11月
07
アンサンブルの

レッスン。
朝9時半到着で、すぐさま演奏時間を5分以内にするためのカットの相談。検討する時間ももったいなくそのままレッスン突入。
そして50分一コマで休憩無し午前中3つ連続。昼休み15分を挟んで午後4つ連続。ご多分に漏れずレッスン時間延長し少しずつずれ込んでいく。
さすがに最後はしんどかったな。

しかし、とても充実した時間。至福の時間と言っても良い。

アンサンブルによって人と人が繋がることを理解して、にわかに音が変わっていく。音楽の流れが出来る。
何故だか解らないけれど、人の持つ暖かさや豊かさが、発せられた音から滲み出てくる。
突然、テクニックが上達した、なんて事ではない。
楽器始めてまだ一年未満だったりするのだから、音さえうまく出せないことだって数多い。
心のありようが変わったのだ。アンサンブルの仕組みを知ったのだ。
ただそれだけで音が変わる。音楽になる。
その礎となる豊かな心は誰しも遜色なく存在している事の証明だ。

当たり前だが、決して世界の頂点の技術や音楽ではない。比べようもない。
どこにでもある、ありふれた高校吹奏楽部。
名を馳せた有名伝統校ではない。
そんな決して恵まれた環境ではない学校の普通教室に、音楽の本質を見ることが出来るなんて、誰も信じてくれないだろう。

あ、いるかも。そこにいたそれぞれ数人のメンバー達は、今は解らなくても年月が経った後に解るときが来るかも知れないから。
いや、きっと解るときは来るだろう。レッスン中の生き生きとしたキラキラの目がとても印象的だ。

そんなところには世間のフォーカスはまず当たらない。
そんなちっぽけなこと誰も気には留めてくれない。
もちろんTVや新聞の取材が来ることなどあるわけがない。
当事者以外誰も知ることのないまま、がほとんどじゃないかな。

しかし。
そのちっぽけなことの積み重ねが人の幸せを作るのではないか。
そのちっぽけなことこそ、脈々と続く人の営みであり、音を通じて人と繋がることの幸せであり、目一杯自分と向き合って生きていくことなのではないか。

そんなこんなを、どうやって広げていったらいいのか。

昨晩横になってから「出来ないかも知れない」と思ったら悔しくなってほんの少しだけ涙が出た。
その直後だっただけに、みんなの生き生きとした目と心温まる豊かな音に救われた。
ボコボコにダメ出しされて思いっきりへこんでいる生徒ですら、悩んでいる姿が瑞々しかった。
諦めちゃダメ、と言ってくれてるんだと痛いほど感じた。

11月
06
新しい事

を知ったり、伝えたりすることと、
新しいことを始めたり、実際に汗をかいたりすることは、
別物なんだな、きっと。

もちろん、どちらも大切だよ。

始まる、のではなく、始めろ、ということなのだな。

しかし、どうやって?

11月
02
言葉その三

私は、バンド指導で「アンサンブル」という言葉を象徴に様々説明する。
それは、意識して「寄り合う」ことだと強調してきた。
チューナーやメトロノームという測定器が示す機械的な数字に、あるいは指揮者を絶対的な存在として、盲目的に合わせるのではなく、お互いを理解した上、自身の意志で歩み寄り、その結果折り合いが付くのだ、と。
言葉では説明したこと無いけれどそれは「撚り合う」でも良いな、と思っていた。

音楽の本性で根本的なのはグループの形成を可能にする点です
つまりオーケストラや合唱…そのなかで子供たちは
集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます
これが音楽の特性なのです

アブレウ氏の言葉

またしても、そのものではないか。

とにかくタテヨコ揃えること、が始めにありきなのではなく、そこでの人の在り方、振る舞い方を身につけると、その結果、音楽が揃い一つになっていく。
即ち、「素晴らしい本物の音楽」を目指すことによって「集団におけるふるまい方を学び協調性とチームワークを学びます」なのだ。

だからこそ、その先には「人としての生きる喜び」という大きな目標があるのだと思う。
喜びに満ち溢れた演奏に繋がるのだと思う。

11月
01
言葉その二

少し長いが先回も紹介した
 NHK BS-2
 クラッシックドキュメンタリー
 オーケストラは人をつくる
 〜ベネズエラのユース・オーケストラ〜
から引用する。

リズムは音楽的な現象ではなく精神的な現象です
魂の鼓動なのです
その鼓動を 音楽が昇華し調和の中に表します
ほのかに…
目には見えない形で…
言葉を使うことなく人々に広がっていく
芸術は 意志と魂と精神を一つに融合させます
その結果 意味と価値が生じるのです
オーケストラに参加している子供たちは
これが生じる過程の中で心底から変わっていきます
啓示を受けたように感じるのです
神は 言葉では表せない何かを示される
理屈では説明できない何かを示されるのです
それは感覚的に受け止めるしかありません
子供たちは音楽に心を貫かれその鼓動とオーケストラでの役割を担い変わり始めます
魂の鼓動は音楽 彫刻 文学 映画の姿を借りて私たちを結びつけます
人々は芸術を通し自分の本質を見るでしょう
芸術の世界でのみ私たちは自らの存在の根幹を知ることができます
善良で 偽りなく 美を備えた私たち本来の姿を

映像の中でアブレウ氏と少年の言葉がオーバーラップする。
言葉そのものも素晴らしいが、その言葉を小さな少年がそらんじていてさらに素晴らしい。
 

目に見えない物を信じること
説明しきれないことを感じること
見失ってしまった大切なものがここにはある、と思う。

10月
31
今日は一日中

9時から18時過ぎまでみっちりレッスンだった。

始めにTuttiでアルメニアンの1を、その後7グループ(だったかな)のアンサンブルレッスンを45分刻みで。
アルメニアンは急に「やって!」だったのだけれど、いくつかのアンサンブルテクニックや表現の工夫のポイントやコツを説明しつつ全然時間が足りなくなっちゃった。細かいこと全然出来なくてすいませんでした。

アンサンブルはずっと連続でさすがに少々きつかったのだけれど、とても面白かった。
様々なことを1つ1つ説明していくと、如実に音が変わっていく。
それで、音楽をすることがもっと奥深く「面白いこと」になったり、アンサンブルすることがとても「幸せ」なことになってくれたらとっても嬉しい。
 

音楽は「人を変えることが出来る」と強く確信する有意義な一日だった。

10月
30
言葉

長いバンド指導経験の中で、私がずっと考え思い伝え続けていたことがらをとても見事に表した言葉を見つけた。

オーケストラとは何か
それは共同体です
オーケストラが持つ不可欠にして ただ唯一の特徴は
「合意すること」を前提に集まった共同体だということです
団員が学ぶのは
協調の中で生きる方法です

アブレウ氏の言葉

他にも宝物のような言葉が次から次へと見つかる。

少しずつここに書き留める。
是非伝えていきたいと思う。

10月
29
またまた

薬が減ったよ。

今日は午前中病院に。
町の健康診断だろうか、ご老人がいっぱい。
しばらく待たされて、いつものように検診。
問診して、聴診器当てて、先回の検査結果見て、
「ほぉ、良いじゃないですか」
「また薬減らしましょう。昼は飲まないで朝晩だけ。」

A1cが5.6。ひと頃はこの3倍近かったし、最近少しずつ薬(飲むのも打つのも)減らしてこの数字は健闘していると自分でも思う。
むくみも無くなってきた。
よしよし。

10月
27
寒い!

もう雪の便りも聞こえてくる。
昨夕、いきなり車のヒーターが全開になった。

ついこの間まで40度近い熱風であえいでいたのに。
季節の巡りが早いだけなのか、何かの歯車がずれてきたのか。

しかし寒い。

10月
26
最終回・先日の記事(文化変調)

文化変調の記事up。2010年10月25日朝日新聞朝刊。
今日は4回め。最終回。全文はここ。

うーん。
結局何が言いたいのかしら。
文化助成に関する不正の告発?
曖昧な文化行政への不満?
文化芸術に関わる人々の努力が足りないってこと?
その事に無知である人々への啓蒙啓発?
単に、問題と意見の羅列?

???

なんか言いっ放してお終い、みたいに感じる。
素朴な疑問。担当した記者の方々、所属は何だろうか。社会部?文化芸術では無さそうだけど(違ったらすいません)。1回目の見出しなんかスポーツ紙だな。

で、これ以上感想書くの止めます。
ただの揚げ足取りになりそうだから。