3月
31
久しぶりに

一つのアマチュア演奏会を最初から最後まで聴いた。

一生懸命だった。
やはり、それは美しいと思った。
堅さ、甘さ、不完全、流れの悪さ、等々、様々課題はあるけれど。
アマチュアの良さ、ってそういうところじゃないのかな、って改めて感じた。
考え、苦労し、工夫し、あきらめない。
その大切さは良く感じられる舞台だった。

だからこそ。
私は欲が出てしまう。
もっと出来るのに、って。
見ていると、もっと欲張ってみたら、と歯痒くなってしまう。
なかなか、それが噛み合っていかない現実もあるようで、難しいのかな。
 

以下は演奏会の感想ではない。
帰りの道すがら車の中で考えたこと。
===
たぶん、知らないのだと思う。
夢を持たない、のではなく、夢とは何なのか。
たぶん、面倒なんだと思う。
夢を叶える、ってことは簡単なことではないから。

それはバブルだとか草食とかそういったことではなく、単純に、誰も教えていないだけだと思う。教えることができる人がいないのだと思う。
だから、やり方を知らないままなんだね。

「遊ぶ事が出来ないんだ」と昨日テレビで誰かが言っていた。
やっぱり遊び方を知らないんだろう。ちまちま遊ぶんじゃなく、でっかく遊ぶこと。
いや、それとも、無駄なことに心底エネルギーを費やすことなど全くの無意味に思えるのかもね?
そもそも、音楽なんかまったく無駄なものだろうに。

全く無駄だからこそ必要なんだ、という矛盾を受け入れる大らかさが無い、ということなのかも知れない。

3月
28
ラマラ・コンサート

今朝、この演奏会のことを知った。

指揮者ダニエル・バレンボイムの活動だ。
ここに書いた大指揮者は日本人の事だったが、やはり同じような事を考えている音楽家は多いみたい。

イスラエルとアラブの和平のために中東の若手音楽家を集めてウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をエドワード・サイードと共に創り上げ、パレスチナ自治区ラマラでのコンサートを実現したのだ。

「音楽は政治的問題を解決できない。だが、知ること、理解し合うこと、それがなければ何も始まらない」と彼は言い、実際に活動をしているんだ。イスラエル音楽祭でワーグナーを上演しイスラエル人から「ファシスト」のレッテルを貼られたこともあるようだ。
彼自身、ロシア出身のユダヤ系移民を両親としてアルゼンチンに生まれているユダヤ人ピアニスト・指揮者なのだから、イスラエル側から見たら如何にも常軌を逸している、と思われるだろうに。

調べてみたら、この管弦楽団のドキュメンタリーと演奏会のライブがDVDで発売されている。
じっくりと観てみたい。

3月
27
近くの

小さな城趾に行った。岩崎城。

我が家の辺りは小牧長久手の合戦があったところで、まつわる場所が色々ある。
地名も面白い。首塚とか、血の池とか。血の池なんか、埋め立てて公園にしちゃったから、その公園の名前が「血の池公園」。すごい名前だな、と思う。ウソじゃないヨ。
− 徳川家康方の渡辺槍半蔵らが血のついた槍や刀を洗った池があった。この池には「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる。」という伝説が残り、「血の池」と呼ばれていた。この池を埋め立て整備されたのが「血の池公園」である。現在、池はなく、住民の憩いの場になっている。” − by Wikipedia

いつもは歩いても行ける「古戦場公園」という所によく行くのだが、今日は少しだけ(車で)遠出をした。

せろりの散歩だよ。
ステロイドや抗生剤でだいぶ筋肉が弱ってきているらしく、歩くのはもちろん、車の遠出もなかなか辛いのではあるが、それでも気分転換はしたいだろうからね。

駐車場に車を停めて、坂を少し登り、小高い丘の上に出る。
資料館の入り口に甲冑がいくつか掛けてあり、「試着自由」って書いてある!
おっ、試着している子供もいる。もちろんレプリカで樹脂製のようだが。
せろりはじっと不思議そうに見てる。

「もうそろそろ返しなさい」とお父さんに言われ、小声で「えっ、もう?イヤだな」と。随分気に入っている様子。
そうか、最近は歴史ブームだからか案外多くの人がいるんだな。

しばらくそんな光景を眺めながら休憩していたら、せろりは急に坂を下り始め車に戻ろうとする。
以前は全くそんなことはなかったのだけれど、「自分から帰る」って主張するようになったんだな。きっと満足したんだろう。

たったそれだけなんだけれど、随分疲れたようだ。
帰ってからしばらくよく眠った。

3月
24
眩しい!

左目の充血がひどいので眼科に行った。
単に出血しているだけで、特になんでもなかった。数日でひくでしょう、とのこと。

ついでに右目の眼底検査もした。
持病の関係で定期的に診てもらう必要があるのだが、1年以上も前に左だけやってそのままになっていた。
何故片目だけかというと、瞳孔を開く薬を入れるので、同時に両目検査すると眩しくて何も見えなくなり日常生活に支障が出るから。

結果は特に問題なし。
しかし、強制的に開いてしまった瞳孔はすぐに閉まるわけではなく、片目とはいえ眩しくてしょうが無い。

まだ今日は雨だからましなのか。
しばらくはあきらめて、ぼーっとしていよう。

3月
13
プリンセスが

登校拒否みたいだね。

一国のプリンセスだから、我々小市民とは比べものにならないくらい大きな物を背負っておいでだと思う。だから、ここで軽率に感想言う事はしない。

しかし、その報道の中で色んなキーワードが出てきた。
一番は「小一プロブレム」
耳にして以来ずっとそれをキーワードにしてネットをさまよっている。

小学校一年段階で問題になっていることが、そのまま中学で、高校で、その先の実社会で、継続して問題になっているのかな、と感じているところ。
どこかで一つ歯車が狂って何かを勘違いしたまま進んじゃった。きっとそっちの方が都合が良かったんだね。
そして、それが実は既に何世代か重なっていて、ちょっとやそっとでは修正の効かない大きな流れになってしまっているのかな、と。

ここ数年苦労していることの種明かしになるかも、なんて思いながら。
どのような問題か、っていうのはこことか。TV番組でも紹介していたけれど問題対策などはここに詳しいかな。おなじブログ内だけどもっと具体的な対処法を述べられていたり、で。

そうか、やはり、ある意味筋トレが必要なんだ、ウェイトトレーニングが必要なんだ、と納得してる。(体も心も。)
 

さて、今回、さまよっている内に見つけた自分にとってちょっと嬉しいページもご紹介。
小一プロブレムというキーワードでここから入ったんだけどね。これこれこれも
児童文学とか絵本とか、自分にとって凄く身近だったから。
しばらくおじゃまして読み漁ろうと思う。

今、自分が問題に感じていることの打開は、やっぱりこの辺りからやる必要があるんだろうな。

3月
10

朝から晴れたり雨降ってきたり。忙しい天気だ。

昼過ぎ、なんとか日が出てきて散歩に出られそうだったので、急いで支度し外に出た。
しかし100mも歩かないうちにまた雨が降ってきた。
おかしいな?どこにも雲はない。日は照ったまま。
こんな天気は、狐の嫁入り、って言ったなぁ、などと。
ひどい降りではないので、様子を見つつ散歩続行。

空を見渡せるところまで行ったら、東の空に虹。
太く、明るく、はっきりした虹だ。

Over the Rainbow!

そういえば、ねんりんピックというイベントの開会式で、M氏アレンジの洒落たマーチングOver the Rainbowを振ったなぁ。
今までまったく忘れていたけど、虹を見て急に思い出した。

いつの間にか雨はやみ、虹もいつしか見えなくなった。
家に帰る時には濡れたジャケットも乾いていた。

3月
08
オリンピックの後に

パラリンピックという大会がある。

以前、愛知県で行われた第49回国民体育大会(わかしゃち国体)の総合開会式、閉会式での音楽隊の指揮者をした。吹奏楽隊600人、合唱隊600人、以下ファンファーレ隊なども擁した大音楽隊である。(そのときのことはいろいろ面白い話があるが、またそれは別の機会に。)
そしてわかしゃち国体の直後に全国身体障害者スポーツ大会(ゆめぴっく愛知)も二日間にわたって開催された。当然その総合開会式・閉会式も同規模の音楽隊として参加した。
その「ゆめぴっく愛知」の閉会式はとても印象的だった。終了後出場者がどんどん音楽隊の指揮者台の周りに集まってくる。障害者も健常者も役員も同様に。全てが終わった安堵感か。
そして、式典で使用した様々な音楽をアンコールされ、何度もそれに応えた。
感激してなぜだか涙をこぼしながら棒を振った覚えがある。
それまでずっと分刻み秒刻みのスケジュールで動いていた本隊への指示が急に緩くなり、みんな帰ろうとしない。音楽隊も帰ろうとしない。あちこちで記念写真が撮られ、歓声が上がる。

とにかく感激するのだ。何故だったのだろう。
 

先ほど「パラリンピック」を検索していて、そのヒントを見つけた気がした。

「彼らは、出来ない理由を決して見つけようとはしない。出来る方法を必死になって探す。」
出来ない理由を100見つけても、何も進歩しない。しかし、出来る方法を一つでも見つけたらそこには素晴らしい進歩がある。

オリンピックが終わり、少しずつパラリンピックの特集をTVで見るようになって、先日シッティングスキーが取り上げられていた。
選手も器具開発者も凄まじい執念だ。

また、こんな記事も見つけた。
(出来ればPCで見てください。)

ここには人の底力があると思う。

知らず知らずのうちにその事を感じて心が動くのだろう。
しかも、ここに悲壮感は感じない。
出来る事の喜び、上を目指す幸せが有るだけのように見える。純粋に。

オリンピックでの、フィギュアスケート、モーグル、スピードスケート、カーリング、はたまたハーフパイプ、…どれも何故だかある種の悲壮感が感じられた。余計な物を背負っているような。

オリンピック以上にしっかり見たい。

3月
08
土筆

散歩中に見つけた。今年の初だ。
気が早いヤツだけかと思ったら、その辺り一面。
この数日の雨でわさわさと出てきたのか。

薄いブルーのグランドカバーに見えるところはオオイヌノフグリ。
薄い紫のグランドカバーに見えるところはオドリコソウ。
その中にポツポツと黄色いタンポポ。
少しだけ背が高く白いのはナズナ。
ところどころハコベ、これも白くて小さな花。
カラスノエンドウも少し濃い紫の花を付け始めてる。

どれもその辺の道端に生えていて、しかし誰も取り立てて気付いてくれない、別にどうって事のない小さな野草たち。
花が終われば雑草として抜かれてしまうかも知れない。

でもこの時期、精一杯春を喜んでいる感じが好きだ。

3月
06
啓蟄

朝から雨降りだ。冷たい。

昨日まで本当に暖かかったから、今日が啓蟄だと言われても虫たちは及び腰かも知れない。
それとも、我が家では数日前から既に蚊が夜な夜な襲来していてうっとうしかったから、フライングしてるのかもね。
そういえば、何故か車の中に大きなカメムシがいて困った。こいつの逆襲は強烈だから、機嫌を損ねないようにそっとお引き取り願った。
ぼちぼちみんな寒い冬から目が覚めたか。

カンアオイの花(地味すぎて花だとは気が付かないような…)がやっと咲き、ついでに葉も出てきた。
タンチョウソウも芽が動き出した。
一つだけだった椿の花も三分咲きくらいまでになり、ヒヨドリが大きな体と大きな声で騒がしくホバーリングしながら蜜を吸っている。枝の中にはいつも若いハトのつがいがいて迷惑そうだ。メジロはなかなか近づけない。
クリスマスローズも三年目にしてようやく花を付けた。咲き終わったら深い鉢に植え替えて条件良くしてあげないと。
いつの間にかクロッカスのような紫の花があちこちで咲いている。何かと一緒に付いてきたみたい。

雨が上がって太陽が戻ったら、一気に春に向けて加速するんだろう。
寝て待つ時期から、動き出す時期に変わる時だな。

3月
02
無事

確定申告書類提出完了。

始め、無料でダウンロードした計算書でやっていたら、どうしても印刷時のデータ位置あわせがうまくいかない。
適当にやってダメ出し喰らうとめんどくさいので、改めて国税ホームページの作成処理でやったら今度は計算が違う。
ここ(国税HP)で計算間違いはまず無かろうと思いながら、先のダウンロードソフトと見比べていたらやはり先のソフト入力時の間違い発見。
位置ズレがなかったら危うくそのまま出すところだった。

添付書類も全てそろえ、役場の確定申告相談所の提出箱に無事提出してきた。

少しは戻るかな。