4月
19
私の師匠

は肺癌だった。一度左肺を摘出し回復したかのように見えた。
しかし2年ほどで異常なほどのガンマーカー値になり、探してもなかなか見つからなかった転移が副腎で発見された時はもう終末期だった。
大学卒業後は発病の前も後も、いっしょにうまい飯を食い、キャンプをし、釣りをして、よく遊んだ。
開高健の大ファンだった。「あんな風に生きたいなぁ。」とぼそっとこぼしたことがある。
音楽について、吹奏楽について、教育について、人について、生き方について、学生時代など比較にならないほど濃い話で夜を徹した。でも一番多い話題は食べ物についてだったなぁ。今思うと本当は病気(癌以前も、糖尿も高血圧も痛風も、なんやらかんやらメタボ大集合)でしんどかったのではないか、無理をさせていたのではないかと心が痛い。

秋口に近くの喫茶店に呼び出され、
「おい…。
…。
…。
おれはあと半年だ。
…。
今、学校(非常勤で教えていた大学院)へ行って、最後の授業やって後のこと頼んできた。
○○君(我々キャンプ仲間の音楽学部長)に最後の挨拶してきた。
しばらく検査が続いて、2、3週間したら入院だ。
もうこれからなかなか会えなくなるな。
…。
…今までありがとう。

と言ってそこを去った。
その後。
驚異的といえる生命力で次の年の5月まで。しかし逆に最期はとても痛々しかったことも事実。
ここに書いたことはその事ともだぶる。

線を引かれた時、否応なしにそこに向かっていく時間と、関わっていく人たち。
 

私は、師匠に比べると全然たいしたことも出来ない小さな人間だ。
師匠の「おまえはまだまだだなぁ」という声がいつも聞こえているしね。
しかし、密かに、彼の吹奏楽スピリットを引き継いだ第1人者としての誇りを持っている。そして、吹奏楽という(アマチュアとプロフェッショナルが混ざり合い、芸術なのか教育なのか混沌として訳がわからない)世界のなかで人と向き合う事については誰にも真似が出来ないだろう、という気概も持っている。

かつてのTWEと現在のTSWはその第3世代だ。
受け継ぎ、広がっていくスピリットは限りない。決して無くなったりはしないのだ。

昨日、そう確信した。

4月
15
巨神兵

の存在意義。
「オーマ」(エフタル語で「無垢」)。
巨神兵の正体は、伝承で言われる様な兵器ではなく。

だからこそ、プロトンビームで吹き飛ばされてしまうかな。

4月
14
凄い

ページを見つけてしまった。
SYU’S WORKSHOP
「リンクはフリーです。」だったのでそのままリンク張ってしまいました。

全然音楽と関係ないよ。
携帯では見るの無理です。(たぶん…)
(私は)遊び心をくすぐられます。
このこだわり精神は見習うべきだな。

「巨神兵」を調べていてこのページがヒットし、何で「巨神兵」を検索していたか忘れちゃったくらい、衝撃だったのです。

様々なテクニックだけでなく、こだわり精神の刺激を受けたいと思います。

4月
12
血液検査

といっても私のではない。せろりの。

先日、狂犬病の予防接種に行った。
ヤツは、動物病院が好きではないから、家を出るときから「今日は普通の散歩ではないな!」と既に警戒していて、全ての曲がり角で必ず病院とは反対方向へ行こうとする。
気をそらしながらそれでも病院に近づいていくと、ある場所からは観念したように自分から病院に入っていく。
そして大好きな先生に「お願いですからひどいことはしないでくださいね?」と言わんばかりに握手攻撃を繰り出してくる。
「では入ってください」の声で診察室に自分で入り、すぐさま診察台に飛び乗りよい子でお座りをする。
しかし、情けない顔をしてガタガタ震え出すのである。
いつもの事ながら、気持の流れが手に取るように判りとても興味深い。
しかもここに来るととても賢く見えるのが面白い。

さて。
「だいぶ歳取ってきたから、一度内臓の様子見るために血液検査しましょう」になった。
人間の血液検査だと後日再度病院に行かなければならないのだけれど、爪切りや耳の掃除してもらっている間に結果が出てきた。早い。ものの数分だ。
それぞれの数値はほとんど正常値。コレステロールだけ少し高め。
「今のところ異常はありませんよ。内臓は大丈夫です。」
良かったね。

「フィラリアも陰性です。」
「ただ、若干前足の関節の動きが悪くなっているようです。負担を減らすために少し体重を減らすと良いですね。」ですって。
元々は心臓が少し心配だったけれど、なんとか特に今まで問題なく過ごすことが出来ている。
この先もそうだと良いのだけれど歳には勝てないからね。
大切にしてあげたい。

最近は寝っ転がってうつらうつらしている事が多くなった。
私が呼ぶと「なあに?」と疑うことを知らない目でじっと見つめてくる。
無条件で信じることを教えてくれたのはせろりなんだよ。

4月
10
ファミレス

打ち合わせのため、久しぶりに、いつも行くところではない、私が住んでいる地元のファミレスに行った。
吹奏楽の事、音楽の事、教育の事、私の師匠の事、等で話に花が咲き、いつものようにフリードリンクをおかわりしようと店員を呼んだ。

こちらに来たのは高校生かそれより少し上の男性。物腰、制服の着方、話し方、対応の仕方、運び方、どれをとっても「もうちょっと何とかしようよ!」な人。
しかし私はあまり違和感なく「そういえば最近こういうのよく見るよなぁ。」などと思っていた。いつも行く仕事場近くのファミレスなどでは、年齢性別に関わらずよく見る光景なのだ。
「ちゃんと仕事しろよ!」思わず声をかけてしまいそうだが、「でも、このあたりじゃ珍しいんじゃないか?蔓延ってきたのかなぁ」などと考えていた。

そしたら、すかさず同席の人がぼそっと一言声を出した。
「かわいそうに。きっと明日からクビだね。」
「え?」
「いくら何でもこれじゃダメでしょ?世の中はこれは許さないと思うよ。」
そんな言葉を出すような厳しい人だとは思っていなかったので少しびっくりしつつ、自分の感覚が鈍っているような気がしてぎょっとした。

4月
07
貧しさ

私は「音楽」を生業としている。
だから、と言うわけでもないが、まずは自分が「豊か」であるべきだと思っている。
しかも、豊かさとは物質的な意味合いではなく、「気持の有りよう」だと。

また、「豊かさ」の対義として「惨め」や「哀れ」にはなりたくないとも思っている。
何が「惨め」で何が「哀れ」なのかは説明が難しいが、「心の貧しさ」から来る、「優しさ・愛おしさ」「思いやり」「敬う気持」「賢さ」などの欠如した状態、と言えば一番近いか。
だから心の貧しさほど醜いものはないと。

さらに、人の尊厳は決して忘れたくない。
私自身がそれを失った「貧しいもの」と同類にはなりたくない。

「貧しいもの」は「弱いもの」と読み替えて差し支えないかと…。

少なくともその心構えを忘れてはならない。

なぜなら、私は「音楽」を生業としているが、それ以前に「人」でありたいから。

4月
06
掃除

4月になっていろいろ新しくなるのに、なかなか掃除が出来ない。
先日、やっと職員室の新しい机を綺麗に拭いた。糊が付いていて汚かったんだ。

準備室も何やらごたごたと溜まってきた。
そりゃ、仕分けして不必要な物はどんどん処分していかなければ溜まる一方だよな。
もちろん必要な物もたくさんあるけれど、それですら整理しなければまずいよ。
今週一週間で何とかしよう。来週になったら授業が始まってしまう。

そういえば、パソコンも「デスクトップ上に使用しないアイコンが有ります。処分しますか?」みたいなダイアログが出るようになった。
 

親友に教えてもらった掃除の掟。
「迷ったら捨てろ!」
これもエコに反するかなぁ?

もう一つ。密かに格言だと思っている言葉。
「掃除とはゴミの移動である。」
掃除してもゴミそのものの存在は消えない、不都合ではないところに移動するだけ、ということだ。
もっとも、存在は消えないが、性質を変質させることはあり得る。リサイクル。もしくは焼却処分。
誰が?どうやって?が工夫のしどころではある。まだまだ巧くいかない事が多いようでもある。
いずれにしても質量保存の法則は大原則。

…何をごちゃごちゃ言ってるんだか。
…掃除嫌いの屁理屈は必要ないぞ。
…掃除をします。
…近々。
…きっと…。
…。
…さっぱりしたいもの。

3月
31
眼科

行こうと思っていてもなかなか叶わなかった眼科に行った。

持病絡みで一番ダメージを受けると嫌なのは目なので、以前より気になっていたのだ。
最近見えにくくなっているし。
で、特に異常はなかった。良かった。見えにくいのは単純に年齢相当ということか。

でも、眼底検査のために瞳孔を開く薬を入れられて眩しい!!!
全く痛くはないけれど変な感じ。5,6時間続くそうだ。
しょうがないから家の中でサングラスかけてる。

3月
25
ご近所で

うちの隣家は週に何日か小学生を集めて塾のような事をやっている。
個人宅でそろばん塾やっているかんじかな。

当然その日は子供たちが大勢やってくる。自転車で。保護者の車で。
時間で入れ替わるようだからひっきりなしだ。
私の普段は日中学校勤務だからあまり状況を知らないが、今は春休みなので早く帰ると出くわす事がある。

とにかくひどい。子供も親も近所の人とすれ違って挨拶なんてするはずない。自転車の止め方は無法地帯。道路側に自転車倒れても知らん顔。車通れなくて渋滞してるのに「俺じゃないよ」「私でもないよ」と。
近所迷惑甚だしいのである。見かねて注意しても子供たちは聞く耳持たないらしい。

子供も子供なら親も親。
親の車は所構わず路駐。我が家の周りの道は狭い。そこ止まったら近隣の生活者は通れなくなるじゃないか。百歩譲って、運転席に乗っているんだから邪魔だと思ったら移動しろよ、と思うけれどこれでも知らん顔。逆に私が自分のうちに車入れようとすると「おまえ邪魔なんだよ!」みたいな顔してるように見える。

その塾の主も子供たちに(親にも…主と親は同世代だと思うのだ)どんな指導しているのやら。

この傾向はどうやったら歯止めがかけられるんだろう?
今の子供たちは教育公害の第3世代らしい。

3月
10
横断歩道で

車に轢かれそうになった。
対向車線に右ウィンカー出しながら近づいてくる車を目視しながら、道路左側を直進し信号青で横断歩道にさしかかった。通常横断歩道上に歩行者見たら車は止まるけど「もしかしたら怪しいぞ」と思いながら真ん中までさしかかった。案の定ほとんど減速せずに右折して突っ込んできた。
とっさに、ボンネットの上に飛び乗ってやろうか、とか、蹴っても負けるよな、とか、本当はちゃんと止まるつもりだろ?とか思ったりしながら。
結局、車は急ブレーキで停止し、私は横っ飛びに飛んで当たらなかったのだからまあ良しとしようか。

しかし。車の中で頭下げてたようだけど、そのままびゅーって行っちゃったよ。
ミスそのものより、その後が大切だよな、と改めて思った。

と、同時に、世の中いつ何があるかわからない。今、生きてるだけでも幸せと感じよう。だから行っちゃった車に怒るのはよそう。自分がそうならないように気を付ければ良いんだ、とも思った。