10月
09
13:00に

なった途端、試射が始まった。
時計とにらめっこして時報が鳴ったのを合図に、という絵が目に浮かぶ。

近所の集会所にみんな集まってきてる模様。

鉄砲撃つ人は禁酒なはずだけど大丈夫かな…。

明日のお祭り。待ちきれないんだろうね。
今日は朝から雨だからテントも張られてる。
晴天だと良いな。

10月
08
つらつらと

考えていると、いつの間にかどんどん規模が大きくなっていく。

始めに着目したところは今までの経験の範囲で。
しかし、そこを突き詰めていくと限りなくどんどん広がっていってしまう。
年代も内容も。
まったく手に負えなくなる。
混沌はさらに深まり、抜け出せそうにない。

しかし、混沌は始まり。
その中から次第に見えてくるはずの物を間違えなく捕まえたい。

10月
07
発砲場所?

なぜか、自宅の目の前にこんな看板。
発砲場所

これは我が家の北側で、南側の田んぼにも同じような物が幾つもある。

実は、「警固祭り」という朝から騒々しい豊作を願う祭りのための看板。
この辺りこんなページなどから情報をどうぞ。

町内では3地区が別々に開催し、それぞれで銃の構え方とか、仁義の切り方とか少しずつ違っているらしい。
今年は私の住む地区のみの開催のようだ。
多い年では一つの地区だけで100丁以上の鉄砲隊が出て練り歩き、そこここで一斉に空砲を撃つんだ。
我が家は絶景地で、真後ろと真ん前で撃つ。
特に表側はベランダからすべて見渡せ爽快だ。

単独市制に踏み切るまで秒読みの我が町では、どんどん新しい人たちが流入してきているから、この祭りの詳細を知らない人達は、当日朝空砲解禁時刻と共にあちこちで撃ち出す音に、天変地異でも起こったのではないかとびっくりして飛び起きるに違いない。
鉄砲足軽姿の集団が「えいさ、ほいさ、(たぶん栄作・豊作なのではないか、と推測している)」という低い声やわらじのひたひたという音と共に早朝の朝靄の中を進んでいく光景は、古戦場の亡霊が復活したのではないかとさえ思える不思議な光景だ。

本当の主役は隊列の最後尾にいる豪華に飾られた馬(オマント=馬の塔)らしい。
また、鉄砲の持てない子ども達が氏神様の境内で奉納する「棒の手」と呼ばれる伝統芸能は、武器を持てない農民の生活の知恵だったよう。
似たようなお祭りは近隣にいくつかあるようだが、これだけ規模の大きいのは珍しいのではないかな。

とにかく、朝から晩まで鉄砲が鳴っているのだから音響シャイだったせろりは生きた心地のしない一日だったな。
まだ一発も鳴らない早朝から音の聞こえないどこかへ逃げるのが例年だった。

今年は、じっくりと見ることが出来る。

10月
05
楽屋での

待ち時間に、良い情報を得た。
身近に、タイリクバラタナゴに詳しい方がいらっしゃったのだ。
なんと、大学の卒論テーマがタイリクバラだったらしい。
研究室では何百という個体を飼育してたとのこと。すごいな。

色々教えていただいた。
母貝になる貝の種類とか、近くで採取できそうな場所とか、採取した貝のストックのしかたとか。
タイリクバラやニホンバラの生息域だとか、産卵は水温だけじゃなく日照も大事だよ、とか、エサが高タンパクだと2週間に1回くらい産卵できる、とか、産卵管の変化のしかた、とか。
一番の収穫は、最良の繁殖方法は「人工授精」だということ。
方法も詳しく教えていただいた。それだと母貝は要らないようだ。

メダカの採卵のしかたも教えていただいた。
それは東山のメダカ館での方法らしい。
知ってしまえば「なるほど!」と、なんてことはないのだけれど、そんなのネットで調べても見つかったためしがないよ。

案外近くにタナゴフィールドがあるようなので、近々さまよってみようと思う。
季候も良くなったしね。

10月
04
昨日の

本番は、ゲスト氏に随分助けていただいて何とかなったかな。
バンドも持っている力が発揮出来たのではないか、と。

愛知県の方で春日井市出身だったよ。
よく知っている人が現在指導しているバンドの卒業生だった。
ここは狭い世界だなぁ。

それにしても、タイコがゲストで一人入れ替わるとバンド全体の演奏の質は激変して良くなるのだから、逆の言い方すれば、他のメンバーは日頃の練習ではしなくていい苦労をたくさん強いられているのかもしれない。

この辺りが難しいところで、だからといってみんなのレベルに達していないメンバーを排除する方向に動くのは間違っているし、しかし、全体の目標を全員が楽々クリアできるところまで緩めていったら、全体の伸び率は極端に下がってしまうし。

そのため「育てる」事が重要なのであって、それは「時間の経過と共に少しずつ変化させる」(一つの瞬間だけで評価するのではなく一定の期間でのトータルな評価)という観点がどうしても必要なのではないかと思う。
一人一人持っている物も背景も違うのが前提で、しかしある程度のまとまった方向性を持ってそれぞれが成長できていく環境が大切なんだろうな。それぞれの点を、時間をかけて線にし、撚って糸にし、綱にしていく作業というか。

今、目の前に見えている一瞬の出来事だけをピックアップしていくのは、あたかも、「音楽は運んでなんぼ」(音楽が時間の流れを伴って連続し起承転結していく事)の視点が欠落したまま、その瞬間瞬間の音程や音色や音量だけに固執していくバンドの練習のようだ。(誤解の無いように念のため。それは決して不必要なのでない。)
しかし、さらにその瞬間の精度でさえ緩く甘ければ、次第に向かっていくべき目標を見失って音楽をする本質から遠ざかっていくとしか思えない。

吹奏楽の活動に対して、もしかして私が想像できていないような他の付加価値があるのなら教えて欲しいと思う。
世の中のバンド指導者は、つまるところ何のためにバンド指導しているのだろうか。
もし、これを読んでいる指導者諸氏がいらっしゃるのならば(もちろん指導者に関わらずどんな方々も)、是非ぜひご教授願いたいのです。
次に進むために。

10月
02
今日は

ジュニアバンドのリハ。
明日が本番。

数時間の練習を数回で、全くswing未経験のバンドをゲストドラマー迎える本番まで持っていく。
なかなかキツイ。

練習に対する集中力が日頃から訓練されていたら、もう少し楽かも知れないと思いつつ。
この数年、様々な要因が重なっていき、次第にキリリ度は薄れていく。
中に入っている人は案外気が付かないんだろうな。
こんな場合の「なぜ気が付かないのか」という仕組みもだいぶ見えてきた。
ある意味、自分の勉強にはなっている。

明日の午前中に始めてゲストの方との「合わせ」がある。
キツイけれど、ゲストの方に最低限失礼のない演奏にするために、今から最後の単独練習で出来る限りを尽くそうと思う。
各ソロもたくさんある。
ちゃんとさらってきてくれてるかな。

10月
01
薬が

また一つ減った。良かったヨカッタ。

今日午前中いつもの病院に行った。
いつもより早めだったので、案の定、人がいっぱいだった。もう少し遅い時間の方が一段落付いて待ち時間が少ない。

この個人医院、かつて師匠も通っていて、いつも「ヤブ医者」といって喜んでいた。何故かというと当時本当に雑木木立の中、つまり藪の中にあったのだ。今は道路拡張やら何やらで建て直し、広がった道路に面して立派になっている。

横になって血圧計るときに足首あたりを押さえ、
「あれ、むくんでますねぇ。」
…それって、ずっと前から訴えていますけど?
「あ、そうか。薬のせいかな…」
…えっ、早く気が付いてよ。尿検査しても全く異常なく、塩分控えてください、しか言ってくれんかったじゃん…。
「血液検査の結果見て薬減らしてみましょう。」

いつものように血を抜かれた。血糖値を見て、
「うん。良いですねぇ。頑張ってますね。では食後の方の薬を無しにしてみましょう。」
そうか、これでむくみがとれるかな。

最近、久しぶりに会う人たちから、
「最近元気になりました?少しほっぺがふっくらしてきましたね!」
と言われることが多かったのだけれど、色々説明するのがめんどくさくて、
「ストレスの無い生活してますからね、精神的にとっても健康なんです。」
なんて言ってたけど。
(もしかして、肩や腕が痛いのも薬の副作用なのか??)

その後ついでに眼底検査をと、眼科に行った。今日は病院のハシゴ。
「涙目でたまに目やにで視界が悪くうっとおしい。特に左目」と訴えてみたら、
「結膜炎っぽいですね。目薬出しておきます。一週間後にまた来てください。眼底検査はそこで。」となった。
あぁ、また行かなくちゃ。

何はともあれ、少しずつ薬が減っていく。
全く薬が要らなくなるところまでいくと良いなぁ。

9月
30
50肩その後

始めってからまるっと一年経つ50肩はほとんど良くなってきた。
肩の痛みは随分前から無くなっている。
残すは、腕が痛い事、ある限られた条件の時に何故だか力が入らない事、肩の可動範囲が狭い事、ぐらいだな。

毎日、肩が突っ張って動かない方向へじわっと力をかけ、少しずつ可動範囲を広げてきた。(柔軟体操の要領だ。)
それによって痛みや筋力も少しずつ回復しているように思うが、まだ完全ではない。
例えば、「鉄棒にぶら下がる」ようなことは全く不可能。
そこまで肩が回らない(腕が上がらないといったほうがいいか…)し、なにしろ、その腕と肩でぶら下がった全体重を支えることは無理だ。

それなのに昨日、調子に乗って鴨居にぶら下がる格好をして肩に負荷をかけてみた。もう少しだぞ、の感触は得られた。
が、しかし。
首から肩にかけて痛みが走るようになり、寝ることすらままならない。寝返りも出来ない。
う〜。しまった。やりすぎた。
首も左右に振れない。
「寝違えた」が一番近い。
しばらく痛いぞ。

しょうがない。
やり過ぎが怖いからといって何もしなければ、可動範囲は狭いまま、動かないまま年老いていくことになるのだ。
ギリギリの所まで負荷をかけ、矯正していくしかない。

ついでに背筋を鍛えよう。
腰が曲がっていくの嫌だし。

9月
29
案山子

今朝まで大挙して雀たちが集っていた田んぼに、午後、案山子が立った。
赤銀のキラキラテープを捻って田んぼの内周を一周したものと、原チャリのヘルメットを被った急造の怪しい案山子一基。
案山子は真ん中ではなく端っこの方だが、銀テープは風が吹くと揺れて一応キラキラしてる。
万全の対策、というよりもとりあえずの暫定仕様な雰囲気だな。

さえずりは賑やかを通り越してうるさいくらいだったし、何かのはずみで一斉に飛び立つと、ザァーッと音がして何事が起きたのかと思うぐらいだった。早く手を打たないと、一粒も収穫できなくなっちゃうんではないかと、密かに心配してたんだ。

それなのに、やっぱり案山子の効果はすごいんだ。
今は一羽も雀は降りてきていない。ほんの数えるほどが、近くの家の屋根に留まって様子見しているだけだ。

そういえば、せろりも田んぼの案山子を見つけたらベランダから「ウー、ウォッホ、フフン、ウォッホ、」って警戒していたな。で、ヘルメットかぶってる人(特に原チャリ)見ると吠えるようになっちゃったんだ。

いつまで効果が保たれるか、が次なる興味。
知恵比べ。

9月
28
目指すべき

山の頂がほんの一瞬だけ見えた気がした。
長い時間かけてさまよったあげく諦めかけていた物が、ようやく見えたような気がしたのだ。

脳内の片隅に張り付いた頂きの記憶を頼りに、少しずつその全容のイメージを広げようと試みる。
輪郭さえ危ういが、それでもほんの一瞬のガスの切れ目からうっすら見え隠れする景色の切れ切れが、付いたり離れたりしながら「そこは絶景なのではないか」という期待を膨らませていく。
(一方で、同時に、その頂はやはり幻想なだけかもしれない、という恐れが膨らんでいくのも事実。)

しかしながら、情けないことに、その頂への道はおろか今いる袋小路から抜け出す方法すら全く見いだせないのだ。
ただただ、天を仰いで立ちすくむばかり。

頂が期待にしろ幻想にしろ、ここを抜け出す事がさしあたっての最大重要事項ではある。
次なる一歩をどう踏み出すのか。