7月
05
迷惑メール

いままで全く携帯(ドコモのガラケー)に迷惑メールが届いたことはなかったのだが、はじめて本日2通来た。

珍しかったのでちょっと試した。
送信アドレス、および本文に記載しあるドメインにping打ってみたら、おぉ、ちゃんと返ってくるぞ。
2通ともメールアドレスと本文は違うドメイン(書くのもめんどくさい暗号のような長い奴だから省略)だけれど、返ってきたIPは同じ。

一通は、
103.48.164.12 (sch-engine.net 日本かな。Whois情報で住所は東京)
Fecebook新規登録、って件名で来た。一応、本文には丁寧に、こちらにアクセスしてください、とか、覚えがなかったら破棄しろ、とか書いてある。

もう一通は、
45.112.128.57 (japan-ftr.com 日本かな。Whois情報で住所は東京)
中身はURLだけ。

と書いているうちに、また1通来た。
なぜか件名にながーいURLが記載されていて、そこのはping返ってくる。
61.63.130.193 savecom (〜@savecom.net.twらしいので 台湾ぽいかな?)
本文はURLのみ。本文やアドレスのはping返ってこなくてIP判らない。

WEBに迷惑メール相談センターってのがあったから、とりあえず全部報告しておいた。
最近の端末は、迷惑メール報告機能、ってのがあるんだ。知らなかった。使いもしない必要のない機能ばかり増やしてるのではないんだね。
 
さて、問題は。
今まで全くなかったのに今日いきなり3通だから、アドレスが漏れたのはごく最近ってことだよな、きっと。
どこからだろう。
FBかな?
ケータイメアド登録してあるのって何だったっけ?

誰か他の人に迷惑がかかっていないと良いのだけれど…。

7月
04
思いついたことを

試そうと思って、古本屋チェーンの姉妹店でジャンクPCを物色中。

現有のPCからリモートデスクトップ接続するつもりなので本体のみで大丈夫だし、HDもメモリも手持ちがあるので、良さそうなジャンクで¥1000程度、と思ったけど、いくらジャンクといってもそうはいかないみたい。
ほとんど実験遊びだから、費用は最小限がおもしろいのにな。

とは言っても、もう少し出せば使えそうなPCはいろいろとあるようだ。
大多数のPCはこうやって復活するチャンスすらなく廃棄されていくのに、このような中古屋があるから使えそうなジャンクを手に入れることが出来る。ありがたい、と思う。

食べられるのに捨てられてしまう食料のことが問題だ、とよく話題になるが、食べ物以外でもまったく同じだね。
次を売らなければ経済が回っていかないからという理由で、まだまだ使える物が大量に捨てられていく。

以前乗っていた車は、まだまだ大丈夫だったのにディーゼル規制で車検通せず手放した。
現在は登録の古い車両の自動車税が割高になっている。うちの車はやはり該当する。
結局これだって、車メーカーの思惑が背景にあるのだろう。もっともらしい理由をつけて車が売れさえすればいいのだから。

そういえば、特に最近、例の古本屋チェーンでは小さな端末を持って片っ端から本にかざしてピコピコやってる人達が増えた。足下にはかごいっぱいの本が積まれていることが多い。
古い本でもまだまだ価値があるぞ、という意味で、これはアリだと思ってる。
正直、本探すのにちょっとじゃまだったり、欲しい本を根こそぎ取られちゃうようで悔しいと思うときもあるけどね。
しかし、だからダメ、じゃなく、対処の仕方を工夫すればよいのだ。それが循環型の促進だ。
 

明日も時間があったらPC物色に行ってみようと思う。

7月
01
捨て石

「新聞を懲らしめるべきだ」といった人が、後日、再度同じことを言ったらしい。
本人はいたってまじめで本気にそう思っているのだろう。

通常、失言(自分ではまっとうなつもりだけど世間が認めてくれない発言…)をしたら、(真意はともかく)とりあえず「お騒がせしました」になるのだと思う。
それが、そうならず同じことを2度言った。

何かしらの変化を求め、自らの意志を貫いて2度も発言し、世の中がさまざま反応し、中には「よくぞ言ってくれた」のような賞賛の声も届き(仮にそれがほんの一つ二つでも「言って良かった」につながるうれしさに違いない…)、ある意味ご本人はご満悦なんじゃないのかな、と私は勝手に思ってる。
 

でもそれは、もっと大きな力に「利用」されてるだけなんじゃないの。
知ってか知らずか。

一度元気の良いやつ使って言わせてみろよ。
あ、本当に言ったなぁ。褒美でもやっといてくれ。
あらら、調子に乗り過ぎちゃったな。
過ぎたるは及ばざるが如し。
騒ぎが大きくなってきたからそろそろお引き取り願おうか。

捨て石。
消耗品。
−使える物は何でも使うだろうからねぇ。−

もしかすると、本人そんなことは先刻御承知なのかもしれない。
だとしたら、自爆テロと変わらんですな。
あ、そうか、特攻隊が見え隠れしてるわ。

これから、このような事がぐっと増えていくんじゃないかと。
そのたびに炎上して、疲れて、飽きて、そのうち「それでいーじゃん。」「なんとでもなれや。」「めんどくさい事言う奴黙っとけ。」な雰囲気を醸し出すまで。

石ころは、どこにでもたくさん転がっている。
私だってちいさな石ころのたったひとつにすぎない。
でも、この捨て石にはされたくないなぁ。

6月
30
かんじん

定石を多く身につけることと、その定石を破る道を見つけること。
自分の周りに知識の壁を作ることと、その壁を打ち破って外の世界に出ること。
Inputすることと、Outputすること。

それぞれ対になっている事柄は、単純に対になっているわけではない。
両端の間に、対となり得るための大切な部分が隠れている。
その大切な部分は見えないことが多い。
見ようとしないこともさらに多い。

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ

  星の王子さま  サン=テグジュペリ

久しぶりに再会した一文。WEBさまよってたらいきなり飛び込んできた。

肝心なことは目に見えない。
 だから、(考えて)見えるようにする。
 だから、(心で)見る。

肝心なことは言葉にならない。
 だから、(考えて)言葉を紡ぐ。
 だから、(心で)思いやる。

そしたらきっと両端がつながる。

6月
28
貯水池

我が家の道路を挟んだ南に貯水池がある。
数年前、区画整理が始まってまずはじめに三面護岸の小さな川が地下に埋められ、その遊水池として出来た池。大雨が降るとかなり水位が上がるが普段はさほど深くないと思う。

その池に、今年になってから食用蛙が住み着いている。
例の、牛のような鳴き声が時々聞こえていたが、最近それが複数になったようだ。
以前、田んぼだったその辺りでは食用蛙はまったくいなかったと思う。

また、数日前から別の鳴き声が聞こえてくる。
蛙ではなく鳥。カイツブリの鳴き声だ。
姿はまだ見ていないが風通し良く開けた窓から特徴あるカイツブリの鳴き声が盛んに聞こえてくるようになった。
水のあるところにいる鳥だから、きっとその新しい貯水池をすみかにするために、どこからか飛来したのだと思う。
もしかして子育て中なのだろうか。
食性は主に動物食で、魚類、昆虫、甲殻類、貝類などを食べる。 by Wikipedia
ならば、餌となる者たちも増えてきているのだろう。
(この池、ビオトープになり得るか?)
 

そういえば、今年はヒバリのさえずりがごく近くで聞こえる。

田んぼが大規模につぶされ、区画整理され、道路が新しく整備され、そのうち大きな建物が建つ。
しかし、その新しい環境に、新しい生物がちゃんと生きていることが、新鮮な驚きだ。

6月
20
円のリズム

こんなのがフェイスブック絡みで流れてきた。

John Varneyさんが紹介する「ホイール・メソッド」

なるほど。視覚的におもしろいし確かにわかりやすい。
何度か見ているうちに、こんなインターフェースのリズムマシンアプリあるとおもしろいと思ったのでした。

角度と大きさでグルーブ感を数値化できるかなぁ。
7連符とか数字がめんどくさいか。分数だったらなんとかなるのしら。

などと考えていたら、既にあるんだ。
iPhone、iPadのアプリでFigure 日本語版。最近無料化した模様。リズムだけでなくベースもリードも項目があるから曲が作れるんだろう。
ダウンロードして試してみようと思ったけど、ipod4ではOSのバージョンが低くて駄目。

どんな感じだろう。私が思い描いたことは実現されているんだろうか。

6月
17
同じ穴の狢

とある映画をティーンな皆と見ていた。
そこそこの暴力描写や性描写もあるが、その映画を理解するためにはやはりある程度必要だと思うので、特に解説しないでいた。

ある時、そのことにごく一部が異常に反応した。それらのシーンになるとあからさまにいやな顔をし、目をふさいだり耳を覆ったりしている。
この人達にはまだ刺激が強すぎたのかなぁ、と少々反省しつつも、中断することなく観続けた。

終了後、ものすごい勢いで私に攻め寄ってきた。
「あんなのを見せるのは非常識だ!」と正義感の塊のようだった。

「そうか、不快にさせて申し訳なかった。他の人はふつうに見てるし、ストーリーの展開上カットするわけにもかなかったのでね。ところで、もし良かったらいやな理由を聞かせてくれる?」
とお詫びしながらも少し訪ねてみた。
「あんなの見るとむかっ腹が立つ!あんな暴力をするやつ見たら本気で殺したくなる!」
声を荒げ大きな身振りで一気にまくし立てられたのだが、私は「ん?」と返す言葉に少し詰まった。
まじめに正義を突き通そうとしているが、実は自己矛盾を起こしていてしかも自分では気がついていない、と感じたから。

「不愉快だったのは謝る。けれど本気で殺したくなっちゃったら駄目でしょ。あなたがむかっ腹を立てた奴らとあなた自身が同じになってしまうよ。」
と言ったら、なんだか複雑そうな顔して立ち去っていった。

昔々のこと。
批判をしている人が、その本人も同じ穴の狢じゃんか、しかも気がついていないから余計滑稽だ、と感じるときに思い出す話。
最近よくある。

6月
16
なぜか今日になって

このような論調の記事が目立つようになってきたなぁ。

例えばこれ、亀井静香氏の発言記事

例えばこれ、改憲派の憲法学者の記事

なぜこのタイミング?ということに興味がある。
なぜ、もっと以前に表に出てこなかったのか。
この人達の考えが突然今日になって変化したわけではあるまいに。
メディアの怠慢を指摘する声もあるが、メディアにだって表に出さなかった(出せなかった?)理由がきっとあるだろう。
それが、なぜ今?

何かバランスが崩れたか。崩そうとしているのか。
誰の?
誰が?

(少なくとも、国民、とか、世論、とかでは無さそうな気がしている。)

6月
12
生物多様性

季候が良くなって、生き物の活動が活発になる。
梅雨に入って雨も降るから、植物もどんどん生い茂る。
様々な生き物の活動が人の目に触れるようになる。
それを見るたびに、自然ってすごいよなぁ、と心から感心する。

私は。

しかしWEBをさまよっていると、実は世間の人々はそうでもないのかな、と思わされる事に出くわすことが多い。

「ゴキブリが出て引っ越ししたい。」
「ヘビがいて気持ち悪い。」
「名前の判らない大きな虫(註 シロスジカミキリと思われる)がいて怖い。」
「大きな蜂が飛んでる。」
「蚊がうっとうしくて寝られない。」

それだけなら別に何とも思わない。個人の好き嫌いの範疇だろうし。
むしろ、そういうのを嫌いな人がいて当然だと思うし、誰だって人に危害が加わるのはご容赦願いたい。

しかし、その後に
「即死刑だ!」
「早く絶滅させるべき!」
「こんな物が生きていることが耐えられない」
などと続くと、本気で言っているのかなぁ?と心配になる。

以前にも紹介したが、ヒトはイヌとハエにきけ J.Allen Boone (著), 上野 圭一 (翻訳) 講談社という本。

現在は動物はすべてを知っている (ソフトバンク文庫)と改題されている。

その中に、ガラガラヘビのくだりがある。アメリカに移入したヨーロッパ人達は開拓時代、皆ヘビが怖いから、ガラガラヘビを見たら恐怖で騒ぐ。銃で撃ち殺す。ガラガラヘビはそれを感じて余計に人間に攻撃を仕掛けてくる。ネイティブアメリカンはガラガラヘビなんか別に怖くないから出会っても騒がないし敵意もない。だからガラガラヘビも攻撃せずに素通りする。
ガラガラヘビは(ガラガラヘビに対する)人間の気持ちを全て感じていて、それによって対応を変えるのだ、という話。

元々この本は異種間コンタクトに関する記述だから、どこまで本気にして良いか微妙なところもあるが、しかし私はこの考え方が好きだ。
なんといってもネイティブアメリカンの場合は人蛇ともお互いに敬意がある。

 
一方で、虫とか蛇とかを忌み嫌って絶滅を望む気持ちと、ネット上でいろいろ聞き及ぶ差別や侮蔑などのヘイトスピーチと、両方とも根っこはかわりがないと思っていて好まない。
地球上で自分達と同じように生きているのに、自分にとって不快な事や物だからと言うだけでさげすんだり、絶滅を願ったりするのだから。

究極の自然保護は人間が滅びることだ、と言われてしまうことがあるくらい人間の存在は自然環境にとってダメージが大きい。
にもかかわらず、人以外の生き物は人に対して文句言っていないんじゃないかな。
どんなことであろうとも、あるがままに受け入れているだけだ。(因果関係など判るわけ無いからそうせざるを得ない、ということでもあろうが…。)

だから、せめてそいつらの存在くらいは認めてやらなきゃ、と思う。(もちろん、好き・嫌いは別な話。だれだって嫌いな物はある。)

生物多様性とは、生物が多様であることこそ地球が豊かなこと、という考え方だと思う。
万が一、自分にとって不快な存在はこの世から消えてなくなれ、と思っているのだとしたら、豊かさを否定していることになるんじゃないの?