ある集まりの時。
私の隣の女性(母親)が、食べている夕食の味噌汁をのぞき込んで、就学前くらいの男の子と話をしてる。
「この中にお豆腐いくつある?」
「2つ! (…だったかは定かではない…)」
「じゃ、全部食べちゃうよ。 ほら、いまは幾つある?」
「もうな〜い」
「そうね、それがゼロだよ。」
「ふーん。」
「今日、ここに来るときにゼロってなーに?って聞いてたでしょ?」
「…」その子はもう違うことに気を取られお母さんの話を聞いているのかどうだか…。
私の小学生の時の記憶。
小さな子が「0」を問うことにびっくりしたんだろうが、今でもなんだか良く覚えている。
しかし、最近ふと「凄いのは子供ではなく、このお母さんなんだ」と思うようになった。
そのお母さんは、たぶん、ある大きな会社の偉い人の奥さんで、ということは、今はその子供、その会社の偉い人なんだろう、と気が付いたのはずっとずっと後のこと。
子供はいつもそんな疑問を持っている。そして次の瞬間忘れてる。
だから、そのちっぽけなことをちゃんと覚えていて、答えを導き出してやることは簡単ではない。
子供は、きっと疑問を持った瞬間にスイッチが入るんだ。そしてスイッチが入った回路にタイミング良く刺激があるとそれは活き、そうでないとすぐ枯れていくんだ。言うまでもなく、活きた回路が多くできるとその後さらに複雑な回路は出来やすい。
そんなことを身近な者が周りで手助けしているのだから、その多さや偏りによって様々な風土が形作られるのかもね。