9月
11
お弁当の背景

先日、欲しい本がなかった時、偶然見つけた本の中から。
−私もいつもお昼はお弁当だったから色々思うことあり…。

今は、幼稚園の娘にお弁当を作る日があります。ある日、わかるかな?と思いながら卵焼きをハート型に組み合わせたら、「おかーさん、お弁当に幸せのカタチが入ってたね」って。

なんか、ふわっとあったかくなる。

お弁当の思い出話をしながら、秋本さん自身が、言葉をひとつずつ噛みしめている。「明日のことを心配したって、始まらない。その日その日を喜ぶべえ。何に喜ぶかは、頭があるんだから、自分で考えよう。おじさん、そう思うことにしたんだ。」

お弁当を作ってくれていた奥さんが末期の癌で療養中の方の言葉。

お猿さんが食べるところ、見ていて飽きないんです。5匹いれば、5通りあるの。キュウリなんか渡すでしょ。ボリッボリッて気持いいくらいに食べるヤツもいれば、周りの縁のところを、シャリシャリって削ぎ落としてから、中身をかじって、最後に削ぎ落とした部分を食べるっていう、のんびり屋もいる。食べ方の違いは、性格よりも”親の位の違い”です。

猿回しの方の、猿が食べるところの観察。

「お弁当の時間」 写真:阿部了 文:阿部直美 出版:木楽社
お弁当とその持ち主の写真、およびその人のお弁当への思いを綴った本。
写真家とエッセイスト夫妻の作品集、といった趣かな。

まだ、途中です。

9月
09
届いた

本を読んでいる。
先日書いたネット通販で頼んだやつが、もう今日到着したんだ。
早いね。予定では明日到着のハズだったけど。
(何ヶ月も待ってなかなか届かない物もあるのにね…。)

私にとって大きな意味を持つ本になるかも知れない。

9月
07
本屋に

行った。
欲しい本があったからだが、一方ではその本の在庫があるとは思っていなくて「有ったらラッキー、無かったら取り置きで…」くらいの気持。

店内の書棚を自分で探すのも手間だから、ダイレクトにレジに行き、本の題名、出版社、著者、ISBN番号まで告げた。
メモを取ってもらうのに少し手間取る。そのまま調べてくれるのかな、と思いきや、別の係を呼ぶ。来るのに少し時間がかかる。新たな係はメモを渡され、「しばらくお待ち下さい」と奥に入り、オンラインの端末(だと思われる)で調べだした模様。文字通りしばらく待たされる。

ようやく出てきて「お待たせしました、ただいま在庫はございません」とそっけなく。
(そんなこと判ってるよ…)取り置きだとどのくらいかかる?と聞くと、2週間から20日程度との答え。
(あれれ、そんなにかかるんだ…)
値段は?と聞くと、「あ、しばらくお待ち下さい。」とまた奥に。
「〜〜です。」
(あ、そう。)とにかく絶版じゃないんだね?と確認し、すこし考えてまた来ます、にした。

実は、出かける前に、某巨大ネット通販サイトにて在庫有りを確認済みだったのだ。
値段は通販の方が安かった。(送料とか代引き手数料とかがあるから単純ではないけれど。)

しかし、どうしても家に引きこもりがちだから、気分転換の外出する理由で、本屋に行き、取り置きだったら再度出かける理由になるなぁ、と思って出かけたのだったが。

あまりにも時間がかかり、しかも素っ気ない対応で「これじゃ本屋はネット通販に押されていくよなぁ」と感じた。

某通販サイトでは、二日後に到着するらしい。(割り増しオプションで次の日到着サービスもある。)
しかも今は送料無料サービス期間中。
関連して、欲しいと思っていたDVDは2割引きほど。
手に入ればそれで良いのだから、速いし安いし手軽だし、文句のつけようがない。

ただ、自分自身が動く、という基本的な行動を忘れがちになるし、手軽さと引き替えに何か失うかも、と思っていたのに。「何か」は既に失われていたのかな。

わざわざ本屋に行った意味があまりなかった。
帰宅し、即その通販サイトの代引きで申し込んだ。ついでに2種類のDVDも。

9月
05
目に留まった

新聞記事。

 私のクラスのブラジル人のR君は昨年、両親が職を失い、工場で働いていた彼自身もリストラされた。R君は退学して父親と共に愛知県に行き土木作業をしていたが「どうしても定時制に戻りたい」と帰ってきて復学した。
 しばらくして、R君のサッカー仲間でブラジル人の子ども達5人がコンビニ強盗をしてしまった。幾日も食べることが出来ず、生きるための犯罪であった。R君に「犯罪に加わらなくて良かった」と言うと、「クラスの友達を裏切れないよ」と言った。一方の5人は学校に通っておらず、地域で孤立していた。
 芥川竜之介の「羅生門」は高校の国語の教材だが、リストラされた「下人」が生きるために強盗になる決意していく心理をどう考えさせたらいいのか、下人と同じ境遇の生徒を前に迷っている。

9月5日 朝日新聞 あめはれくもり 困窮する定時制の生徒(宮下与兵衛氏) より

昨日の記事に関連してベネズエラのことを検索していたので、貧困と犯罪についていつもより少しだけ意識があったからか、妙に気になった。
昨日はこんな記述を見つけたりもしていたから。

日本で発生している青少年の犯罪に対して、犯罪者は常に存在するという前提で防犯策が論じられているが、犯罪者を作らないための根本的な政策に大きなヒントを与えてくれるのがアブレウ博士の実践であるような気がする。

佐藤正治氏のブログ記事より

アブレウ博士の実践とは、まさしくエル・システマのそのものである。

今まで全く脈絡のなかった私自身に関わるそれぞれの事物が、どこか一つの収束に向かい始めているのだろうか。

まだ混沌として判らない。

9月
04
音楽の楽しみ

うん。すごい。
とんでもなくすごい。
なにがって?
とにかくまずはこれを見てください。(YouTube)
そして、このリンクのページにあるいくつかの大切なキーワード(シモン・ボリバルやグスターヴォ・デュダメルなど)で検索してみてください。

これは「エル・システマ」というベネズエラ国を挙げての奇蹟らしい。
この演奏は、形だけ真似しても決して実現はしないだろう。
音楽の一番の根っこのところから是非目指したい。

2010年12月18日、我が町の長久手文化の家で、このオケメンバーの金管5重奏コンサートをやる。
そして「エル・システマ」についてのレクチャーが11月6日に同会館である。
いずれもとても楽しみだ。
シモン・ボリバル・ブラス・クインテット
シモン・ボリバル・ブラス・クインテット 2

9月
04
ぶり返した酷暑を

避けるために、朝から標高の高いところへ逃げることにした。
近場で、と悩み、南信に出ることに。

目的は温泉に設定。(釣りじゃなく…。)
ならば、と売木村の「こまどりの湯」に。
足助のスーパーや平谷の道の駅で道草しながら13時過ぎ到着。
お湯はヌルヌル系で心地よい。

売木村は、台風の中、田んぼのようになったグランドでマーチングをやったり、雪降る零下10度の厳冬の朝、外でファンファーレを吹いたり、普通では出来ないことを色々やった思い出のあるところ。訪れる度に懐かしい。

その後、いったん新野の道の駅千石平に出て、ここでしか手に入らない野菜(新野ナスとか…)のいくつかを手に入れた。
今回の帰路は東栄には出ず、茶臼山山頂経由R153で帰ってきた。
さすがに山頂は涼しかったなぁ。
鳥もたくさん見た。
 

でも…、帰ったら…、やっぱり暑い。
明日も暑いらしい。

9月
01
さすがに

窓からカーテンを揺らして入ってくる風が熱風ではなくなってきた。
ようやく何もしていなくても汗がジリジリしみ出てくるような不快感は影を潜めてきた。

日中の鳥たちも心なしか活気が出てきたような。
さえずりが良く聞こえる。特にモズが賑やかだ。

日中一番暑い時間帯に外に出たら、ヒツジクサが5つ6つ咲いている(…今年はずっと調子良く咲いたなぁ…)玄関脇の睡蓮鉢の縁に2羽のハトが留まってじっとこちらを見ていた。
水浴びでもするつもりだったのかしら。
だとしたら邪魔をしてしまったかも。

8月
31
主治医から

「お、頑張ってますねぇ。薬の量減らしましょう。」
と本日病院で言われた。

しめしめ。
少しずつ。

体調はある程度戻ってきたのか。
酷暑ももうじきおさまるだろうから、そしたら、熱中症を警戒して中断していた「ひたすら歩くこと」を再開し、さらに。

8月
30
音楽語法の

ネイティブ化について考えているうちに、急にもう一度読みたくなった本。
その中の一節。

五感は最大の障害物
〜〜
ふたりはやがて、声や文字や記号に託すことばがいらない、まったき相互理解の境地に達する。思考や感情を共有するのに、いちいち象徴を使ってそれを表現する必要がないことがわかってくる。そして、たがいの調和を自覚したふたりは、自分たちが他のすべての生き物とも調和していることに気が付いていく。
〜〜
「 ヒトはイヌとハエにきけ―異種間コンタクトの方法 J・アレン・ブーン 著、上野圭一 訳 講談社」 より

(以前もちらっとここで紹介したことがある。)
ふたりとは、著者(J.アレン ブーン)とストロングハートとという名のジャーマンシェパード(イヌ)の事だ。
自分もイヌと生活を共にしていた経験があるから、ここに書かれている内容が単なる眉唾ではなく、出来得るならば自分もそこに行き着きたいと思うものだ。
そして音楽人として思うのは、ヒトとヒトが音楽を介してコミュニケーションできる可能性があるとすれば、さらにその延長線上にこの境地があって欲しい。

言い方を変えて、本来持っていたコミュニケーション能力を失った代償として、音楽をはじめとする芸術という一見いかがわしいモノがヒトの文化として成立してきたのではないかと。
しかし、その音楽でさえ今はその役割を充分に果たすことが難しい場面が増えているのではないかと。
 

先述の本は、今日の夕方、少しだけ気温の下がった風を受けながら、前半(イヌの部分)まで読んだ。
後半はハエのフレディーが出てくる。
特に導入のガラガラヘビのくだりは説得力があると思っている。
ゆっくり噛みしめながら読み進めよう。
そして、何度もはじめから読み返そう。

もう一つ引用を付け足そうと思う。
〜〜
「イヌにかんする事実がある。またイヌにかんする意見がある。事実はイヌのものだし、意見は人間のものだ。イヌにかんする事実が知りたいのなら直接イヌから知るしかない。意見がほしいんだったら人間にきけばいい。」
〜〜
2010/08/31 10:29