8月
09
昨日

テレビをゆっくり見た。
NHKスペシャル。
「日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし」

自分達のやったことを検証しようとする意図にほっとし、一方でその内容に憤慨する。
やっぱりね、そんなところだろうと思っていたよ、な感想だ。

現場の想いとか悩みなどと全く無関係に勝手に事を進められていく。
そこには大儀などなく、個人の身勝手な見栄だけ。
そりゃそうだ。自分達は戦地最前線に行くわけもなく(そんな危ないところへ行けるか!)、戦い死ぬのは末端の兵士(お国のため名誉の戦死!)だからね。
そしてどうにもならなくなっても「しょうがなかった」「それを始めたのは俺達じゃない、別の部署だ」と責任転嫁に精を出す。

それを正しく検証し裁くことは出来ないものなのかねぇ。愚かだなぁ。

そういえば最近身近で似たような感覚を持ったゾ。

8月
07
どっち?

馬鹿は死ななきゃ直らない by 次郎長外伝
馬鹿は死んでも直らない by ハナ肇とクレージーキャッツ

「どっちが本当ですか? 」の問いに対し「どちらも正しい。なぜならどちらも現在は馬鹿という意味だから、来世を考えても無意味」との答えがあった。

なるほど。解りやすい。確かにその通りだ。
 

残念ながら、もはや誰も馬鹿を正してはくれないだろう。
それどころか誰も相手にしてくれなくなるだろう。(既にそうだろうと思うが)
そしてその事に気が付くのは本当にひとりぼっちになってしまった後だろう。
その時に最大級に悶え苦しむ。しかし何故そうなってしまったのか理解できることは決してないだろう。

ここに書くほどではないと思ったが、敢えて書いてみた。

見えている形が変わったとしても、本質の変形はあり得ない。
だから、本質を見えてない人がいくら正義を振りかざしたところで、それが偽物である事には変わりない。
本質が見えている人にとっては一目瞭然で滑稽きわまりない。
これ以上迷惑が及ばないのなら、それ以下でも以上でもないけれど。

もっとも「何が本質か?」は神のみぞ知る、だけど。

8月
07
毎日

朝7時前に家を出て帰りは午後10時過ぎ。何かあれば帰りの時間は日付が変わってから。もちろんほとんどの土日祝日は無し。
その勤務を往復140Km近い高速道路通勤でこなしていた。
それが日常だからごくたまに時間が出来ると、憑かれたように遊びに出る。車旅。
だから、ほとんどの家の仕事は手つかずだった。
 

今日(から)は、そうでもない。
たまには草抜きでもするか、と長引いた梅雨で伸び放題になっていた玄関周りの草抜きをした。
足のむくみは取れていないから、しゃがむとふくらはぎ辺りがとてつもなく痛いのだけれど、それをだましだまし3時間ほど。
その後、野積みになっていた、車をトランポ仕様にした時の廃材を電ノコで切り刻み可燃ゴミに出せるようにした。もう1年以上前から「早くやりなさい!」と言われていた作業。やっと出来た。

当然汗だくだが、気分が良い。だいぶすっきりした。
次は庭の草抜き。明日だな。
 

私のコレクションだった山野草もだいぶ数が減った。
残っているのはイワチドリとニオイハンゲ、ヒトツバの類だけだ。あ、かろうじてこの春にタンチョウソウとウラシマソウは咲いたっけ。
睡蓮鉢はヒツジグサが絶好調。
姫睡蓮は花が付かない。冬、水が凍ったときに鉢が割れたままになっている。
ヒメガマも瀕死。 
オオタニワタリ(シダ)も消えてしまったなぁ。

昼食後、久しぶりの譜面書き仕事。FINALEを2009にバージョンアップさせたため使い勝手がわからずしばしば中断。PCも力不足でなんか調子狂う。

そういえば、私の仕事部屋も荒れ放題。ここもなんとかしなきゃ。
戻ってくる荷物もたくさんあるしなぁ。
見渡すと家中そうだよ。随分モノが増えたなぁ。要らないモノはどんどん処分しなきゃね。
これから環境整備に随分時間をかける必要がありそうだ。

夕方はセロリの病院へ行く予定。ヤツもだいぶ歳だから、レントゲンだ、組織培養検査だ、と色々大変なんだよ。今はエアコン効いた中ですやすやおやすみ。
 

とりとめもないけれど、それだけのことでさえ今まで出来ていなかったんだな。
しょうがない。少しずつ復活させていこう。

8月
06
区切り

ダブルバーが引かれた。

思うことはたくさん。
言葉にならないのも含めて。
勉強したことたくさん。
やり残したこともたくさん。
でも課題がたくさんあるって事は幸せなことだよな。

TSWのみんな。ありがとう。
支援してくださったたくさんの方々、ありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。私はとても幸せでした。
一度手放したはずの皆でアンサンブルする幸せ。
そこにどっぷり浸かり音楽に身を任せる幸せ。
より良い状態でそこまでもっていくための様々な工夫とそれを仕掛ける仲間がいる幸せ。
その事々を認めていただき評価していただける幸せ。
 

常に全力疾走してました。(そう見えないかも知れないけど…)
少し走りすぎたのかもね。体にだいぶガタがきたし。
特にこの一年著しく体調は変化していると思う。しかし「それは老化と言うんだ」と口の悪い友人。その通りだが、おかしいな。永遠の23歳だけど。

 

事後整理若干。
今後の善後策。

生きなければならない。生きたい。より素晴らしく。
みんなも、私も。
定刻より遅れてるけれどそろそろベルが鳴る。次の幕だ。(台本はまだ無い。)

8月
04
やっと

梅雨が明けたらしい。

夏だ。
朝から(いや、何故だか夜中も…)蝉がうるさい。

あと一日。
何を望んでいるのか?
何をするのが良いのか?
何が出来るか?
 

どんなときも無条件で信じること。
自分への課題。
で、どうだったのか?

8月
01
8月

に入った。

梅雨は明けず、各地で豪雨。どうなっているのかねぇ。
高速道路は夏休みで浮かれ、渋滞だらけ。
世の中は選挙で、もしかしたらその後に総辞職かも?

さて。
私は?

とりあえず目の前にあるモノに全力投球だが。
その手応えや成果は如何に??
そしてその後はどうなる?

??

7月
08
帰り際

なんだか凄い話を聞いちゃった。
最近の、コミック漫画を原作にしたTVドラマには良くありがちの話だとは思うけれど。
それが現実に自分のすぐ身の回りで起きているのかなぁ。
真実だとしたら…?

「世の中そんなモンだよ、とりあえず波風立てずそっとしておいた方が自分の身の為だよ。」
と言う声が聞こえてきそうだ。

しかしね、ここは教育の場なんだな。
色んな大変な事があるのはわかるけれど、とりあえず、誰の為に、何の為に、毎日働いているか一番の基本を再確認した方が良いと思う。蜜柑畑の世話をしたりその苦労話をしたりする前に。

中学校の指導で「悪いところを指摘することをダメ出しって言うんだ。それは悪いところを直してより良いものにする為に必要な事なんだ。だから指摘されても腐らず頑張って直すようにしようね」といつも言う。
伸びるバンドは素直に聞いてくれる。伸び悩んでいるバンドも「そりゃその通りだけどさ…」と心の中の声が聞こえてくる。
ダメ出しを聞く耳がなければ、決してそれ以上良くはならないことはみんな知っているのだよ。

誰か引き戻せる人は居ないのかしら?

7月
08
カメラ

しばらく前からデジタル一眼レフカメラが欲しいと思っている。

カメラについて特に詳しいわけではないが、ただ何となく、これが良いかなぁ、などと思いながら情報を集めているところ。

便利なものでWEBを覗くと様々な掲示板があり何でも情報を得ることが出来る。
ただ、そこに流れている情報の確かさは定かではない。読み取る人のスキルを要求されるようだ。

それがネットの中だろうと実社会だろうと、恣意的に間違った情報を流す人は必ずいるみたい。
いわゆる「荒らし」とか「ネガキャン」と言うらしいが。
不快だが、いったい何の利益があるのかね。何より理解に苦しむ。
ま、そんな人がいるのはしょうがない。世の中色んな人がいるし、それを消し去ることは出来ないからね。
ただ、そんなことで自分の判断を見誤らないようにしなければ。
しばらく見ていると淘汰されていくからすぐわかるが、それに煽られると結局損するのは他でもない自分自身だ。

バーダーになりたい事と共に、良い写真を撮りたい。
もちろん鳥も撮りたいが、見る目を磨きたい。
衰えてきた視力を補うためにも、本質を見抜くためにも。
ここで書いたのと同じように「心の目で見てごらん」を実践したいのだ。

6月
29
想いの

強さ。
想いは目に見えないから、強さとか重さとかなかなか伝わらない。

しょうがないかな。
どれだけ無理しても理解できなかったらそこから先へは進まない。

苦しいね。
でも何時かは判る時が来るだろう。
そのときにまた改めて進み出せば良い。

6月
27
夢を

語る。語りたい。

夢は大概、将来に対する期待だ。(夢で過去を論じることは少ないと思うから…。)
こうなりたい。
こうありたい。
自分が。周りが。世界が。

当たり前だが、夢の段階ではその事は実現していないから、実体や結果は全く無い。
あるのはイマジネーションだけ。またそれを言語化や図面化(我々の場合だったら楽譜化)した、いわゆる設計図(夢を共通認識するための記号)だけ。

絵空事だけで話をすると、普通は現実味がないと嫌われるのかも知れない。「現実を見ろ!」と。しかしそれは、その絵空事を現実味のある物にしていく力が無い事が原因なのだろうね。その発想や経験も少ないのだろう。

私は文字通り無から有を生み出す訓練をしてきた。
しかも新しい価値観を見つけ造る方向で。二番煎じは恥なのだ。
だからいつも自分の中には既存の実体ではなく、新しいイマジネーションで膨れあがっている。
(もちろん、既存のものに価値がないということではない。自分が何かをするときに単なる真似ではだめだ、と思うだけだ。) 
 

大風呂敷を広げて壮大な夢を語る人が少なくなったように感じる。
特に若い世代は身の程知らずで、がむしゃらでかまわないと思うのだけれど。
「夢見たってどうせ…」な感じなのかな。
たまたま近くにいないだけかな…。