3月
03

土曜の夜あたりから調子が悪く、たくさん寝汗をかいた。「風邪引いたかも」と、次の日は普通の風邪薬飲んで合同練習・会合・懇親会と朝から夜までめいっぱいに頑張った。さすがに帰り道はへろへろになっていてやっとの事で家にたどり着いた途端ダウンしてしまった。
体温計ったら39.5位まで上がっていて、どんなかっこうしていても体中痛くまともに寝られない。それでも朝方には38度を切るくらいまでには下がったので一日休んで寝ていたら大丈夫だろうと、ひたすら寝ることにした。
しかし、それから一向に下がらない。ずっと38度前後のまま。「やっぱり医者に行かにゃだめだわい…」と午後一番になじみの先生のところに行く。
「咳もくしゃみも鼻水も出ませんが…」
「インフルエンザじゃなさそうですねぇ。」
「一応調べてもらえませんか?」
「良いですよ」
「やっぱり陰性です。胃腸風邪ですね。」
との所見。
いただいた薬飲んで寝てたらすぐ熱は下がった。体の痛みも消えしばらくぐっすりと寝れた。

と、ここまではよくある話。

だいぶ楽になって、体温計ったらなんと34.7度。
何回計っても35度以上にならない。
思わず笑っちゃった。
元々体温高くない方だとは思っていたが、ここまで低いのか、と少々びっくり。解熱剤というのは無制限に体温下げるのか??

もう一晩寝て、今朝やっと35.4度だった。

変温動物になっちゃったかな。

2月
28
風土

は変えられんよ! と言われた。

うん。そう思っている人が沢山いると変わらないだろうな。
「別段これで不便は感じないよ」だとしたら、周りでどれだけ騒いでも変わらない。

変わる事が出来るのは、変えたい、変わりたい、という欲求があればこそ、だろうからね。
そうなりたい、そうなって欲しい、という欲求もかな。

ただこの欲求もバランスを欠いてしまうと少し厄介だから気を付ける。変える必要のないことだってあるだろうし。

変わりたい、と思うためにはまずは沢山の異文化を見て知る事が大切だろう。井の中の蛙にならないよう多様な価値観を見つける努力は失いたくない。
とは言っても、通常、人は自分にとって異質な物は見たくない事が多いだろうか…。まだ10代だというのにそれまでに身につけた(ほんのわずかな)価値観の鎧に閉じこもって異質な物を排除したがっているように見えることがある。もったいない。
異質か異質でないかの判断とは既に自分の中に有る一定の価値基準による。その一定の価値基準のほとんどは後天的なものじゃないのかな。であれば、きっと変える事はできるはずだ、と思うのだが。

まずは個が変われば、そして変化できた個が沢山集まったら、風土でさえも変わると思うのだけれど。
机上の空論かな?

長い時間かけて積み上がってきた物を、簡単に変えられるはずはないだろうから、難易度は高いことは間違いないけれど。

まずは異質な物でも拒否しない許容力の大きな人(好き嫌いは別問題)になって欲しいと思う。結局それはインプット性能だろう。

2月
23
オトナの都合

に振り回される、という表現が良いのかどうか解らない。

確かにどうしようもない場合もある。
苦渋の決断をしなければならない事はそうそう頻繁にあったら嫌だけれど、「これはしょうがない」と納得できることもあるもの。しかしあくまでも「苦渋の決断」であって欲しい。気まぐれの身勝手我が儘ではなく。
 

やっと自身の中からやりたい事やるべき事を見つけ(ここではそこに至るまでですらとても大変なのに!)、その実現に向けて困難に立ち向かおうとし始めているところで理不尽に水を差されてしまうと、今まで構築してきたこと全てを否定されてしまったような気になってしまう。それが単純な誤解であったとしても思春期な人たちにとっては致命傷になってしまうんじゃないか?

まだ幼くて、どう転んでも自分のコントロール下にあるうちは「やりたいようにやりなさい」と言っておきながら、意のままに操れないくらい成長すると「言うことを聞きなさい!!聞かないと△△だからね」と様々な手段を使ってでも従わせようとしているのではないか、と思ってしまう事がある。
「言いたいことあればちゃんと言いなさい」と言われ勇気を振り絞って言ってみると「生意気言うんじゃねぇよ!」と一喝される、というような事もある。

理屈じゃないんだ!という声も聞こえる。
そういったこと経験してオトナになっていくんだ!というのも解らないではない。

でもね。10代の心からは、それまでちゃんと鍛えてもらっていない事に加えて、しなくていい苦労をしこたま背負い込まされて、声にならない悲鳴が聞こえてくるよ。
みんなものすごく苦しいんだと思うよ。

今、目の前にある1つ1つのの小さなトラブルの奥には、それぞれ私では到底太刀打ちできない深くて大きい問題が潜んでいるようだ。

単なる吹奏楽馬鹿な私に何が出来るんだろう?
音楽というミクロコスモスにユートピアを見いだし、そこに逃避しているだけじゃないのか?

2月
10
市役所

にある申請をしに行った。

昨年も行ったし、また別の件でも何度も行っていたので、用件自体は簡単だし書類は完璧に揃っているしすぐ済むと思ってた。
で、やっと時間が出来たので行くことにした。
豊川市役所一宮支所の玄関入った瞬間なんやら「おやっ?」と思った。嫌な予感を感じつついつものように2階に上がったが、目的の部署はなかった。水道局(?)だった。
もう一度1階に下りて案内板を何度も確認し、やはり見つからないので近くの方に尋ねた。
「ああ、それは去年までここにあったけど、今は音羽支所だよ。」
…えっ!音羽って全く反対方向。遠いじゃん!
やっぱりちゃんと調べてから来ればよかった。
うわ、今から音羽まで行こうと思うと時間がないぞ。
ナビ様にお伺いしたら「高速道路でいけ!」との思し召し。
なるほどそれなら何とかなるかも、と音羽に向けて再出発。
15分後無事到着し、用件そのものはものの5分で終了。何の問題もなし。

ちゃんと調べなかったこちらが悪いのはわかっているが、知らないうちにあちこち移動するのはなぁ、と。(私はここの住民じゃないから何の情報源もないんだな。)
でも、用事が終わってから落ち着いて回り眺めてみたら、ここの支所はホールと同じ施設内だと気がついた。
市町村合併でよい良い環境を、と考えたらこうなるのは当然かもしれない。

行った部署は教育委員会生涯教育課。内容は豊川市教育委員会へ演奏会の後援依頼。

第4回定期演奏会はもうすぐやってくる。

1月
04
BIRDER

になりたい、と常々思っているが。
なかなかなれない。

数年前の夏、キャンプ中に安価な双眼鏡(と言っても大型スーパーの光学用品売り場で売っている中では一番高かったが)を手に入れ、本屋に行っては良さそうな鳥類ハンディ図鑑を買い、専門月刊誌を読み、ネットをさまよう。
しかし、実際に見に行けない。
やっと行けても目の前にいる鳥が何なのか調べているうちに飛んでいってしまう。
少しずつ名前を覚え、大きさや姿形を覚えているつもりではあるが、実際は「あれなんだろう?」で先に進まない。そんなことの繰り返しである。
鳴き声を聞き、姿をパット見ただけで「あれは何々で、この辺りでは珍しいねぇ。」「もう渡ってきたのかぁ。今年は早いねぇ」などと言ってみたいものだ。

ということで、今日は琵琶湖へ行った。熊野詣でを諦め、せっかく時間があるのだから水鳥を見ようと相成ったわけである。
彦根から湖岸道路に出て、水辺を見ながら車を動かす。
途中、歩道に三脚立てて、たぶん500mmとか700mmとかの長いレンズ付けた人たちがいた。しかもレンズの方向は湖ではなく迫ってくる山だった。大鷹でも狙っているのだろうか。
うぅ、やってみたい。

湖北まで上がって車を止め、じっくりと双眼鏡で湖上を覗いてみた。沢山の種類の鳥たちが無数にいる。
しかし、図鑑を見ても良く解らない。種が解らず、雄雌の区別が解らず、図鑑と双眼鏡を行ったり来たりしていたら、だんだん気持ちが悪くなってきた。

こんなんじゃ、BIRDERになんかなれないぞ、と少し情けないが。
双眼鏡に慣れるためにはたくさん覗かなきゃ。少しでも鳥の名前と特徴覚えなきゃ。
そして、いつかは鳥の写真を撮れるようになりたい。

ぐるっと反時計回りで琵琶湖を回り大津まで出た。
途中、せろりと雪の中で遊んだりしながら気持ちの良いドライブ。
本日はとても気分の良い一日だった。

1月
03
さて

正月三が日はまったりと過ぎた。ほとんど文字通り寝正月。

元旦と3日は、京白味噌の雑煮。大根、人参、里芋、豆腐と餅。花鰹をかけて食す。
2日はお澄ましの雑煮。焼蒲鉾、椎茸、水菜。餅は別で焼き餅にして。焼き海苔を載せて食す。
餅は暮れについたもの。昨年も書いたけど普通のとたがね餅と。
今年のお節料理は簡素に。(例年の半分以下、いや三分の一かも。)
だし巻き卵焼き。伊達巻き。身欠きニシン(日にちをかけて丁寧にもどす)。数の子(ただ塩抜きするだけじゃなく。色は悪いが…)。椎茸の煮物野菜の煮物。田作。ほか。このあたりが自家製。
しかし、美味いんだな、これが。

練習は6日から開始。それまでもう少し鋭気を養う。
明日はどこかに出かけようかな。本当は熊野に詣でたいが…。
事ある毎に行っているので、今回行けなくても是非近いうちに行きたいと思っている。

熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。
神仏習合により、本宮の家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来で、牟須美神(むずびのかみ)が千手観音、速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来とされた。熊野の3神は熊野三所権現と呼ばれ、主祭神以外も含めて熊野十二所権現ともいう。
出典: ウィキペディア(Wikipedia)

年明け早々本番がてんこ盛り。様々な合同練習も。
今年は順調に始まりたい。健康にも注意を払って。

1月
01
謹賀新年

謹んで新春のお祝いを申し上げます。
旧年中は公私にわたって大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

2009年1月1日 NGO

12月
29
焦ったぁ

時間が出来たので、かねてからIntelPCでやりたかったUbuntuというLinuxを試してみた。
これでも一応VINE-LinuxをOldMAC時代から親しんできたので、大丈夫と思っていたが。

ちんぷんかんぷんな人、ごめんなさ〜い。

で、USBメモリへのインストール失敗し、WINでさえ立ち上がらなくなってしまったのでした。
GRUB Loading… Error 21
原因解明と復旧に一日かかりました。その説明は…、ここではヤメとこう。

マシンは全く元のままです。メデタシメデタシ。

12月
27
一番

恐れていると思われることは、自分を受け入れてくれないこと、かな。
そりゃそうだろうね。誰だって自分の存在価値を認めてくれなかったら苦しいからな。

そんな状況になりそうだと、自分を受け入れてくれない相手を受け入れることができず、まずは自分を受け入れるべきだと自己主張と要求を繰り返し、気が付くことのない自己矛盾と、取り残されてしまうかも知れない恐怖に苦しむ。そして次第に、認めてくれない相手に敵意を抱き攻撃を開始する。そしてさらに受け入れてくれなくなり、受け入れの要求が激化する。
この悪循環の連鎖は断ち切れるのかな。

その際、認めてくれない原因が自分自身にあるかも知れないという可能性は全く考慮されないことが多い。あるいは、単なる思いこみだったり、勘違いだったりかもしれない。もちろんそこに真実があるかも知れないが、たまたま小耳に挟んだ根も葉もないうわさ話かも知れない。もしかしたら意図(悪意の場合だってある!)を持って吹き込まれてしまったかも知れない。

いつの時代でもそうなんだろうけれども、特に現代の若者たちにとってそんな状況は多いのだろうなぁ…。あちこちWEBを徘徊しているとネット上でそういったやりとりをよく見かける。ヴァーチャルだからデフォルメされてるかもしれないけれど、それはとってもしんどい生き方だと…。

何が大切で、何が真実で、何が本質か、見極めるのはどうやっても自分自身だ。他人が決めることはできない。だから「自己責任」で片付けてしまうのは簡単。
しかし、翻弄されることなくその見極めが正しくできるように鍛えていくのが教育なんだろう。初めから正しく見極めなんかできないから様々な事例を通して少しずつ学んでいく仕掛けが要る。…果たしてできているのだろうか。

何もしないでいると、本人は知ってか知らぬか、一つ一つの小さな積み重ねにより次第に大切な物(受け入れてくれる人)を失っていき、気が付いたときにはもう取り返しがつかなくなっていく。
引き返せるところで(不本意であっても)声をかけてもらえるうちはまだ良い。うっとうしいと思える人がいるのは幸せだ。誰からも何も言われなくなったときに「自由になった」と思うのは大きな間違い。誰も相手にしてくれない究極の不自由を手に入れたことになると知るべきだ。

ネットのマナーでよく言われるでしょ?
「荒らし」に対しては「反応せず」「削除し続けること」って。
それって本当はとても悲しいことだと思うよ。だって自分の発言を削除し続けられてごらん?

12月
26
虫歯

恥ずかしい話、歯は悪い。
途中で歯医者に行くのを断念したままの歯。
詰め物が取れたまま大きな穴の空いた歯。
少しずつ虫が進行している歯。

右上の親知らずも虫歯だ。大きく穴が空いてる。近頃ずっと少し痛みがあった。
つい最近一部が欠けたようだが、どこかで引っかかってぶらぶらのまま取れない状態が続いていた。昨日何かのはずみで少しだけ移動したみたい。そしたら噛むたびに他の歯と干渉して痛いのなんの。
触っては見るものの、どうやら元の鞘に収まるそぶりは見せてくれない。
むしろ酷くなる一方。しゃべる事もままならない。
「困ったなぁ、これじゃアンコンのレッスン出来ないよ」
と高速道路の渋滞を良いことに、意を決して力をかけてぐいと押してみた。痛いけど我慢我慢。
もう一度!
あやっ!?
ポコッと虫歯の穴の中にかけらが入り込んでしまったぞ。
ん?
でも…、痛くない? かも…。 …おぉ!解放された。
他の歯も干渉しないゾ。

とりあえず痛みはない。「奥歯に物の挟まったような」感じもなくなった。無事レッスンは何事もなくできた!
よかった。この暮れ正月、歯痛で苦しむことは免れた(と思われる)。

もちろん虫歯に自然治癒はあり得ないから、いずれはきちんと直すなり抜くなりしないとダメだけど。
そうだ、来年は(嫌がらず)歯医者に行こう。
時間あるかな?