切さ。
決して一朝一夕では為し得ないのに、せっかちな現代ではすぐ淘汰されそうになる。関わっている人たちは本当に苦しい。

話していくうちに、学校教育ではなく、もっと別、社会教育の範疇での対策のほうが有効なのかも、と思うようになってきた。
しかし個人の力だけでは如何ともし難い状況まで来ているだろう。
何かもっと大きな組織的な動きが必要なんじゃないか。

当時の言葉。どうしたらよいか皆目見当もつかなかったんだ。

一年経った今、ほんの少しずつだけど、微かな動きがあるようにはなった。
その、微かな始まりを大切に育てたい。
いつか大きなうねりになるように。

2月
03
節分

の今日、暖かく穏やかな日。
空は青く、風もなく。

昨年強く剪定した柿の木。勢いよく伸びた徒長枝を整理してみた。
判らないままやっているので、正しいのかどうなのかよく判らない。今年実はなるのかな。

元々這性だったのにいつの間にか木質化し立木になっていたローズマリーは、風の通り道にあるためか昨年傾きついに立ち枯れていた。
それを根元から切った。枝がとんでもなく絡み合っていて崩せず塊のまま。当たり前だが匂いはローズマリーだ。強い。

金木犀の枝も整理しようと思ったが、もう少し剪定のしかたを調べることにしてしばらく眺めていた。モズの早贄が三つ四つ干からびてぶら下がっていた。
 

今日が節分なのだから、明日は立春(で合ってる?)。
大自然はすごい。厳しい寒さの中でも次の準備は確実に進んでいる。

2月
01
背中を押す

考えようによっては無謀で乱暴だと思っているのかも知れない。
他人と強く関わることだから。躊躇してしまう場合が多いから。
でも、踏ん切りがつかないときに人に背中を押してもらうと、ほっとするときがあるのは事実。

ならば、迷惑顧みず積極的に背中を押してしまうのも一つの手だよな。
本当に迷惑ならば、少々背中押されたって動き出しはしないだろうし。

もちろんタイミングは慎重に、押し方もよく検討して。

1月
24
鴎と鵜

ある小さな漁港に行った。
休日で閑散としている。
風が冷たく強く岸壁で釣りをしている人すら見かけない。

湾内に10数羽の鴎が浮いている。
たぶんユリカモメとセグロカモメおよびオオセグロカモメだと思われる。
そこにウミウが飛来した。

強い風の中、なかよくぽかりぽかりと浮いているように見えた。
しばらく見ていて、一定の時間をおいて鴎が騒ぎ出す事に気が付いた。
鵜は、というと、そんなこととは関係なく潜って餌取りをくり返している。
何度かそんな状況をを見て、ハタと気が付いた。

小魚を捕って浮上した鵜にちょっかいを出し獲物を横取りしようと鴎が騒ぐのだ。
群れが下にあるんだろうが、鵜は一度潜ると必ず小魚を得て上がってくる。
上がったときにはまだ嘴で咥えているだけだから、鴎がめざとく見つけるわけだ。
何度かに1回くらい襲撃は成功する。

鵜は構わず次の獲物を探しに潜る。
また咥えて上がってくる。
エサの群れが大きいのか、鵜は飛来し少しずつ数を増している。
それを狙う鴎もいつの間にか数倍にふくれあがった。

しかし、鴎(上記のように3種類は確認したがどの種類も…)は一度も潜ろうとはしない。(もともと潜って魚を捕る習慣はないのかも…?)
全然自分で餌を採ろうとしないのだ。
咥えて上がってくる鵜を待って、出てきたところを襲撃するのみだ。

これは共存共栄というのかな。
それとも搾取というのかな。

なんにしても、何度横取りされても鵜はとっても辛抱強かった。
鵜匠のような人間だけでなく、他のいろんな動物にも獲物を横取りされる運命なのかしら。

1月
20
ほんの

僅かずつだが動いていることは確か。
けっして停滞や沈滞ではない。
内なる変化だったものが、外に向けて兆しを見せるほどにはなってきた。
ただし、持ち堪えられるか。

今日は大寒。
窓の外ではまた雪がちらついている。
まだまだ寒さが続くばかりか、これからさらに厳しさを増すだろう。

とは言っても、いずれ必ず春は来る。
来なければ困る。
盛大に。

1月
16

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。  

三好 達治

とっても静かだ。

明朝はお日様あたってキラキラになるといいな。

1月
01
謹賀新年

今年もよろしくお願いいたします。
 

昨晩積もった雪も解け、日差しも幾分出てきたので、散歩がてら近所の氏神に初詣に行ってきた。

たくさんの人出。
帰り道、黄色く蝋梅(ロウバイ)が咲いていてとても良い香りがした。
畑にはツグミもいた。

必然と時は流れ、しかし新しい年は始まる。

12月
31
年の暮れ雑感

今年は逃れようとする事態がたくさんあったような。
一方で、踏ん張ろうとする事もあったかな。

今朝は朝から雪が降り、うっすらと雪化粧。
町のスーパーは大混雑。

仰々しく新年を迎えるつもりはなく。
いつものように穏やかに年が暮れていく。
三国志を読みながら。

皆様、良い年を迎えますように。

12月
26
アンコンの

季節。

それぞれの団体やグループの、それぞれのアンサンブル演奏を聴く機会が増える。
で、只、音が並んでいるような演奏に出くわすことが多い。(そもそも音がきちんと並んでいないことも多々。)
タテヨコ、ダイナミクスはそれなりに気を付けてる様子。
でもそれだけなんだな。
聴いていてつまらない。大切なものが伝わってこない。
 

レッスンもぼちぼちと。
継続したレッスンならば、音楽やアンサンブルの仕組みを説明してからようやく本格的に音楽の作り方とかに移行できるのだけれど。
本来前提であるべき音楽やアンサンブルの楽しみを理解させるのに時間がかかる事が多いから、どうしても単発のレッスンだと時間切れ中途半端になってしまう。
そのままコンテスト本番に突入するときっと良い結果にはならないだろう。
そうすると結果に落胆し、また大切なことを見失いそうだ。

このやり方、即効性という意味では失格だとおもう。
確かに、今の世相では流行らないだろうと思う。
しかし一方では、継続したレッスンを通して、少しずつ音楽やアンサンブルの本質を感じながら演奏できるようになった人たちも確実にいる。
テクニックでは未完成でも、始めから終わりまで滞りなくスムーズに運ぶ演奏が出来るようになった人たちもいる。
この感覚、時間と手間はかかるけれど一度覚えたら決して忘れないはず。
そしたらそれが文字通りその人の「力」になるんだけどね。
アンコンに向けて頑張っている人たちがみんながそうやって音楽への感覚を磨く方向を向いたら、もっと居心地が良くなると思うんだけどなぁ。
残念ながら現実は厳しい。
 

もっと伝えなきゃ、と思い、伝え方難しいなぁ、と思い、なかなか理解してもらえないなぁ、と思い、一筋縄ではいかないなぁ、と弱気になる。
でも、諦めないことにする。
一度熾きた火はなんとか保ち続けよう。
来年も。

12月
07
覚え書き

故に、常に欲無くして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み)、常に欲有りて以て其の徼(きょう)を観る。

そこで、いつでも欲がない立場に立てば道の微妙で奥深いありさまが見てとれ、いつでも欲がある立場に立てば万物が活動する結果の様々な現象が見えるだけ。

老子 第一章より 蜂屋邦夫訳注
〜〜〜
心の肥やしがまったく足りないんだなぁ。
まずはもう一度土作りから。