9月
28
投入した

イシ貝は、二つとも中身が溶けてしまった。残念。
貝は難しいらしい。
水の中にいるプランクトンを食べるのに、水を綺麗にしようとして機械が一生懸命濾過してしまうから栄養失調になるみたい。
売っているのはずっとその状態だから初めから弱っていたのかも知れない。
近くの川か池で自然にいる貝を調達したほうが良さそうか。

でも、いつの間にかタイリクバラタナゴの産卵管は引っ込んじゃったしな。
このところ急激に水温が下がってきて調子悪いのかな。

9月
25
最近の新聞より

前略

痛ましい虐待の減らぬ中、しばらく前の東京の声覧で、児童福祉施設の職員のご苦労を読んだ。心をずたずたにされた子らを、心と体を使って受け止め、包み込む。相手の心を癒す代償に自分は傷ついていく。「厳しく切なく、気の遠くなるようなかかわりです」の訴えに心の中で頭を垂れた

後略
2010.9.24 朝日新聞-天声人語より

推測するしかないが、ご自分の命の力を切り分けて与えていくような、凄まじい献身的なご努力なのだろう。
それは、その仕事が次第にそういう人にしていくのだろうか?それとも、もともとそんな人だからこそ天職に就くのだろうか?

ご自分の家庭だってあるだろうに。
その暖かさだって無尽蔵ではあるまいに。

9月
23
暑さ寒さも

彼岸まで。

昨晩、一瞬の雲の切れ目から月を見た。
今朝は早朝から雷雨。
たくさんの稲妻を見た。
午後になって雨の激しさは収まり、西よりの冷たい風が吹いてきた。
雀の大群が目の前の田んぼの稲に群がっている。
無秩序な(しかし小気味の良い)さえずりと共に米をついばむプツプツという音も聞こえる気がする。

季節は巡る。
1年経った。

最近眠りが浅い。
「したい」という高まりなのか、「しなければならない」という重圧なのか、「できるわけない」という諦めなのか。

9月
21
イシ貝を

投入することにした。
タイリクバラタナゴがだいぶ大きくなってきて、昨日産卵管が伸びている事を発見。雄も色が出てきている。

さっそく探しに例のホームセンターへ。
あるある。
ここの日淡はどんどん増えて、タナゴ類だけでもタイリクバラタナゴ、ニホンバラタナゴ、カゼトゲタナゴ、ヤリタナゴ、イチモンジタナゴ、カネヒラ、アブラボテ、と。さらにシマドジョウ、ヨシノボリ、モツゴ、オイカワ、コイ、ヤマトヌマエビ、ミナミヌマエビ、イシガキガイやイシガイ、もちろん、クロメダカにヒメダカ、など。(他にももっといたような…)
…カマツカがいたら欲しいな。

店のお兄ちゃんに「随分増えましたね」といったら「なんだか良く出るんですよ」と。
日淡水槽の前で店員とずっと話し込んでいる若い女性客も居た。
カラフルな熱帯魚とはちがってとっても地味な魚たちなんだけど、人気出てきたのかな。
 

帰宅し水槽に二つの貝を入れた途端、なんだなんだ、とタナゴたちはチェックしに来た。
貝はデリケートらしく、元気かどうか良く解らないのだけれど、少しだけ開いたり閉じたりしているようではある。
朝起きたら向きも変わって移動していた。半分底砂に潜ってた。
夜動くんだな。

産卵行動までいくのかどうかわからないけれど観察を続けよう。

9月
19
しばらくぶりの

風の便りが届く。
中身は何の変哲もない事務連絡。

…ではあるものの、先日のように、それはなにかのサインなのかも知れないと考えてみる。
根拠は特にない。いや、いくつかのごく小さなかけらをもとに頭の中のどこかでそう感じているのかも知れないけれど、もちろんまったくあやふや。
何往復かのやりとりのなかで、もう少し違う状況も知ることになり、やはり、なにか微弱な信号がでているような気はしたのだが。
世の中、そんな聞き取れないような微少な信号であふれかえっているのに、誰も聞き取れないとするとなかなか辛いし苦しいな。

自分のアンテナ感度は鈍っていないだろうか。

あ、そうだ。最近、中国製ラジオでともて高性能なものがでてきているらしい。あるWEBの紹介では「国内民放全局制覇をねらえる」との記述も見られる。値段も高性能な割にお安く。

もっとも、感度が良くても誤動作ばかりでは困ってしまうし、もし仮に何かの信号をきちんと捉えたとしても、それに対して何かできるかと自問すると、何にも出来ない事に気付き狼狽する。
だから無意識に感度を下げ信号をノイズに埋めて解らなくするのかも知れない。

…ま、考え過ぎの思い過ごしかな。

爽やかな秋の風に乗って届いた風の便りで様々思いを馳せてみた。

9月
16
いきなり

涼しくなった。
寒いくらいだ。
雨も良く降る。
先日までの天気はどこへ?
(またすぐ戻るかも…)
 

「微妙」という言葉がいつのまにか「びみょー」になってニュアンスが変わってきたからか、本来の意味の微妙さ加減が無くなってきたような。
力ずくで五感をひっぱたたかなければ反応できなくなっているような。

味も。
−激辛ブームは随分前か
匂いも。
−なんとかいう柔軟剤の匂いの傾向
感情も。
−すぐキレてすぐ萎える
自然も。
−酷暑とかゲリラ豪雨とか
…。

いや、順番が逆だな。
言葉が変わったからではなくて、人の感覚が変わったから言葉の使い方が変わったんだろう。

で、繊細な感覚が無くなった人間へ警鐘を伝えようとすると、自然はこれくらいの刺激が必要と思し召すのかもね。

9月
14
口コミ

やっと熱い日は行っちゃったかなあ?
今年はホント熱かったっすね。
脳味噌が、電子レンジで解凍しっぱいして肉に少し火が通っちゃった感じになったっぽいですわ。

あのね、最近、ずっと見続けている口コミ掲示板があるんですよー。
あ、もちろん見るだけね、書きこみはしないです。ID持ってないし。
ほとんど引きこもり状態でしょ。
パソコンの前に居ること多いから、リアルタイムで掲示板の中で起こっていることが見えるんですね。
昔、電車男って話あったよねえ?こんな感じだったのかな、って。

人間の悲哀や社会のひずみまで見えてくるような感じ、っていうのかな。
それと、揚げ足取りの仕方や、さりげなく無視することとか、やばいことの切り返し方なんかね、とっても勉強になりますわ。

それからさー、よく、こう言うのを「個人の発言が世の中を動かしていく」みたいに言う人居ますけど、ありゃ、どうも違うね。
個人で頑張っていいことをカキコしてる人もたくさんいるし役に立つこともたくさんあるんだけど。
そうじゃなのもたくさんあるみたいでさ。
どうも裏で情報のコントロールがされてるっぽいのよ。
ポジキャンとかネガキャンとかいうんでしょ?
意図的に情報がねじ曲げられていることって案外あるみたい。
よくいう自作自演っていうやつ?
どうでも良いこと書き連ねてそのスレ読む気なくさせるやつ?
色んな手があるみたいだよ。詳しくは知らんけど。
そりゃ、影響力そこそこあるからさ、そういうのを請け負う会社もたくさんあるだろうし、頼む会社も色々あるだろうし。
あ、そうか。引きこもりのバイトにはもってこいだな。仕事あるかな?

それでね、エグイ書き込みと、そのあからさまな応酬と、管理さんの削除。
分単位でやっているんだよ。
ヤバイ書き込みがあって、おっ!ておもってリロードしたらもう削除されてんの。
こうゆうのをイタチゴッコっていうんだよね。

見てる側が、レイの巨大掲示板みたく「そんなもんよ」って判ってりゃそれでもいいんだろうけれど、まっとうそうな口コミ掲示板でウブな人が知らず知らずのうちにひんまがった情報に洗脳されていくのだったらちょっとかなわんな。そう思わん?

Twitterとかもそうかもねっておもってんだけど?
やったことないから知らんけど。やってる?
あれって言葉が上っ面を滑っていく感じじゃないの?
だってさ、みんなどこまで遡るのか知らんけど、どんどん話は流れていって、文脈とか、話題の大元とか、あんまり関係なさそうじゃん。
いま、その瞬間盛り上がってれば良さそうじゃん。

あ、そうか、テレビのバラエティとおんなじか。
いつも同じメンツで脈絡のない面白そうな話でとりあえずその場が盛り上がってるって感じ。
終わったらなんの話だったかもう忘れていいようなんばっか。
たいしたロケ無いし制作費安上がりだよね、きっと。まあ、このご時世しょうがないのかなー。
そこにみんな参加できたら楽しそうだもんねぇ。視聴者参加型って、いい言い方だね。

そうそう、むかし、チャットで会議っぽいことやったことあるけど、大変だったわあ。
話の流れに付いていくことと、自分がキーボード打つことと、何人もが時間軸入り乱れてやるから、そのうち何が何だか判らなくなっちゃうんだ。
それをケータイでやったりするとホント、もう大変。

考えてみればそりゃそーだわな。chatとかTwitterなんだもん。Discussionじゃないし。
やりたい事とやり方がちぐはぐだと辛いね。

じっくり考えたりするのがバカらしくなっちゃうね。
いいんじゃない?だって今日の選挙だってそれぞれがほんとは何考えているのか、なんて考え出したらわけわ\%91%B

//以下略。

9月
13
思いをカタチに

ま、つまるところ、何かカタチのあるモノがなければ人には伝わらない。
ここで書いた異種間コンタクトでも、ハエのフレディの見解を人の言葉として代弁しなければ他人には伝わらないのだから。
===

−−オレの曲は仕上がったか?オレの芝居の曲だよ。
ああ。
−−見せてくれ。
ダメだ。
−−何故だ?
見せるものがない。へへへ。
−−来週からの練習には間に合わせるという約束だぞ。
出来るよ。
−−スコアはどこだ。
ここだよ。もう全部頭の中に出来ている。後は書くだけだ。呑みながら書く。へへへ。
−−書くんだよ、書いてくれ。ウォルフィ、頼むから紙に書いてくれ。
−−君の頭の中ではどうにもならない。

映画アマデウスの終盤に出てくる、魔笛の依頼者とモーツァルトのやりとりの一節。
どんなモノでも、カタチにならなければ伝わらないし残らない。
===

ポツポツと頭の中に貯まってきたモノをカタチにしなければ、とそろそろ焦りだして急に上記エピソードを思い出した。
もちろん私はアマデウスなわけが無く。
「呑みながら書けばいい」なんて芸当は逆立ちしても出来っこない。
頭の中にはほんのちっぽけなかけらがいくつかあるだけ。
それらをカタチにするために七転八倒のたうち回って何度もやり直しながら、上手くいかないことばっかり。
出来たモノを振り返ると後悔の塊でしかない。

それでも何かしらの誰の目にも見えるカタチにしなければ次に進まないからね。
今の私にとって最重要課題は「とにかく紙に書く」だ。

さて。

9月
12
センスは

磨くもの、と言い続けた。
磨き続けるもの。
怠ると、途端に曇る。
曇ってしまうと見えなくなるから、さらに磨きをサボる。
すぐさまアンテナ感度が鈍り元の木阿弥だ。

戻ってしまった事に気が付くことは難しいか。

残念だね。
もったいない、と思う反面、そんなものよ、とも。
 

結局、ずっとその繰り返し。
何故だ?

かの国のように、ここに奇跡を起こしたいと心の底から願う。
どうすれば良い?

9月
11
モズ

が賑やかになってきた。

朝早くから長い時間おしゃべりしてる。
庭に出ると、柿の木の上や電線の上から盛んに威嚇してくる。
例の、甲高い声がそこらいっぱいに響く。
モズに譲ってしばらくそぉーっとしておくと、また、機嫌良く早口で独り言を言い出す。
誰かが草刈り機で道端を刈りだすとまたそれに対して威嚇してる。

一生懸命なんだな。
…当たり前か。